- 本 ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784168130403
作品紹介・あらすじ
「われわれ日本人は軍人が純粋であったことを忘れてはならないんですよ。
純粋な正義漢たちに国を任せた結果、どうなったのかということをね」
日本ではなぜ会議ばかり開かれるのか。
日本ではなぜ自民党が支持され続けるのか。
太平洋戦争でなぜ日本は惨敗したのか。
今も変わらず、形を変えて現れ続ける「日本病」。
いったい、その根っこには何があるのか。
『「空気」の研究』で日本人を覆う「空気」を鋭く指摘した歴史学者と、
日本人は精神分裂的である、と断じる精神分析学者による白熱の日本人論。
近代日本国家の構造的欠陥と病理をあぶり出し、「病い」克服の道を探る。
感想・レビュー・書評
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山本七平與岸田秀對談集。
・像サザエ般的日本文化ー中は背骨無しでグニャグニャしてていいです。外はきちんと閉じておき、必要に応じて蓋を少しあける。..ヨーロッパ人は脊椎動物ですから、日本人には背骨がない、という....確かにそうでしょう。そのかわり貝がちゃんとある。外部を固めて何物も入れず、時折ちょっと口を開けて、必要なものだけを取る。だから、自分はこうであるということが、外へ行くと言えなくなるんですよ。貝のように口をつぐむか、「相手の立場に立って」となっても「自分の立場に立って」がない。したがって、対決はしない。
・日本では原則がないというのが原則
・方便としての受容ー日本引用導入思想常常是「役に立つ部分だけをつまみ食いするやり方」
・日本的秩序來自「和」與人際關係
・日本において人間と人間の話し合いで決めたことが重要なのであって、神(所謂的天地神明)は単なる証人です。...違うという言葉が日本では「お互いの間」です(伊斯蘭、歐美是個人與神之間直接契約關係,發誓是對神,所以是絕對的)...日本の社会では話し合いさえつけば、ほかのことはどうでもいいのであって、いわば無原則....(中東、ヨーロッパは)個人対個人の契約も何らかの神的な法に依って拘束されていて、話し合い絶対ではなかった。
・擬制的血緣關係(家幻想)→日本的企業也是這種構造
・環境的崩壞等於自我的崩壞—歐洲人以神為支柱,獲得強烈的自我,日本的自我沒有神,「結局人間関係が自我を支える」。...「話し合いのできる相手と、お互いに相手の立場になってちゃえば自分が支えられる。ところが、周囲の人の善意に支えられてるだけに、この善意を失うと非常にもろくも崩れちゃう。
・歐美的個人主義,還有與神之間的契約為背書(為人的行動方針,一種歯止め),但日本沒有,因此個人主義在此被當作利己主義(也不受歡迎)。
・日本的神話是自然生成說(不是上帝做出來的),有個自然秩序,自然秩序、社會秩序跟內心秩序合致的一套發想,所謂自然就是「おのずからしかるべき状態になればいい」,因而肯定不作為,對「何をしない」反而有信賴感(山本認為對自民黨的信賴是這樣來的,至少不會去牴觸某些根本沒有意識到的文化規範)。「おのずと『なる』」のであって、『する』のではない」,這成為日本人的行動基準,因此不會說こうします,而是說こうなりました、それだとこうなります。(譬如說,会議の結果、こうなりました。因此根本搞不清楚誰做的決定)。因此在這樣的社會很重視「形/型」,「形/型」即心,型的秩序就是心的秩序不能崩壞,有一套什麼什麼就應該是怎樣怎樣的型(譬如馬會吃草),所有社會秩序都要嵌到這個框架裡,因此人必須遵循這些行動原理,這是一整套禮儀的秩序,所以連打招呼跟服裝都很在意。
・日本的父母是教あれしなさい、これしなさい、猶太人是教いけない,必須知道什麼不能做才能理解行動規範,這些東西就是他們的剎車。但日本的行動規範來自「人間関係、自分の自我が相手によって支えられているから、相手からブレーキがかかかるわけだ。相手のいやがることをしない、何がいやがることかは決めてなくて、対応において決まるわけだ」。所以,日本人的恐懼,對他最有效的是連座制跟村八分,還有被別人在後面指責,犯罪因為共同體的名譽還有家人全部綁在一起這個罩門在,所以犯罪率相較低(歐美人的恐懼則是違背與神的戒律,就算不給人添麻煩也是)。
・法律是條約改正硬弄進來的異質體系(歐美人守法是因為他在法律背後看到神的憤怒,如果沒有了神,就只剩下法律可以制裁他,所以治安不好),日本人打心底無法信賴這個東西(畢竟是話し合い的國家)
・怨念、被害者可以懲罰加害者的思想。在這個國家裡被怨恨也是一個可以讓對方踩剎車的原因之一,所以抗議公害的人會去舉怨的牌子,平手政秀死諫也是這個倫理之一。大西中將弄特攻隊也是認為這樣就可以阻止對方,跟美國打平,但這套顯然美國不吃。
