弱いロボット (シリーズ ケアをひらく)

著者 :
  • 医学書院
4.03
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本棚登録 : 308
レビュー : 35
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784260016735

作品紹介・あらすじ

ひとりでできないもん-。他力本願なロボットがひらく、弱いという希望、できないという可能性。「賭けと受け」という視点から、ケアする人される人を深いところで支える異色作。

感想・レビュー・書評

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  • 映画の世界にいるような何でもできるロボットではないけれど、それが強み。「当たり前」からの発想の転換、いつもの自分とは違う視野の変化、ついつい手を差し伸べたくなるような愛嬌あるロボット達から教えられたことがたくさん。

    簡単に読めるけど、内容は深い。介護やロボット関係に興味がある人だけでなく、子育てや教育現場など、いろんなコミュニケーション場面で新しい考え方を知りたい人に是非おすすめしたい本です。

    • sakana37さん
      映画の世界にいるような何でもできるロボットではないけれど、それが強み。「当たり前」からの発想の転換、いつもの自分とは違う視野の変化、ついつい...
      映画の世界にいるような何でもできるロボットではないけれど、それが強み。「当たり前」からの発想の転換、いつもの自分とは違う視野の変化、ついつい手を差し伸べたくなるような愛嬌あるロボット達から教えられたことがたくさん。

      簡単に読めるけど、内容は深い。介護やロボット関係に興味がある人だけでなく、子育てや教育現場など、いろんなコミュニケーション場面で新しい考え方を知りたい人に是非おすすめしたい本です。

      2012/09/20
  • ロボットと聞くと何でも助けてくれるドラえもんや、とっても強くて見た目も人間と変わらないアトム、もしくは今現代のハイテクなロボットを思い浮かべるかもしれない。

    しかしながらこの本で出てくるロボットは

    よわい

    外見も一つ目小僧のようなロボット「む~」

    ひょこひょこ歩いてゴミを見つけては人にすり寄る「ゴミ箱ロボット」

    はなんとも外見も中身も不完結で弱そうに見える。「できないならやってもらばいい」そんな他力本願なロボットたち。

    しかしそんな弱いロボットが人は愛くるしく思え、まるで子供をあつかうかのように、彼?(彼女なの?)らとお話をしたり、ゴミを捨ててコミュニケーションをとるのである。

    ロボットの低い目線を通して、コミュニケーションとは何か?弱さとは何か?が書かれている。

    行為の意味は相手に受け取られるまで「不定」になってしまう、しかしながら相手が応答groudingしてくれることにより意味を持つ。

    ロボット=物理的に何かをしてくれるのではなく、ロボットを介して人が成長していく=彼らの弱さが人の発達を助けている。ロボットと人間が対立したり上下関係を築くのではなく双方向の学びを築く。

    周囲に身を委ねながら1つの行為を作りあげていく、そんな弱いロボットをわたしたちに置き換えて考えてもいいのではないだろうか。

  • ロボットといえば、人間の代わりに何の作業をしてくれるものなのか、どのように便利なのかと性能や機能、または、どれだけ人間らしいか、を見るものだと思っていた。そして、医学書院のシリーズ「ケアをひらく」でロボットといえば、介護の代わりのロボットなのか、話し相手、遊び相手の代わりになるロボットの話なのか、などなど想像してしまったけれど、これは違う。目から鱗の連続だった。まず、人間が「何気なく」している会話は、まずロボットにはできない。その「何気ない」に焦点を当てることから始まるこの本書。ロボットは言い淀みをエラーとして処理してしまうが、人は言い淀むことを前提に話し始めるのだ。会話はお互い相手の不足分を支えたり、不足分を委ねられたりして進行する。相手が返してくれると思って言葉を発し、返してくれなければ不安になるし、返さなくてはならない責任も感じるものである。そして、ただ歩くという行為でさえ、地面に委ね、地面に支えてもらっているという不安定さがあると、本書にはある。また、「支えてあげるもの」「守るもの」があって、人は成長することがある。ただ色を指摘するだけのロボット、ゴミを集めたいのにゴミを拾えないロボット、それらに対して、今まで弱者でしかなかった人が、教える側にまわって、少し変わっていくし、そんなロボットが人と人のコミュニケーションの触媒となっていく。人は1人では生きてはいけない。改めてそれを、ロボットという無機物を通して再確認する1冊だった。

  • 「毎日新聞」(2012年9月30日付朝刊)の「今週の本棚」で
    紹介されていました。
    (2012年10月1日)

  • 大阪人のボケとツッコミが盛り沢山の会話を聞いて、雑談の奥深さを感じ取り、ロボットとの会話アプローチに活用する筆者.言い直すことを前提として発話を作り上げていることに気づいた筆者.「む~」を開発して、一人では何もできないが、アシストがあれば独特の機能を発揮する「弱いロボット」を目指す筆者.このようなロボットが認知症の患者と対話して、面白い成果を出すことに驚く筆者.視点の向くところが素晴らしいと感じた.

