ぼくはこう生きている 君はどうか

  • 潮出版社
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本棚登録 : 184
レビュー : 24
  • Amazon.co.jp ・本 (161ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784267018404

感想・レビュー・書評

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  • いい本だ。心が洗われる。

  • 現在の教育についての根本的な問題が日露戦争の終わりから始まっていたとは…そりゃちょっとやそっとじゃ解決できそうにもないわな。

    博覧強記とはこの人のためにある、という鶴見俊輔先生の前で重松清がまるで10代の学生のように初々しく問いを投げかける姿が新鮮。

    ゲマインシャフトを失ったこと、それが日本の混沌の一因か。

  • まずタイトルが素晴らしい。自分についての覚悟がちゃんとあったうえでの言葉。自分はまだまだこんな言葉は言えない。
    日露戦争以降、日本人の中で勘違いが起きて日本の教育が変わったという考え方にもすごく共感できる。

  • 昔の生き方がもちろん全て正解なわけでは無いけど、でもほうほうと読めるお話が多かったです。

    喧嘩をしない、意見が違う相手とも仲良くなる、箱におさまる。溢れるのが怖い。
    自分がどれも当てはまって、うすっぺらいなー、と再確認。
    温かい心を育てたい。

  • 彼には自分にないものがある。だからすごいんだ 箱もの化する教育で人材を輩出出来るか

  • 哲学者と小説家による日本人をめぐる5つの対話。月刊「潮」紙上に掲載された両氏のシリーズ対談を、単行本の為に再構成したもの。2005年に始まった九条の会のメンバーたちの最後のときが近づいている。それはそれなりに、彼らは若者たちに語るべき言葉を語ろうとしているのかもしれない。たとえば、この本がそうだと思う。(2010.3読了)

  • 重松清さんの小説を数冊読んでファンになったので。  

    重松さんが鶴見俊輔氏の生い立ちを聞くことで
    「君はどのよううに生きるのか」と問う。 

    日本の本当の教育は日露戦争で終わった と言われると
    我々にはどうしようもない。全体的に「昔は良かった」感が
    濃厚にあって少し読後感が悪かった。

    これは対談として読むべきものでビジネス書や
    ハウツー本として何かを求めて読むからそうなるのであって
    本の内容が悪いわけではないのだ。 

  • 鶴見氏と重松氏の対談本です。

    「8年前と比較して、いまの日本の教育をめぐる状況は少なくとも好転はしていない、というふうに見えるが?」という重松氏の問いに鶴見氏は、「1905年、日露戦争の終わりとともに、この国の『本当の教育』は終わった」と答えています。
    ここでいう教育問題とは「箱モノ化した、成績しかみない教育」を指しています。

    鶴見氏は、1853年のペリー来航後10年の間に、坂本龍馬、高杉晋作、横井小楠、西郷隆盛、大久保利通など、大衆からエリートが排出されていることを例に、『ゲマインシャフト』(情緒の通う「共同体」)を日本の特徴と述べています。
    この『ゲマインシャフト』の終わりが1905年。これを境に「『本当の教育』は終わった」と答えたのです。


    教育の分岐点を語るとき、戦前・戦後を境に論じられることがおおいのですが、1905年まで遡るとは...。
    鶴見氏、さすがです。

    第四章にバートランド・ラッセルの話しがでてました。
    ラッセルは10代終わりから数学者、20代までに数学・記号論理学で大きな業績をあげ
    ました。
    第一次世界大戦では、戦争に反対して牢獄に入り、牢獄から出てから哲学の本を書き、年を取ってから小説を書いたそうです。
    そして90歳をこえてからアインシュタインと協力して原爆反対の座り込みをやって、警察に引っ張られたのが94歳。
    ラッセルのすごさに、ビックリしました。

    タイトルの『ぼくはこう生きている 君はどうか』は、『「自分はこういうふうに生きている」「きみはどうか」、それが私にとっての哲学なんです』という鶴見氏の言葉からとったもの。

    「自分はこう生きている。君はどうか」
    人生と真正面から向き合った人からしか、このような言葉は出てこないでしょう。

  • 中原淳はじめ人材開発業界で「アンラーン」という用語をちょくちょく見かけたが、元ネタ?は鶴見俊輔だったのか。
    これをヘレン・ケラーから聞いたというのが、重みがあるな。
    “ 「アンラーン」というのは「学び解く」というほどの意味で、学校で学んだことをそのまま学術的に復唱するというのはただのラーニングで、アンラーンというのはそれを自由に使いこなすということなんだ。 ”

