のっぽのサラ

  • 徳間書店 (2003年9月1日発売)
4.06
  • (18)
  • (17)
  • (15)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 178
感想 : 23
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784198617455

みんなの感想まとめ

家族の絆や新しい出会いを描いた心温まる物語が展開されます。父親が子どもたちのために花嫁候補を募集する新聞広告を出し、サラという女性がやってくることから物語が始まります。子どもたちがサラに夢中になってい...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 作者の「テディが宝石を見つけるまで」があまりにも好きだったので、30年も前に書かれたこの作品が気になって読んでみました。

    パパが子どもたちのために新聞広告を出して、花嫁候補のサラがやってくることになる。
    1ヶ月ほど一緒に住んだら、その後は本当のママになってくれるかもしれない。サラがやってくる前の、子どもたちとの手紙のやりとりから、読者もすぐにサラに夢中になってしまう。歌とか、海、とか。素敵なアイテムに惹き付けられる…

    ママを知らない弟のケレイブ、ママを恋しく思いながらも、サラに焦がれるアンナ。子どもたちを心から愛する素敵なパパ。優しい人たちと、どうぶつたち。厳しい自然の姿。メイン州から草原にやってきて、海を恋しがるサラを心配する子どもたちの気持ちが細やかに描かれているから、ねこのアザラシちゃんの足の、トンとした軽い重みまで手に取るように伝わってしまう。華やかではなくとも、素朴で素敵な物語でした。

  • 昔、原書が課題になってて読んだような。
    翻訳は、plainを「ぶさいく」とまで振りきっちゃっていいのかぁ、へぇ〜、と思った。

    淡々と進んでいく短い話だけど、セリフとアイテムが生き生きと描かれてる。静かでつましい暮らしの中で花や動物を愛で、町に出かけるときは少しおめかしをして…馬車の乗り方を覚えて早起きして町に出かけ、買ってきたのが色鉛筆3本とろうそく、花の種、歌の本。これぞ「足るを知る」だよなぁ。心が洗われる。やっぱり断捨離しよう…。

    パパはきれいに洗濯した青いワイシャツをきると、いつものサスペンダーのかわりに、ベルトをしました。

    サラは青いドレスを着ると…黄色の帽子をかぶったのです。

    お互いが歩み寄りながら家庭をつくりあげていく様子があたたかい。

    サラ
    「汽車でまいります。
    黄色の帽子をかぶっていきます。
    わたしほのっぽで、ぶさいくです」
    「あたりきよ!」
    「干し草でできたうちの砂浜をすべりおりるのも、なかなかです」
    「この女の人は着るのよ」
    パパ
    「サラはサラなんだ。いいか、サラは自分の思ったようにするべきなんだ」
    「牧師さんにサラを妻にするかと、たずねられたら、『あたりきだ!』と答えてやるんだ」
    ケイレブ
    (色鉛筆を見て)「サラが海をもってきてくれたよ!」

  • 弟が生まれた翌日お母さんが亡くなったという衝撃の始まりだったけれど、代わりになってくれるかもしれない人を新聞広告を通じて探し、それを見た人と手紙をやりとりする様子がほほえましく、特に子どもたちが、自分たちを嫌いにならないか心配する様子がいじらしかったです。

    挿絵もすてき。
    中高学年の子に読んでほしい。

  • 本書は、"Sarah, plain and tall"の翻訳書である。

    原書は5冊のシリーズで、"Skylark"、"Caleb's Story"、
    "More Perfect than the Moon"、"Grandfather's Dance"と続く。

    翻訳本が出ているのは、2冊目の"Skaylark"(邦訳:『草原のサラ』)までである。

    私にとっては本書は原書が先である。

    原書は、英語の多読でいうレベル3の本で、
    『英語多読完全ブックガイド』でも紹介されている。

    英語多読の100万語を、本シリーズ3冊目の"Caleb's Story"で
    達成したという思い出深いシリーズだ。

    最近、自分をタドキストと言っていいのかなぁというくらいに
    洋書が読めていなかった。

    今決意を持って、タドキストの初心に帰って、
    この5冊を原書で読み直そうと思っているところだ。

    さて、本書のタイトル、"Sarah, plain and tall"であるが、
    邦訳とくらべてみて、訳出されていない語があるのにすぐに気づくだろう。

    訳出されていない"plain"は、よく使われる、
    "easy to see or understand"の意味ではなく、
    "not beautiful or attractive"なのである。

