誰のために法は生まれた

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  • 朝日出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784255010779

作品紹介・あらすじ

追いつめられた、たった一人を守るもの。
それが法とデモクラシーの基(もと)なんだ。

替えのきく人間なんて一人もいない――
問題を鋭く見つめ、格闘した紀元前ギリシャ・ローマの人たち。
彼らが残した古典作品を深く読み解き、すべてを貫く原理を取り出してくる。
この授業で大切なことは、感じること、想像力を研ぎ澄ませること。

【最先端の知は、こんなにも愉快だ! 中高生と語り合った5日間の記録】

映画を観たり戯曲を読んだりのあと、中高生との対話がはじまる。
さぁ、本当の勉強をはじめよう。
「教養どころじゃなく、自分の価値観とか、ぜんぜん、すごい変わる授業」
「人生の大事な一部分になりました」――生徒

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自由な言葉とはなにか、それはどのようにすれば機能するかをギリシャの人たちはとことん考えていた。われわれのように、憲法があるから、表現の自由で、言葉は自由だ、って、もうそこで考えを止めちゃって、ああ、自由だ自由だ、自由なはずでしょ、とかは、流石にギリシャの人たちは考えない。実質、言葉の自由が、どうしたら社会の中で実際に実現して、本当に自由なのか、この作品ばかりじゃなくて、いろんな作品にとことん書いてある。そしてこの場合も、ここでできあがった信頼関係は、新しい人間関係を作っている。新しい組織原理になって全体を解体して、ぜんぶ塗り替えちゃう。
――第四回(紀元前五世紀のギリシャ悲劇「フィロクテーテース」)より
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感想・レビュー・書評

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  • このタイトルだけではなかなか読む気になれない(笑)

    きっかけはとても気に入った著書「絵を見る技術 名画の構造を読み解く」の著者秋田麻早子さんのブログで絶賛・紹介されていたからだ
    かなり前のことなので内容も覚えていないが、興味深くぜひ読んでみたいと思いずいぶん前に入手しており、ようやく着手できた

    映画や戯曲を観たあと、法学教師がカジュアルに中高生と問答する

    最初にあらすじがあり、そこから生徒との対話形式で紐解かれるため、非常に読みやすい
    しかしながら内容は深いため、なかなか考えさせられるのだ!うーむ


    ■「近松物語」
    ここでは「グルになった集団を解体する」、「グルになった集団に対抗する」ために法はあることが学べる
    ・追い詰められた一人の人に肩入れする
    ・意外にも…頭を動かすより、直感と感じることが大切
     その人の苦痛に共感する想像力
     これがないと何が問題かつかめない
     そういう問題を感じ取る力のために古典が有効
     
    ■「自転車泥棒」
    (有名な映画ですね 残念ながら観ておらず…)
    舞台はイタリア
    貧しい親子のなかなか救いのない話だ
    ここでは「占有」の大切さ優位性について学べる、「所有」とは違う
    ある人がある物に関わっている
    その物に高い質がある方が勝ち、とても良い状態で保持している
    つまり人から盗んだ物は占有にはならない
    例)土地の占有と所有
    占有:環境や住む人たちも大事にしてそれに相応しいきれいなものを建てるような土地の持ち主
    所有:とても閑静な住宅地に、ここは俺の土地だから勝手だ!とケバケバしいビルや風俗店を建てる


    ■プラウトゥス(ローマの喜劇作家)
    こちらでは「カシーナ」と「ルデンス」が取り上げられている
    軽く「カシーナ」を紹介
    今でいうパワハラ、セクハラの世界で権力とセコくて見え透いたテクニックを使って、おっさんが若い女性をモノにしようというゲスな話である
    これをドタバタ劇みたいな感じで最後は面白おかしくハッピーエンドだ

    ここでは本来の政治について学べる…
    (ここでの)政治とは→権力を排除し、個人の自由を守るためにある仕組み
    まず法があって、一旦ブロックする(個人を守るために)そうしてから、ゆっくり政治、つまり裁判で正義を追求する
    「カシーナ」でいえば、権力があるからってゲスなことをしてもちゃんと最後は成敗されるのだーということを、より具体的に知的に説明してもらえる
    古典の力の凄さも教えてくださる
    人間の歴史の土台を作ってきたものだから古典は素晴らしいという
    古典を土台に社会が動いているとのこと(これは法律以外でも感じることだ)


    ■ソフォクレス(ギリシャの悲劇詩人 ソプクレスとも オイディプス王の作者)
    こちらでは「アンティゴネー」、「フィロクテーテース」を取り上げる

    ソフォクレスはデモクラシーの問題を取り扱っている
    デモクラシーは政治がもっと高度になったもののはずなのに、いつの間にか友と敵だの利益だのという発想になっていて、原点を忘れているんじゃないか…という角度から切り込んでいる

