神狩り2 リッパー

  • 徳間書店 (2005年3月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784198619909

みんなの感想まとめ

脳の仕組みと神の存在に関する独自の視点が展開される作品で、読者は思考の深淵に誘われます。前作に引き続き、脳が神を隠すために機能するという斬新な発想や、記憶の位置づけに関する考察が新たな興味を引き起こし...

感想・レビュー・書評

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  • 脳の扱い方が面白い。何かを把握すると言うよりも把握させられているとでもいうのか~しかも神という監視付きで…。

  • 小説

  • 1の言葉の構造から神の存在を知るというのもよかったけど、今回の、脳は神を隠ぺいするためにある…とか、記憶は体と別のところにあるという発想も面白かった。最後はちょっとドタバタで終わりだったのが残念だけど、まとめようがないからしょうがないか。

  • 作品解説(帯より):人間の脳は、その主たる機能は――、人間に対して事実を隠蔽することにある。そう、《神》を隠すために……。 デビューのその瞬間、すでにして日本SFを代表する名作であることを証明した、前作『神狩り』。あれから30年。読者はもう一度、あの衝撃に出会うことができる。
     作家生活30周年記念作品

     全体を通して複雑な事象を説明する際に噛み砕いて説明しているのだが、噛み砕きすぎてかなりテンポが悪くなっている。理解するまで何度も同じ個所を読まなければならないという影響もあるのだろうが、1600枚の原稿が1100枚に削減されてなお長く感じる。
     哲学好きにはたまらないだろうが一般受けはしそうにはない。「神狩り」という名のバトルアクションが少なくラストも曖昧だが、「神の存在」を哲学的に証明しうる段階(聖言語障害の章)は前作同様面白い。

  • 前作より評価を下げる人が多いようだが、最近2作を続けて読んだ向きから見ると、十分に成り立っていると思う。
    小説としてはストーリーの動きが少ないが、脳科学のトピックに、日本的に宗教解釈を当てはめていく試みには素直に賞賛を送りたい。
    続きをまだ書ける気力があるかな。

  • この本の前エピソードに当たる『神狩り』に出会ったのは、5年ほど前のことだった。(初版は1976年)
    それは、情報工学の若き天才学者島津圭助と≪神≫との戦いの物語。十三重に入り組んだ関係代名詞と、二つの論理記号しかもたない≪古代文字≫を連想コンピュータで解析しようとしたが、神の力の前に阻止されてしまった。
    それから30年後の物語である。

    しかし、前作のような深みが感じられない。
    まず、前作では≪神≫の姿はどこにも見えず、それ故の恐怖感・緊張感があったのに、今回は、天使を登場させることで、B級あるいはC級の作品におとしめてしまっている。
    また、同じような説明が何度も繰り返されていて冗長であるし、主役級が何人も登場して、焦点がぶれてしまっている。

    前作を読んでいて、その続編を期待していただけに残念。

  • 知的好奇心が大いに刺激された。私の理解の範疇を超えることもあったけれどもね。けど、何より読んでておもしろかった。

  • 前作が神の実在の理論化だとすれば、今回は神に対抗する手段の理論化。前作が理屈を超えたセンス・オブ・ワンダーだとすれば、今回はそれに理論付けを試みるハードSFだったなという印象。つまり30年前の作者のイマジネーションに、科学がようやく追いついたということか。人物造形だとか物語の盛り上げ方など不満はあるが、よくぞ書き上げてくれたなぁという感慨のほうが大きい。

  • 疲れた・・・。
    このタイプのえすえふはニガテなんだと再認識。

  • 『神狩り2』買ったかって、そりゃ当然発売と同時に即買いだったんですが、しかしまた当然のごとく放置プレイだったわけで、「あの『神狩り』」の続編に落胆する危険は、人情として避けたかったんですよ。


    前作ラストからのストレートな続編ということについては、時代の変化が大きいいのではなから諦めていたのだけれど、さまざまな現代風をよそおった装飾を取り払ったところで現れる骨格は、むしろというかやっぱりというかデニケンであったりラッセルの『超生命ヴァイトン』だったりする。おそらくいまさら『超生命ヴァイトン』を読むという人はそいうないと思うのだけれど(じっさい無理に読む必要はないと思います)、ある種の原型としておさえておいた方がいい作品ではあるね。