    直訳すれば、『ぶさいくでのっぽのサラ』だろうか。

    なかなか思い切ったタイトルだと思う。

    でも、これはサラの性格をよく表してもいる。

    彼女は実際に自分のことをこういうからだ。
    「わたしはのっぽで、ぶさいくです」と。

    アンナとケイレブのママは、ケイレブを産んですぐに亡くなっている。

    ケイレブは、アンナに「ぼく、生まれとき、どんなだった?」と何度も聞く。

    アンナは、ママの記憶はあり、最後の言葉がケイレブのことについて言った
    『ほらアンナ、かわいいでしょう』だったことも覚えている。

    だから、最後の言葉のことまでケイレブに語って聞かせるのだけど、
    そのときのアンナの本当の気持ちは内緒にしている。

    ケイレブはぶさいくでぎゃんぎゃん泣き喚いていたし、
    ママのお葬式があって、
    真夏だというのに冬のような暗く長い毎日が続き、
    ママといつも歌っていたパパは歌わなくなった。

    生まれたばかりのケイレブがかわいいだなんて、
    アンナはとても思えなかったのだ。

    小さな手でアンナのほほにさわって、にっこりと笑うまでは。

    ママがどんな歌を歌っていたのか、
    そして、パパが歌わなくなったことを、
    ケイレブはとても気にかけている。

    直接パパに聞いてしまうくらいに。

    そのとき、パパは、アンナとケイレブに告げた。

    新聞に花嫁募集の広告を出したことを。

    隣のマシューさんが広告で
    よいお嫁さんを見つけたことに触発されたのだった。

    その広告に手紙を出してきたのがサラなのである。

    サラは、パパ(ジェイコブ)、アンナ、ケイレブとの
    何往復かの手紙を経て、親交を深めていく。

    引用の手紙は、ついには、1ヶ月ほど暮らすために
    会いにくることを告げる手紙なのである。

    サラは、メイン州の海辺の町の出身である。

    兄が結婚することになったため、
    家を出ることにしようと思っていたときに、
    新聞広告を見て手紙を出したのだ。

    最初の手紙で「じょうぶで働き者ですが、
    あまりおとなしい性格ではありません」と語るサラ。

      I am strong and I work hard and I am willing to travel.
      But I am not mild mannered.

    こういった強い意志をもった性格だからこそ、
    卑屈にならずに特徴として自分のことをこう言えるのだろう。

      I am plain and tall.

    サラは、海辺の町の出身だが、
    ジェイコブ、アンナ、ケイレブは住むのは、
    畑と草原と空のほかにはなにもないようなところ。

    アンナとケイレブは、サラが1ヶ月ここにいて、
    パパと結婚してくれるかどうか気になって仕方がない。

    もう手紙でサラのことが好きになっているのである。

    「そのうち」「うちの」など、
    サラの言葉の中に、先々もいてくれそうな兆しの言葉、
    ここを自分のうちとみなしている言葉を見つけては喜んでいるのだ。

    本シリーズは、語り手/書き手がこの1冊目と2冊目はアンナ、
    3冊目からはケイレブとバトンタッチをしていくのだが、
    起こった出来事を語り伝えていく、書き残していく習慣が彼らにはあり、
    それが本シリーズを下支えするのである。

    本書のストーリーは、著者の母の体験が基になっているという。

    著者の祖母は、祖父の新聞広告に応じてきた人で、
    母は祖母を好きになったのだと。

    土地柄も大草原の小さな家シリーズに似ているが、
    生活模様を記憶して書き留めていったものが
    核になっているという点も共通する。

    大草原の中で家族や周囲の人々と信頼しあいながら
    生きていく様子が生き生きと描かれているのだ。

    歌わなかったパパが、サラに新しい歌を教えられ、
    みんなで新しい歌を歌っていく。

    海辺の町でまったく違う生活をしてきたサラが、
    大草原の生活のひとつひとつを新鮮に体験し、
    ここで生きて行こうと決意する様が、
    あるものに、ある行動に象徴される。

