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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784167923341
作品紹介・あらすじ
夫を嫌いな上品な老婦人、段ボールにひきこもる少年、悲劇のヒロインを演じる女性……臨床心理士の著者は、日々の出来事やカウンセリングを通して出会う人々の大きな重荷を背負った心が変化する瞬間を掬い上げる。あなたが見失ってしまっている心にもう一度出会うためのヒントが詰まったエッセイ集。解説・辻村深月
【気鋭の臨床心理士によるエッセイ集 待望の文庫化!】
東畑さんの本を私にとって身近で大切な人、幸せで、健やかでいてほしい
人たちに贈ってきた(解説・辻村深月)
『心はどこへ消えた?』は変身物語です。
この本のすべての章で、人々が変身する瞬間が描かれているはずです。
ただし、その変身は、スーパーマンに
なったり、狼男になったりするような
派手なものではありません。
そこにあるのは小さな揺れです。(文庫版まえがきより)
感想・レビュー・書評
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心理士である著者のカウンセリング模様をあえてユーモアを交えながら語るエッセイ集。
実際は壮絶であろう現場だけど語り口はいい意味で軽めなので、こちらの気持ちが沈むことはない。寧ろ面白く、スルスル読み進められる。ただ、そんな中でハッとするような考え方やフレーズがでてくるので侮れない。
大なり小なり、現代に生きていると心理学が参考になる人も多いと思う。その最初のステップとなりうる本です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
山崎怜奈さんが「コロナ禍に読んですごく救われた」と絶賛されていて気になった本。
臨床心理士の著者の元には、さまざまな悩みを持った人々がカウセリングを受けに訪れる。
アメリカでは美容院に行くような感覚でカウンセラーの元を訪れる人が多いと聞いたことがある。ちょっと前髪伸びてきたから、みたいな気軽な感じで、ちょっと心が疲れてきたからカウセリングに行く。
鬱などの明確な諸症状がないと受けられないと思っていた私は、それを聞いてカウセリングに興味を持ったのだが、本書で初めて、カウセリングは長い時間をかけるものと知った。
著者は時に何ヶ月もかけてクライエントの話を聞き続け、思いを吐き出させる。そこには説得も指導もない。毎月来ていたクライエントが訪れない月もある。それでも訪れたら粘り強く話を聞く。
そしてある時、ほんの些細な出来事や著者からの問いかけによって、クライエントが小さな変化を見せる。そこから目に見えるような変化が出るまで、1年以上経っていたりする。なんと根気のいる仕事だろう…!
また定期的に続けるクライエントたちもすごい。面倒くさがり屋の私がクライエントなら、もっと早く解決してくれるかと思ったとか家族に愚痴をこぼし、そのうち行かなくなってしまいそうだ…
しかしそれほど心のケアというのは時間のかかるものだと理解できたことは大きい。
悩みにぶち当たったとき、一刻も早くこの沼から抜け出したいと必死にもがくが、それが近道とは限らない。まずは思いを吐き出して自分の現状を見つめ、冷静になる時間が必要だったりする。たった数週間で劇的に変わることばかりではない。本書に登場したクライエントたちのように、何ヶ月も何年もかけて少しずつ変わっていけばいいのかと思うと、随分と気が楽になる。悩みは早く解消しろと、自分で自分を追い込んでいたのかもしれない。
辻村深月さんによる解説も実によかった。
なぜ私たちが小説にこれほど魅せられるのか。その一つは、辻村さんの言う「『大きな物語』が、個人の『小さな物語』を通じて立ちどころに理解できるようになる」という部分にあると思う。
小説によって描かれる、極めて具体的で、個別的で、カラフルな「小さな物語」を通して、社会の根底にある大きな問題や風潮を理解できる。ぼんやりと抽象的だったイメージが、登場人物たちの具体例を通して初めて、ぐっと明瞭になる。そんな瞬間が小説を読んでいると何度も訪れる。
辻村さんは言う。「私が小説家として物語を書くというのは、その個人的な『小さな物語』を形にすることだ。」
次に読む東畑さんの本は、辻村さんがオススメする「雨の日の心理学」にしたい。自分が誰かのケアを必要としたり、ケアをする側に立った際に思い出そうと決めている一冊だそうだ。
軽やかでユーモアがあって、だけど鋭く揺るがない視点を持つ東畑さんの言葉を、今から楽しみにしている。
最後に、特に印象に残った言葉メモ✍
ー多くの場合、現実は超自我よりマイルドなのだ。リモートワークがつらい理由もここにある。同僚と顔をあわせないままに仕事をしていると、だんだん超自我の声が残酷になってくる。現実の上司に、心の中の上司が投影されるから、実際よりも残酷な人に思えてくるのだ。長期休み明けに、学校や職場にいくのが億劫になるのはそのせいだ。
