漢文資料を読む (日本語ライブラリー)

著者 :
制作 : 沖森 卓也 
  • 朝倉書店
2.00
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本棚登録 : 27
感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (156ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784254515299

作品紹介・あらすじ

日本語・日本文学・日本史学に必須の,漢籍・日本の漢文資料の読み方を初歩から解説する。〔内容〕訓読方/修辞/漢字音/漢籍を読む/日本の漢詩文/史書/説話/日記・書簡/古記録/近世漢文/近代漢文/和刻本/ヲコト点/助字/他

感想・レビュー・書評

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  •  漢文.冒頭に「(漢文を通して)文化・社会・技術などのあらゆる分野において中国を模倣することに始まり」、「日本語で理解できるシステムを古くに構築できたからでも」(「はじめに」)と、書き起こす.
     
     全15講.「訓読」「助字」「修辞法」などに始まり、「漢詩」「和化漢文」「日本漢文」と、続く.
     学部でいきなり読まされた、『類従三代格』やら『続日本紀』などは、本書の第9ー11講で検討されている.

     ともかく「レ」「二ーー一」「下 上」などの記号でタドタドしく読んだものであるが、最初に本書を通覧しておくと、理解もまた変わったかも.そのころは、新制高校出にこうした類書は想像もつかなかった.
     
     随所に、納得の項.「(『日本書紀』は)『漢書』『唐書』などに対する『日本書』.その「紀」(王の年代記」という編集意識による書名」《77p).
     講ごとに「課題」「練習問題」が配置され、課題では実践力、練習問題では応用力が身につくと、「はじめに」で提示している(朝倉書店 2014年)
     「

  • ・日本漢文にかぎらず,古い日本語を知らないので,よむ。
    ・いままで意識していなかったが,この本の著者(複数)の本をたくさん積ん読しているのに,この本を登録して気づいた。読もう。
    違和感を覚えたところ
    レ点が,行末にあって,行頭にない。いつから,こういう決まりになったのだろう?
    縦棒として長音記号「ー」が使われている。
    全体として,複数の漢字をつづけてよむときの記号(竪点)があったりなかったりするように思えるが,これは編輯の不統一か,それとも底本にしたがっているのか?
    24頁:①受身形 為ー所(ーノためニ……らル)
     たしかにこういうよみかたもあるけれど,「ーの……する所と為る」も下段の補説の欄にでも入れた方がいいのではないかと思う。
    25頁:④限定形 自非~不 用例には「不」字がでてこない。なぜ?
     というか,「自非」は,仮定形の文型に入れた方がいいと思う。「もし~でなければ」。
    29頁下:「懐」字とすべきところが「懷」字となっている。
    33頁下段:呉音(ーエ)漢音(ーオ) 仮下化馬
      たぶん(ーオ)は(ーア)のあやまり。
    37頁:練習問題4
     「嘗(むかシ)」「死(ヌ)」「死(な)」とある。「かつて」とか「死(ス)」とかせずに,わざわざこうしているのは,きっと『冥報記』の底本にしたがっているのであろう。
    40頁 ①壮句(三字句の対)左龍寺,右鳥陵 龍寺左ニス,鳥ノ陵ヲ右ニス
     『作文大体』を見たことがないので,これがその用例なのか,この本の著者が選んだ用例なのか分からないが,いずれにせよ,対句を訓読するとき,対にしないのには,おどろいた。/タツデラ ヒダリニス トリノミササギヲミギニス/龍蓋寺と綏靖天皇陵桃花鳥田丘上陵また白鳥の陵(日本古典文学大系71)
     ②長句 「春ノ枕ハ日ノ高クルマデ睡ルニ任ス」(『本朝文粋』巻十二「山亭起請」)
     たぶん,白居易の香鑪峰の詩を典故にしているのだと思うが「高」の訓みがわからない。/日本古典文学大系によれば「たクルマデ」
    41頁下段末:「散乱」はン,「徘徊」はイで終わる音を重ねて熟語とし,対句に構える。
     見事なまでに,大胆な畳韻の説明。
    43頁うしろから2行目:「鷹鸇」と対になっているのだとすると,「鳥雀」は「烏雀」の誤字ではないかと思ったが,間違いではなく,この典故は左傳˙文公十八年:「見無禮於其君者誅之,如鷹鸇之逐鳥雀也」らしい。
    47頁下:成り立ている

    69頁練習問題8(2) 竹雀
    『史記』平準書:「太倉之粟陳陳相因,充溢露積於外,至腐敗不可食。」
    『詩經』召南·行露:「誰謂雀無角,何以穿我屋?」
    74頁:『続日本紀』鑑真和上「其の教有ると雖も」
     『続日本紀』では,「あり」ではなく「ある」が一般的なよみかたなのか?
    88頁:夫食拝借借請書「御上納ハ皆済マセ仕マツリ候ヘバ」
     「夫食拝借借請書」の時代は,まだ「カイサイ」という江戸時代の文書によくみられる形には熟していなかったのだろう。
     「仕マツリ」 たぶん「つかまつり」とよむのだと思うが,だとしたら,活用語尾は「り」だけで「つかまつ・り」であろう。この送り仮名には,もとづくところがあるのか?
    98頁:「郷導:道しるべ」。
    義経が鷲尾経春を「(以為)郷導」としたのだから,人間を道路標識扱いにするのは変です。「郷」は「嚮・向」と同じ。『日本外史』だから漢文であり,『孫子』軍爭:「不用鄉導者,不能得地利」などの用例から,パイロット・ガイド・道先案内人の意味でしょう。

    102頁:「翠羅面ヲ覆ヒ……春冠ヲ戴キ……短羅ヲ衣……長裾ヲ曳キ……」注「翠羅:緑色の薄衣」。
    「面」は「表面」ではなく,「顔」のことであろう。顔ヲ覆フものを「薄衣」というのか?

