- 徳間書店 (2022年10月15日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784198655426
作品紹介・あらすじ
『五年の梅』で山本周五郎賞(2001年)『生きる』で直木三十五賞(02年)、『武家用心集』で中山義秀文学賞(04年)、『脊梁山脈』で大佛次郎賞(13年)、『太陽は気を失う』で芸術選奨文部科学大臣賞(16年)、『ロゴスの市』で島清恋愛文学賞を受賞(17年)など、幾多の文学賞を受賞した実力派の作家・乙川優三郎が、真っ向から挑む書くことをテーマに一人の男の魂の変遷を描く力作。
あまたの文学賞を受賞した作家が古稀を目前に挑んだ力作。テーマは書くことの意味。
書くことへの飽くなき飢えを貫いたひとりの男。昭和生まれの男が辿る平成、令和までの魂の変遷。コピーライター、作詞家、小説家へ、書くことのひりつくまでの希求は清々しくも感動的な物語となっている。
昭和三十年代、中央高速が走る信州の小さな街。野心を抱いた二人の青年は、上京を夢見る。畳屋のせがれ・相良は最初、広告代理店にもぐり込み、コピーライターとして、一歩を踏み出す。母子家庭の大庭は俳優を目指す。共同生活が始まり、大庭は俳優として屈指の劇団に合格。夢の実現への開始である。
相良は入社後10年、応募したコピーが宣伝会議賞を受賞した。コピーライターとして大きな賞もとったが、一行の表現からはみ出してしまう思いが募り、作詞の世界に自分の挑戦を見出す。そして、作詞の世界でも地歩を築きつつあったが、本や映画、ライブスポットに栄養補給を求めた。ハーフのジャズ歌手ロッティに恋し、結婚生活が始まった。
作詞家としても仕事に油の載ってきた時期、子どもが誕生し、命の連鎖を実感した。
しかし、妻のロッティが娘のジェニィを連れて母親の住む西海岸に出かけた不在時に大庭の元恋人陽子と再会。親密な関係が続いた。
やがて、娘のジェニィはロスに進学することになり、ロッティは、娘と一緒に暮らすという。離ればなれの家族の隙間を埋める愛は続くのか。
相良は妻と娘のジェニィの暮らすロスへ赴く。久しぶりに会った娘は美しく成長していたが、ロッティとの距離は埋まらないままだった。
作詞家から、小説へ創作の重点を移しつつあった頃、故郷の寺を継いだ友人・保科正道の訃報が届く。相良は小説が完成すると、宇田川陽子に送り、20年来のなじみのレストランで、向かい合う。陽子からの核心をついた感想は貴重なことばであった。
作詞家から作家へ、新人賞への応募から始めた。そして受賞、夢は…。
みんなの感想まとめ
書くことの意味を深く掘り下げた物語が展開され、主人公の相良はコピーライターから作詞家、さらには小説家へと成長しながら、人生の変遷を描いています。昭和30年代、信州の小さな町で育った彼は、友人の大庭と共...
感想・レビュー・書評
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昭和30年代、信州の小さな町で育った相良と友人の大庭。相良はコピーライター、大庭は俳優を目指して上京する。相良は広告の世界で頭角を現し、やがて作詞、さらに小説へと表現の場を移していく。
その歩みの中で、結婚、娘の成長、そして人との再会。人生は静かに形を変えていく。
大きな事件が起こる物語ではない。けれど、広告・作詞・俳優という少し華やかな世界を背景にしながら、そこで生きる人間の「日常」が描かれている。
淡々としているのに、なぜか引き込まれる。乙川優三郎さんの静かな筆致の力を改めて感じました。
タイトルの「潜熱」は、物質が姿を変えるために内側で費やされる熱のこと。
表には見えないけれど、確かに存在しているエネルギー。
人はきっと誰もが自分の中に「潜熱」を持っている。
それを使うか、留めておくか。どちらが正しいわけでもない。けれど本書のラストを読んだとき、その熱を生かして生きる人生のほうが、少しだけ世界が輝いて見える気がしました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
広告コピーライター、作詞家、小説家と言葉を連ねることに生涯を捧げてきた男の物語。多くの文学賞を受賞し、死を意識する年齢になった作者が「言葉」への思いをぶつけた遺作なのだろう。
タイトルの「潜熱」とは物質が固体や液体になるために必要とする熱量のこと。男は出会った人の潜熱で人生を変えてきた。友情や愛情、同情、敵対などが複雑に入り混じり、そこから生まれた感情を言葉として吐き出し、行動に変換する。
作者の豊富な語彙力がふんだんに使われて、テンポの良いストーリー。男の40数年の人生があっという間に語られる。 -
ありがたくて、正座して読みたくなる、特別な作家です。
どの一文も意味があり、流してしまいたくない。 -