ーどんなにガイドラインの目が厳しくても、人と人とが同じ空間にいれば、雑談は花を咲かせてしまう。人は人を怖がったり、嫌いになることもあるけれど、結局人を求めることをやめられない。生身の人間がそこにいる。それだけでわけもなく嬉しくなってしまうのが私たちだと思うのだ。 -
単行本が出た時にあ読みたいかもと思ったもののずっと後回しにしていて、今般文庫化されたのを書店で見つけ遅ればせながら読みました。
で、とても面白かった。学術・読み物(エッセイ)・ユーモアのバランスがとてもいい。解説の辻村深月さんが『お守りみたいだ』と書かれていたのもすごく納得でした。本作も含め自分が好きになった小説やエッセイに対する気持ちもまさにそれでした。
浮世離れすることでしか根源を問うことはできないという大学院生時代のエピソードは自分の学生時代の友人との深夜の議論や、大学生の自分の子どもとの真剣な話でも感じたことだし、別れや何かを失うときに私たちは幾分クレイジーになるというのは思い当たりすぎて何度も頷いてしまった。
オススメの本です。
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最初に、テーマになるような話題から始まる。
東畑さんが提供するユーモアは、クスリと笑いたくなるときと、ハイハイとサラリと本題に入りたくなるときとに、分かれる。
このレビューをご本人に読まれてしまったら、きっと「恥ずかしい、もういやだ」と言われてしまいそうな気がする。
それくらいには、紙面を通してだけど、お近づきになれたとも言える。
話題が一段落すると、東畑さんが鋳なおしたカウンセリングのエピソードが始まる。
どこがフィクションなのかが分からないくらいに、人の形をしていて。
どのエピソードも、私自身の心に、染み込んでいくのが分かった。
他者の物語を聴くうちに、必然的に、自分の気持ちを振り返っている。
私自身のこと、私の両親のこと、ライフステージのこと、カウンセリングのこと、夢のこと。
エピソードの中には「長い時間をかけて」という文言がよく見られた。
ここに描かれた人たちが、費やした時間は、いったいどのくらいの「長さ」だったんだろうか。
小さな物語を、手のひらでゆっくり温めながら、抱きしめたい。
そんな気持ちになる一冊だった。 -
心とは、実際のところ、なんなんだろう?
本書『心はどこへ消えた?』は、臨床心理士・東畑開人という、いかにも心理のプロっぽい先生が、めちゃくちゃ人間くさく共感しやすい“バジー・東畑”という第二人格を生み出し、そのバジーが出会う人々との間に、心という“目には見えない何か”を浮かび上がらせる――そんな週刊誌連載の創作エッセイである。
さて、冒頭の質問のヒントや答えはたくさん本書の中に書かれていたが、今の自分の言葉でまとめ、再定義してみようと思う。
「心とは、喜びや悲しみ、痛みなど、何かを感じているもの、そのものである。」
「感じている」と考えているのは脳だが、脳は何かを対象として考えているのであり、脳自体が喜んだり悲しんだりしているわけではないのだ。
そして、その「何か」が心の正体なのではないだろうか。
ということは、心とは体でもなく物質でもないけれど、確実に、具体的に存在している“何か”ということになる。
そして、その心の場所を問うのが本書である。
心は確実に存在しているが目に見えず、あらゆる科学の力をもってしても、今のところその場所を特定できていない。
心を見ることができるのは心だけなので、結局は自分が持っている目には見えない透明のメガネを引っ張り出し、相手の目には見えない透明な部分を見ようという――とんでもなく難しそうな作業が必要なのである。
ただこれは、文字にすると難しそうだが、実際は多くの場合、人は無意識にできていることなのではないだろうか。
たとえば、友達が急に髪型を変えたので不思議に思って聞いてみたり、
いつもご飯をおかわりする彼氏が一杯だけで「ごちそうさま」と言ったので心配してみたり。そんな感じだ。
そして、それができなくなるような緊急事態――つまり透明なメガネの場所が分からなくなったときこそ、それを見つけてくれる他者が必要になる。
結局、人は一人では、いつ自分の心さえ見えなくなるか分からない。
だからこそ、自分以外の誰かを大切にし、困ったときには助け合おうということなのだ。
具体的には、自分と接する誰かが話す小さな物語をぞんざいにせず、
「心」という、自分の持っている透明なメガネを使って、その人の普段とは違う小さな揺れ――変身の前兆を見逃さない。
それが大切なのだろう。
そして同時に、「心とは?」という壮大で終わりのなさそうな問いに対して、安易に答えを出さず、分かった気にならず、問い続ける人でありたいと思う。 -
心理学エッセイ
ショックを受けた時、心は心をどのように守っっているのか
心を覗いてみる、とか
ちょっと心が疲れた時に「心はどうなってるんだろう?」と思って読んでみるのはいいかもしれない
心に触れるには心を使うしかなく、心を見えるものにするには言葉を使うしかない
…元気なひとには「ふーん」と終わるかも
著者の正直な文には好感
だけどどうでもいい話もある
時々心が沈んだ時に少しずつ読んでたので読み終えるのに時間がかかった
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臨床心理士のエッセイ。
そもそも心とは何か?
