- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784260042062
作品紹介・あらすじ
「時間という一本のロープにたくさんの写真がぶら下がっている。それをたぐり寄せて思い出をつかもうとしても、私にはそのロープがない」――たとえば〈記憶障害〉という術語にこのリアリティはありません。ケアの拠り所となるのは、体験した世界を正確に表現したこうした言葉ではないでしょうか。本書は、「レビー小体型認知症」と診断された女性が、幻視、幻臭、幻聴など五感の変調を抱えながら達成した圧倒的な当事者研究です。
感想・レビュー・書評
-
認知症(レビー小体型認知症)の概念が覆された本。
聡明な著者がわかりやすい言葉で綴ってくれます。
本を書けるほどの当事者の方もなかなかいないと思うので、貴重な本だと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
当たり前からの解放。
またも「経験の先覚者」に常識を破壊してもらった。
障害者を障害者たらしめているのは、「こうでなければならない」という社会常識なのではないか。
本当の意味で障害者を苦しめているのは、我々"健常者"の常識なのではないか。
そして我々もまた、自分たちの常識に苦しめられているのだ。障害のある方々を知ることは、その常識を破壊し、生きやすさを手に入れることに繋がる。
作者が抱える症状の一つに、時間感覚なさ、がある。
これは、我々に時間とは何かを考えるヒントをくれる。時間感覚がないからこそ、死者ともつながり得るし、自分が死んだ後も世界とつながっていられるという考え方は、羨ましくさえある。
土井善晴さんの言葉「味噌汁は、濃くてもおいしい、薄くてもおいしい」は、秀逸だ。
障害のある人に限らず、「こうでなければならない」という幻想に縛られている人みんなに届けばいいと思う。 -
レビー小体型認知症の当事者が日常を語る本。医学書院ウェブマガジン「かんかん!」での2年半にわたる連載に加筆したものです。
なんと美しい装丁。そして著者の文章のなんと美しく文学的で、知的さの滲むことか。
まず感嘆したのはそこでした。カバー折り返しの[本文より]の引用箇所だけで、私はぐっと引き込まれていました。
レビー小体型認知症というのは、「認知症」というと良く想起される「アルツハイマー型認知症」とは少し違っていて、レビー小体型ならではの困難さと言いますか、病態があるようです。本書では「幻覚」や「幻聴」「幻臭」について著者の目から見た症状が具体的に示されています。
文章が小説のように、鮮やかで主観的な症状を語るので、私も樋口さんの目を通して同じ事象を見ているような気分にさえなりました。自分の病気について熱心にリサーチしたり(MT野ニューロンのこととか)、困ったことが起こるとそれに判断を下して少しずつ着実に前へ進んでいこうと努力されている描写からも、樋口さんはとても知的な方なんだなあ、という印象を抱くのですが、それにも増して魅力的な人物像を持った方で、本当に感性が鋭いんだろうなと感じました。
本書の中で特に印象的だったのは、「人災」という言葉で、何の病気にも共通して言えることなのだろうと思うのですが、イメージや世間一般に知られている患者像が邪魔をしてしまい、治癒を遅らせてしまっているということに(そうかなと薄々思ってはいたけれど、やっぱりそうなのか……)と衝撃を覚えました。
うつ病と診断された日々のエピソードにて、心配した知人からの電話が樋口さんを追い詰め、電話に出られなくなった、とありました。
「良かれとおもって」が人を追い詰める話には枚挙に暇がありません。叱咤激励のつもり、アドバイスのつもり、寄り添ったつもり……。そういうことが、ただでさえ苦しい日常を送っている人を追い詰めるという現実。
かといって、全ての対人関係を避けて生きるということが正しいとも思えないから、どうしたらいいのか分からなくなります。
――自分だけではなく、同じ病気と闘う人たちに降りかかる誤解を解きたい
樋口さんの文章からは、そんな気持ちを感じます。世間で知られていることだけが真実ではないし、同じ事柄が万人に共通、唯一の解決策ではない。
当事者ではない私には、何が出来るだろうか、と様々なことに想いを巡らせた一冊でした。
迷いながら、苦しみながら、それでも前に進む姿が美しいのだ、と哲学書か何かで読んだ気がするのですが、まさに樋口さんのような方のことを言うのかも、と思い当たりました。
本書の出版にあたって、当事者である著者が自身の体験を差し出すだけに留まらず、思わぬところでトラウマケアをする機会に出会ったり、ご自身も愛読されていた「ケアをひらく」シリーズに加われたという喜びを得られたことが本当に良かったなと思いました。
本書の出版後、『「できる」と「できない」の間の人』という本が出版されているようですので、そちらも読んでみたいです。 -
著者はレビー小体型認知症であり、その体験を書いた本なので、この病気や認知症に興味のある、あるいはかかわりのある人は興味を持つだろうが、万人に読んでほしい本だ。