    そのために必要な原理
    ・連帯が大事
    ・完全なる孤独の一人となる
    一見、矛盾しているようにも思えるが、以下のような説明がある
    個人を一層自由にし、皆で連帯してボスと集団を解体するぞ、という自由ばかりでなく、一人一人が自分の幸福を追求する自由というものをもたらす
    ややこしいが、たとえ他人がどんなに迷惑を思おうとも、その人が自分の幸福を追求している以上は喜んで許す
    もっと集団から遠くなったように思えるが、みんなが応援団のようになるので結果的には集団を生み出す
    集団が個人を犠牲にしていくのを批判する
    完全なる孤立した1人が連帯すること
    これが、本物の連帯とのこと

    さらに「フィロクテーテース」になると「連帯」+「かけがえのないものを承認」となり、さらに上をいく
    追い詰められた個人を排除すると結果社会全体が破滅だという教訓になっている

    ギリシャ人たちは言葉の自由をとことん追求
    実際言葉の自由が、どうしたら社会の中で実際に実現して、本当に自由になれるのか…
    それを考え抜いた上での作品とのこと

    いやぁ、ギリシャ神話深い!哲学だ!
    (ソフォクレスの作品は、せつない運命ややりきれなくて物悲しい…だけじゃなくこういう読み方もできるのかぁ
     実に興味深い 現代人に必要な教えがたくさんある!)

    最後は実際の最高裁判所の公式判例があげられる
    原文ではちっとも理解できないが、もちろんここでも対話式で解説が入るので理解できる


    と簡単に言うとこのような内容である


    「法」の視点が変えられた!
    先生の質問で中高生の視野がどんどん開けていく
    のだが、こちらも同じように、ああ、そういう見方があるのか!となんともA・HA体験ができる体感的読書とでもいうのか…
    よくもわるくも常識に縛られた頭の硬くなった大人にガツンと効く!
    法ってガチガチのものじゃなくて、歴史を紐解けば、やさしさと思いやりに満ちたものだったんだなぁ
    なんだか時代が進むにつれて、大切な根本がなくなっていっているんじゃないかなぁ
    そんなことをシンプルに考えた
    法律のベースってこういうことだよね?

    表題からは想像つかないほど読みやすいが、内容は正直難しい
    表面的にしかまだ読めていないと思うが、それでも読む価値は十分ある
    法律以外の部分でも古典の大切さ、読み方、ギリシャ戯曲や神話の面白さ(もっと知りたい、読んでみたい!)に触れることができる

    桐蔭学園の皆さんのスマートさにも感心
    若者の明るい前向きな姿勢は気持ちが良いし、日本も捨てたもんじゃないな…と安心する

    完全なる理解がなくても触れるだけで知的好奇心を十分満たしてもらえる良書!

  • 紀伊國屋じんぶん大賞2019『誰のために法は生まれた』木庭顕さん受賞スピーチ - YouTube
    https://m.youtube.com/watch?v=eA7rUsfv1s0

    誰のために法は生まれた | 書籍 | 朝日出版社
    https://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255010779/

  • 諸富徹氏が新聞で、中高生向けに行われた講義をまとめたものの一冊として紹介していて、気をひかれたのだけど、読むかどうかちょっと迷った。というのも、同時にヒット作としてあげられていた「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」を以前読んだとき、すごく苦労したからだ。もちろん、非常に考えさせられる内容で、知的な刺激に満ちていたのだが、それだけに咀嚼するのが大変で、生徒さんたち(かの栄光学園)の賢さに降参という思いだったのだ。またあんなのだったらツライなあと、腰がひけてしまう。

    結論から言うと、確かにこれも難しいが、それ以上におもしろかった!何と言っても導入がうまい。溝口健二監督「近松物語」をみんなで観てから、それを取っ掛かりにしていろいろ考えていくというスタイルで、木庭先生と生徒のやり取りで講義は進んでいく。生徒さん(桐蔭学園)が賢いのは言うまでもないけど、いたって自然な感じの受け答えをしていて、そこがとても良かった。

    「近松物語」を私は知らなかったが、木庭先生の解説一つ一つに「なるほどなあ」と感心してしまった。「グルになって力を行使する側に、個人はいかに立ち向かうか」というテーマがここで提示されている。力の理不尽な行使によって、最も傷つけられ虐げられるのは(若い)女性と子どもであり、そこを描いた作品を読み解くことによって「法」「政治」を考えていこうとするのだ。