・尊皇思想非自本古來所有,係德川幕府時期,明亡後亡命的文人朱舜水(中國正統主義者)及其徒子徒孫(編大日本史的安積澹泊),還有山崎闇斎等人(楠木正成也是被他們挖出來比文天祥炒作)弄出來的,他們主張的攘夷(清)就這樣被後來借用,但裡面埋了解體德川幕府的bug。然而日本只借用這個中國的意識形態,沒有引進整套體系跟組織論,在明治政府之後照理說這個意識形態應該要功成身退,這時又來個大甩尾從中國化改跑道到西歐化的近代國家(是在以神為中心的世界崩解後的代替品,是從神律的世界變成人為的世界),然而西歐近代國家跟憲法(限制機關權利)又必然會崩解絕對天皇,發展到天皇機關說是必然的,因此又弄了一個教育敕語出來平衡,把人人弄成天皇的赤子,繼續保留朱子學中的尊皇思想,弄出一個奇怪的拼裝車(典型的引進思想但又只取自己覺得好用的東西的思考模式),這種很勉強的狀況終究會出事。然後二戰後只好搞一億總轉向,告訴自己之前也只能那樣,不停地灌輸國民「頭の切り替え」,說現在時代不同已經不能用之前的思想了云云。
・動機純粹論是尊皇思想帶來的副產品之一,天皇絕對之下只要只要動機純粹就好,連犯人的辯護律師都說辯護方針只要一直說這些人連褌都換了,而且反正政治家那邊是不純的,這樣講輿論就會通通站他們這邊。戰國時代還沒有這種純粹的人,受朱子學的影響下產生出例如吉田松陰,這也是因為日本引進思想一貫的「斷章取義」作法所抽出的概念,只要純粹就好(儒家還有對組織跟血緣的不同對應方法就沒有被引進,例如君諫三次不聽就辭去,但對父親就不行,日本沒有忠孝分開的概念)。這種純粹也和對擬制的血緣關係徹底的奉仕有關,在這個團體中要無私和自我否定。但這個被迫在外壓中繼續台上來做神主牌的尊皇思想,弄到終戰也沒形成一個規範或思想體系,搞了半天就只有純粹而已。在政治中謀求純粹很危險,戰前國民就是覺得政治家不純,在國民的期待下政治才會跑到純粹的軍部手上。現在還是有人認為動機純粹就應該被原諒。
・日本兵也是適用日本的共同體原理,如果所有的人一起做同樣的事局部會很有成效(所以戰後經濟發展很快被高度評價稱為所謂的日本式經營),但是其實不適合用在近代的軍隊體制,因為在戰中無法進行合理的作戰。例一最終暗號洩漏是因為對每個單位都發送暗號表(美國只對必要的單位發送),因為怕有人會覺得被孤立。例二瓜達康納爾作戰要送三萬兵來才夠,有人主張完全不送,後來採取都不得罪的妥協送了一萬五千兵來就炸裂了。例三,日本沒有根據業績來排除不適任的無能者的傳統(傳統上領袖是被下面的人自發擁戴,因此上面不會硬發命令而是會聽下面的意見,上下一心是理想,如果上面的人無能,他會因為失去人望自然被排除),但這個套在近代軍隊馬上就會出問題,導致日本軍隊的無能上級將官無法被淘汰。例四,缺了一個人也不能馬上找人遞補(因為共同體牽涉到人際關係),也不能讓哪些人去當誘敵部隊,當俘虜的人也會馬上消風(脫離共同體)
・沒有一個中心的共同體思想是一直以來的問題。日本軍隊缺乏一個中心的戰略思想,因此陸海軍都忽略錙重部隊,既不主動攻擊敵軍的(讓美國發現這點省去要護衛的麻煩)也不會護衛己軍的(海軍只忙著想要抓敵軍的空母跟戰艦,雷伊泰海戰也放過錙重部隊覺得打那個沒用)。每個軍種內部各成團體,沒有一個整體確固的構想。只被「幻想」和「意地」束縛著攻擊反倒弄不好,但撤退捨因為捨去這兩樣所以很擅長。
・日本是沒有原則的民族,因此常常會往非合理性的方向去發展,但問題是,硬套了原則上去又會發生很悲劇的狀況
・日本其實不是靠組織?!ー「日本人が作った組織には、結局個人のやる気を当てにしている」,零戰靠飛行名手(但美國就會想說怎麼去開發更安全的飛機),很靠個人的能力,因此沒有某人很可能就會卡住(美國的超市卻可以年間求人率250%還運作得下去)。奴隸制傳統的國家會弄更精良的制度或事物,因為不需要考慮員工的人格,不需要やる気跟戰力或忠誠度就可以運作。
・日本語其實是"家族語"ー家族しか通じないという意味で。日本語には暗黙の前提というのがいっぱいありすぎる。その前提がわかっている人にだけ通じる言語。
・「天下が丸めたから、それでいいじゃないか」ーイデオロギー(イデオロギー不信というのは日本人の特徴)なんやかんやでいっても人は最終的に動かない。できちゃった体制だから、これでいいじゃないか。所以反對修改憲法(跟強迫症一樣,執著於絕不願放棄假的理由(如果找到真的理由就是病因那強迫症就康復了),因為是假的所以不能放棄),而日本人的行動原理其實也根本不是根據憲法而來,所以反而抵抗修憲,因為日本憲法根本沒發揮功能,所以反而固執於這個樣態。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジェンダーへの考え方とか少し古い部分はあるけど、日本人が陥る癖がとてもわかりやすく書かれている。
戦争中、外国の偉い人が兵に「各々の責務を果たす事」を求めたのに対し、日本人の偉い人が「憂国」を求めたって当たりがとても象徴的。 -
2018.03.17 「本って「いいね!」練馬 de 朝活」で主催者が持っていた本
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ボクたち日本人(と、ひとくくりにしてイイものかアレですが)の思考や行動を良くも悪くも呪縛する「日本病」というクセ・・・
ボクたちの思考や規範にはクセがある・・・
日本人特有の偏りがかかっている・・・
自分のクセが自分ではなかなか気づきにくいように、日本人特有のクセも日本人自身ではなかなか気づきにくい・・・
はて、ボクたち日本人のクセとはいったいどういうものでしょうか?
