アニメージュコミックス 風の谷のナウシカ(4)

  • 徳間書店 (1987年3月1日発売)
4.05
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784197775514

みんなの感想まとめ

物語は、主人公ナウシカの勇気と成長を通じて、希望や困難に立ち向かう力を描いています。読者は、物語の展開を追う中で、ナウシカが周囲の人々や生物から愛される姿に心を打たれ、彼女の存在がどれほど大きな影響を...

感想・レビュー・書評

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  • 最後まで読んでいるから分かっているはずなのに、この先どうなっていくのかとドキドキする。

  • 【あらすじ】
    大海嘯を確信したナウシカは、その原因を見定めるため旅に出た南の地で、チククや土鬼(ドルク)の僧チヤルカに出会う。一方戦況は、蟲の大群に遭遇し、もはや両軍は撤退あるのみに…。

    ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

    感想は最終巻にまとめて記載予定です。

  • 映画では3巻程度までが語られただけに過ぎない。
    コロナ禍にあってこのような救世主が現れて欲しいと願う。救世主が現れると言うよりは一人一人がコロナ禍を乗り切るために勇気を持って敢然と立ち向かうことが必要なのだろうか?などと、漫画ながら考えさせられる。

  • クシャナが塹壕で、怯える兵士を脇に抱え、鼻歌を歌う。
    ここ、ナウシカと紙一重の、駿流の母性観が見えるところだ。
    そして、「お行き。心のおもむくままに。いとしい風よ……」という上人さまの名セリフ。
    チククの念話活躍。
    絵的に記憶に残っているのは、粘菌の悶えというか延命戦略というか痛々しさというか。

  • 「滅びは必然です」
    と語る上人さまに
    「わたしはあきらめない!!」
    と返すナウシカ。

    ナウシカの強さはもう私の想像をはるかに超えていて、ただただ驚くことしか出来ない。
    なんて優しくて、強くて、きれいな人だろう。
    彼女のこの瞳をずっと心の中に留めていられたら、こんな私でも変われるような気がする。
    ナウシカによって変わっていくあの人達のように。

  • 感想は7巻に。

  • 味方も敵もみんなナウシカを好きになる。しかも人間だけなくいろんな生物までも。ナウシカすごい。

  •  ナウシカが戦列を離れ、クシャナ率いる第三軍は別の基地にいる友軍との合流を狙うが、同時刻に蟲の大群が現れてその基地を襲う。クシャナは混乱に乗じて友軍を乗っ取ることに成功するが、そこに居合わせたのは彼女が心から憎んでいる腹違いの兄だった。兄皇子の乗る船がわざと船体をぶつけてきて操縦席にいたクロトワが重傷を負うシーンは圧巻。直後に兄が目の前で蟲に襲われてあっさりと死に、いつか彼を殺そうと思っていたクシャナは一時茫然とする。やがてその心に無常観と諦観が生まれ、退避した塹壕に犠牲となった部下の肉片や蟲の死骸が降り注ぐ中で、むしろ表情が穏やかになっていく場面は大きなターニングポイント。ナウシカとは正反対の第二のヒロインとして人間味を増していく。
     一方ナウシカはチククという不思議な力を持つ男の子に出会い、猛毒の瘴気をまき散らす土鬼の船と遭遇。僧官のチヤルカは土鬼の神聖皇帝を脅かす”青き衣の者”であるナウシカの命を以前から狙っていたが、彼女と直接話しその一切敵意のない心に触れて、人工的に腐海の植物を造り兵器として使おうとする皇帝のやり方に疑問を抱く。
     同じ頃風の谷のガンシップで飛んでいたミトは土鬼の船が巨神兵を運ぶのを目撃。攻撃され被弾するが、着陸地点でずっと捜していたユパと再会、アスベルと知り合う。
     ファンタジーでありながら戦争と難民、生物兵器、科学技術と生命倫理などの重いテーマは現実世界と何ら変わらない。その中で戦争の当事者であるトルメキアと土鬼の双方にナウシカの理解者が現れたことで、物語に一筋の光が見えてくる。

  • 平和、命、土鬼、虫達、王蟲全てを愛する人それがナウシカ(^^)