    105頁 「緑意:庭の草木の緑。」
     春の草木の緑の情景。
    107頁「未折」の「折」の送り仮名「ヲ」は「ラ」の誤りか?
    同上 「為軍医本部僚属躑躅鞅掌。/汩没于簿書案牘之間者」
     森鴎外『航西日記』の原文が,このようになっているのだろうか?
     「属躑」の間に「,」か「。」を入れた方がいいと思うが。「為」に「ル」の送り仮名があるから,それにしたがえば「。」でないと変だ。また,意味の上では「躑躅鞅掌」と「汩没于簿書案牘之間者」とは,つながっていると思う。なぜ,鴎外はここで改行したのか?
    こういう疑いの目であらためて読み返してみると,この文には「、」「。」が使用されている。
    「辱学士称賦詩」の「辱」を「かたじけなくス」と終止形でよんでいる。であるなら,「士」と「称」の間に「。」を打たなければならないはずだ。
     また,「初」字が出てきたら,時間をさかのぼっているわけだから,わたしなら改行する。また「八月二十日」は,この文の書き出し「八月二十三日」より前の日付であり,「六月十七日」→「七月二十八日」→「八月二十日」という時系列で今までを振り返って書いている部分なので,「八月二十日」で,わたしなら改行しない。
     要するに,この『航西日記』は,校正が不十分で,段落の分け方も十分に推敲されていないのではないかとの疑問が湧いた。おそらく,鴎外は,このような段落分けをしていないと思う。

    109頁:寺院以外を「俗家」と表現する。
    「現存最古のものは,……春日版で……『成唯識論』である。次いで……高野版は『三經指歸』が現存最古である。」
     つづけて,「現存最古」が二度も出てきて,わかりにくい。
     整理すると,木版刷りで現存最古のものは『成唯識論』(春日版)である。
           高野版で現存最古のものは『三經指歸』である。
     ということか。

    110頁:「和刻本とは 中国などの本を日本で覆刻出版したものである。」
     そうか!『源氏物語』を木版刷りしても,これは和刻本とは呼ばないのだ。
    同上:「近世における漢籍の訓読は,朱子の新注を取り入れることで,中世までの博士家による訓読法から変化していくようになった。」「道春点は,博士家の伝統的な訓読法に沿いつつも,新注による訓読法をも取り入れた部分もあるようである。」
     理解できない。
     著者などの専門家に,訓読と朱子の新注の関係性についてもっと詳しい説明をうかがいたい部分である。(これに関する単著はあるか?)
    「朱子の新注」とは,四書などついて,朱熹が新しく注をつけたことをいうのだろう。それは,鄭玄などの古注とは異なる解釈をしたということであろう。その「異なる解釈」と「訓読」とはどうつながるのか?「新注による訓読法」とは,なにか?
     以下,想像。従来の清原氏などの博士家のよみかたは,鄭玄などの古注にもとづいていた。文之点など,禅僧などが取り入れたものは,朱子の新注による理解で,訓読した。これは,解釈の違いである。こういうことを「訓読法の変化」と呼ぶのだろうか?
     博士家のよみかたは,平安時代からの日本語として,より自然なものである。それに対して,文之点,はては一斎点まで,新注を契機として,不自然な日本語(のよみ)を創作した。
     そうか,「訓読法の変化」ではなく,「訓読の変化」なのか。
     博士家の独占からの離脱・奪権が,新しい訓読(法)を生み出したのか?
     最初に思ったこと:朱子の新注を取り入れたとしても,朱子の注があるのは,経書の一部にすぎないのだから,それ以外の書籍の訓読にどのように影響があるのか,というものであった。ここでの解説は,道家や兵家の書などは,基本的に視野に入っていない(あるいは,それらは四書の応用編ととらえる)のかも知れない。
     ひとまず,ここまで。
    112~113頁に読み進めて,110頁の意味がわかってきた。

    118頁「ヲコト点の起源 中国の破点に由来し,その手法が日本に伝えられたと考えられている」
     「破点」,はじめて知った。
    121頁「ヲコト点資料の読み下し文の作成法」 
    124頁 合符 漢文訓読の中で,漢字の熟合を示すために付ける符号。平安時代後期以降,「―」を漢字と漢字の間の中央に付すと音読みを示し(音合符),右寄せに付すと訓読みを示す(訓合符)という書き分けが生じ,江戸時代まで続いた。
    同上  朱引 
    ・人名……中央に一条。・地名……右一条。・官職名……左一条。・書名……中央二条。・年号……左二条。・国名……右二条。
     さすがに「人は中,所は右……」などという歌は付いていません。

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著者プロフィール

1952年、三重県生まれ。現在、立教大学文学部教授。博士(文学)。
1975年、東京大学文学部第三類国語国文学専修課程卒業。1977年、同大学修士課程を修了し、東京大学文学部助手となる。その後、白百合女子大学文学部専任講師・助教授を経て、1985年立教大学文学部助教授、1990年同大学教授となり、今日に至る。
専攻は日本語学、特に日本語の歴史的研究。
著書に『日本古代の文字と表記』(吉川弘文館)、『はじめて読む日本語の歴史』『日本の漢字1600年の歴史』(ベレ出版)などがある。
辞書に載っていないようなことばの意味や使い方を調べるのが趣味。

「2016年 『文章が変わる接続語の使い方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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