傷の声 絡まった糸をほどこうとした人の物語 (シリーズ ケアをひらく)

  • 医学書院 (2024年11月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (312ページ) / ISBN・EAN: 9784260057820

作品紹介・あらすじ

本書は複雑性PTSDを生きた女性が、その短き人生を綴った自叙伝である。過酷な家庭環境に育ち、複雑性PTSDを持つ著者が、これまで歩んできた、ふり幅の大きな人生を描く。
なぜ自分を傷つけるのか、という疑問への回答と、傷ついた人に必要なのは、権力や物理的力で抑え込むことではなく、ケアであるべきではないかという気づきとヒントを医療者に与えてくれる。

みんなの感想まとめ

過酷な家庭環境を生き抜いた著者の自叙伝は、複雑性PTSDをテーマにした深い内面の探求を描いています。読者は、著者が抱えた壮絶な体験や心の葛藤に触れることで、自らの痛みや孤独を言語化し、共感を得ることが...

感想・レビュー・書評

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  • 壮絶なお話でした。
    だけど、1番苦しかったのは、自分が見て信じてきた世界と、母親や兄が体験してきた世界の違いです。
    自分が体験してきたことは何だったんだ、と足元がガラガラと崩れるような衝撃があったんじゃないかと思います。そしてそれを咀嚼するのは非常に困難だっただろう、と。
    ご著者の齋藤塔子さんに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

  • 読書録|詩織 2024年12月21日
    https://note.com/shiori_rina/n/n75b9b89bc207

    齊藤塔子『傷の声』(医学書院)|寿わかば 2025年1月16日
    https://note.com/rudefowers/n/n3ea93440094c

    ■当事者が描いた虐待後の心 〔評〕伊古田俊夫(脳神経外科医)
    <書評>「傷の声」斎藤塔子著:北海道新聞デジタル 2025年2月16日
    https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1123460/?test=0003&source=title

    傷の声  | 書籍詳細 | 書籍 | 医学書院
    https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/116266

  • フラッシュバックが辛かったけど、こんなにも境遇が似ている方の本を読んだのは初めてで、自分の辛さが言語化されているようで少し楽になる部分もあった。

  • ページを読む手が止まらなくて1日で読んでしまった。
    筆者がなぜ複雑性PTSDになったかよくわかった。
    と同時に、なぜ自分は今こんなに健康で人生に前向きなのだろう?という深い疑問が芽生えた。
    なぜなら筆者と私の幼少期は、程度の差こそあれ非常に似ていたから。

    支配的な父親、抑圧された母親、不安定な母親のヒステリックや不満は子供に向く。母親から父親の悪口を聞かされ続け、怒られる時は「父親にそっくり」と言われる。世帯収入はあるにも関わらず、父親が生活費を渡さないから口座は目減りする一方で母親の口癖は「お金ない」……。
    私の父のDVは筆者の父に比べるとだいぶましだったし、母も筆者ほどでは全くなかった(家を出されたりとかはない)。
    でも要所要所のエピソードは驚くくらい同じだった。
    にも関わらず、私は現時点で確認できるような傷を負っていない。
    子供の頃から一貫して基本的に生きるのは楽しいと思っており、日々はいろんな挑戦や興味関心に彩られ人生にとても前向きで、希死念慮はかけらも抱いたことがない。このまま順調に生きてやりたいことが常にたくさんたくさんある。
    母親は困った人なところはあるし色々間違った子育てをしていた部分は多々あると思うけど、愛されていた、愛されている、という揺るぎない確信はある。

    筆者と私の違いはなんだろう。
    本に書かれている限りの情報しかないのでなんとも言えないが、考えていて一つ気づいたのは祖父母の存在。
    私は母方の祖父母から本当に愛されていた。いつも「賢い子や。可愛い子や。」と言われていた。
    それも「いい学校に受かったから賢い」「目が大きいからかわいい」とかいう「評価」ではなく、とにかくあるがままを褒められ続けていた。(未熟児として生まれ、力強く保育器を蹴りたおしてたところから祖父の「賢い子や」はスタートしていたと、何度も何度も聞かされた)
    つまり存在そのものを祝福されていたと思う。
    おかしな家庭環境だったけど、ああいう幼少期があったから私は自分を損なわずに済んだのかな。
    読みながらそんなことを思い出していると、今は亡き祖父母への感謝で目が潤んだりした。