カウンセリングによりクライエントの心が変化する様子、緩やかであったり急であったり様々で興味深い。
それぞれの転機に生きるヒントをもらう。
「補欠は世界を外から見ている。」
特に印象に残る。 -
最近好きな東畑さんの本。
この本はエッセイで、1つの話が短くてサクッと読める。
話の中に出てくる、クライアントとのやり取りが興味深かった。あ、そういう返しをするんだ、と思うところがたくさんあった。
他の本にも書いてあったけれど、カウンセリングはその人のこころを指摘することではなくて、ただ聞くこと。自分で気が付くように、認められるように、言葉をかけること。そんなやりとりが詰まっている。
なんだか、ほっとする。不思議な本。 -
「なんでも見つかる夜に、心だけが見つからない」に続き二作目です。
今回は週刊文春で連載していたものを文庫化に。
短くて、読み物としても、楽しく読めました。
超自我や自分自身を取り締まってしまったり、
言えなかったモヤモヤは
心が発熱して炎症してたからだったのかとか、
ハッとするものも含まれてました。
物体として存在しない、心。
だけど確かに存在する、心。
重たくなりすぎず、
読みやすいので、
また折を見て読み返したいと思います。 -
臨床心理士の方が書かれた本を読むのは初めてだった。辻村深月さんが解説を書かれているのとYouTubeでこの本が勧められていたので購入。心理についてど素人にも分かりやすく書かれていて読みやすかった。特に「スーパーヴィジョンにて」という話で登場する女性が自分で深く考えずに正解をすぐに求めようとしてしまう自分の性格と重なって響いた。ただ、プライバシーの問題があるのは重々理解しているけれどもう少しカウンセリングの方法や心の変化が細かく知りたかった。
東畑さんの本は初めてで、他の本には書かれているかもしれないのでもっと他の本も読んでみたいと思った。一つ一つのエピソードが短いので、読書初心者さんにおすすめの一冊。 -
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p113- 不完全さを許せないと、私たちは人と一緒に居られなくなってしまう。
臨床心理士としての経験をもとに、人々の「心」の在り処を探るエッセイ集。コロナ禍という大きな物語に埋もれがちな個人の小さな物語に焦点を当て、ユーモアを交えながらも深い洞察を提供しており、随所に自分の心の動きや他者との関わりを見つめ直したいと思える文章があった。軽妙な語り口でありながら、心の本質に迫る一冊。 -
非常に素晴らしいエッセイだった。
日常のたわいもない話とカウンセリングの話と、ふしぎなかたちで混じり合い、気持ちのよい読後感へといざなってくれる。
久々によいテキストを読んだ感触がある。
藤田翔平のテキストを以前読んだ気持ち良い読後感と同様な感じを感じた。 -
人間の心って、わからないですよね。自分にしかわからないはずなのに、それでいて自分自身でもわからない部分がありそうです。心は時として一人歩きしてしまうし、ある時は奥の暗闇に逃げ込んでしまう。自分の心とじっくり話をする、そんなことを考えてた時から、心はどこかへ消えてしまう。
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元は「週刊文春」連載コラム(コロナ禍入口の頃の2020.5.7-2021.4.29)、2021年秋に単行本になり、この度は辻村深月の解説と文庫版まえがきが加わった。
週刊誌連載だけあってちょこちょこ読めるし読みやすい。だけど、芯のところにはちゃんと臨床心理学者なりの問題意識もつらぬかれており、それが「心はどこへ消えた?」であり、コロナ禍でさまざまな問題があらわになったが実はその二十年は前から起こっていた社会変化と切り離してかんがえることはできずそれを遠景として、小さすぎる個々の物語のささやかなエピソードに宿る心の再発見をめざしたエッセイ集。心は他者がいてはじめて発見されるものだ(赤ちゃんのときに「おなかが空いてるのね」「うれしいんだね」と声をかけられることで)、というのはなるほどと思えた。河合隼雄の次の世代はこのあたりの人がたよりかな⋯ -