    不要な繰り返しとしか思えない文章の頻出に、山田正紀っていつごろからこんなことになってたかなぁという違和感を覚えつつもなんとか読了。なんか晩年の武者小路みたいな気配もあって、文体というよりは症状に近いんではないかとちよっと心配になる。あとがきには1600枚を1100枚までに縮めてこれが限界と書いていたけれど、読んだ人の大半は「もっと削れるだろ」と思ったのではないだろうか。まぁ、わたしも人の文章に注文をつけられるような柄ではなく、力を入れれば入れるほど奇妙な文章になっていくという点では、傾向が似てるのかもしれないなーとは思いますが。

    リピート以外にも、論旨を未整理のまま情報だけ放り込んでしまった文章も多く(普通なら「これは小説になっていない」と言われるところである。いや、言われるか、やっぱ)、文章量が増えているわりには、どうも前作に比して、神の姿がかえって見えづらくなってしまっている。というか、作品内ではある意味では見えるようにはなるんだが、それでは人間にとって神を見ることの意味というのがなにかということの主題が稀薄化しているというか。

    作中で展開されるロジックやガジェットにはどこかで見たような感じがあって、こういう説明なら山田正紀でなくとも他の作家で書けるなという印象。そして本来なら山田正紀に何よりも期待すること、山田正紀にしか書けないだろうというのは「神を主題とすること」のオブセッションだったはずなのだけれど、そこが不可解なほど弱い。




    結局、現代編の登場人物全般に神と闘うという意思の動機が弱いことが、作品のテンションを下げていることは否めない。常人以上の力を手に入れた今作の人物には、しかしながら、前作『神狩り』で知性の面では優れていても、能力的には常人にとどまるまま神の存在を暴こうとした芳村老人や宗新義ほどに神と闘わなければならない衝動というものが感じられない。端的に言えば神に対する、あるいは世界に対する根源的な怒りがないのである。

    全存在をかけての神との「論争」の果てに生命力を消費し尽くし、怒りに歪んだ顔を残して死んだ芳村老人のごとき情念というものを、いまの世界に期待するのは無理か。

    仕方がないといえば、仕方がない、時代が違う…。


    山田正紀自身がこのように書いている。

    「秀助は自分と北見の話が噛みあわないことに、かすかな苛立ちをおぼえていた。どうしてか自分の若いころの、懸命に生きていた仲間たちの顔が、しきりに思い出されるようであった」(『人喰いの時代』)

    そして、そのような情念はもはや生き残る場所がないというのが、『人喰いの時代』において山田正紀の出した結論でもあることだ。


    それでも理亜の名前をもつ女性が登場したときには、同一人物でないとは知りつつ、首筋に変な感覚を覚えたけれど。理亜の母親の名は『神狩り2』では書かれていなかったので、ここで書いておく。彼女の名は啓子という。島津との関係についての、(お母さん、それ「やり逃げ」)という理亜の感想は受けた。島津がかっこつけたのに、ずるずると生き残ってしまったのは、オフビートでよかったね。



    さて、作品全体の構成の中では、やや浮いているように思われる80年韓国・光州パートこそ、もっとも昔の山田正紀を思わせる雰囲気に満ちていて、ここは素直に気持ちいい。
    邪龍道と善圀生の対決に関しては、途中までなんの説明もないまま放置され、終盤においてかなり強引に無茶なスケールで処理されているために、なんだそりゃという感想を抱く人も多いんじゃないだろうかと思うが、この二人の存在論的対峙の本筋は、『神狩り3』というよりは、光州パートもあらためて絡めつつ『弥勒戦争2』に直結するんじゃないかと妄想してみる。

    とはいえ、『弥勒戦争』が記憶に残るのは、「対決」の場面を描かなかったからこそでもあるんだよね。あれは山田正紀の逃げだと判断したこともあるんですが、ああいう部分を具体的に描けばロープレのラスボス戦みたいになってしまいかねないというのは、本作でもあらためて明らかになったことで、難しいところです。

    読みたくないといいながら、出ればブーブー言いながら買うだろうし、やっぱりしばらく放置した上で読んで、また文句を言うんだろうとは思うけれど、いまのところ、ぼくが日本SFで継続的に読む気になれるのは、山田正紀ぐらいしかいないのである。

  • 348

  • (2007.3)