脳に何らかのトラブルが起こっているという点で認知症だけでなく、高次脳機能障害や発達障害、双極性障害、統合失調症などとも共通点がある。それらの当事者がどう感じ、何を苦しんでいるか、それぞれ違うにせよ、この本を読んで苦しみを想像することができる。そして、これほど苦しいのか、と愕然とする。著者はじめ当事者の方々は、家族や友人といった親しい人や、医師にすら理解されず、苦しみと孤独の中に生きているのかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
自分や家族、友人がこれらの脳の病気に永遠に無縁である人はほとんどいないと思う。
まずは、この苦しみを知ることが、現在症状のない人間の務めだと思う。
そういった病気のことは考えたくない人も、見えないものが見える体験には興味があるだろう。
よく霊的な体験(見えるはずのないものが見えたり聞こえたりする)と言われるものや「遠野物語」に出てくる座敷童の証言が著者の経験と酷似していて、霊的な体験ではなく、脳の誤作動によるものではないかというのは説得力がある。
幻視がたびたび起こるというのには驚くが、慣れてしまうらしい。山岸涼子の「スピンクス」を思い出した。あの少年も、施設を出たあともスピンクス(虐待した母親)を見るが、もう恐ろしくないと言っていたな、と。そして見たことは誰にも言わない。あれは確かに脳内で起こった出来事を描いた漫画だった。
幻視も匂いがわからないこともつらいが、一番読んでいて苦しかったのは著者が「うつ病」であると誤診され、副作用の強い薬を6年間も飲み続けていたというところ。著者は何度も主治医に薬が合わない、苦しい、やめたい、と訴えているのに、医者は全く取り合わない。やめると悪くなるといって、時には薬を増やされたりする。それでますます体調もメンタルも最悪の状態に陥る。地獄、という言葉が浮かぶ。自分でレビー小体型認知症ではないかと判断して危機を脱した著者は、実は医者もよくわかっていないんだ、間違ったのは彼らのせいじゃないと言っているが、私だったらこんなやさしい言葉は嘘でも言えない。
しかしそれほどまでに脳の病気は未知の部分が大きいということを肝に銘じたい。
患者と医師が、違う「常識」の上に立っていることを知り、同時に医師も不安や苦悩を抱えていることを知りました。(p233)
認知症や認知症医療について学ぶほどに知ったのは「脳のことでわかっていることは本当に少ない」ということです。(p234)
「早期発見・早期治療が大事」と言われ続けていますが、早期であればあるほど症状は目立たず、種類は出そろわず、画像にも認知機能検査の数値にも表れにくく、診断は困難という現実を患者や家族は知りません。(p235)
治療とは、視界のきかないジャングルを踏み分けて進む冒険のようだと今は思います。医師にだって、先は見えないのです。そんなジャングルを、目をつぶって医師の後ろにくっついていくのは危険すぎます。それでは崖から落ちても文句は言えない。医療の限界を知るにつれて、そう考えるようになりました。
自分の命がかかっているのです。自分の病気や飲む薬のことを知らないのは、コンパスを捨てて進むのと同じです。患者や家族が症状を観察し記録したものが、いちばん大事な地図です。その地図を医師と見ながら、どう進むのかを話し合います。(p236) -
やー、病気になってしまった人の、どう世界が見えているかという本。これは、かなり励まされるとともに、認知症の人が世界をどう見ているのか(著者は認知症ではなく、レビー小体の障害)が、かなりわかりやすい。率直にお礼を申し上げたい。
-
レビー小体型認知症を患っている樋口直美さんの本。
webで連載していた樋口さんの記事を読んで、初めて「レビー小体型認知症」という病名を知りました。その連載は、途中までしか読んでいなかったのだけど、ふと、Twitterで流れてきた投稿でこの本を知り、読んでみました。
この本の前に1冊出されているんですね。
そちらの本も読んでみようと思います。
「認知症」といってもいろいろなものがあること、同じ病名でも人それぞれ症状が違うこと、そしてそれは出会った医師や周りの環境や寄り添う人たちによっても変わってくること、そんなことがよくわかる本でした。
患者が医療の「受け身」だけでいてはいけないこと、医師が絶対ではなく、医師にも見えないことがあること、互いの信頼関係によって情報をすり合わせて行って、やっと辿り着ける治療の方向性もあることも知ることができました。
著者の樋口さんも、受け身の診療を受け続け、「うつ」と診断されて処方され続けた薬の副作用で辛い6年間を過ごしていたとのこと。患者も一緒になって「治療」に参加しなければならない時もあると知りました。
うーん、うまく言えないのがもどかしい。
とにかく、みんな読んでみて欲しい本でした。
私がいろいろな病気の患者さんがかいた闘病記やエッセイを読んでいるのは、世の中のたくさんの人たちが、いろいろな病気や症状に悩み生きていることを知っておきたいから。身近な家族や自分自身にもいろいろな出来事が待ち受けているかもしれないから。たくさんの人たちの気持ちに寄り添えるように、いろいろなことを知りたいから。
読んでよかった。
ーー自分用読書メモーー
・遠野物語はレビー小体型認知症?