    筆者と兄とで家庭環境の受け止め方が違ったことも大変興味深かった。
    兄と受け止めが全然違うことで「全部私の被害妄想?」と思ってますます絶望に突き落とされる様は、混乱がありありと伝わり見ていて胸が痛かった。あなたの受け止めは全然おかしくないよと全力で伝えたい。
    兄の考え方はどう見てもDVやジェンダーに理解がない男性視点の考え方で全くもって間違っているし、私は兄より筆者の考え方の方に強く共感する。

    ならばますます我々のこの違いはなぜ生まれるのかということは大いなる疑問で、詰めて考えていけば、精神疾患というもの、そして自分という人間そのものを深く理解できそうな気がする。
    そのきっかけを与えてくれた本書に心から感謝したい。
    この本を読んでいろんなことを考えた同年代の女の子がいるよ、あなたが命懸けで書いてくれたおかげだよと伝えたい。大事にします。

  • この本を手に取ったきっかけは、離婚を経たことで感じていた孤独や、「自分は弱いのではないか」という感覚、そして過去にうつ病を経験したことによる、自分の繊細さに向き合う必要性を感じていたからだった。

    読後、最初に浮かんだのは「塔子さんに会ってみたい」という感情だった。外から見れば恵まれているように見える経歴や佇まいの裏に、これほどの闇や壮絶な現実があったことに強く心を動かされた。同時に、そんな環境の中でも生き延びてきたこと自体に対して、純粋な尊敬と称賛の気持ちを抱いた。

    本書からの学びとして特に印象に残ったのは、「自立とは依存先を増やすこと」という考え方だった。人は一人で抱え込むほど苦しくなるが、助けを求めることには「どうせ分かってもらえない」という恐怖が伴う。それでも、安心して存在できる場所や人が複数あることは、心の健康にとって極めて重要だと感じた。

    また、心や身体の不調は「助けてほしい」というサインの表れでもあるのではないかという視点にも深く納得した。問題行動として切り捨てるのではなく、その人の見ている現実をそのまま受け止める存在の重要性に気づかされた。過去を振り返ると、自分ももっと恐れずに関わることができたのではないかという思いが残る。

    塔子さんの人生は、家庭環境の影響の大きさを強く感じさせるものだった。高圧的な父と被害妄想的な母という関係性の中で育つことの重さを知ると同時に、自分の家族を振り返るきっかけにもなった。自分の場合は、母の強さと父の受け入れる姿勢(ある意味での鈍感さ)のバランスによって成り立っていたのかもしれないと気づき、これまで父を一方的に捉えていたことへの申し訳なさと感謝の気持ちが芽生えた。

    人が生きるということは本質的にはシンプルなはずなのに、実際にはとても複雑で、さまざまな人の関わりや偶然の積み重ねによって成り立っている。その中で自分もここまで来られたのだということを改めて実感した。

    この本を通して、「繊細であってもいい」と自分を許せたこと、そして過去を乗り越えてきた自分の人生をきちんと肯定できていることにも気づくことができた。自分自身ともう一度向き合う、大切なきっかけをもらえた一冊だった。
    塔子さん、ありがとう。

  • まず本書は元気じゃない時に読んではいけないと思います。
    発刊当初から注目していたけれど著者が刊行前に亡くなられたということを知り、なかなか手に取る勇気が出ませんでした。
    本書の冒頭、そして巻末に著者の夫の方と本書を刊行された出版社の思いや判断について触れられていますが、両者をねぎらいたい気持ちでいっぱいになりました。
    著者の方がまさに命がけで紡がれた言葉を世の中に出さないという判断はなかっただろうけれども、影響や反響も考えるといつだすか、どこまで掲載するかなど簡単には決断できなかったのではないでしょうか。
    先に読んだ頭木弘樹さんの著書(痛いところから見えるもの)の中に本書の引用があり、実はこちらの本を先に手にしていたのでびっくりしました。

    サバイバーズ・ミッション(p221 こころに傷を負った人がほかの人を助ける道にばかり没頭してしまうこと)という言葉を初めて本書で知りました。
    確かにそういう人多いなと思うと同時に、自分が背負った傷や障害(心身のみだけでなく生活状の苦難や苦境なども含めて)に関する報道や本ばかり求めてしまったり、似たような立場に置かれた人との関わりを積極的、あるいは探り探り求めたりという行動を気づいたらしてしまったりする人も多いなと思いました。(そういう人にも何か名前がついているのでしょうかね。自分はブクログの記録を見たらわかるように福祉や事件、生活苦境問題の本を求めてしまう、そういうタイプですが)
    この方が看護師という職種を選ばれたのはまさにサバイバーズ・ミッションだったのかなと感じました。

