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- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784198646585
作品紹介・あらすじ
日本語は、曖昧で情緒的な言語とみられてきた。一方でデカルトに代表される西洋哲学は、言語をロゴスとして捉え、人間を理性的存在とみなして、情緒的なあり方をパッションに閉じ込めてきた。それゆえ人間の身体性やいまここに立ち現れている現実が歪められてきたのも事実である。本書は、日本語の「曖昧さや情緒」を文法構造に分け入って分析することで、これまで普遍的とされてきた思考とは異なる世界理解を切り拓く日本語による哲学の試みである。
感想・レビュー・書評
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少なくない断定的な物言いだったり、不必要な余計な文章
など、気になる点もあったが、言葉の本質は音声であり、
言葉とは世界を虚構するものであるという考え方だったり、
「いる・ある」や「れる・られる」についての考察、そして
歴史においては「語り」だけが真実であるとする見解など
全体として見ると、とても示唆に富む興味深い本だった。
日本で、そして日本語で「言葉」だったり「言語」だったり
について考えたことがある人にはぜひ読んでいただきたい。
タイトルは「日本語は哲学する言語である」であるが、内容
はどちらかというと「日本語について日本語によって哲学
する」という感じだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分の使う言語についてここまで深く考えたことがなかったので興味深い内容だった。言葉と向き合ういい機会になった。
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