保守とは何か (文春学藝ライブラリー)

  • 文藝春秋 (2013年10月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784168130021

作品紹介・あらすじ

「私の生き方ないし考へ方は保守的であるが、自分を保守主義とは考へない。保守主義などといふものはありえない。保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではない。」福田恆存が戦後の時流に抗して孤独のなかで掴んだ、「主義」ではなく「態度」としての保守。
時事的な論争家、文芸評論家、脚本家、演出家、シェイクスピア翻訳者など多くの顔を持つ福田恆存は、「保守論客」と位置づけられながらも、その「保守」の内実は、必ずしも十分に理解されてきたとは言い難い。福田恆存にとって「保守」とはいかなるものだったのか――本書は、その問いに迫るべく、気鋭の若手論客が編んだアンソロジーである。
本書の構成は、以下の通り、Ⅰ~Ⅴまで、年代順であると同時にテーマ別に構成されているが、福田恆存の思索自体が、問いに対する答えを一つずつ腑に落としながら、時代ごとに形成されたものにほかならないからである。
「Ⅰ 『私』の限界」〔九十九匹(政治)には回収できない一匹(個人)の孤独とその限界をみつめた論考〕。「Ⅱ 『私』を超えるもの」〔近代個人主義の限界で、エゴ(部分)を超えるもの(全体)へと開かれていった福田の論考〕。「Ⅲ 遅れてあること、見とほさないこと」〔近代=個人を超える「全体」を「伝統」として見出しながら、それを「主義」化できないものとして受容しようとした論考〕。「Ⅳ 近代化への抵抗」〔戦後を風靡した合理主義と近代主義に抵抗した論考〕。「Ⅴ 生活すること、附合ふこと、味はふこと」〔「生活感情」に基づき、主義ではない、生き方としての「保守」の在り方を示したエッセイ〕。
旧来の「保守」像と「福田恆存」像を刷新する本書は、今日、最良の「福田恆存入門」であると同時に「保守思想入門」である。

みんなの感想まとめ

テーマは、保守の本質とその態度に関する深い考察であり、著者は戦後の時代背景を踏まえながら、個人と社会の関係を掘り下げています。特に、「一匹と九十九匹と」という論考は、戦後の批評活動の重要な出発点として...

感想・レビュー・書評

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  • 巻頭の「一匹と九十九匹と」は敗戦の翌年に書かれた恆存の戦後の批評活動の原点とも言うべき重要な論考である。学生時代に読んだが、脳天を砕かれるような衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。他にも読み応えのあるものが多数収録されているが、これ一編だけでもこのアンソロジーを手に取る価値がある。

    文学に限らず、政治的メッセージが込められた芸術にはあるいかがわしさが伴う。それは政治の冒涜である以上に芸術の冒涜であるからだ。文学が政治をテーマにして悪いとは言わない。要はそこに語るに足る人間が描かれているかどうかだ。僕らは戦後教育で与謝野晶子の「君死にたもうこと勿れ」が反戦歌であると教わった。だが反戦であろうとなかろうと、この詩が僕らの胸を打つのは、愛する弟に生きて帰って欲しいという姉の切実な願いに誰もが共感するからだ。それは政治によって決して代用することのできない文学の命だ。そのことを忘れて文学を政治の婢にすることを恆存は断固拒否した。

    「善き政治はおのれの限界を意識して、失せたる一匹の救ひを文學に期待する。が、惡しき政治は文學を動員しておのれにつかへしめ、文學にもまた一匹の無視を強要する。・・・ぼくは政治の限界を承知のうえでその意圖を認める。現實が政治を必要としているのである。・・・善き政治であれ惡しき政治であれ、それが政治である以上、そこにはかならず失せたる一匹が殘存する。文學者たるものはおのれ自身のうちにこの一匹の失意と疑惑と苦痛と迷ひとを體感してゐなければならない。」

  • 「一匹と九十九匹と」を、同年発表の丸山眞男「超国家主義の論理と心理」と比べると実に面白い。丸山が旧時代の価値の陳腐さを暴露し、新たな価値を時代に刻み込もうとしているのに対し、福田は新たな価値が敷かれた時代においても旧時代と同じく99匹に対する1匹が存在せざるを得ないことを指摘する。
    どのような社会においても政治が救えない1匹はいる。常にこの考え方が根底にあるから、戦前と戦後で声高に叫ばれたそれぞれの近代的諸価値を無条件に信じていない。では何に軸足を置くのか。それは古典や歴史の積み重ねであることが、以降の論述で繰り返し述べられる。旧仮名遣いにこだわる理由も開陳され、思想のみならずライフスタイルも含めて徹底的な保守派であることがわかる。
    同時代的なトピックに触れた論述が多いものの、福田の反応は流行り廃りのないスタイルとなっており今後も長く読まれることだろう。