    両親との関係があまりに辛いです。お母さんもひどいけどお父さんがさらにひどい。でも立場が変わったり、あるいは子どもが成長したりすることによって見方や理解度が変わることも当たり前のことながらかなり衝撃的でした。
    特に著者とそのお兄さんの対談の内容には考えさせられました。
    長子と末子の差、男女の差、逃げられたかどうかの差、性格の差もあるかもしれません。お兄さんとの両親に対する認識の差異の大きさは、著者にとってより孤独を募らせる大きな衝撃になったように感じられました。でもそれはお兄さんが悪いわけでも誰のせいでもないことです。受け止め方の違いなので仕方ないことだし、そうであってもきっとお二人にとってはこの対談は必要なものだったでしょう。
    著者の他にお兄さんも、さらにはお父さんも精神科に通院するようになっていたと言うのもとても辛く悲しかった。

    お父さんと著者のメールのやりとりがとても他人行儀と感じられたけどそれについても説明があり、それが通常のやりとりであるということがこの家族の心の(理解度)距離を感じさせました。このお父さん、子供との接し方が分からなかったというか、子供と関わりたくなかった人なのではないだろうか。子供が大人になってきたら大人として付き合えるようになったからそんなやりとりになっていったのではないかと感じました。
    お父さんという人も生い立ちに苦難があった人のように思えてならなかったです。

    家族の問題というのはその家族のなかで一番弱い人へ向かうということをよく聞きます(本書にも確かそのような記述があった)
    塔子さんは全てを受け止めてしまい、受け止めきれなくてこんなに苦しんできたのかな…
    本書冒頭の身体拘束の記述はショッキングでした。自分の身内にも身体拘束経験者がいますが身体拘束というものがどれ程尊厳を損なうかと考えさせられます(しかし本人や周囲に危害をもたらさないための措置という言い分も自分には否定しきれないところもあり、賛成も否定もできません)でも正気でこんな目に遭ったら逆に精神を損なうだろうというのは想像がつきます。

    助けて欲しくても児相に相談することについて変化する状況を考えて通報できなかった(p171)ということや、親の前で事情を聴かれて 本当のことを言えずとっさに嘘だと言い張ってしまったことなど出てきますがこれは、児相や子供の救済に関わる人たちにはよく知ってもらうべき大事な話だと思いました。
    子供の「大丈夫」は大丈夫じゃないと疑ってかからないといけない場合も多々あるということでしょう。
    子供は周りの大人が思っているよりもよく状況や周囲の思惑を見ているのですね。

    同じところにあるエピソードで(p170)崖っぷちまで追い詰められて親友に本気で相談したのに反抗期とあっさり片付けられてしまい、二度と本気で人に相談するのをやめようと決意する話が出てきます。
    中学生だったら仕方がないかとも思うけれど、自分の気持ちが何一つ届いていないと分からされる絶望は相当な傷になるだろうと想像します。
    この友達が悪いわけではなく、どんなに親しくしていても家庭のことは分からないということでしょう。
    自分も不遇な家でしたが家のことは一度ひどい言葉をかけられてからは(著者の友達と同じように傷つけた自覚はないのです)もう友達には話すのをやめました。
    これはそういう経験をした人にしかわからないしんどさだと思います。

    お酒を飲む話があちこちに出てきて、ストレスを飲酒で紛らわす自分は共感しながら読み進めていましたがお兄さんとの対談のなかで、お兄さんが飲み過ぎると理性のタガが外れて飲み会のたびに号泣してたと話しているところがありドキリとしました。自分にもそういう時期があり、今でもたまに飲み過ぎてしまいちょっと依存気味という自覚が最近出てきたのでやはり根本的なところをどうにかしないとだめなのだなと自分を振り返ったりしました(最近AUDという障害の話よく目にしますがそれかなと…やばいやばい)