    四回目までの講義は、そうした作品をまず観たり読んだりしてから行われる。第二回のイタリア映画「自転車泥棒」は、昔観たとき、主人公親子があまりにもかわいそうで「二度と観たくない」と思ったほどだったが、指摘されてみると、確かにこれも「近松物語」と通じるものをはらんでいる。

    第三回第四回は、なんとローマ喜劇とギリシャ悲劇の台本を読んでから、というもの。ここは正直難しくて、読むのに時間がかかった。前置きなしに「法」「政治」という言葉か使われるので、意味するところをなかなかつかめない。しかし、こここそがこの一連の講義の主眼。本質的なことを鋭くとらえていく生徒さんたちの若く柔軟な頭脳がうらやましい。

    第四回はギリシャ悲劇が題材だが、ここでの講義には、うーんと唸る箇所が随所にあった。「デモクラシーはギリシャで生まれた」という受験的知識がどれほど空疎なものだったか、ほとんど愕然としてしまった。権力の横暴を許さないためにあるはずの民主主義が、かえって個人を抑圧するという逆説は、民主主義が制度疲労をおこしてきた現代の問題だと思っていたが、すでにギリシャの人たちはその病理に自覚的だったというのだ。この問題をどうクリアしていくか、それこそが民主主義の要諦であると。

    「まずかけがえのないもの(主に身体と精神)を侵害されている人を、暴力からブロックする。これはアプリオリなもので、どちらが正しいかを決める必要はない」
    遙か昔、こうした知見にたどり着いていた人たちがいたとは。一体自分は何を学んできたのかとわが身を振り返ってしまう。「多数決で決めたから」「選挙に勝ったから」正当であるという粗雑な論理がまかり通ることに、無力感を感じずにはいられないが、「それでもやっぱりおかしいよ」と言い続けなければと思う。

    第五回は、実際の最高裁の判例。現在のあり方が、「最も弱いもの、虐げられたものを守る」という法の精神からいかに遠いか、情けないほどよくわかる。

    全体を通して、対話形式なので読みやすいが、決して中高生向けにかみ砕いた内容なんかじゃない。生徒の一人が、講義の感想として「教養になるかなぐらいの気持ちで参加したけど、教養どころじゃなくて、自分の価値観とか、ぜんぜん、すごい変わる授業だった」と言っていた。本気の学者の迫力は通じるということだろう。


    むむ、と思った箇所の覚書。

    ・政治は集団のゴタゴタした利益交換を払拭するためのものだったはずなのに、利益志向に固執して他のことをまったく考えなくなっている。敵味方思考は究極の集団思考だ。その集団への帰属原理のうち、最も強力なのは血と土、血縁とテリトリーだ。
    集団を排除する正しい政治的決定に対してさえ例えば人権のためにノーを突きつけるのがデモクラシー。そのノーを突きつけるとき、土地に貼りついて連帯し、有力者の子分が入り込んできてかき回すのを排除するために、メンバーを血縁とテリトリーで閉鎖する。団結して自由を守るためだ。しかしこれが政治を駆り立てて、敵味方思考を経て、むしろ民衆が戦争に向かわせる。利益志向と並ぶデモクラシーの病理だ。

    ・デモクラシーの精神というのは、単に厳密な議論で物事を決定するというだけでは足りない。その前に厳密に調査してデータを取ったり、データの信憑性を吟味したりとか、二重三重に厳密にする。だからここから歴史学や哲学が生まれる。
    デモクラシー万歳で安住するようなのはデモクラシーではないということです。デモクラシー自身について徹底的な病理分析の手を緩めない。これがデモクラシー。

    ・ポイントがいくつかある。第一に連帯が大事だということになります。しかし第二に、やたらと肩を組んで、その辺の飲み屋さんで演歌かなにか唄っちゃう、とかいうのは、連帯でもなんでもない。なにせ、グルと正反対でないといけないのだから。大事なことは完璧に一人ひとりが削ぎ落とされて、孤立して、一人になっている、ということだ。ほとんど追い詰められていると言ってもいい。だけど人間は、よくよく見てみると、それぞれは孤独な一人だ。そうなって初めて本当の連帯が可能になる。

  • 「なんかよく分からないけれどここには大切なことが書いてある」と感じる本。
    そんな本に20代のころにはよく出会ったように思う。
    そしてなんだか訳の分からないままに読み進めて、運がよければそれを仲間と語り合って、何か掴みかけたような気がする手がかりを確かな手ざわりのある論理に変えていく。
    そんな経験が昔はしばしばあったように思う。