  •  著者自らあとがきで書かれているように、かつての彼のSF小説はカッコよかった。「神狩り」に始まり「デッド・エンド」「宝石泥棒」などなど高校、大学の頃、痺れたものである。残念ながら、今作は本人が思っているほどカッコよくない。多分、10代のおいらが読んでも痺れたりはしないだろう。

     なんだか文章が粘っこいし、理屈っぽい。理屈っぽいっていうのはSF小説の常套なんだろうけど、仮説からフィクションに至る過程があまりに強引で、ちょっときつかったです。それに、結局は神を狩るわけにはいかないので、こんな風に終わらざるを得ないのも判るけど、前作はその様がもっと潔かった気がするんだけどなあ。

     それと、どうなんでしょう。1970年代後半以降の優れたSF漫画や、近頃のCGを使った映画などにより、小説という手法でSFを語るのが段々難しくなっているような気がする。文章から初めて喚起されるはずのイメージが既に画や映像で描かれてしまっているような、そんな難しさです。

  • 作家の中の作家「山田正紀」が23歳にして衝撃のデビューをなした「神狩り」。その28年目にしての続編。これは、もはや多言無用。これを読まずにどうするの?
    神、脳、クオリア、天使、ナチス、公安、米軍、死・・・・・そして、かつていかなる文学宗教思想も到達し得なかった局面へ!!

  • 山田正紀のデビュー作「神狩り」の出版から30年の記念作だそうです(笑)

    前作の登場人物も見事に30年の年月を経てしまっております…前作の、あのカッコ良かった主人公も…造物主(ダマサキ)は本当に容赦ないです(涙)

    いやもう素直に面白かった〜☆

    久しぶりに読み応えのあるSFを読んだ!って満足感で一杯です(笑)

    てか今まさに、ワタクシの元に遅い韓流ブームが来ましたか?来ましたね?(誰に聞いてますか)

    安永学(アンヒョンハク)超カッコいいーーーーーーー!!!!(絶叫)

    スターウォズ柄のアロハを着た裏稼業チンピラって何ですかソレ!むっちゃ最高なんですが!?

    実はキリスト教徒で首から十字架下げてたりするトコとか(韓国はキリスト教徒が多いんですよね…4割でしたっけ?)外見に合わずかなりのインテリなトコとか、ワタシの好みにストライクゾーンどころか頭部デッドボールばりに直撃です(爆)

    日本人のオタク風ヒョロ長学者青年(27歳童貞)との、ほのぼのとした掛け合いも面白いです〜(号泣。何故泣く)つかこの2人キャラが立ちすぎ!……うっかり萌えるトコロだったじゃないですか;(自爆)ふー…危ない危ない。神の作品では萌えられぬ(何そのこだわり)

    ストーリーは、えー……神様を狩る話です(爆)前作「神狩り」では、タイトル程は狩ってるカンジはなかったような気がしますが、今回はかなり頑張って狩ってます(?)敵は人間だったり神様だったり天使だったりですが、その辺は山田理論で押し切ってるのでファンタジーっぽくはないです(笑)

    読んでいると場面が映像になって浮かんでくるような、何と言うか「絵になる小説」だと思います。

    途中途中の世界観説明を上手いコトやれば、マンガ映画に向いているような気がします(笑)

    機神兵団以来の映像化作品(←女囮捜査官もありますがジャンルが違うので;)になりませんかねぇ…。ファンタジー全盛の世の中ですが、ワタシはSFが大好きなんだー!!!

  • 29年振りに登場した“神狩り”の続編。ワタシは楽しめました。

  • 「『神』はすなわち『隠れた神』であって、人間の脳構造、視覚構造は-遺伝的に-神を見ないように作られている」一方、「“現実”の外部のどこかに、…一望監視装置(パプテイコン)がはるかに聳えたっているのだろう」。「触れてはならないものに」に触れてしまったとき、「『神』が許せない」こととなるのか。「神狩り」から30年、この本は「カッコいいSF」だ。極めて面白い。

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著者プロフィール

1950年生まれ。74年『神狩り』でデビュー。『地球・精神分析記録』『宝石泥棒』などで星雲賞、『最後の敵』で日本SF大賞、『ミステリ・オペラ』で本格ミステリ大賞、日本推理作家協会賞を受賞。SF、本格ミステリ、時代小説など、多ジャンルで活躍。

「2023年 『山田正紀・超絶ミステリコレクション#7 神曲法廷』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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