その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)

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  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784260011877

作品紹介・あらすじ

トラウマティックな事件があった-専門家による援助が終わった-その後、彼女たちはどうやって生き延びてきたか。「普通の生活」の有り難さをめぐる当事者研究の最前線。

感想・レビュー・書評

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  • 出来事や書物への感想は言えても、自分の自分に関する感覚について言葉に詰まってしまい、その瞬間に頭の中で、物凄いスピードでグルグル思考が止まらなくなる。

    そんな居心地の悪さを私は、もう何十年も感じてきました。
    医療やカウンセリングを受けても、不全感が拭いされずに私の身に何が起こって、どうつらかったのかが混乱したままでした。

    自分に起こっていたことは、何がどうだったのか。
    私は何を感じていたか。
    記憶も感覚もちぐはぐになってしまい、どうにもまとまらないまま。私の記憶違いなのかなと。

    この1冊は、私自身が心の奥底に沈殿させてきた事柄に正面から向き合うきっかけとなりました。
    まるで私の心を理解して、書いてくれたのかと錯覚するような安心感で満たされました。

    依存症当事者で女性のためのダルク施設長である上岡さんと医療者(ソーシャルワーカー、カウンセラー)の大嶋さんによる、上っ面ではない言葉で紡がれた、本当に出会ってよかった1冊です。

    ずっと自分の出来事や感覚について、ふさわしい言葉が見つからず、どう説明していいのか、誰に相談していいのか、社会から、世界から疎外されているような孤独感、恐怖に襲われることがありました。
    またそれは、制御不能ような怒りに変わることもあり、それは私のフラッシュバックだと理解できました。

    幼いころから、家族・親族に様々な問題を抱え、私は子どもとして過ごさずに、そうした事柄に大人に代わり対応・解決する役割を暗黙の了解で担う役割を果たしてきました。

    「それは家族なんだから当たり前。自分よりもまず他人を優先しないと。」

    こうした地方特有の価値観や美徳に囚われ、子どもが負える責任の範囲を越えたものを長らく担ってきました。

    本著にあるように、事の本質が、家族の問題なのか、私の問題なのか、境界線が曖昧になり、他人と自分の境目も溶けだして生きてきました。

    本当は心底寂しかったし、心細かった。
    私を見てほしかったし、大事にしてほしかった。

    心身のしんどさ、辛さ、疲れ、或いは身体の痛みもどう大人や親に訴えていいかわからず、いまだに体の痛みがある自分を疑ってしまう癖がぬけないことに苦しんできました。

    本当は痛くないのじゃないか。憐憫が欲しいだけなのではないか、と。

    むろん、完璧な家庭や家族など存在しえないのは充分承知していますが、問題を抱えた私の実家が、医療にも福祉にも、全く外部に繋がらず、状況を悪化させていったのは今こそわかる事実でした。

    日常の食べる、意思疎通をしながら会話する、入浴する等、生理的欲求に関しても親が対応できなかったことで、私の長らく続く欠損感覚の原因がわかりました。

    毒親、アダルトチルドレン、機能不全家族、繊細さん、ヤングケアラー等、様々な言葉が氾濫し、これらの言葉によって、自分の辛さの存在を肯定できるようになったのは前進だと思います。

    ただ、これらの言葉に足元を取られ、その轍から抜け出せずに被害者のままという人生は私は望みません。

    自分と他者の境界線をはっきりと認識しながら、自分の感覚や感情に丁寧に耳を傾け、適切な言葉を探して感覚を表出し、NOはNOと怖がらずに選んで生きたい。

    「回復」の定点ゴールが存在するわけではなく、「回復し続けること」。人生は変化の連続であること。
    これらの言葉を肝に銘じたいと思いました。

    日常生活の小さな変化を受け入れ、小さな悦びを重ねて、日々を重ねていきたいと、温かい気持ちで頁を閉じることができました。

    本当に出会えてよかった1冊となりました。
    著者の上岡さん、大嶋さん、ありがとうございました。

  • わがまま読書 
    GAL~gender and law~
    http://genderlaw.jp/wagam/wagam011515_5.html

    その後の不自由 | 書籍詳細 | 書籍 | 医学書院
    https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/81575

  •  生きていく過程で、誰もが何らかの不自由を抱える。その不自由が自身に抱えられる限界を超えることが時々、起こる。
     自分ではちゃんと乗り越えられたと思っていても、自分の顔を鏡で見ることができないのと同じように、自分の心の在り様は、自分の目で見ることができない。
     それをこの本は見せてくれる。
     傷ついてることさえ認めたくなかった自分や、認めまいと足掻いたせいでかえって取り返しのつかない傷を子どもにつけていたこととか。
     まずは「閉じた愚痴」をやめなきゃならないなと思う。

  • 病からの回復とはなんでしょうか。おかしい人がおかしいまま、多少迷惑を掛けつつもなんとか生き残っていれば、それも人生でしょう。

  • 凄いです。依存症の原因と生きづらさが伝わってきます。
    一般的には「私」→「父、母、兄弟」→「祖父、祖母、親戚」→「学校、職場、友達」というように社会生活上の人間関係の順番が自然にできている。それがなく、自分を抑えて生きなければ家族が壊れてしまうように感じられたとき、自分の痛みと他人の痛みを区別できなくなってしまう。

    8歳で母親が弟を置いて出ていき、一年くらいたって迎えに来てくれた。自分も連れて行ってくれると思って慌てて準備したらお前は学校があるからダメと車のドアをばたんと閉めて行ってしまった時の記憶が忘れられない。
    というインタビューは胸を打ちます。動けなくなります。呆然としてしまって。境界性パーソナリティ障害の人は自己中心的に思われがちだけど、普通中心に自分がいるはずの所に他人がいる(または誰もいなくなってしまった)人たちなのだ。

    著者のあとがきから一文。
    「最後に、まだ苦しんでいる仲間へ。
    一分間だけ気分が変わることをしましょう。
    ストレッチ、アロマ、足湯、空を見る、ミルクを飲む、木を抱く、花の香りをかぐ、月を見る…。
    私はその一分間の組み合わせで、とりあえず生き延びている気がします。
    明けない夜明けはありません。」

  • 私には想像できないような経験と苦しみに悩まされている方がいるのですね。
    普通に暮らせることに感謝しよう。

    自分でどうすることも出来ないほどの苦しみや
    悲しみを抱えている方たちへ
    今、私にはできることはにけれど、まずは知ることからかな。
    読み終わってもまだ、平凡に暮らしていけている私には
    想像すらできないことが多すぎた。

    先日、田代まさしさんもダルクの通信を受けるとテレビで言ってたな。

  • 境界線が壊されてる話は新鮮で面白いと言ったらダメかもしれないがよかった。トラウマは深く話しても楽にならないし、解決もしないのところが個人的には参考になった。この本に出てくる人の体験は、想像を遥かに超えていた。

  • アディクションの問題を今までの著書とは違う切り口、女性目線や当事者の視点から図を用いて説明されている。

    境界線を壊されて育つこと、ニコイチの関係、回復の段階、問題から不満へ至る過程、当事者の抱く相談のイメージ、カラダとの付き合い方など

  • 薬物中毒者の回復期を援助する人たちの活動内容
    心理面の解説や実例記録あり

    生きのびるためのキーワード

    専門職にまかせるのが最良の解決方法である

  •  そうなんだよね、「嵐」のあとも人生って続くんだよね。

     わたしの知らない「その後」を、てらいなく、教えてくれた一冊です。

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著者プロフィール

ダルク女性ハウス代表・精神保健福祉士

「2024年 『生きのびるための犯罪 増補新版 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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