【あなたは心を見つけ出す】今ほど心が蔑ろにされている時代はない。その理由を解き明かし、心の在り処を探る。心を取り戻すための小さな物語が詰まった一冊。
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タイトルが意味深。
コロナ禍に書かれた連載をまとめた本。
つい数年前のことのはずなのに、もうずっと昔のような気がする。
あのときはほんとにおかしな時期だった。
みんながマスクをして、学校も休校になったし、リモートによる授業もあった。
その時代性が、このタイトルを引き出した、らしい。
東畑氏の本を読んだのは初めてだった。
この人、ふざけているのか?そう思わせるようなエピソードと文体が楽しく、タイトルの堅苦しさと相反する印象を持った。
だけど、”心はどこに消えた?”という問いは、カウンセリングの中で、真摯に導き出されたものだと思う。
さまざまなクライアントの話はとても興味深い。
何か不調を抱えて、自分では悩みの原因は、こうとわかっているつもりなのに、他者の目から見ると、明らかにそうではないということがある。
カウンセリングで話す中で、そうした心の傷を見せるようになると、そこから本当の対話がスタートする。
さまざまなクライアントの話は創作も含んでいるらしいけれど、心の問題が行動や体の反応として表出していく、不安や苦悩、喜びなどは、本当のことだと伝わった。
中には自分自身にとっても、忘れたくないなと思うようなエピソードや、言葉も散りばめられていた。
話は誰かのお話なんだけど、自分とも向き合う機会となるような、そんなエッセイ集。
人間って一筋縄ではいかない。
大変だということではなく、自分にも自分のことなんてわからない、という意味で。
他者とのコミュニケーションを通して、自分の心を発見していく…。
誰かといるということは、必要なことだなと感じた。 -
「社会人として成長するには、一度徹底的に負荷を与えられる必要がある。それは俗にいう『潰す』という経験で、君にもきっといつかその時がくるよ。そんな壁にぶつかることそのものが大事だし、その壁を乗り越えないと成長には繋がらない。」
そう言った上司がいた。そうなんだと納得した。でも、その人が言う「壁」とは、私にとっては穴だった。気づいたらどんどん仕事が増えてきて、訳もなく(あるのだけど分からない)不安になり、感受性がどんどんなくなっていった。
あの人はこれをのりこえる壁だというけれど、私には壁として分かりやすく見えるものではなく、いく先の分からない穴に落ちていくことなのだ。まともに落ちたら、最終的には冷たい底に体を打ちつけることになる。そうなったとき、きっとあの人はもう私を助けられないだろう。あの人の言葉は、そういう無自覚で無責任なものだった。
だから、「温かい目でしか人は変わらない。危険にさらされて怯えているときではなく、安全だと感じられているときにしか、人は変われないのである。」という文章を読んだとき、良くぞ言ってくれた!と思った。冷たい穴に落ちるくらいなら、それを避けて暖かな大地を歩いていきたい。空を見上げたい。それだったら、多少の段差は登れると思う。
そういう、まずは確かで安全な場所を確立しないと、私はダメなのだと思った。そこでハシゴやロープやクッションを集められれば、もし穴に落ちたとしても底に強かに体を打ちつけない対処ができるのだと思う。
そうしたアイテムのひとつが、この本なのである。 -
はじめに断っておく。これから少々小難しい駄文を弄するが、それは私がそういう人間だからである。本書はそれとは正反対の至って読みやすいエッセイだ。
序文に述べられているように、90年代は「心の時代」だった。世間を騒がす事件が起きると、ワイドショーでコメンテーターが容疑者の「心の闇」を分析した。エヴァンゲリオンという、ロボットアニメなのに主人公の内面ばかり描く作品が大ヒットした。「自分探し」という言葉が流行し、大学の心理学科は超人気だった。それなのにいつからだろう。心が見向きもされなくなってしまったのは。
