「地政学」は殺傷力のある武器である。

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  • 徳間書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198641238

作品紹介・あらすじ

世界は第3次世界大戦を予感させる転換期にある。とりわけ中国の脅威に直面する日本にとって、地政学の重要性はかつてないほど高まっている。本書は、地政学の祖であるマハンのシーパワー理論から説き起こし、古典ともいえるマッキンダー、スパイクマンの理論を中心に豊富な軍事知識を駆使して独自の視点で解説。さらにマッキンダーがなしえなかった中国大陸の地政学を論じ、日本防衛の地政学を構想する。日本初の本格的かつ実用的な地政学の教科書!

感想・レビュー・書評

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  • 今年(2016)になって、読書のテーマが一つ増えました。それは「地政学」ですが、地理の知識をベースに、様々な歴史上の事件(戦争)がどのように、各国に影響を及ぼしてきたのかがわかる学問です。

    私のアンテナが建っている為かもしれませんが、今年になって「地政学」という文言がタイトルに入った本を多く見かけるようになりました。すでに何人か追いかけている方がいますが、今回読んだ本の著者・兵頭氏は私にとっては初めてでしたが、衝撃を受けました。

    地政学の観方ができれば、現在世界中で起きている紛争も理解でき、更には今後の予想にも使えるのではと思いました。そのレベルに達するべく、地政学関連の本を今後も読んでいきたいと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・近年、地政学という言葉があらためて使われ出している背景は、1991年に共産党の先制を捨てたはずのロシアが、少しも自由民主主義体制には脱皮しないで、2014年から旧ソ連時代のような周辺域支配政策に復帰している現実がある(p1)

    ・ひとたび蒸気船が完成すると、天候とは無関係に出撃できるようになった。支那大陸南部、ミャンマー、アジア各地の原住支配者が奥地でしぶとく防御する持久戦術は、ほぼ無効化された(p17)

    ・日本がフィリピンのように、欧州軍によって簡単に征服されずにすんだのは、東シナ海沿岸に「貯炭場」が整備されるのに時間がかかったから(p18)

    ・進退不自由なプチャーチン提督の、純帆走式ロシア艦では、長崎港に友好的に接岸し、出向するしか選べる態度はなかった。蒸気船を持っていたペリーとは異なる態度となる(p19)

    ・フランスが英国に勝てなかった理由の一つが、ジブラルタルに英海軍が根拠地と持つことを許していたから。フランス大西洋岸にある大軍港ブレスト艦隊と、地中海岸の大軍港トゥーロンの艦隊は、まったく二つに分断されていたから(p67)

    ・位置よりもモノを言う要素があった、あとからいくらでも補充が利く、という後方体制(p76)

    ・ハートランドとは、冬季不凍の外海と水運系でつながっていない陸域のこと、ロシアやイランの内陸部など(p91)

    ・温暖化するだけで、広域帝国が立ち上がり、都市国家は衰退した。逆に、独立武侠都市の隆盛と広域専制の頽廃は、地域の寒冷化に付随していた(p95)

    ・西ローマ帝国が崩壊したのは、ふたたび寒冷傾向が強まっていたさなかであった。ローマ人が敷いた軍道の敷石を剥がして、自分達を囲む防塁に用いた。(p96、105)

    ・アフリカヴェルデ岬あたりから東風が卓越し、海流も西行しているので、これに乗ってしまうと大西洋の西の涯(はて)のカリブ海まで流されて、コロンブス以前には誰も戻ってこれなかった。1300年ころから寒冷化になり、サハラから噴き出す風が漸次に弱まった(p100)

    ・1878年の世界の輸送革命とは、英国会社が北アメリカに敷設した蒸気エンジン鉄道が営業運転開始、英国製の汽走鋼鉄製商船が大西洋を横断してバラ積み貨物を運び始めた。これにより、食料・エネルギー市場価格が急変、以前と比べたらゼロにも等しい運賃で輸送可能となった(p112)