    おわりに、でお母さんの味方をしてしまったから二度とお父さんには会えないだろうことが切ないという言葉が出てきます。
    思い詰めすぎだと思いました。でもそこまで読んてきてそんなに限界まで思い詰めてしまったことも理解はできます。
    その後のお父さんとのやりとりを見ても、お父さんはそこまで思っていないと感じられる。でも塔子さんにはもう辛くてたまらなかったのでしょう。
    このおわりに、の文を読むと苦しみから抜け出すことを諦めているように感じられ読んでいるこちらも苦しくて辛さでいっぱいになりました。こんなにこんなに自分を罰さなくても、追い詰めなくても良かったはずなのに。

    自分の母も急な病で早世しましたがあまりに苦しい人生だったので亡くなった時「これで苦しみから逃れて休めるのかな」と思ったことを思い出しました。悲しみもあったけれどもまずそう思ってしまった。
    あまりに苦しんでいる人を見たら、苦しみからこれで逃れられたのか、そうであってくれなくては辛すぎる…と思ってしまいます。
    決して自死を肯定はしません。けれどどうしたら助けられるのか救われるのか、生きていけるのかという答えを見つけられない人はきっとたくさんまだいるでしょう。

    本書冒頭の夫さんの「生きてください」の重みがずしりと残ります。
    どうかあなたも、と言いたいです。

  • 自分と同世代で、看護世界にいた方の、全身全霊の思いに触れて、しばらく放心状態になった。

    自分としての学びは、「人との境界線が無い」、「溶け合っている」と表現されていた著者のパーソナリティのことで、
    自分にもそれに近い性質はあると思っていて、その性質に引っ張られて苦しくなったこともあるので、この性質は「普通」では無いのかもしれないと気付かされたこと。
    (もっとも、それを指摘していたのが、同じような家庭環境で育ち、父親に似た性質を持っていると著者が感じていた兄なので、客観的な判断になっているかは怪しい。この本は小説では無いので、こういった疑問に答えが出ないところがまた難しいなと思う。)

    自分で物事を遂行する力がない母親と、モラハラの側面がある父親、どちらも自分の両親に照らしてしまう部分があったけれど、幸いにも自分は著者とは違う運命を辿ったのは、母親はそうは言っても父親と境界線を引けるタイプだったような気がするし、父親は生活力の面で母親に依存するようなほどではなかったと思えるので、そんなわずかな違い(もちろん書かれていることが全てではなく、本人が経験したことは簡単に「同じようだ」ということなんて出来ないほど壮絶だったのだと思う)が空気感や関係性に大きな影響を与えるものに繋がるのかなと思った。
    PTSDもDVも日常と表裏一体、紙一重なのかもしれないと思えた。

    「死にたいんだったらとっくに死んでる、けど生きてる。そこには生きたいという想いがあるはず、だから私たちは出会ってるんでしょ。」という看護師の言葉は強くて、私もそんなふうに言える人でありたいと思った。

    「命の砂時計の最後の一粒が落ちるまで、幸せを生み出す力とそれを受けいれられる強さを手に入れようと、たゆまぬ努力を積み重ねるしかない。」と言って締め括った著者が、校了直後に自殺してしまったのには何があったのか。協議途中だった両親の関係性、その中での兄との関係性に要因があったのか、その時夫はどうしてたのか、とか考え出してしまう。
    色んな人に届いたらいいなと思う本。

  • たやすく読後感を言語化させない力と重みを持った本だ。
    精神科医として、しばしば書を置いて、身の内側に疼く痛みに耐えながら読んだ。しかし、結局のところ一気に読まされてもしまった。
    現代精神医療に対する鋭い告発も主要なテーマだが、私は特に以下のことについて深く考えさせられた。
    それは「外傷体験」が、それに関わる当事者それぞれによって、まったく異なる様相を呈するという事実だ。ことにその外傷体験が目に見える身体的虐待や性虐待でない場合にことにそれが顕著であることが、極めてリアルに描かれる。著者はこの本を書くために、母親と兄にインタビューをしている。そしてふたりが記憶していること、語り出す家族の物語が、自らの記憶と著しく異なることに衝撃を受ける。
    著者はこの本を希望と絶望がないまぜになったトーンで締めくくっている。しかし、この本の完成後、まもなくこの世を去ってしまう。
    私には、著者の早過ぎる死は、それまでの絶望に加え、自らが紡いできた物語が溶解してしまう経験が関与していたのではないかと考えずにはいられない。
    もしそうだとしたら、文字通り著者は、命をかけてこの本を書き上げたことになる。著者の思いを無駄にするわけにはいかない。
    すべての対人援助職に必読の本だと思う。