  • 土鬼の地から南へナウシカが向かうところから。

    強い瘴気を吸っても、戦艦を自爆させても助かるナウシカ。
    だんだん超人化していっている。
    念話も習得してるし。

    突然変異した粘菌や、巨神兵、蟲の群れなど、とても人には制御出来ないもの達を操ろうとする人間の傲慢さをみると、「人そのものが汚れ」という考えも頷いてしまう。

  • ☆4.5

    今までクシャナにあまり好感が持てなかったけど印象が変わった。幼い頃より命を狙われ、父や兄たちに邪険され続けてきたなんて同情するし、そんな中自分の身や母親を守るために強くなってきたのだと思うと、なんだかクシャナが愛おしく感じた。自身が虐げられてきたから人の傷みのわかる、義理と人情に厚い女性になったんだろうな。部下たちに厚く支持されるのもわかる。
    クロトワもなんだかんだでいいおっちゃんだな。(まだ若い?)
    チククも可愛らしくて好きだし、チャルカ様も敵だけど好感が持てる。
    これだけ複雑な物語で登場人物も多いにもかかわらず、一人一人の人物が本当に丁寧に描かれている。

  • これはナウシカだけの物語ではなく、クシャナの物語でもあるのだということを強烈に決定づける。
    肉親と、そして肉親以上に深い絆で結ばれた部下との関係が、クシャナを形作っている。つまりクシャナは境界の内外を強く意識している。
    それに反して、ナウシカはボーダーフリーな存在として描かれている。この対比で物語を深める。

  • 驚いた。
    宮崎駿は「ナウシカ」で全てを表現し尽くしているのだ。
    この後に続く「ラピュタ」も「もののけ姫」も
    結局はナウシカに対するセルフオマージュのようなものではないか。

    彼は戦争に対する怒りのようなものを一巻の末尾に書いていたが、
    それにしては銃器や戦車への好意的な視線が強すぎるのではないか。
    いや、むしろそれを自覚していながら、「反戦」を掲げることで
    自身を正当化しているように思えてならない。

    「ナウシカ」が面白くないとは思わない。
    よくできているし、面白いとは思う。
    これで彼が一躍有名になったというのも納得がいく。

    だが、彼の作風がアニメで成功したテクニックを
    全て使った「ナウシカ」から少しの変化もないことに
    愕然としてしまったのだ。

    それなのにこの国際的な評価の高さはどうなのだろう。
    鈴木敏夫氏の手腕は認めるが、スタジオジブリより
    少ない予算ですばらしい作品を創っているところは
    他にもある。

    そのような作品が埋もれていき、
    ジブリ作品だけが礼賛されているこの世の中に
    わたしは疑問と矛盾、一抹の不安を感じざるを得ないのだ。

  • 映画版『風の谷のナウシカ』がいかに単純化して描かれているかがわかる、映画版の数倍長い1〜7巻。映画版だって充分に深い内容なのだけれど、何せこの7冊のうち2巻途中までの話しか語られていない。こちらの原作はあまりの内容の深さに溺れそうになる。

  • 1年に1度は読み返すバイブル的存在の本

  • 兄たちに苦労しているクシャナを見ると、会社での姿しか知らない同僚のプライベートを覗いてしまったかのような感じを受ける。母親との面会のシーンもなかなかつらいものがあるね。クシャナさん、深いものを背負ってるんだよね。それはさておき、巨神兵がどうなっちゃうかだよなあ。ラストのバトルは「AKIRA」で巨大化した鉄男みたい。

  • ケチャの立ち位置、ユパ様やアスベルと共に中立のような感じではあるけど、ふと自分の部族のことを思い出す。
    クシャナのバックグラウンドが明らかに。母の仇のひとり、第3皇子の乗る船が蟲の大群に食われ墜落。そのままクシャナの部隊も襲われる。「お前が私の死か」無意識に口ずさむ子守唄。
    ナウシカ、チククと出会う。邪教とされている神殿。「やさしく猛々しい風」
    粘菌の増殖。ナウシカの負傷、治療のためチヤルカにより土鬼艦へ収容。チヤルカの良心に期待する。「たわけめっ これ以上国土を荒廃させて何が勝利だ!」「墓所へは戻らん まず軍民を救うのだ」

  •  捕虜たちが土鬼の陣営に戻ってきた。そして女子供だけでなく、兵士も戻ってきたのだ。本来はありえない光景に皆が驚く。それがナウシカのやり方なのだ。
     そして、乳飲み子を抱えた女も。僧官のチャルカはその女に、青い服であったかを尋ね、青い服の女から、耳飾りをもらったことを伝える。チャルカにその耳飾りを見せると「タリア川の石の耳飾り」だった。

