満つる月の如し 仏師・定朝

  • 徳間書店 (2012年3月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784198633622

みんなの感想まとめ

仏師として生きる定朝の苦悩や信念、そして彼が築いた仏像に込められた思いが詳細に描かれています。物語は、平安時代の複雑な社会背景の中で、彼と僧侶との深い絆を通じて、信仰や生きる意味を探求する姿を浮き彫り...

感想・レビュー・書評

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  • 定朝の仏師として生きていく過程、苦悩が詳細に語られて仏を信ずる心を持つまでの生き様、そして生きていく信念を描いていてもっと定朝と一緒に何のために生きていくのかを考えていきたかった。最後は自分1人置いて行かれ定朝は最高の如来を作って亡くなったが自分はまだまだ未熟で考えが浅はかで定朝のようにはなれないがすごく生き方を学ばせてもらった。
    定朝以外の人たちにもたくさん学べたし、大河ドラマの光る君を観ていたから時代や人物もすんなり頭に入っていきやすかったので内容は濃かったが没頭して読める本だった。

  • 1000年も前に生きた人々の苦しみ、悲しみ、希望、宗教観、格差。そんなものが生き生きと胸に迫って来ました。こんな小説が大河ドラマ化されたら毎週見るな~。

  • 生きて、何か求められているものがあるならそれを全うすべきである、自分を守るために誰かがきっと何かをなくしていたことがあったはずなのだという自覚
    人を救うのは何かを求め続けること。
    何かを信じようとすること。

  • 京都・平等院の本尊である阿弥陀如来像を彫った仏師・定朝の物語。
    平等院はHPがとても良いので、ガイドブックさながらに阿弥陀如来像を拝すことができて◎、千年前の木造のものがこれだけ美しく残されていることはすごいことだなあ。
    舞台は平安、仏師としての定朝の葛藤だけでなく、あの時代は高貴な生まれであっても庶民であっても狭く苦しい一生になるひとばかりで、読みながら心重くなってしまう。救われないけど学びはある。年末読んだアンソロジーで触れた澤田瞳子さんの作を読んでみたくなり手に取ったのだけれど、ちょっと難しかったなあ、時代も宗教も、読み手に素養が求められる背景の1冊かもしれない。人名の読み方すら何度も自信なくなり、あらゆることを調べながらじっくり読んだけれど、登場人物たちの思いに近づけなかった。隆範、その自発的冤罪には何より納得いかない。
    ちょっと時代背景や和歌や仏教のことなど、鍛え直してからまた再読したいな。力不足(読み手の私が)を感じた一冊でした。

  • どこからがフィクションか分からないほど強烈。しかし、平安時代は奔放ですな

  • (借.新宿区立図書館)
    仏師定朝の平等院鳳凰堂阿弥陀像にいたる造像活動と皇女殺人事件を組み合わせて長編小説としたもの。殺人事件の犯人と名乗り出た僧を比叡山の学僧で朝廷でも重んじられたとして造形。ただその劉範の心理さらに定朝の心理の描き方がちょっと甘いように感じられた。最後の方の皇女殺人と犯人として名乗り出る部分の必然性に少々無理がある。そもそも尊容満月の如しと評された阿弥陀像が、小説で描かれた中務のはかなげな風情と合わないと思う。芥川の「地獄変」的な芸術至上主義を織り込んだりした部分も少々設定に無理がある。そして全体的に冗長(定朝だけになどとシャレを言っている場合ではないが)。悪い作品ではないと思うがいまいちピンとこないというのがこの作者の作品(特に直木賞作品を含む長篇)に共通する印象。

  • 若くしてその才を京都なり響かせた、仏師 定朝の話。定朝は、金がない寺や人からは、金もとらずに仏像を寄進し、自分の掘る仏像が人々の心を穏やかにさせるのならそれが一番幸せであり、自分のいきる価値があると思って生きた。しかし、定朝は、仏を彫る際にも、ほんとに仏がいるなら、今のような、人が人を傷つけ、誰も信じられないような世の中になることはないはずだと、悩み、苦しんでいた。しかし、真実の仏の姿は、どこかにあるのではなく、日との内側にあるものだ、誰の心にもあるものだと悟る。一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう。すべての生き物には等しく仏性が存在しており、悟りを開き、成仏する可能性を与えられている)その、誰の心にもある仏の姿、仏の心を呼び覚まし、目覚めさせることができたら素晴らしいと思い、仏像を彫るのであった。

  • 副題に定朝とあるけど、隆範とツートップってところ。
    彰子サロンの小式部内侍・中務・小諾の女房ライフ、道長に対する彰子の葛藤、小一条院の荒れ様、中関白家の身の寄せ合い…と盛り沢山だけど、やっぱりクライマックスは、脩子内親王の出家から、今昔物語だか小右記だかにある「犬に食われた花山帝の皇女の話」に至る一連かしらん。

    ネタに事欠かない登場人物が多いけど、道雅の密通とか敦明の延子・顕光サイドの話はナシ。この辺のバランス感覚が絶妙で読み易いのかも。

    ところで。「藤原道雅が彰子の懐刀」と「小式部&敦明」ってのは…フィクションですよね??