正直に話す。本当に文体だけで読ませる。
今、こんなに端正で乾いて快い文章に出会うことはあるかな。
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信州の小さな街の貧しい畳屋の一人息子として生まれた主人公の相良梁児が、故郷を捨てるようにして上京、小さな広告代理店にもぐり込む。
そこから始まる主人公の人生が、昭和30年代から令和までを舞台に描かれる。
そしてその道連れとなるのが、遅れて上京してきた大庭喜久男。
母子家庭に生まれた大庭は上昇志向の強い野心に満ちた男で、俳優として世に出ることを夢見ている。
さらに大庭の恋人となり、後には相良とともに生きていくことになる女優の宇田川陽子が加わって、それぞれの歩みが綴られていく。
読み始めるとすぐにその世界に引きずり込まれるのは、これまで同様で、全体に抑えた調子の品格ある文体が心地いい。
そしてその底に見え隠れする深い想いが胸を打つ。
それは古稀を目前にした作者自身の現在の心境が強く投影されているからだ。
そこには悔恨や哀しみばかりでなく、秘めたる熱情を感じとることができる。
それこそが「潜熱」なのであろう。
なお「潜熱」とは、物質が状態変化する際に発生するエネルギーのことである。 -
潜熱というごく簡潔なタイトルが、全てを物語っているのが、素晴らしい。
作者を彷彿とさせる主人公。フィクションだと分かりつつも、重ねてしまう。
創作者の苦しみというか、業というか、向き合い方を覗き見る感じで迫ってくるものがある。
老いてからの侘しさや、悲哀を抱えながらも、なお蠢く創作の欲。まだまだ、次作を期待してしまう。
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「潜熱」とは、温度が上がっているわけではないのに、固体から液体へ、さらには気体へと状態(相)が変化することを指す。
本書のタイトルがこの意味で付けられているのなら、いったい誰の熱を表しているのだろうか。
主人公の相良は、コピーライターから作詞家、小説家へと転身するが、その裏に潜んでいるのは、書くことに生きるという人生観だ。
日本語に淫し、「実生活の汚れを言葉で洗い、紙の上になにがしかの真実を築いて死んで」ゆきたい。
文を磨く苦しみは、ふさわしい言葉を選び、美しい流れを作れた時の喜びに比べれば、如何程であろうかと。
大庭の転身はもっと劇的だ。
貧乏劇団員から、渋い悪役TV俳優、そして神奈川県知事へ。
こちらもどんどんと野望が膨れ上がり、熱量が上昇していったと言うより、通底しているのは世間への変わらぬ姿勢にある。
やるとなると物怖じせず、面の皮厚く、腹に詰まっているのは、はったりのみ。
わざわざ自分から弱点を晒すなど阿呆のすることで、売れてしまえばそれでいい。
それまでは自分を押し出して押し出しまくるのだ。
相良と大庭、性質から方向性まで何から何まで異なる両者だが、結びつきは晩年に至るも揺るがない。
思い出のプラザで、いるはずもない幻の大庭と語らい、帰路の中、相良は死の前兆である胃の痛みを感じつつも、自然と内から溢れ出してくる言葉に歓喜するクライマックスは、物語の余韻を一層深くしている。 -
作詞家を目指し、一角の者になり、音楽がただで聴けるようになって作家になった相良という男の一生が、一日で読めてしまう小説。あれ、珍しく主人公はハッピーエンドで終わらないのかなと思いきや、やっぱりそこそこの幸せに落ち着きそうに終わる。
この人の小説はいくつも読んでいるが、文筆家が主人公の話が多く、中でも壱番この本が、俺もこういう残余の人生を送れないものだろうかと思った小説だった。
まぁ、でもこの相良みたいに奥さんと国を違えて別居になって事実上の離婚なんてことになるのは望みたくない。
に、してもいつもながら、至福の時間だったな。 -
人生を振り返る時。また、まだこれか先を見つめる時。その人の潜熱。内部にひそんでいて外にあらわれない熱量を見つめる時。
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乙川さんの洗練された文章は相変わらず心地いい。
昭和〜平成〜令和を生きた男の一生も、作者にかかるとこれほどまでにスタイリッシュで軽快になるから不思議。
人生って、作中で何度か描かれる「中央フリーウェイ」の一節のように滑走路のような道を車で飛ばしているようなものなのかもしれないなと思う。
過ぎてしまえばあっという間。
失敗も、挫折も、苦労も、風に飛ばされて後方に過ぎ去って行き、最後は夜空へと旅立つ‥‥みたいな。
そんな感傷に浸った読後。
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著者プロフィール
乙川優三郎の作品