    ・原爆すら、広島と長崎の鉄道の運行をとめることはできなかった。レールは残った、レール爆砕には、双発機・単発の重戦闘機による低空投弾が必要であった。マリアナ列島の基地からでは無理(p133)

    ・ライフル銃により、騎馬軍団に出番がなくなった、航空機からの精密爆撃が可能になってからは、ハートランド勢力は鉄道の継続利用は難しい、機雷敷設により、海峡内の交通遮断も可能となった(p134)

    ・日本は、米国が全世界の制海権を握っていたので、海上を物資輸送する民間船舶の活動の恩恵をフルに享受して戦後復興ができた(p145)

    ・イギリス海軍は1912年前後に、軍艦を動かす燃料を、石炭中心から重油中心へ切り替えた。これにより英国の自給自足体制はなくなり、当初はルーマニアとロシアから石油輸入に頼っていたが、独墺軍がルーマニアに進駐、トルコがダーダネス海峡を封鎖すると、アメリカからの輸入が頼みとなった(p150)

    ・日本海軍には、インド洋で常続的な通商破壊作戦を実施するために不可欠な「油槽船」が開戦当初から絶対的に不足していた。(p167)

    ・第二次世界大戦で勝つために、連合国は合計70億バレルの石油を消費した、そのうち60億バレルは米国が補給した(p172)

    ・現在の西安市に首都があった周は、男の奴隷を「臣」、女の奴隷を「妾」と書くようにした(p176)

    ・遊牧民族は、気候が良い方であれ悪い方であれ、例年とは違う変動をするときに、周辺地集団に対して、不穏化する(p184)

    ・隋王朝が天下統一した、589から618年にかけて、支那大陸は温暖期であった。砂漠が拡大して、外縁遊牧民と北支とのバッファー帯が広がったのが支配体制の安定に役立ったのかも(p206)

    ・兵力25万(モンゴル人の総人口250万人)のモンゴル軍に、どうして巨大な宋軍は勝てなかった。一定数の前線部隊のために、その数倍の補給部隊が必要だが、組織が腐敗していると、補給物資の殆どが途中でなくなってしまい、前線部隊は部隊ごと投降することになる(p206)

    ・日本列島の沿岸海面には、漁民らによって「○○灘」という名がつけられる。そこは危険な海面であるという注意(p248)

    ・米国海軍は、1904年に列強に先駆けて、軍艦のエンジンを重油燃焼にする路線を策定していた、英国は1912年。(p257)

    ・日本海軍は1916年末から、ボルネオ産油6万トンを買い付け始めた。1921年には、それ以外に、米国・メキシコ・ペルシア・樺太からも輸入するようになった(p281)

    ・日本は戦後、いろいろと失ったが、「ハートランド」勢力たるソ連、「リムランド」勢力たる中共から、半島を守らねばならないという重荷から、突然に解放された(p315)

    ・北米の西海岸からシナ海岸を目指す場合、最短コースとなる「大圏航路」は、まず日本の津軽海峡に到達する。そこから日本海コースでシナ沿岸を目指す場合には、函館がいちばん北西の強風をしのぎやすい、立ち寄りやすい給炭港候補であった。そのまま本州東岸を南下して、清国の港を目指す場合には、伊豆半島の下田が寄港しやすかった(p325)

    2016年9月19日作成

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著者プロフィール

昭和35年、長野市生まれ。陸上自衛隊に2年勤務したのち、神奈川大学英語英文科卒、東京工業大学博士前期課程(社会工学専攻)修了を経て、作家・評論家に。既著に『米中「AI大戦」』(並木書房)、『アメリカ大統領戦記』(2冊、草思社)、『「日本陸海軍」失敗の本質』『新訳 孫子』(PHP文庫)、『封鎖戦――中国を機雷で隔離せよ!』『尖閣諸島を自衛隊はどう防衛するか』『亡びゆく中国の最期の悪あがきから日本をどう守るか』(徳間書店)などがある。北海道函館市に居住。

「2022年 『ウクライナの戦訓 台湾有事なら全滅するしかない中国人民解放軍』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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