  • ずいぶん我慢して読んだが、途中で挫折。言わんとしてる事は、理解できるが、文章が、どうも、体に馴染まない。

    自分の読解力のなさもあるとは思うが、韜晦にみち、繰り返しが多く、ステッブが細かい。

    本当に理解するには馴れも必要だな。また、挑戦しよう。

  • 丸山眞男を好んでよく読んだ身としては福田恆存の名は敬遠していた。文芸評論家で古臭いことを言う保守派のおじさんぐらいの認識で読んでも文学論ぐらい。

    本書を読んでも結局、保守思想とは何のか分からなかった。
    ただ保守とはイデオロギーでなく生きる態度であり、孤独を引き受ける覚悟をもった人のこと、ということがひしひしと伝わってきた。

  • 保守派はその態度によって人を納得させるべきであって、イデオロギーによって承服させる冪ではない。

  • 福田恒存の保守主義入門書。
    彼は戦後日本を跋扈した軽佻浮薄な「主義」「偽善と感傷」を批判し続けた。
    エゴの折り合いでしかない「民主主義」という消極的制度を、あたかも積極的価値であるかのように勘違いしていく戦後の進歩的空気への警鐘、アメリカが「押し付けた」民主主義を日本の指導者も大衆もそれをアメリカから「押し戴いた」という事実。
    相手に対して自由や独立は主張してもよいが、それを裁いてはならぬ。過去を現在から隔離し、現在とは無縁のものとみなしてはならない。過去は現在と同時存在であり、過去は現在のうちにある。
    「抽象的な徳目の列挙で道徳が身につくと思うのは大間違い」(自然の教育)なのだ。逆に具体的な「愛着」をこそ味わい生きること。---等々。
    浜崎洋介がピックアップしたアンソロジー。

  • 学生時代、70年安保を目前に控えた政治状況の中で、福田恒存は当時の保守派論陣の中で際立っていた。我々は、福田は保守=右翼と単純に切り捨て、その著作に興味すら抱かなかった。
    しかし、それは極めて浅はかな態度であり、真の「保守」が何たるかを知ろうとせず、改革主義と保守主義の単純なニ項対立でしか物事を見ていなかったことが、古希を迎えたころからようやく理解できるようになってきた。
    私の保守に対する嫌悪感は、自民党右派や日本会議に名を連ねた「自称保守派」例えば安倍晋三などを見ると、保守=右翼じゃないかと辟易とする印象があったからである。
    福田の著述は、かなり難解であり、全てを深部まで理解できなかったが、次の一文で保守には、エセ保守と真の保守があることが分かっただけでも、本書の価値があると思える。
    「保守派は、その態度によって人を納得させるべきであって、イデオロギーによって承服させるべきではない」この言葉は、マルクス主義に対しても右翼民族主義に対しても、それらを強く否定する目から鱗の言葉と言える。福田の言葉を現在の政治状況にあてはめると、中島岳志の言う、リベラルと真正保守は親和性があると言う「リベラル保守」という視点は今の自分には大変興味深い見解である。
    2022.5.13公祥

  • 【保守とは「主義」ではなく「態度」である】旧来の「保守」像と「?田恆存」像を刷新すべく、気鋭の若手論客が最重要作品を年代別に精選した究極のアンソロジー。

  • 14/01/29。

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著者プロフィール

78年埼玉生まれ。日本大学芸術学部卒業、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了、博士(学術)。文芸批評家、京都大学大学院特定准教授。
著書に『福田恆存 思想の〈かたち〉 イロニー・演戯・言葉』『反戦後論』『三島由紀夫 なぜ、死んでみせねばならなかったのか』『小林秀雄の「人生」論』。共著に『西部邁最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」』など。
編著に福田恆存アンソロジー三部作『保守とは何か』『国家とは何か』『人間とは何か』。近著に『ぼんやりとした不安の近代日本』(ビジネス社)。

「2024年 『絶望の果ての戦後論 文学から読み解く日本精神のゆくえ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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