  • 2017.02.27

  • 2016/08/18完讀

    ★★★☆

    寫大佛師定朝,少年時就已經嶄露天分無疑,然而目睹世間的慘狀無法相信佛教,此時與叡山的隆範相遇,隆範的從者鼓勵他,只要世間有相信的神佛確實存在的人,定朝的工作就有意義。定朝從當時藤原道長的法成寺佛像開始,接了許多工作日富盛名,甚至受封法橋(為了避免他被敦明親王騷擾?),而隆範提供他許多佛教知識協助他製作,兩人合作無間。然而定朝卻想替道光寺窮人鑄佛而不是優先做王公貴族的工作,因此和隆範決裂。

    敦明親王由於被剝奪皇太子地位相當不平衡,有許多暴行,彰子和寵臣道雅、時通考慮要釣魚讓他被制裁。然而童年玩伴中務的苦口婆心和犧牲,讓敦明親王終於悔悟,定朝看到中務的表情震驚於人的佛性,而明知是圈套,但也不自覺期待著觀察中務,事後他和隆範都對此感到自責。中務凍死後,隆範居然自己出來背負罪名被流放,而定朝三十年後終於想著中務的事件,而做出平等院這尊如滿月般的阿彌陀如來,希望隆範可以看到,然而隆範卻已經圓寂了。四年後定朝也離世,葬在上品蓮台寺。

    **
    這本書與其說是佛師的故事,其實主要都是針對圍繞在四周的情節發展,原本期待的關於佛師的工作並無太多細部描寫。而定朝本人自卷首登場就是一個天才,唯一的困擾卻與技術無關,目睹都城慘狀懷疑佛祖的存在是否救濟眾生。不過以佛教當時鎮護國家的思維,當時的定朝是否就有這樣的思想尚有疑問。再者,中務的塑形有點近乎不可思議,定朝目睹中務的慈愛感到佛性,最後又懷著負疚感(又有既視感了,跟若沖一樣。作者好像很喜歡這個調調)而激發他的藝術,溫存了三十年終於完成平等院的作品。隆範出來背罪這段相當莫名其妙,也是因為他的罪惡感,有點為凹出結局而寫的感覺。

    故事本身一開始有點卡卡的,後面就相當順暢好讀,構成的完整性我覺得更勝若沖,只是由於書中定朝太天才,關於佛師的內容著墨並不多,都只圍繞著四周的情節而走,而罪惡感這個梗未免太常出現。而後面的中務事件斧鑿的痕跡又太深,太過做作。與其說是寫職人,不如說只是在編一個故事。故事內容娛樂性高,但職人的存在感卻意外地稀薄,也感覺不出「做作品」這件事的感動。做作品的辛苦與掙扎,每一次的異同,進步退步的拉扯,偶然神降般的靈光一閃與傑作,對藝術家而言可能是最切身的,可惜這本書並未著墨於這些。但對我來說,具娛樂性卻缺少關鍵的一味。

    此外,由於對話用語太過於現代,在閱讀過程感到相當強烈的不協調感,從定朝嘴裡不斷冒出「僕」,實在有些難以接受,這似乎是這位作者的通病。

  • 平等院鳳凰堂の仏像を手がけた名仏師・定朝の半生を題材とした歴史小説。彫刻家を題材にした小説は珍しいが、かなり資料を渉猟した力作。

    定朝と学僧の隆範との交流を軸として、当時にきな臭い政争が絡み合う。藤原氏内部のいざこざや、不遇だが横暴な親王、女房との恋路などは退屈であったのだが、こうした傍役たちのストーリーが、凄絶な結果をもたらす。いくつかの場面で涙を誘われること必定。

    女房のくだりは創作かと思っていたが、史実だったみたい。

    かの有名な平等院鳳凰堂の阿弥陀如来のモデルが誰なのか、という謎解きでもあるのだが。
    青年らしい青臭さがあると思っていた定朝の、芸術家としての業の深さ、貴族社会への痛烈な批判と、落ちぶれていく人びとの哀れ。

