- Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
- / ISBN・EAN: 9784260010030
感想・レビュー・書評
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大変な介護の末にたどり着いた境地なのだろうと思う。何の反応もできなくなった病人が生きているだけで幸せと感じていると理解するところまでたどり着ける人はそうそういないだろう。別の形で闘病介護をしてきた私にはまぶしく感じる。そういうこともあるのだろう、という認識ではある。本の面白さにではなく、筆者の人生に四つ星。
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自分が同じような境遇になったとき、どのように振舞うでしょうか。今の自分なら安楽死を求めると思います。それは、まだ死に直面しておらず、死を実感できない思いから来るものかもしれません。また、人に過大な負担をかけるくらいなら居なくなった方がよい、という考えからも来ていると思います。
想像だけ膨らましても、本当にそのような状況にならなければ、自分がどのような思いに至るのか、わからないと思います。しかし、常に終着点を頭の片隅にでも置いておくことで、今を一生懸命生きられると思います。
今のところ健全に生きていられる自分にとっては「今日より明日が悪い、だから今日の方が明日より幸福だ。」とはなりきれませんが、今を一生懸命に生きる姿勢は変わらないと思います。
「生きる」ことについて考えさせられた一冊でした。 -
絶望ではなく希望として語られる,繰り返される変わらない毎日。当事者だからこそ感じ取ることができるにしても,むしろ当事者がここまで客観視しているのはすごいことだと思う。
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ALS(神経難病)にかかった母親の発症から死までの12年間がとても丁寧に書かれていました。難病にも介護にもいまだ直面したことのない私にとって、この本に書かれた様々なことは文字を追うだけでは想像すらできないことも多く、なかなかスイスイと読み進めることはできませんでした。それでもなんとか最後まで読み終えて、最後のあとがきで「そのころの母は意思疎通もできなくなってからすでに何年間も経っていましたが、私たちは温室で蘭の花を育てるように大切にしていました」という一文を目にした時、ああこの本を最後まで読めて本当に良かったと思いました。著者の川口さんが、このまるでおとぎ話の一節のような美しい一文に込めた思いの重みは、この本を実際に読んだ人にしか伝わらないと思うので、ぜひたくさんの方に読んでほしいなあと思います。
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動けなくなったら安楽死を、そんな意見もちらほら耳にする昨今だが、動けなくなっても生きたいのだ、ケアする側が生きていてほしいと願うのだ、生きる意味は他者によって見出されるものなのだ、という生への肯定。
人生をALS患者の母のケアに努めてきた筆者だからこそであろう熱さと勢いのある筆致。
生きていていいのだ。
生きたいと思っていいのだ。
死だけが不可逆なのだから。 -
当事者を取り巻く状況を勉強したくて読んでみた。まず作者の文章力が抜群に上手いなと思った。表現が上手い。リアル。リアル。リアル。こんな現実を我が事として受け止めるとしたら、如何にキツイか想像するまでもない。何度も胸を打たれ、何度も大きなため息が出た。そして、読むきっかけとなったALS闘病中の母親を持った、友人の助っ人になるには私は何をするべきだろうか。
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いわゆる「延命治療」、障害者の「自立」、寝たきりの人とのコミュニケーション について考えた。
〇いわゆる「延命治療」について
この本を通じて、改めて経管栄養や人工呼吸器について改めて考えた。
これらの医療機器で延命やQOL向上などの効果が見込まれるシチュエーションを想定する。
自分自身であれば、親しい人に対して負担をかけることに対して罪悪感を抱き、希望しないかもしれない。
自分の親しい人であれば、どんな形であれ生きていてほしいと願うだろう。その一方で、自分のエゴで無理に生かすことに対して罪悪感を覚えることもあるかもしれない。「その人なら何を希望するか」を考えることも重要だ。
しかし、本人の希望だからと言って鵜呑みにしてはだめで、それが背景文脈の中でどのような意味を持つのかを考えなければいけない。
また、医療者として、どちらかというとこれらの医療介入を差し控える方向に志向性があることを私は自覚しなければいけない。その背景に医療資源の配分の問題などを意識的・無意識的に考えているのかもしれない。
〇障害者の「自立」
トイレに行けなくなった障害者がおむつを受け入れる時、本書によるとそれは障害の「受容」ではなく「自立」である。
介護者が頑張ればトイレに連れていけないことはないが、それは介護者にとっては負担であり、そしておむつにすることを介護者側から言い出すことは時に難しい。本人の尊厳が絡むからだ。
介護者との共存のために、自らの身体を健康で安全に維持するために、主体的に介護者を使いこなす、そうした障害者の意識変革こそが自立なんだと、本書では語られる。
トイレからおむつに代わるというのはネガティブな響きを持ちがちだが、このような発想で考えるとポジティブにも捉えうるんだなと思った。
〇寝たきりの人とのコミュニケーション
本書の著者の母はtotally locked syndromeで、自己表現が一切できないとされてきたが、実はそれは受け手側が受け取れるかどうかの問題である、と本書で語られる。言語的な自己表現はできなくとも、非言語的に多くを語っているのだ。汗、体温、顔色、脈拍など・・・。
インドのマザーハウスでボランティアをした時、寝たきりの(おそらく小児麻痺の)孤児が何人もいた。彼らは言葉をしゃべらず、私には彼らが何を考え何を思っているのかがわからなかった。でも、もしかしたら彼らは彼らなりの自己表現をしていたが、私がそれを読み取れなかった(読み取ろうとしなかった)だけなのかもしれない。 -
ALSになった母の介護をした著者のルポルタージュ
発病から亡くなるまでの記録、著者の死生観の移り変わり、ALSの症状、介護に必要な環境などが書かれている。
ALSについては、ただただ絶望的な病気という認識しかなかった。
正直、自分が同じ立場だったら呼吸器は付けないだろうなと思っていたが、本書を読んで、安易にそんな選択をしてはいけないということがわかった。
生きるということの尊さ、介護の大変さがほんの少しでもわかったような気がする。