一昨年話題になった本に、『客観性の落とし穴』(村上靖彦=著、ちくまプリマー新書)がある。客観性はすべての人を同じモノサシで測る。学力ならテストの点数が基準になる。点数の高い者が評価され、低い者は努力が足りないと見なされる。個々人が抱えている事情は考慮されない。いや、考慮されてはならないのだ。客観性は個別的なものを無視する。心のように個別的なものを。だから心が悲鳴を上げても、それは社会や環境という共通の問題として処理され、かき消されてしまう。心に居場所はない。
同時に著者は、共同体が壊れ、「個人の時代」になったことを指摘する。かつては学校や会社といった共同体が個人を守っていた。だから個人は無理に全体=客観性に合わせる必要がなかった。しかしいまは、個人が直接社会=全体に対峙しなければならない。たしかに共同体の時代は不自由だった。だから自由に憧れ、大きな船を降り、小舟で大海に漕ぎ出した。しかし時は過ぎ、もはや小舟での航海は解放ではない。私たちは望んでいようがいまいが、小舟で航行せざるを得ない。大船は解体されたのだ。私たちはもはや自由を謳歌してなどいない。感じているのは大海原を一人でゆかなければならない不安であり、嵐にも一人で立ち向かわなくてはならない恐怖である。それなのに私たちは弱音を吐くことを許されない。生き延びられなくてもそれは「自己責任」であり、個人的事情は客観性の圧倒的な「正しさ」によって否定される。そこでは要領よく波に乗れる人間だけが持て囃される。
だからこそ、この本を読むとホッとする。本書に出てくるのはどれも個人的で内面的で主観的なエピソードだ。私たちはそこに心を再発見する。そうだ、心を消す必要はない。真理はシンプルでわかりやすく強い。でもそこに心はない。心理は複雑でわかりにくく弱い。しかし心は詳細に宿る。 -
東畑さんの週刊文春に寄稿されていたエッセイ集。雨の日の心理学から怒涛で著作を読み込んでいる自分のハマりぶりに冷静になるとどうなのと思いつつ、おもしろくて、癒されるので読んでしまうのよね…。
会社員として忙しく過ごしていると、仕事の内容としても日々にしてもどうしても大きな物語に巻き込まれて小さな物語が見えなくなってしまう。毎日を回していく中で、個別事情なんて気にしていられないと切り捨てることも多い。本当にそれで良いのかしら。
この本を読んでいる時に、ちょうどそんな姿勢を揺るがす出来事があり、自分の中で大切にしたいと思っていたことを考え直すきっかけになりました。
心はどこへ消えた?何かを見落としそうになる時、忙しい時、自分の中で呟いてみると良いかも。そこに本当はある小さな物語の存在に気づけるおまじないみたいな感じ。 -
心理士である著者が行うカウンセリング、その1つひとつのエピソードと、そこから著者が感じた「心」についてのエッセイ集。
心理学、心、というと、興味はあるが読み解くにはとても深遠なものであり、その関連書はさくっと読めるようなものではない、というイメージがあった。
だから、この本はそんな「ふつうの」感覚を持った人たちにはぴったりの本だと思う。
エピソードに登場するクライアントの境遇や性格はさまざまだが、共通して言えることは、人間はそんなに立派なものでもなければ、表に出ているものがすべてではない、そんな陳腐なことを思った。
ふだんは他者のそんな「心」が見えない。それが、カウンセリングを通じて、生々しいほどに立ち現れてくる。そして、不思議な力を持っていることを知る。ただの学術書を読み込むことでは知り得ないものに、たくさん触れることができた。
辻村美月さんの解説の中にもあったが、今は心が元気で、おかげさまで何事もなく、前向きに日々を過ごせているけれど、人生のなかで躓くことはこの先いくらでもあると思う。そんな時に備えて、手元に置いておいて、何度でも読み返したい、そう思わせてくれる本だ。
著者プロフィール
東畑開人の作品
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