私の岩波物語 (文春学藝ライブラリー)

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  • 文藝春秋 (2016年4月20日発売)
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レビュー : 2
  • Amazon.co.jp (427ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784168130625

作品紹介・あらすじ

夏彦流「出版と言論の百年史」岩波書店、講談社、中央公論社等の版元から広告会社まで、日本の言論と出版の百年を自ら主宰した雑誌「室内」の歴史に仮託して論ず。

感想・レビュー・書評

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  • ・山本夏彦「私の岩波物語」(文春学藝ライブラリー)を 私は書名だけで買つた。内容は一切見なかつた。ただ書名だけで買つた。山本夏彦といふ人も、保守に位置すると思しきエッセイストだといふ程度の認識しかなかつた。実際、本書は文藝春秋が出してゐる。「保守に位置すると思しき」といふのは必ずしも間違つてゐないのではと思ふ。だからこそ岩波書店をどう料理してゐるのかと思ふわけである。カバーの裏表紙には「日本出版界の魁・岩波書店は、日本語のリズムの破壊者だった」とある。かうなれば丸ごと1冊岩波の本に 違ひないと思つてしまふではないか。私はさういふ認識で本書を買つた。この書名とともに素直に理解すればさうなるはずである。ところが、先の引用の最後には「近代日本の『出版と言論の百年史』」とある。これに気づかなかったのは迂闊としか言ひやうがない。さう、書名は必ずしも内容を表さず。「あとがき」にかうある。「今回のこの本は私が主宰する『室内』が創刊三十五年を超えたので、かりに社史と題して書きはじめたものです。」(415頁)最初から岩波は本書の主題ではない。その流れの一部でしかなかつたのである。
    ・とは言ふものの、巻頭は岩波批判である。私は所謂岩波文化人とは無縁である。ただ、絶版品切れの岩波文庫黄帯を古書店で探してゐたことがあつたし、今も黄の新版が出ると買ふことが多い。最近は他の文庫でも古典を買ふことができるが、個人的な印象としては、岩波文庫が日本古典の<宝庫>には違ひないと思つてゐる。だから、「日本語のリズムの破壊者」とか「国語の破壊者としての岩波」(34頁)などときくと何ごとならんと思ふ。筆者によれば岩波の西洋古典は「読んで分からないのである。」(同前)らしい。なぜか。「それは日本語とは似ても似つかぬ岩波用語で、それで教育された人があるから分かる人が生じるに至った怪しい言葉」(同前)だからである。岩波用語の書物をありがたがるのは、岩波用語で育つたからでしかない。それだけのことらしい。では、なぜそんな用語ができたのか。清水幾太郎流に言へば、「訳者が外国の著者の顔色ばかりを伺って、日本の読者のことを忘れたからである。」(35頁)訳者が誤訳の指摘を恐れてへつぴり腰で訳した結果が岩波用語となつた、たぶんかういふことである。岩波文庫は「言語からの忠実な、あるいは奴隷的な逐語訳に限っ」て採用した。それを他社も倣つた。その結果、私には無縁の分野で岩波は害毒を垂れ流してきたらしい。黄帯にはさういふのが入り込む余地はないのである。だから、私が「国語の破壊者としての岩波」と認識しないのは当然のことであつた。筆者が「岩波用語の支配から知識人は断じて免れていない。」(40 頁)と言ふからには、私などは岩波知識人の足元にも及ぶことはできない。青や赤のごく一部は読んでゐても白帯は私には無縁である。赤帯にしても古いところはほとんど知らないのだから、私は諸外国の古典の名作を岩波文庫で読んではゐないのである。本書のこの岩波評が正しいのならば、それゆゑに私はむしろ幸ひであつたと思ふ。「国語の破壊者としての岩波」に近づかずにここまできたのである。さうしてここでふと思ふ、大江健三郎の文体をこの人はどう評価するのかと。あれは確信犯の文体である。私の嫌ひな文体である。佶屈として難解、奇怪、そのくせどこか魅力的だと思はせるのはさすがノーベル賞作家といふところ、 それでも国語や日本語リズムの破壊者と山本は言ふのかと思ふ。たぶん言ふのだらう。こんなことが書いてあるのは最初の30頁、後はいろいろとおもしろい。 実感的出版百年史であらうか。

  • 【夏彦流「出版と言論の百年史」】岩波書店、講談社、中央公論社等の版元から広告会社まで、日本の言論と出版の百年を自ら主宰した雑誌「室内」の歴史に仮託して論ず。

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