    サラが完全に大草原の生活になじみ、ここで生きていくと決意するには、
    実は『草原のサラ』でさらにひと波乱あるのだが、
    ここでは第一歩が示されるのだ。

    一度妻を、母を失った家族が、
    新たな構成員を得て新しく家族を作っていくのは、
    決してやさしいことではないはずだ。

    でも、まっすぐにそれをやっていく家族の、
    自らを、相手を静かに肯定する姿は、
    簡素でありながらも胸を打つものである。

  • 弟が生まれてすぐに母が亡くなった。パパは新聞広告でママを募集する。やってきたのはのっぽのサラ。サラと子供たちが本当の家族になっていくまで。

  • 善き。
    児童書として素晴らしい。長さといい、短さの中での起承転結も素晴らしい。
    子どもが新しく来てくれたサラが地元の海を懐かしんで立ち去ってしまわないかドキドキする感じ。
    サラがまた男勝りに活動的で思慮深いステキな女性である事。
    アメリカの大きな大地の感じとまた、メイン州の海辺ののんびりした感じといい、日本にないものを子どもながらに感じられるところもまたとても良い。
    続きを読みたい。

  • パパが新聞広告を出し、アンナとケイレブのママになってくれる人を募集する。その広告に返事をくれたのが、のっぽでぶさいくなサラだった。1ヶ月間は、一緒に過ごしてみるお試し期間。果たしてサラはママになってくれるのか。短く、素朴で温かい物語だった。

    「サラがうちに来てほしい」というアンナとケイレブの願いがいたいほど伝わってくる。「来てくれるのか、帰っちゃうのか」と不安になりながらも、サラと過ごす何気ない時間をかけがえのないものに感じているアンナたちの気持ちを受け取って心がゆさぶられた。

    恋をしている気持ちと同じではないけど、遠からずというような……。嫌われたくない、自分たちやこの家を好きになってほしい。故郷に帰ってほしくない、ここに残ってほしい、という気持ち。

    サラにママになってほしいアンナとケイレブは、故郷の海を恋しがるサラに不安を募らせながらも、大草原の中でサラと一緒に楽しく過ごす。花を摘んだり、歌を歌ったり、干し草の山を滑り降りたり、サラの方言「あたりきよ!」をみんなで真似したり…。こうした、一つ一つの楽しい時間を愛おしく思った。
     
    そして、いつのまにか、優しくも少し破天荒なサラに惹かれ、子供たちのようにサラが「うち」にきてほしいと心から願うようになった。だから、サラがアンナのうちの干し草の山のことを「うちの すなはま」と手紙に書いた場面では、胸が熱くなった。サラが海をもってきてくれたという結末も、本当に素敵。

  • 決して悪い読後感ではないのだが、あまりにもあっという間の読み終えてしまったので、少々物足りなさが残った。

    もう少しサラの心情が、子供たちの言葉ではなくサラの言葉(行動)で書かれているとよかったかなあ。

    子どもたちが純粋にお母さんを欲しがっている様子はよく伝わってきました。

  • 短いお話ですが、じんとくるいいお話でした。
    新聞広告でお嫁さんを募集し、それに応じてくれたサラが、試しに一ヶ月ほど滞在するために、大草原に暮らす家族の元へやってきます。
    サラは自分たちを好きになってくれるだろうか。この土地を、この家を、好きになってくれるだろうか。帰ってしまわないだろうか。と心配になりながらも、サラのことをどんどん好きになっていく子供たちが可愛らしくも愛おしいです。

  • どこまでも広がる緑の大草原。
    そこにある、小さな家にすむ幼い姉弟の元に、新聞広告の花嫁募集記事を見て、兄の結婚のため、家を出なくてはならないサラが、試験的にやってくる。

    遠くの海辺に住んでいたサラは、のっぽでぶさいくであるが、とてもさわやかな女性である。
    恋愛小説のヒロインにはなれないかもしれないけれど、とても、温かいぬくもりのある人物として描かれている。