    それは馬齢を重ねるなかで、それなりにまあ分かることも増えてきたからということもあるだろけれど、「分からない」中に希望や期待を見出すことができる頭や精神の柔らかさが、それこそ馬齢を重ねた結果失われたためだろう。

    そして久しぶりに出会ったのがこの本である。
    「なんかよく分からないけれどここには大切なことが書いてある」と感じて読み進める感覚。
    まだまだ私の頭や精神にも柔らかい部分があったんだと思うと、それだけで嬉しい。

    内容は「法」や「政治」の本質に迫ろうとするもの。
    「法」を相手にずっと研究に取り組んできた老教授が、古典文学テクストを手がかりに、中高生を相手にしながら、その核心へと迫っていく。
    とてもエキサイティングでスリリングだ。でも老教授が何十年の相手にしてようやく至った「法」の核心を語ろうとするのであるから、当然それはすっと飲み込めるような軽いものではない。
    ただどうしても食べたくなる。本書の言葉で言えば「こっちの水はあ~まいぞ」という声が聞こえてくるからだ。
    そうした声に誘われるようにふらふらと最終章まで読み進めると、それでもなんか大切なことのいったんには触れられた安心感がある。
    もちろんそれはかりそめの安心感にすぎない。
    十牛図(禅)で言えば「見跡」「見牛」くらいの段階だろう。でもそれでも大切なプロセスの最初の一歩、二歩分くらいは進んだと言えるのではないかと思う。

    だから本書の相手も中高生なのだろう。
    ここからは一人一人が「悟り」に向けてその歩みを進めていくことが期待されている。
    ぜひ若者たちにはそうした道を歩んでもらいたいと思う。

    同時に「おっさん」になったことを免罪符にしてはいけないのだろう。そんなことを痛切に反省させられる一冊になりました。

  • 筆者の問題意識は、いまの日本の「法」がその本来の目的を果たしていないということにある。その本来の目的(だれのために法は生まれた)というのは、ワルイ「徒党」を解体して追い詰められた個人を守ること。
    今まで「法」をそういう見方で見たことなかったから新鮮だった。どちらかというと社会の秩序を守るためにあるもんだと考えてた。だから法に正しいとか正しくないとかはなくて、その社会によって正しい正しくないは決まるんだと思ってた。
    でも本書が呈示するような見方で法をとらえると、正しい法と正しくない法というのがわりと明確に線引きできるような気がする。絶対にブロックせねばならないもの(体、精神の自由)を守れる法は正しい。でもでも、そのブロックせねばならないものというのが時代や文化によってまちまちなんだよな。そうすると正しい法は何なのか、という問題は何を守るのが正しいのか、という問題になってくる。

  • 現代の法に慣れていると、この言葉から想像するものとはかなり違う法の話で驚く。法の起源となるギリシアやローマでの倫理というか、ものの考え方に遡ることで、現代の法を批判的に考え直す内容。

    この本の骨子だけ書いた本があったら、ほとんど誰も関心を持たなそうだが、高校生への講義を口語で書いてあることで、上手にガイドされて最後まで楽しく読める。

  • 法は徒党を崩し、取り残された一人のためのもの

  • めちゃくちゃ面白い。
    面白い。面白い。

  • いきなりおさん茂右衛門の人情話を軸に説明が始まりびっくりした。
    この辺りは学生時代に専攻した分野だったので。
    ただ、当時は法学については全くの門外漢で、人の気持ちについては検討したけれど、デモクラシーへの意識は向かなかった。
    今の立場の私には、とても興味深くおもしろい。

  • 映画、喜劇を素材にして、タイトル通り法とは誰のために生まれたのか思考する試み。教養とは、こういうことだよと教えてくれる。自分が無知だということに改めて気づかされる。

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著者プロフィール

1951年、東京に生まれる。著書に、三部作『政治の成立』(1997)『デモクラシーの古典的基礎』(2003)『法存立の歴史的基盤』(2009、以上東京大学出版会)、『ローマ法案内──現代の法律家のために』(羽鳥書店、2010、[新版]勁草書房、2017)、『現代日本法へのカタバシス』(羽鳥書店、2011、[新版]みすず書房、2018)、『[笑うケースメソッド]現代日本民法の基礎を問う』(2015)『[笑うケースメソッド II]現代日本公法の基礎を問う』(2017、以上勁草書房)、『法学再入門 秘密の扉 民事法篇』(有斐閣、2016)、『憲法9条へのカタバシス』(みすず書房、2018)、『誰のために法は生まれた』(朝日出版社、2018)ほか。

「2021年 『人文主義の系譜 方法の探究』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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