  • 身体をはった渾身の作品、としか言いようがない。

  • 自傷をテーマにした書籍の最高峰だと感じた。
    筆者の齋藤さんは、パッと見イマドキの子。しかも東大看護学科ストレート合格と来た。肩書きから見てもなんの不満もない生活だろうと予想する人も多いのではないか。
    しかし、彼女は幼少期からのトラウマに悩まされ日々リストカットやオーバードーズを繰り返し、1日1日を必死に生きてきた。彼女を悩ませたのは家庭環境である。どんなに明るい人でも実は…。と感じさせられた。
    この書籍のポイントは、身体的な暴力や分かりやすい心理的虐待があまり出てこないところだ。日常に流れる雰囲気、父母の不和、きょうだいへの対応など一見虐待とは繋がらない行為が彼女のトラウマへと繋がっている。

  • 自分を傷つけてしまう、当事者の方による自叙伝。

    痛みを伴う内容なのだけれど、するすると自分の中に入り込んできて、もっと先を少しでも早く読みたくなる本でした。
    結果、丸一日、本書を持ち歩き、バス停でバスを待つ時間にもページを繰り続けました。

    渦中にいたその人には、その状況はどのように見えていて、どのように感じていたのか。

    著者の体験、ご家族の体験、その重なりと相違に心がざわつき、苦しく、痛くなり、それでもその先を知りたくて読み進め、気がついたら読み終えていました。

    支援者として、1人の人としてどう在るかを深く問われているように感じた一冊でした。

  • 芥川龍之介の藪の中のように、家庭内の出来事に対する各員の認識や解釈が微妙に異なる。あんなに辛かったことが、大人になって確認してみたら、相手が覚えていなかったり、「〜のつもりだった」と言われたり、無かったことになっていたり。自傷行為に及ぶほど辛い家庭環境でも、子どもは地獄を生き抜かねばならない。生き抜いた先にも安楽はなく、自己を卑下し続けなければならないのは辛すぎる。理解してくれるパートナーを得てなお救われないのであれば、何が人を救うのだろうか。人ごとではないので、ずっと考え続けている。

  • 読み進めるのが時にしんどく、少し時間がかかった。この本に共鳴しそうな人は、調子が良い時に読まれる方がいいと思う。私は家族構成や家の空気感が少しだけ似ていて、揺さぶられた。

    けれど読めてよかった。彼女がこの世界に居たのだと知ることができた。痛くて苦しいが、側に置いておきたい本だと思った。

  • 壮絶な読後感であった。こちらの心をわしづかみする本であった。読み進めながら、自分がこれまで出会った人、去ってしまった人、色々と去来するものが湧いてきた。心に傷を負っている人を支えるなどと安易に言えない気持ちになり、分かった気持ちになっていると思う自分の傲慢さに感じえた。最期を知りながら最後まで駆け抜けるように読み切った。彼女の魂に少しでも報えるようにしたいと思った。合掌。

  • 心に傷を負った人々がどのように生き抜いてきたか?が分かる書籍(物語)知的が能力が高くて,自身をこれだけ客観的に見れる著者はさぞかしこの書籍を執筆する際に苦悩し,傷ついたことだろう。命がけで自身の物語を紡いでいったのだろうと思う。家族との対話は読んでいるうちに息苦しくなってしまうほど。

    色々な人に読んでほしいけれど,心がある程度安定している時でないと苦しくなってしまう作品でもある。
    精神科医療従事者には是非読んでほしい作品

  • どの感想を読んでも賞賛の声で、こんなことを書いたらいけないと思いながらも、自分の心に素直な感想を書く。

    私も筆者と同じ複雑性トラウマを抱えていて、精神疾患で通院しているが、自傷や入退院を繰り返すほどの精神疾患を抱えているのだから、さぞ悲惨な幼少期だったのだろう。そんな辛い境遇の人の手記を読んで、自分の境遇なんてどうってことないと、自身を奮い起こそうと思って読むことにした。

    結果、私よりも遥かに幸せな家庭で育っていて愕然としたと共に、筆者よりも酷い環境で育った私は、精神疾患になったのは当然なのかもしれないという、ある意味違った角度から勇気付けられることになった。この本を読んで、精神疾患である自分をやっと認められたような気がした。とはいえ、私から見ると守ってくれる人が多い環境には、少なからず羨ましいとも感じてしまった。