  • 真のエリートと教育について  

     鶴見先生の考えによれば、「本当の教育」は1905年、日露戦争の終わりとともに終わったのだという。どういうことだろうか。1853年、ペリー黒船来航時に幕府は全国の大名にどうしたらいいかと聞いた。大名はみな「よろしいようになさってくだっさい」と答えた。こうした混乱の中抜きん出てきた指導者こそ真のエリートなのだ。坂本竜馬然り、高杉晋作然り、横井小楠然り、西郷隆盛、大久保利通然り。みな大衆から出てきた人材だ。みな身分という点では決して高い者ではなかった。こうした人材を生み出したのは、情緒通った「共同体」、ゲマインシャフトなのだと。そうした関係性が1905年までは機能していた。それ以降は学校の成績しかなく、したがって本当の教育は1905年に終わっているのだ。

  • 鶴見さんのホンで読んだのはこれが二冊目。耳鼻科で読了。

  • 鶴見氏を知らなかったのですが、とても博学で尊敬できる方だと感じました。
    一つ一つの言葉が心に染みていくようでした。

  • 鶴見俊輔さんと重松清さんの対談集。

    重松さんはこれは対談ではなくて講義だといっているが、その通り、重松さんを相手に鶴見さんが語るという体裁のもの。
    重松さんも第二章くらいから随分積極的な聞き手になってきて、子供の話にたいしてはいくつか面白いエピソードを紹介して、鶴見さんの更なる話を引き出してくれている。

    鶴見さんの話は何度も聞き覚えのある話でも、そのエピソードがでるコンテクストによって様々な意味合いをもたらしてくれるから不思議だ。

    今回初めて読んだもので面白かったのは、
    自殺してもいいの?という鶴見さんの息子さんが発した問いに対する鶴見俊輔風の答え。
    「もし強姦をして、証拠隠滅のために女を殺そうと思ったのなら、そのときは自分を殺しなさい。」

    とても軽い本で2時間くらいで読めるけれど、鶴見さん入門としては少し物足りない。鶴見ファンの鶴見思想コンプリヘンションのための本と言った方が的確。

    今編集者の人たちは、彼の言葉を少しでも残しておこうと必死なのだろうと思う。

  • 悪くはない。
    しかし、違和感がありあり。
    だが、読んだ後に奥付を見たら、違和感の納得がいった。

  • 30年後看護師になった「ひこうき雲」の主人公は、当時は人の死というものがどんなに重く、悲しく、悔しいことなのか、その意味を想像できなかったと後悔し、いま終末医療にかかわっていて思うのは、「その日」を見つめて最後の日々を過ごす人は実は幸せなのかもしれない、というんですね。「自分の生きてきた意味や、死んでいく意味について、ちゃんと考えることができるから」と。そして「どんなに考えても答えはでないけれども、考えることが答えなんだ。死んでいくひとにとっても、あとにのこされるひとにとっても」と。これはすごいと思いましたね。私は非常に感銘を受けました。

  • 100105by朝日
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    家族とは、友情とは、人生とは―。日本人をめぐる5つの対話
    この国に生きるすべての人たちへ
    私たちの進むべき未来へ向けられた、哲学者と小説家のまなざし
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    第1章 子供たちに必要な“二つの物差し”
    第2章 家族とは、どんな意味を持つ“場”か
    第3章 エピソードのない友情は寂しい
    第4章 幸せな「老い」を迎えるために
    第5章 「師弟」から見た日本人論
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    『たまたまこの世界に生まれてー半世紀後の「アメリカ哲学」講義』 15
    『小学5年生』:鷲田清一が涙 33
    『小さき者へ』「フイッチのイッチ」 43
    『ぼくのおじさん』北杜夫 61
    『回想の人々』戦争中の振舞い 94
    109,
    『気をつけ、礼』 152
    『大人になるって何? 鶴見俊輔と中学生たち』『大切にしたいものは何? 鶴見俊輔と中学生たち』『きまりって何? 鶴見俊輔と中学生たち』 153
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    18,27,31:同志社人と途中点, 38,63,67-8,89,96:テーマ, 137,144,150,157:背筋を伸ばせば能率も上るよね。

  • 「ぼくはこう生きている」と言いきれる強さ【赤松正雄の読書録ブログ】

     「日露戦争の終わりとともに、この国の『本当の教育』は終わった」「どんな子供でも家のなかでは世界一の有名人」―刺激的な言葉が連発され、ぐいぐいと引き込まれる。鶴見俊輔、重松清『ぼくはこう生きている 君はどうか』は軽い本(百六十頁の対談本)だが、中身は重い。87歳の老哲学者と47歳の気鋭の作家が家族、人生、友情、師弟を語りあう。読むものに考えるヒントが次々と放たれる。