・嗅覚異常
・時間の近さ遠さがわからない
・家族には話せないけど、利害関係のない人には話せる。そして、気分が楽になる。
・人それぞれの「できる」と「できない」がある
・脳の状態が顔(目)に現れる
・脳は働き者、だけどだまされやすい
・料理が大変(買い物から)。蓋をして見えなくなると、存在を忘れる
・レビー小体型認知症では、薬剤過敏があり、抗精神薬の54%で重篤な副作用が起きる
・薬を増やす、やめる。医者でもわからないこともある
・早期発見?できないことだってある
・早期発見・早期絶望、にならないために
・診断は仮説、最後まで仮説 -
『誤作動する脳』
「「私は、人が見えます」と他人に言えば、「私は、人を殺しました」と同じ反応を引き起こすだろうと思いました。」
幻視などの症状を知られることで人生が終わると感じて誰にも病気のことを言えなかった樋口さんの苦しみを追って体験する。
脳の多様性を多くの人が受け入れる社会になる必要性を感じる。
「教えを請う人」としてのディレクターのKさんの態度が樋口さんを“怪物”から人間に戻すきっかけとなったところも良かった。自身の病気に関する体験を語ること、そしてそれが人の役に立つと分かった時に自分で作り上げていた孤独から解放される。
必死で隠してきた病気の体験は、人の役に立つ樋口さんの利点に生まれ変わった。
レビー小体型認知症の症状から料理することが難しくなってしまった樋口さんを救った土井善晴さんの言葉も良かったなぁ。
「味噌汁は、濃くてもおいしい。薄くてもおいしい」
料理はもっと自由でいいかげんでいい。台所に笑顔を -
認知症、精神疾患、高次脳機能障害、発達障害。縦に切り分けられた中からはつながりが見えないけど、脳の病気や障害に共通する困りごと、生きにくさ、理解されにくさは、つながりがある、という著者の言葉に、新しい世界が開けた感じがしました。
読みやすいし、ためになる、繰り返し読みたいし、福祉の仕事をしてる人には薦めたい。 -
2022.10.16市立図書館
同じ著者の「私の脳で起こったこと ――「レビー小体型認知症」の記録」(ちくま文庫)をひじょうに興味深く読み終えたので、ケアをひらくシリーズの方も借りてみた。
誤診・投薬によるつらい時期を経て「私自身が、患者と観察者と治療者を兼ねなければいけない。なんて厄介なんだと思う。でも他に選択はないのだから、やり遂げるしかない」と思い定めて以後のお話で、専門家や病名(名づけ)による雑な決めつけに抗い、その症状の個人差や因果の実感をていねいに観察し、当事者としての経験や心情を読みやすい筆致で文章に書き記し、世の中に出してゆく姿に大いに学び励まされる。著者は自分が困って押しつぶされてしまわないように、心身と脳をいたわることを第一に、ストレスを避け余裕を持って前向きに暮らせるようにしている。しかしそれもまた、偏見や憐憫ではなく好奇心をもって彼女の体験を聞けるような人との出会いで自信をもつことができたおかげであり、自分が自分自身とどうつきあっていくかだけでなく、自分が周囲の人とどうつきあっていくか(自分の状況を理解して味方になってくれるような信頼関係をもてる人とつながっていること)も大事だと改めて思った。
「誤作動する脳」は他人事ではなく、みんな多かれ少なかれ脳に固有の癖はあるし、遅かれ早かれそれが生活に大小のダメージを及ぼすようになるものなのだとあらかじめ知っていることは大事だと思う。脳はパソコンやスマホのように機種変だの買い替えというわけにもいかないのだから、自分なりの取説を整備して、自分なりに無理なく快適に使える状態を維持していく他ない。
著者がもともとこの「ケアをひらく」の本のファンだったというだけあって、さまざまな障害や病気の当事者研究の知見もわかりやすく触れられていて、自身も含めそうした多様な人が生きやすい社会にするにはどうしたらいいか一当事者の立場から言及しているのもよい。症状もサバイバル・スキルも人それぞれ、これはニューロダイバーシティー(脳の多様性)であり、個人の尊厳の話でもある。
著者プロフィール
樋口直美の作品






この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。





