どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

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  • 医学書院
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本棚登録 : 227
レビュー : 19
  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784260036368

作品紹介・あらすじ

何かしゃべろうとすると最初の言葉を繰り返してしまう(=「連発」という名のバグ)。それを避けようとすると言葉自体が出なくなる(=「難発」という名のフリーズ)。吃音とは、言葉が肉体に拒否されている状態です。しかし、なぜ歌っているときにはどもらないのか?なぜ独り言だとどもらないのか?従来の医学的・心理的アプローチとはまったく違う視点から、徹底した観察とインタビューで吃音という「謎」に迫った画期的身体論!

感想・レビュー・書評

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  • 突然ではありますが、“吃音(きつおん)”というものをご存知ですか?いわゆる“どもり”と呼ばれるもので、特に緊張している場面でなくても「こ、こ、こんにちは」と言葉を繰り返したり、「、、、k kこんにちは」と言葉に詰まってしまったりする障害です。軽度の人まで含めると100人に1人いるとされ、決して珍しいものではありません。
    さて、今回オススメしたい書籍はこの“吃音”について科学でもあり芸術でもある身体論から切り込んだ著書『どもる体』です。著者の伊藤亜紗先生は東京工業大学の准教授でいらっしゃり、美学や現代アートをご専門とされています。実は伊藤先生ご自身にも吃音があり、当事者の視点も織り交ぜつつ、吃音をベースに“話す”ことについて身体論的にとてもわかりやすく、面白く書かれています。吃音について書かれた本は多数ありますが、専門書ではなく、誰にでも楽しめる読み物としてはモノホンが唯一無二だと思います。
    皆さんは普段から友人や家族、恋人など様々な人とおしゃべりをしていると思います。では、それがいきなりスムーズにできなくなった自分を想像できますか?世の中には目が不自由な方、耳が不自由な方、足が不自由な方など、様々な困難を抱えた方がいらっしゃいます。恐らく皆さんは目が不自由な状況、耳が不自由な状況、足が不自由な状況を想像することができると思います。では、自分の名前をいうときに「ややややまだたろうです。」と繰り返したり、「.....yyやまだたろうです。」と喉や口がブロックされて上手く話し始められないような状況を想像できますか?これが吃音です。“滑舌が悪い”とか“緊張すると噛んでしまう”とか、そういったものとは違います。この本を読むと、ヒトがおしゃべりできることの不思議、吃音の不思議に触れることができると思います。興味を持たれた方はぜひこの本を手にとってみてください。
    ちなみに私も吃音があり、大学院では吃音の研究をしています。もし吃音について話してみたい!!!という物好きな方がいらっしゃったら、学習相談デスクまでいらしてくださいね。

    OPACへ⇒https://www.opac.lib.tmu.ac.jp/webopac/catdbl.do?pkey=BB02347826&initFlg=_RESULT_SET_NOTBIB

  • 「どもり」の当事者からの聞き取りとその解釈を通して,「話す」行為は,実は体と心の危ういバランスの上に成立している…ということがよく分かります。文章・文体が学術専門書とは違うリズムで,読んでいて引き込まれます。

  • いろいろと示唆に富む良書。私自身がごくまれにいいよどんだり、吃音状態になることもある。そのときにひっかかりは自分ではなんとなく思考の中の不純物のためかとも思ったりしていたのだが、そうではないのかも知れない。しゃべるように書いたとしても文字に吃音はおこらない。今、短歌をやっている自身としては言葉のでるところと体の関係について考えるきっかけになった。

  • 吃りを症状ではなく「現象」として観察し、「話す」という行為そのものの本質をあぶり出そうとする身体論。生物学から芸術分野へ転身した著者らしく韻文的記述が随所に顔を出し、主題に温かみと人間味を与えている。リズムが吃音に与える影響を論ずるくだりで、バフチンやヴァレリーを引くあたりなどは著者の深い洞察と教養を感じさせる 。