  • 機能がすごく限られたロボットの開発を通して、人間のコミュニケーションを考える。

  • 目玉のような『Muu』は、こちらの声掛けに対しヨタヨタと動き、「む~、む、む、む」とあどけない視線で答える。それがちょっと考えているようにも、はにかんでいるようにも見える。
    ゴミ箱型の『ゴミ箱ロボット』は、ゴミ箱に駆動力がついているだけ。ゴミを発見すると近寄っていくけれど自分で拾うことはできない。誰かが拾って捨ててくれると、ほんのちょと会釈のような仕草をする。
    何もできない赤ちゃんが、「うぐ~」と発する声や、何かを掴もうと伸ばす手が場をなごませるように、こちらが何か動かざるを得ないような気持にさせる。

    二足歩行で歩く「アシモ」や、福島の原発事故の現場へ入っていく自己完結型のロボットが開発されている中、この本に出てくるロボットは一人では何もできないロボットだ。
    他者とのコミュニケーションを大前提としているこんなロボットは、人と人とのつながりが希薄になってきたこのご時世に、ほっこり気持ちを和ませる。

  • 社会

  • 「シリーズ ケアを開く」は、医療看護従事者向けの読み物シリーズで、これまでも硬軟多種さまざまなアプローチの本が出されていて面白いのだが、この本は中でもとりわけ異色というか、技術科学大学で社会的ロボティクス研究の専門家により書かれたもので興味深い。
    なにげなく歩くということ、とりとめのない雑談、自分ひとりでは何もできないロボットという存在を通じて、ケアの在り方を考えるというもの。ブックデザインもかわいいし分量的にさらっと読めるのもよい。

    [more]<blockquote>P025 次のステップを考えながらのダンスではぎくしゃくとしてしまうことだろう。同様に、次の発話を考えながらでは雑談にはならない。相手のステップを半ば予期しつつも、無意識に次のステップを繰り出していくのと同じで、雑談の中で自分の発話の意味もそこそこにとりあえず繰り出し、相手に預けてしまう。そういう意味での「いい加減さ・無責任さ」も必要なのだ。

    P041 ようやくヨタヨタと歩き始めた幼児の姿を追いかけるかのように、みんなが固唾を飲んで歩く姿を追いかける。少しでも倒れそうになるならば、思わず手を添えてしまいそうになる。このドキドキした感じはコンピューターグラフィクスでは実現できないものだった。つまり、身体に対する重力の働き、それを支えている地面、そして足を動かすという行為が一体になって『なにげない歩行』を作り出しているのである。

    P066  思い切って何かに自分の行為を委ねてしまおうという無謀ともいえる身体の振る舞いを「投機的な振る舞い(entrusting behavior)」とよび、一方、そうした投機的な行為を支え、その意味や価値を与える役割を「グラウンディング」と呼ぶことにしたい。この二つの関係は、はじめはギクシャクしながらも、次第になじんでくる。ついにはどちらがどちらを支えているのかわからなくなってしまう。

    P110 健康な人は、「どうなってしまうかわからないんだけれども、とりあえず一歩前に踏み出そう」という身体のもってる不定さから好意を繰り出せる。その時には「環境に油断れる」っていう思い切った行為が必要なんですね。僕らはなにげなくやって、環境との間で信頼関係を作っていくんだけど、そこを委ねることができない。その一歩が踏み出せないという人はやっぱりいるんだろうなと思います。【中略】「やり直しすることが前提で言葉は作りだされている」という閃きがあると、いろいろな意味で楽だと思うんですよ。

    P112 (リハビリと同じですね「どんな状況でもできるような能力をつけなくてはいけない」って)
    個人に能力をつけてから、という考え方自体が、逆に個人の能力を伸ばすチャンスを奪っているのかもしれませんよ。

    P118 いつも他者を予定しつつ、他者から予定される存在

    P165 横に並んだ状態では、お互いに自分の身体を相手に重ねながら、相手の感じていることを自分の身体を媒介に探ろうとする。「なり込み」という言葉を使うならば、これは「相互のなり込み」と呼べるだろう。【中略】相手は今何を思っているのかと、自分の身体で感じていることを手掛かりに探っている。自分の身体を相手に「添わせている」あるいは「なぞる」「重ねる」等いろいろな表現が可能だろう。

    P185 例えば目の前にゴロンとごみ箱が倒れていても「あ、疲れているから横になっているのか」とは考えないで「ああこれは先ほど子供たちが走ってきてぶつかったんだな」という解釈をすることだろう。では空き缶回収機や自動販売機の場合はどうだろう。空き缶を投入するとお返しとして五円玉が出てきたら、「そのように設計されたものだから、五円玉が出てきたんだな」と解釈する。このように倒れたゴミ箱に対する説明を「物理的な構え」とよび、空き缶回収機の動作に対する解釈を「設計的な構え」と呼ぶ。他方で、路上を歩く犬を眺めるときなどは少し様子が違う【中略】「道に迷ったのかな、それとも誰かに追いかけられているのだろうか」と。デネットは、こうした帰属傾向を「物理的な構え」や「設計的な構え」に対して「志向的な構え」と呼んでいる。

    P193 ゴミ箱ロボットが群れを作ることで、わたしたちとの関係は少し変化してくる。「他者を予定しつつ、他者から予定される」という、相互的な関係はもう少し緩やかになり、様々な選択肢が出てくる。ゴミ箱ロボットの群れに入ってゴミを拾ってあげるという形で積極的にコミュニティに参加してもいいし、傍観者としてただ眺めていてもよい。そこに参加の自由度のようなものが生まれてくるのだ。</blockquote>

  • 「不気味の谷」を回避する、コンピュータ開発の新しい方向性を、コミュニケーションの見直しから考える。
    口ごもったり言い直したり、あーとかうーとか、現実的な発話には確かにノイズが多い。
    そして、幼児図式やアフォーダンスまで駆使してできたのが、「1人じゃ何もできないロボット」。コレの社会性やコミュニケーション能力は、子どもやお年寄り、コミュニケーションに障害を持つ人たちに大きな支えとなる。
    確かに「寒うなったなあ」と言ったら、今の気温を回答してもらうんじゃなくて、コクンと頷くほうがコミュニケーションってモンだわなあ。

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著者プロフィール

岡田 美智男:豊橋技術科学大学

「2017年 『不便益 手間をかけるシステムのデザイン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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