    大河ドラマの平清盛の世界観を文字に起こしたような感じだったが、描写が丁寧で、平安朝に迷いこんだ錯覚を覚える。

    ラストの余韻がなんともまた。兵どもが夢のあと、という一句が似合いそうな。

  • 京都や宇治に住んでいて良かった、と思うのは
    こういう本を読んだ時

  • 平等院鳳凰堂の阿弥陀如来の作者定朝と彼をめぐる人々の物語。貴族達の関係性(誰と誰が従兄弟でとか)が頭に入って来なくてそこは読みづらかったけど、おもしろかった! 
    奈良京都に行きたくなったー。

  • 若き仏師、定朝と彼の作品に魅せられた比叡山の僧侶、隆範(りゅうはん)の二人を中心に、道長の娘・彰子に仕える女御、中務と小式部、不遇の敦良親王、藤原道雅・・彼ら彼女らの苦悩と、その思わぬ決断に胸つかれて何度か泣いてしまった。藤原時代の貴族、比叡山、仏師、庶民の生活を描きわけつつ、脇に至るまで個々の登場人物が魅力的。 「円熟」と先入観を持っていてそれほど魅かれていなかった定朝の仏像を改めてじっくり拝観したいと思った。若き定朝の仏像があった法成寺が現在残っていないのがとても残念。

  • 古代史を勉強してから読むと、また、違う感動がありそう。今の僕では力不足。

  • 平安時代 仏師の定朝は時の権力者 藤原道長に認められ若き高僧の後ろ盾も得るが仏像を彫ることの意義に悩んでいた。悩める天才仏師を周囲の貴族や仏教界の複雑な思惑を絡めながら描いていく。文章など少し堅めで取っつきにくく途中で中だるみも感じるが最後は怒濤の展開で上手くまとめていて良い。仏師としての描写は少し物足りなく、彼を取り巻く思惑や男女の想いに重きが置かれている。これが会心の仏像を掘る元になるが、職人の業がもっとあると良かったかな。キーとなる隆範や敦明の描き方も今ひとつですっきりしないところもある。

  • 平安時代・平等院阿弥陀仏像を造ったことで著名な定朝。阿弥陀如来の穏やかな平安に満ちたモデルを求めて出会った女性は・・・。少し冗長に感じるかもしれませんが・・・、定朝と中務の出会いからは一挙に物語が佳境に入ります。藤原道長と頼道・彰子たちの兄弟姉妹、そして三条天皇の御子で廃皇太子とされ不幸な・敦明親王、和泉式部の娘・小式部内侍など、親しみやすい人物も多く登場し、ドラマチックな展開でもあります。著者の該博な日本史の知識に基づき、また美しい表情に関する文章表現など日本史が好きな人にはお薦めです。

  • 澤田ふじ子さんの娘さんの作品。ふじ子さんは文学賞にはあまり恵まれていないが娘さんは立て続けに賞を取り続けている。
    平等院鳳凰堂の阿弥陀如来の美しさに心打たれてその場から去り難かったことを思い出し感慨無量になったが、私が未熟なのかこの物語の素晴らしさが心の底まで伝わってこなかった。隆範がなぜ自ら罪をかぶったのか、その必然性がよくわからなかった。きっとこの作品は素晴らしい作品なんだろうと思うけど平安時代に定朝が自分のこと「僕」と言うのかなあなどと変なことが気になってしまった。

  • 一気読み。
    時代的には実は苦手(似ている名前多いのと、関係性が複雑なのでw)なのですが、そんなことはほとんど障壁にならず、するすると読めてしまいました。
    平安というと、おどろおどろしいイメージがあったのですが、清涼で、かなしい、開きはじめた睡蓮のような本です。

  • さまざまな立場の登場人物により、彼らの葛藤、時代、世俗が読み解きやすい反面、彼らのエピソードが過分にドラマチックに盛り込みすぎで、肝心な部分が影を潜めてしまったよう。
    見えないからこそ心で感じられる、そういうところにもっと光をあててほしかったな。

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著者プロフィール

澤田 瞳子(さわだ・とうこ):一九七七年京都府生まれ。二〇一〇年に『孤鷹の天』でデビュー、同作で中山義秀文学賞、一三年『満つる月の如し 仏師・定朝』で新田次郎文学賞、一六年『若冲』で親鸞賞、二〇年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞、二一年『星落ちて、なお』で直木三十五賞を受賞。『火定』『名残の花』『輝山』『月ぞ流るる』など著書多数。


「2025年 『東海道綺譚 時代小説傑作選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

澤田瞳子の作品

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