    ヒロインには、なれないサラの代わり?に、この物語の主人公は幼い姉弟の姉娘アンナとなっている。
    そのアンナの視点からこの物語が描かれているせいか、この本は、やさしさと、切ないまでに母親を求める気持ちにあふれている。
    そして、その母親を求める気持ちを、生まれてすぐ母親を亡くした弟のケレイブは「歌」という言葉で表現する。
    母親は、歌を歌ってくれる人だと・・・。

    そして、そんな姉弟に歌を歌ってくれたサラに、姉弟は、ずっといて欲しい、母親になって欲しいと願い、
    そのことばのひとつひとつに一喜一憂する。
    「冬の間」「うちのすなはま」「そのうち」・・・。

    だからこそ、馬車の乗り方を覚えて、ひとりで町に出かけてしまったサラが「もう帰ってこないのでは」と、姉弟は不安になってしまう。
    「どうして?」
    けれど、サラは帰ってくる。自分の住みなれた海の色である青と緑を灰色を、草原の絵に加えるために・・・。

    どこに住んでいても恋しいものはある。誰といても寂しい時もある。
    けれど、自分の居場所は、自分が決めた場所にある。
    「(自分の生まれ故郷の)海は恋しいけれど、姉弟に会えないほうが、もっと寂しい」
    そんなサラの言葉が、それを象徴しているのではないだろうか?

    この物語で、サラが居場所を定めるまでの軌跡は描かれていない。
    しかし、サラの肩肘はらない生き方から、とても自然に決めたのではないだろうかと思う。

    無理をして生きても自分の居場所は見つからない、自分は自分、それ以上でもそれ以下でもない。
    故郷である海への恋しさを正面からとらえ、そこから逃げず、あるがままを受け入れる彼女はとても強い。
    そんなしなやかな強さをもつ女性に私もなりたいと思う。

  • これは子どもたち、とりわけケイレブの可愛らしさ、健気さで、ぐっとくる小説。児童書ではあるが、本当に泣けるのは子どもを知っている大人だと思う。
    子ども達の母の愛を求める姿、サラからの手紙を心待ちにする様子、サラがいなくなるのではないかという不安に胸を潰されそうな様子。それを裏切るような物語だって書けただろうが、ちゃんとほっとできるように書かれている。
    それにしても、新聞広告で花嫁を募集し、文通しただけの見ず知らずの人と結婚しようなんて、今では考えられない。史実に基づいてはいるのだろうが、とんでもないことになった人もいただろう。昔の人は選択肢がなかったとはいえ、勇気があったなあ。

  • サラの ☆あたりき☆ は 当たり前 とは違う。
    私も時々声に出して言っちゃう。
    元気がでるから。

  • きのう読み始めてきのう読了。かつて読んだことのあるものの再読。
    それほど長いおはなしではなく、文もあっさりしていて、でも奥ゆきと豊かさを感じさせる。サラの気持ちのゆれ具合と、アンナ(とケイレブ)のゆれ具合が、交差しつつ描かれているのがよかった。ちょっと気になったのは、アンナたちがあっさりサラを待ち望み、その気持ちははじめから一貫していてゆれないこと。マギーさんが伏線になっているといえばそうだけれど、その設定にのれないと、すべてが嘘くさくなるかも、とも思う。
    金原さんの訳は個人的に合わないことが多いのだけど、これはけっこう好き。

  • 質の良い児童文学、という印象。ちょっと物足りない感じもしましたが、普段アクの強い本ばっかり読むのが悪いのかも。いいものはいいです。

  • ママが死んでしまったわたしの家。いつもママがいたらいいな、と思っていた。
    ある日、パパが新しいママを迎えることになった。
    大草原のわたしの家に来たのは、遠い海辺の町からきたのっぽのサラ。
    サラとわたしたちの生活が始まるが、はたして、サラはずっとうちにいてくれるんだろうか・・・。
    大自然と家族、人とのつながりを感じさせてくれる1冊です。

  • 2005

  • とても素敵なお話。あったかいです。絵もすごくお話に合ってる!

全18件中 1 - 18件を表示

この本が好きな人におすすめの本

パトリシア・マクラクランの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×