- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784255005263
作品紹介・あらすじ
伝統も宗教も失って、無力に死に直面する日本人に救いはあるか。どこに「死に支え」を求めるか、がん専門医が、2万人の治療に関わって考えたこと。
感想・レビュー・書評
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宗教の話と、がんの進展の話が多かった。
病院での死の現状、死に関する日本の習慣。すごく身近な部分とそうじゃない部分があわさって、勉強になった。
やっぱり、もっと死について語り考える場は必要だと思う。 -
・最近読んだ(まだ読了していない)「オスは生きてるムダなのか」にも通じる話もあり、哲学よりも雑学的。
・手塚治虫が医学博士で「火の鳥」を書いたことに通じるような、イメージ。元素を受け取って、死んでその元素を宇宙へ解き放つ。
・宗教は科学と相反するもののようで、死という自分にとっての不条理に対する防護システムに感じた。そして、死んだ後は遺された者の哀しみへの癒しシステム。 -
細胞分裂の数を限定すること(死ぬということ)を受け入れ、我々は性を得た。それは多様性を求めたから。
体は遺伝子の入れ物であり、脳は体の王様。
そして、進化し過ぎた脳は「自らの死」を知ることになるが、それを否定する。
かくして、宗教は生まれた。
日本人は無宗教が多いが、海外では宗教を持たないと変人。
一神教信者は、生活と人生では悩まない。すべては神様が決めるから。
「プログラムされた」細胞の死を「アポトーシス」と呼ぶ。これは、個別のための細胞の死。全体に捧げる殉死。
死ぬまでが自分の人生だが、死んだ後も大切な人達の中では続いていく。 -
で?
というのが率直な感想。
そんなに皆「死」に対して無関心かなぁ?
そんなにまでして「生かされたい」のか?
「ゆるやかな死」が本当にいいのか?
そんなに皆、死を受け入れてないのかなぁ?
〈内容紹介〉で、
伝統も宗教も失って、無力に死に直面する日本人に救いはあるか。どこに「死に支え」を求めるか、がん専門医が、2万人の治療に関わって考えたこと。
とあるのだが、このタイトルに、この内容???
ホント、“考えたこと”をつらつらと綴っているだけ。
(そもそも死に対して救いを求めなければいけないのか?
「死に支え」は必要なのか?)
外国では宗教が死の怯えを緩和しているといいながら、
日本では宗教心が希薄、なんでもありの“ごった煮”宗教とし、
「宗教なき時代の死の受容」など可能なのか?
などという。
信仰心は薄いとされながらも、
こんなにも色んな神々を受け入れ、祈る日本人。
それによって「死」への怯えを緩和し、
救いになっているんじゃないのか?
また、日本人に自殺が多いのには宗教心が薄いのが大きく関わっているとし、
自殺を罪とするキリスト教徒は少ないとする。
関わりがないとはいえないけれど、
セーフティネットの乏しさ、責任感の強い生真面目な民族性、人間関係の変容など
社会的背景の方がはるかに大きな要因だと思われる。
そして、ここに尊厳死などもからめているのだけど、
キリスト教のなかでも、尊厳死は自殺、sinである、
という議論は今でもなされているわけで、
様々な要因を含んでいるにも関わらず、
宗教ひとつをとって欧米とこんなに違う!と、
しれっと書いて比較するのは、
どうなんだろう…。
宗教、哲学、時間論、脳科学など
色んなことを書いているのだけど、
多角的に物事を見ているわけではなく、
狭い範囲でしか物事をとらえていない。
知識の風呂敷をばーんと広げただけな気がする。
矛盾や、重複する内容も多く、まとまりがなく、読みにくい。
結局何がいいたいのか、焦点が定まらない。
ページごとのポイント(しかもポイントとは思えない)は
本文をいったん分断するので非常に読みづらい。
死刑囚にも必要な「さよなら」の時間
は、本書に含めた意図がわからない。
死刑囚は自身の刑の執行を当日の朝、知らされるのだそうだ。
この事実にはびっくりはしたし、これがいい方法だとも思わないけれど、
数時間後に執行されるため、「さよなら」の時間がない、
という著者の言葉には、首をかしげる。
刑が確定した時点から「さよなら」の時間があるんじゃないのか?
被害者は「さよなら」の時間もなく、恐怖と不安の中で、
この世を去らなければならなかっただろうに。
日本人は「死」を忘れたり、
受け入れられなかったりしているんじゃない。
「死」を前に、家族や会社、経済的なことなど、具体的なことに対して
不安や心配があるだけでは?
いつ死が訪れるのかを聞いて、
長ければ自他ともに身辺整理など準備はできるかもしれない。
でも、死を受け入れるのに、死の恐怖の有無に、
期間が長いか短いかは、あまり関係ないような気がする。
時間が長くて、考えすぎて恐怖が増す人だっているだろうし、
短くても、それが自分の運命なんだなと腹をくくる人もいる。
いくら「死」への知識を増やしたところで、
臨死体験でもしない限り“未知”の領域で、(にしても生き返っているわけで本当の意味で死を経験したわけではない)
知識が邪魔をしてすんなり死を受け入れられない人だって
いるんじゃないのか? -
昭和に入るまで「○○家の墓」はなかったということは、墓を守るって概念自体が親の世代のものでしかないわけだ。日本中のソメイヨシノが江戸の染井村で人工交配によって作り出された桜で全く同じDNAを持っているとは知らなかった。ドリーだな。
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死後は、ただ灰になるだけだと思っていたけれど、元素として宇宙に吸収され、また何らかに生まれ変わっているそうです。死んだら星になるって昔から言うけれど、あれは本当の事だったのね。