なぜ日本はあの戦争で徹底的に負け、戦後なぜ奇跡的な復興ができたのか・・・
良くも悪くも日本人のクセによる・・・
日本人論を多く残した山本七平と精神分析学者の岸田 秀の対談でそのクセを炙り出していく・・・
主な視点は3つ・・・
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの一神教の方々と比較して炙り出したり・・・
山本の代表作の1つ「現人神の創作者たち」を基にした歴史観で炙り出したり・・・
精神分析で炙り出したりしていく・・・
というもの・・・
あれやこれやと書いてあるけど、一番グサリと来たのが純粋信仰・・・
これは有名な話だけども・・・
五・一五事件というのがありましたね・・・
首相の犬養毅が青年将校たちに殺害されたわけですが・・・
時の首相・・・結構なお年寄りなんですが・・・を若者たちが集団で射殺するという事件ですね・・・
これ・・・
ボクらの大先輩である当時の国民は挙って青年将校たちに共感し、助命嘆願書が殺到・・・
犯人たちへの刑は軽いものとなったんですね・・・
首相殺害してですよ・・・
腐敗した政党政治家である総理大臣は不純であり、青年将校たちは純粋だった・・・
これでダメ処刑!と嘆願書ドッサリ・・・
動機が純粋で、共感できれば犯罪者でも許してしまう・・・
不純の方がむしろ悪い、となっちゃう・・・
法より情・・・
純粋な方が善で、不純な方が悪・・・
人情系のドラマやマンガでまぁ結構見かけるパターンですよね・・・
ボクもこのパターンは何となくシックリ来ちゃう・・・
でもこれ、実は危険なわけで・・・
戦後は軍人は日本を戦争に引きずり込み、破滅を招いた極悪な存在、ということになっているけれども・・・
戦前は軍人は純粋であった・・・
純粋と思われていたことが新聞やテレビなど一般的には消されてるんですよね・・・
政治に純粋さを求めると危ない・・・
政治権力が、「不純な政党政治家」から「純粋な軍部」に移行していくわけだけど、これが大多数の国民の期待に沿うものであったこと・・・
純粋な正義漢たちに国を任せた結果、どういうことになったか・・・
それ故に誤ったのだということを忘れてはならない、と岸田も言います・・・
今もよく、不純な悪い政府に立ち向かう、純粋な正義の人たちっていらっしゃると思いますが・・・
これも気をつけないといけませんね・・・
ボクたち日本人は純粋信仰に陥りやすい・・・
純粋な人たちが誤らないというわけではない・・・
純粋はイイモンで不純はワルイモンとスグに考えないように気をつけないといけませんね・・・
とは言うけどこれが日本人特有のものなのか、ボクにはわかりませんが・・・
あとは・・・
断章取義・・・
日本の組織、集団は擬似血縁集団で共同体になっちゃう・・・
結果における平等主義・・・
などなど・・・
読んでてまぁ確かに、と何だか納得しやすい話が多かった・・・
全てこれこの通りなんて思わないけど・・・
ボク(たち日本人)が何かモノを考える時、行動する時に、そう思うのは、そう行動するのは・・・
こんな偏りがかかっているかもしれないから一旦注意してみよう、という気づきになりましたね・・・
ええ・・・
面白かったです・・・ -
空気の研究で知られる山本七平さんと、精神分析学者の岸田秀さんの日本人に関する対談。対談本って、意見のすり合わせに手間取って冗長な事が多々あるのだけど、本書は全然そんなことはありません。欧米の神との契約論と比較し、日本人は人同士の立場で付き合う点、それに起因する戦争敗因分析や法律との付き合いの変な点などが論じられています。
対談自体が古いので、時事ネタは少しわかりずらいですが、現代日本にも多く当てはまる点があり、一読に値する本だと思いました。 -
2015/2/28
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【今も変わらぬ「日本病」をめぐる白熱対談】責任をとらない日本の体質。その根っこには何がある? 歴史学者と精神分析学者。二人の権威が「日本病」について語った白熱対談。
著者プロフィール
山本七平の作品





