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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784168130748
作品紹介・あらすじ
かつて保守派の論客としてマスコミを賑わせた西部邁氏が、今年1月、78歳で自死した。病気がちだったこともあり、自らの人生に自ら始末をつけるという、潔い最期だった。
そんな西部氏の言論活動の原点は、日米安保条約に反対する武力闘争「六〇年安保」にある。東京大学に在籍していた筆者は、学生運動の指導的立場にあった。のちに東大教授となり、社会問題に対して保守の立場から盛んに発言し、世の人気を博した。世間にはこれを転向、変節と評する向きもあったが、著者はそれについて長く反論、弁明をすることはなかった。
本書は、1986(昭和61)年に著者がはじめて当時の闘争を振り返ったもので、当時盟友として共に戦った人物たちの内面の葛藤にまで踏み込み、あの闘争とは何だったのかを問い直す。そこには崇高な思想よりも若者としての焦燥感、虚無感などが色濃く現れざるを得ない。「空虚な祭典」の中にいた「哀しき勇者たち」を、著者は時に愛をもって、時に突き放して語っていく、者が副題として「センチメンタル・ジャーニー」と名づけたのは、、当時の青年たち、そして著者自身の青春を描く物語が、逆に「知の誠実とな何か」を問うことになるからだ。
真にラディカルであることは、右とか左とかを問うことではない。行為の一貫性にこだわり内実を問わないのは知の怠慢である。
昨今盛んな改憲論議は、保守だリベラルだ、右だ左だといった単純な図式で語ってよいのか。著者が「六〇年安保」と題した本書で提起している問題は、現代においてこそ改めて真剣に考えられるべきテーマである。
みんなの感想まとめ
テーマは、著者が60年安保闘争を通じて描く青春の葛藤とその後の思想の変遷です。著者は学生運動の中心にいた経験をもとに、当時の「戦友」たちとの関係や、彼らが抱えていた焦燥感や虚無感を赤裸々に語ります。彼...
感想・レビュー・書評
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センチメンタルジャーニーとはうまい表題を付けたもんだ。
西部氏の20前後がよくわかる。
それに比べて同年代の時の我を見ると、全く自分がない池に浮かぶ落ち葉のように浮遊しているだけだった。
これをよく理解してから連合赤軍やあさま山荘事件の一連の出来事を見ていかなないと、点での理解で線や面の理解ができなと思う。
自裁されずの、もっと過去を語ってほしかったと思う。
西部氏をテレビに出して自由にしゃべらしたデレクターに御礼を言いたい。
それに引き換え最近のテレビは本当につまらない詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2018年初頭に入水自殺した60年安保世代のセンチメンタルジャーニー。同時代のブント同志諸氏への追悼文。
一読した印象で強く感じたのは、著者が60年安保闘争に関わったのは東大入学直ぐの教養部時代であり、本郷のブント中心部とのズレがあり、教養部手握の必要性から行動左翼的に運動に関わっている。このあたりは、本郷のブント中心部が前歴に武装共産党時代の精神を引き継ぐものとしての自己確立と趣きを異にしており、それが著者の後年の思想展開(保守派)に繋がっていると考えている。
更には、自己確立の末の他者を巻き込んでの入水自殺という自己処理の曖昧さに繋がっている。
しかしながら、著者の人間把握は本書で秀逸なまでに書き込まれており、間違い無く時代を代表する論客であったと思っている。青春時代の行動については赤裸々に自己体験を語っていて、駒場時代のボルシェビーキー選挙の票の誤魔化しなど現代の暗部に通じるメカニズムを熟知している。半批判しながら敬愛の念を込めて! -
【安保闘争で戦った日々を、感傷を込めて振りかえる】保守派の論客であった著者の原点は、安保闘争で戦った学生時代にあった。あの「空虚な祭典」を、「戦友」たちの記憶と共に振り返る。
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