    筆者の文はとても読みやすく、スルスルと引き込まれた。筆者は頭が良すぎたからこそ、色々と考えすぎてしまったのかもしれない。優しすぎて、人のために動き、自分を犠牲にしてしまったのかもしれない。読後は、かなり気力が落ち、引っ張られる感覚があった。私に子供がいなかったら、とっくに著者と同じ道を歩んでいたのだろうと思うと、著者にも家庭があれば違う道があったのかもしれない。とはいえ、どのみち生き地獄には違いない。著者の気持ちが痛いほどわかるからこそ、長い間辛かったね、お疲れさま、ゆっくりしてね。と声をかけてあげたい。

  • 「悪い空気」の中で育ち、複雑性PTSDの診断を受けて、精神科病院で強制的な身体拘束の体験から奮起して、傷つきながらも書かずにはいられない気持ちが、静かな迫力を持って迫ってくる印象でした。著者はこの本が出版される前に亡くなっていますが、著者の願いである、目の前の人にどんな歴史や人生があるのか、少しでも想像をしながら出会えるようになりたいと思いました。

  • 冒頭の身体拘束についての文章は、精神科医療に関わる全員に読ませてやりたいと思った。「やりたい」という言葉を使ったのは、それがナイフのように皆を傷つけてゆくさまを想像し、それでもそのナイフが思うように切り裂き続ける必要があると思ったからだ。少なくとも拘束が行われなくなるその日までは。
    著者の願いが、とにかくその一章を世に届け、こぼれ落ちる砂粒全員に物語があると伝えることにあったのだという最終章は、とても重かった。彼女は自分が生き直すためではなくて、砂粒全員のことを考え続けて、どんなにか辛い執筆作業をやり抜いたのだ。どこかの世界線で私自身も含まれるかもしれない砂粒への優しさは、申し訳なささえ覚えるほどだった。
    安心の基盤たる湯船のひび割れがどうして起きてしまうのか、なぜ人によって異なるのか、どうやって修復が可能なのか、私には分からない。彼女が人生を賭して分からなかったものが、分かるはずもない。その分からなさに、胸を圧するプレス機の重みを少しだけ感じる。彼女が感じていたものとは比ぶべくもないけれど、そうやって近づこう近づこうとすることしか、私にはできない。
    凄まじい本だった。皆が読むべき本だと思った。本当に。

  • 「母にとってはこうだった、兄にとってはこうだった、というそれぞれ異なる話はどちらが嘘ということでもなく、両方とも現実だったのだ。」p273

    「言葉を新しく生み出すことは、私の「生き直し」の運動であった。」p286

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    本書は著者が強制入院によって身体拘束を受けたところから始まり、そこから自分のこれまでの人生と生きづらさ、家族との関係性を自分なりに“ほどいて”いく本だ。

    人には人の地獄があるものだが、I部から「おわりに」まで通して読んでいてなんともつらい。後半の母や兄との対話、そしてその後の自分の足元がすべて崩れるような感覚は衝撃的だ。

    しかし、そのつらさ苦しさの叫びの中にも、文章で言語化することによって、なんとか自分なりに過去や家族関係を解釈し“ほどいて”いこうとする著者の冷静さも見える。著者と解説の松本先生が書いているように、「今」の著者でないと書けないものだったと思う。

    本書は決して万人向けの本ではないし、著者が経験したことは簡単にこうだとまとめてしまえるものではない。だが、著者と似たような経験をした人々にとっても「架け橋」となる本ではないだろうか。
    「重石が増して明日死ぬかもしれないけれど、幸せにならなければならない」と記す著者が、本書の出版前に逝去したことが悔やまれてならない。

  • 複雑性PTSDを生きた齋藤塔子さんの手記。
    私は著者の感覚と近いものを知っているが、完全に同じ世界を生きてはいない、完全には分からない、でも分かる、と思いながら読んだ。巧みに言語化された世界に、遠い記憶や感覚が浮かんでは消えていった。癒しのために自分の身を傷つける者にしか分からない感覚が本の中にはあった。
    言語化が巧みなゆえに、当事者が読むには状態を選ぶとは思う。私は、引き摺り込まれそうな内容のものに触れるとき、感情や感覚のスイッチをオフにしてるような気がする。そして記号化された字面だけをなぞる。記号化された内容を自分の身体や精神の上で再現することはしない。自分がそういう操作ををしてるらしいことを、レイヤー三枚くらい離れて眺める感じの読書。それくらいの距離が今でも必要だった。

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