     今NHKの大河ドラマに嵌ってしまい、『龍馬伝』を毎週DVDで深夜に追っかけている身としては、ペリー来航から「わずか10年の間に混乱の中から指導者が抜きん出てきた」経緯が熱く蘇る。「戦後民主主義教育の失敗」こそ今の教育の最大の問題だとの捉え方に、「戦後じゃあなくて、1905年からの問題」というのは新鮮な響きを持つ。欧米のどの国を見ても、一国のリーダーシップがゲマインシャフト(情緒の通う共同体)から出たところはない。狭い地域の中から、大衆の中から『きみ・僕』の関係が続々と巻き起こってきた―なるほど。日露戦争の勝利に酔っている間に、今日の散々な事態にたどりつく遠因が作られたのだ。百年の孤独ならぬ百年の怠惰といえようか。

     鶴見さんと重松さんのほぼ中間の世代に属する私でありながら、鶴見さんの方にこれまで近いものを感じてきた。つまり、重松さんのものは全く読んだことがない。この本を読んでその人物がすっかり好きになった。冒頭の鶴見さんの言葉のあとに「その一言には家族をめぐるすべての主題が含まれている」と解き、「子供をたとえば父親、母親に、夫、妻に置き換えれば」と続ける。いい加減にはとても扱えないではないか。

  • この手の重松清は、面白くない。

  • なにかに迷っている時に立ち返るために読むとしたらこの本だろう。

    鶴見俊輔さんの一言が重く深い。

    ヴィトゲンシュタインが師であるラッセルの理論をひっくり返したエピソード、ヘレン・ケラーに会ったときに聞いた話、祖父である後藤新平の話、そして、姉である鶴見和子の話、短い、なにげないエピソードだが、どれをとっても、「ぼくはこう生きている。きみはどうか」と問うているようにこちらに突き刺さってくる。

    “一番病”を患う現代社会の住民である我々に、「一番である必要があるのか」と問うてくる。
    1905年以降、日本の教育はダメになっている。これ以降、「本当の教育」は終わっていると。
    ノーベル賞をとるために予算をつけるのは「箱モノ行政」に過ぎないと喝破する。

    蓮舫が事業仕分けで言い放った名言「なぜ二番じゃいけないのですか」を思い起こす。

    ゲマインシャフト、路地、斜めの関係など、現代社会が失っているものを、取り返すことは、いま、政権が代わり、少しずつ行われているように思う。

    これが、前回の不況、失われた10年とは違うところではないか。政権が変わったことも、新しい公共が語られることも、我々には希望である。

    ***

    「作品を読んできた感想は、何か『鞍馬天狗』を読んできた時のように、心がそこに入っているということで、すでに九十歳に近い私が自分の人生の一部として重松清さん小説を読んでいるということだ」

  • ”一人で生きられる力をつけさせることが子供を育てるということなんだ”、”だけど子供との関係のゴールに、子供が働く、自活するというのが、親のなかにイメージできていないような気がする”、”失敗できる、一人ぼっちになれるというのは大事なことであるはずなのに、親がよかれと思って、子供を一人にしない、失敗の悲しみを味わわせない、これが根本的に間違っている”

    ”どんな子供でも家のなかでは世界一の有名人。家のなかで無名な子供なんていない。そのかけがえのない財産を大切にすること、それが家庭・家族の持つ最大の意味だと思うね”

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著者プロフィール

1922年東京生まれ。哲学者。15歳で渡米、ハーヴァード大学でプラグマティズムを学ぶ。アナキスト容疑で逮捕されたが、留置場で論文を書きあげ卒業。交換船で帰国、海外バタビア在勤部官府に軍属として勤務。戦後、渡辺慧、都留重人、丸山眞男、武谷三男、武田清子、鶴見和子と『思想の科学』を創刊。アメリカ哲学の紹介や大衆文化研究などのサークル活動を行う。京都大学、東京工業大学、同志社大学で教鞭をとる。60年安保改定に反対、市民グループ「声なき声の会」をつくる。六五年、ベ平連に参加。アメリカの脱走兵を支援する運動に加わる。70年、警官隊導入に反対して同志社大学教授を辞任。著書に『鶴見俊輔集』(全17巻、筑摩書房)『鶴見俊輔座談』(全10巻、晶文社)『鶴見俊輔書評集成』(全3巻、みすず書房)『戦後日本の大衆文化史』『戦後日本の精神史』(岩波書店)『アメノウズメ伝』(平凡社)ほか。

「2015年 『昭和を語る 鶴見俊輔座談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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