    しかし、気になる点が一つ。この本には、発話についての考察に当然あってよいはずの「脳」に関する記述が全くと言っていいほど出てこない。それは、吃音者の語りが押し並べて二元論的だという理由で、はじめから著者が一元論的アプローチ、即ち脳への還元主義を排除しているから。著者曰く、一元論の描写する世界は「思った通りに体が動」いている、うまくワークしている世界であり、それは吃音者たちの描写にそぐわない、というのだが、本当にそうなのだろうか。
    僕の認識では、正しい一元論的身体論とは「思っているのも動いているのも(脳と)体であり、そもそも『思った通り』のものを描出する心などは存在しない」というもの。だとすると、「我々の脳が『本来すべき動作』なるものを表象し、これと比較照合する形で自分の動作を『本来すべきではない動作』であると認識することがあるのはなぜなのか」という形で、一元論内部で別の問いが立てられることになる。すると吃音は「心と体の不一致」ではなく「脳の機能的・器質的なエラー」として捉えられるのではないか。著者も、終章でドイツ劇作家クライストの「思考は喋ると同時に沸くものだ」との言を引く形で、意識と行動の合一性を支持しているように見える。著者のいう「個人と社会との間で引き裂かれた存在」についての考察は、捉え方がやや紋切り型に過ぎるのでは、と思った(そもそも「語り」が二元論的であるからといって必ずしも二元論を採用しなくてはならない訳ではないだろう)。

    ただいずれにせよ、吃音を題材に発話という行為の本質に鋭く切り込む本書のアプローチが刺激的であることは疑いようもなく、身体につき誰もが手軽に考えるきっかけとなりうる好著だと思う。

  • オートマとマニュアルの喋り、どもらないために会話より対話を選ぶ、喋ることは体を使うこと、対処法が症状でもある、演じるという対処法、むしろどもりたいという当事者、 「体がどもる」感覚。
    意味を開く、言い換える対処法は、なんとなく幼児と話している時の言い換えと似ている。

  • 吃音について。

    どもりのメカニズムがわかりやすく軽快に書かれていて、身近に感じる。
    障害のことを語っているのに、それは個性の違い、のように捉えているように感じる。著者の見方が面白い。

  • 治るとか治らないとか辛いとか辛くないとかはおいておいて、「当事者の中では何が起きているのか」が書いてあって興味深かったです。
    吃音に限らず、リズムに乗ったり演技をしているときに症状が消えるというのは、「妻を帽子と間違えた男」の「詩人レベッカ」はじめ割とよくある話なのかなと。
    たぶん脳の別経路を使うからなのでしょうけれど、脳神経学的なアプローチの本もちょっと読んでみたいなと思いました。あるかな。

  • どもりは何が理由で生じるのか現在も分かっていない。

    ある言語を習得するとは、本当は互いに異なった様々な音を、ざっくり1つの音素としてカテゴリー化して聞くことを意味する。
    日本橋はnihombashiと表記されるnではない。後にbという破裂音が来るから。
    子供の発達において、話し言葉を急速に発達させる時期は、歩行などその他の運動の発達が一時的に停止するという事が複数報告されている。

    難発は「意図してもうまくいかない」連発は「意図してないのになってしまう」
    難発は「頭の中が真っ白になる」のではなく、「言いたい言葉は明確に頭の中にある」にもかかわらず体がそれを音にするのを受け付けてくれない。「フリーズ」
    連発は体のコントロールが外れる感じ。喋るというオートマ制御の運動に生じるエラーであり、当事者はそのタガが外れた体をどこか他人事のように俯瞰したり見守ったりしている。

    「歌う時はなぜかどもらない」リズムと演技「ノッている」時にはうまくいく。「タンタンタンタン」二拍子「メトロノーム法」。
    「運動を部分的にアウトソーシングしている状態」が「ノる」。
    リズムは「新しくなくすること」1つのパターンを使いながらそれを応用する。
    「演じる」とは「パターンの使用」

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