     チャルカは皇弟に森を使うことをやめるように進言する。皇弟は「お前は国土の荒廃におののき民の苦しみに心を奪われるあまり、まなこがくらんでおるのだ。わが帝国の最も重大なかげりは、民の間に皇帝と僧会への畏怖と崇拝の心が薄れていることだ。大いなる力への恐怖と尊崇の心がなくば愚昧な民はバラバラになり帝国は崩壊する」

     蟲たちが南下する。クシャナは、兄に出会う。兄はいう「頭のいい女は嫌いだ」と。
    あるものが、蟲を撃つことで、蟲の大群は、飛行機を襲い墜落させてしまう。クシャナは、気を失ったクアトロを抱え、歩き始める。そして、クシャナは母親に会いにいくが、母親は人形を抱え、クシャナをとりにきたという。本当のクシャナを認識できないのだ。そしてそんなふうにした奴らを懲らしめることを誓う。

     そして、あるところにナウシカは湖に届いた。古いお堂があり、ナウシカは首の取れた仏像に出会う。僧正に似ていた。チククという吹き矢を扱う少年。その少年が、僧がいる所に連れていく。僧は神に使えるために自ら光を捨てた。ナウシカはマニ族の僧正からやイキモノなどから守られていると僧はいう。僧は滅びは必然というがナウシカは「風の神様が生きろと言っている。わたし生きるの好きよ、光も空も、人も蟲も、わたし大好きだもの、わたしは諦めない」という。
     ここの場面のナウシカの言葉が力強い。

     そして、僧官が、移動する間に、粘菌は襲う。粘菌は植物と密接に結びついており、それによって土壌を浄化し、自然のバランスを保つ役割を果たしていた。それが変異を起こし、人や飛行機を襲う。
    土鬼の博士たちは、人を襲う粘菌の変異を画期的だと喜ぶ。
     ナウシカは、適切な判断をして、僧官を助ける。

     ナウシカが自身の使命と向き合いながら、オームや人間の生存をめぐる複雑な状況に立ち向かう様子が描かれている。この巻では、ナウシカが腐海の生態系やその中で生きる生物たちと深い関わりを持ちながら、彼女の成長と変化が際立っている。また、彼女は自分の故郷や他の人間たちの未来を守るために、時には厳しい決断を下さなければならない状況に置かれている。

     粘菌に関しては、物語において、粘菌は人間の環境破壊や戦争による影響を反映した存在として描かれている。腐海のエコシステムの一部として、粘菌は植物と密接に結びついており、それによって土壌を浄化し、自然のバランスを保つ役割を果たしている。彼らは過去の人間の行動から生まれた結果として、新たな生態系の象徴でもある。

     物語全体を通して、ナウシカは自然との共存を目指し、人間の行動がもたらす結果を理解し、その変化を受け入れようと努めている。粘菌の存在は、自然環境の適応や再生を表現し、人間と自然との関係性を問いかける重要な要素となっている。

  • 息子10歳2ヶ月
    息子が喜びそうな本を、母が選んで図書館から借りてきています。時々息子リクエストの本も。読み聞かせほとんどしなくなりました。母はサミシイ。

    読んだ◯
    好反応◯
    何度も読む(お気に入り) ◯
    「また借りてきて!」「続き読みたい!」◯
    その他

    息子の好きなキャラクター:ユパ・ミト

  • 巨神兵の復活、腐海の植物の人工培養…。
    制御できないものを生み出して、自分の首を絞める人間の愚かさよ。

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著者プロフィール

アニメーション映画監督。1941年東京都生まれ。学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)入社。「ルパン三世 カリオストロの城」(1979)で劇場作品を初監督。1984年には「風の谷のナウシカ」を発表。1985年にスタジオジブリの設立に参加。「天空の城ラピュタ」(1986)、「となりのトトロ」(1988)、「魔女の宅急便」(1989)、「紅の豚」(1992)、「もののけ姫」(1997)、「千と千尋の神隠し」(2001)、「ハウルの動く城」(2004)、「崖の上のポニョ」(2008)、「風立ちぬ」(2013)を監督。現在は新作長編「君たちはどう生きるか」を制作中。著書に『シュナの旅』『出発点』『虫眼とアニ眼』(養老孟司氏との対談集)(以上、徳間書店)、『折り返し点』『トトロの住む家増補改訂版』『本へのとびら』(以上、岩波書店)『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(文春ジブリ文庫)などがある。

「2021年 『小説 となりのトトロ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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