未完の憲法

  • 潮出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (165ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784267019753

感想・レビュー・書評

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  • 集団的自衛権と憲法解釈、改憲の議論が持ち上がる中で、もっと勉強しなければと思い、まず手っ取り早く、私と同じ年で若手の憲法学者として活躍中の木村草太さんの本を読んだ。奥平康弘さんとの対談本で、第一章は立憲主義について、第二章は改憲論議について、第三章は現代の憲法をめぐる状況と課題、第四章は憲法の可能性と日本の進路についてまとめられている。

    いくつか個人的に面白いと感じた箇所について。
    なぜ日本人は天皇制に強く惹き付けられるのか?という問いに答えている部分。
    日本では、多くの人が今ある事象や体制に対して消極的肯定、消極的賛同とでも言える態度を示していて、それを変えようという人たちは、説得力のある論理展開を出来ていない。これは天皇制の廃止に関しても、改憲に関してもそうだ(安倍政権はそれを力の論理で押し通そうとしているからたちが悪い)。変える変えないは別にして、一人一人がもっと積極的に天皇制や憲法とは何かを理解し、捉え直すという作業が必要だと思う。


    次に、「あいまいで情緒的な」自民党について。集団的自衛権をめぐる安倍さんの発言も、自民党の改正草案に関しても、この人たちのロジックのなさと情緒的なレトリックの多用に惑わされている人が多いと思う。強いものやつよい言葉、情緒的なことばに流されるのは、自分が弱いからなのだけど、基本的に人間は自分が弱いことなど認めたくないので(世の中で強いと思われている人や、強くならなきゃと思っているひとほど特にそう)、彼らの出すレトリックを批判的に見るのは決して易しいことじゃない。

    本の中では、自民党憲法草案のQ&Aの中にある『国を守る義務』について、奥平さんから「憲法が自分たち国家権力を縛るものだという大前提がわかっておらず、「国民を管理する法律」だと本末転倒の誤解をしている、と痛烈な批判が寄せられている。


    現代の憲法をめぐる課題に関しては、表現の自由の箇所でタトゥーについても触れられていた。今までグレーゾーンと見なされてきた様々な問題を「表現の自由」との関連で議論することの意義と難しさを感じた。

    最後に、人の心に抱く信条というのは結局のところ歴史感覚である、という箇所。これは日本国内の憲法談義だけでなく、国際関係においても大事な視点だと思う。相手の信条の深さとそれをもたらす歴史感覚を理解しないと、異なった意見を持つ人の間での議論は始めることさえ難しい。


    今回のことも含めて、憲法が守っていることやそのあり方について国民全体のリテラシーを上げていかないと、待っているのは衆愚政治だ。この本では特に奥平さんのかたりの中で疑問に思う箇所があったけれど(例えばヘイトスピーチを解決するための「文化の力」の部分や)、憲法に関しては高校レベルで社会科を教えられる教員が最低限持っていなければいけない程度の知識しかなかった私にとっては、大変分かりやすく読みやすい本だった。

  • 「憲法」の本を学生時代ぶりに手にとって読みました。いちおう、法学部出身だったので勉強したことはありますが、社会に出てからというものニュースや各種メディア媒体で「憲法」「合憲・違憲」という言葉を目にし、耳にしても、どことなく意識の外だったように思います。
    それが意識の中に入ってきたのは本書の中でも触れられている「9条」「96条」の問題で改憲論争が出てきた頃でしょうか。それでも学生時代のように勉強して、この問題について考察してみようとまでにはならなかった。今では悔いの残る出来事ではあります。
    あとがきで奥平さんが言われているように「憲法の入門書」という位置づけでとても分かりやすく、読みやすく、それ故に自分で取り上げられていることについて考えながら読み進められた。ただ読む、理解しようとする(理解が追い付かない)ではなく、自分なりに咀嚼しながら読めるところがポイントではないでしょうか。
    ひとえに、奥平さんと木村さんの力量?読者のところまで下りてきてくださっている姿勢に感謝です。
    最後の方で述べられているように、日々報じられる出来事を通して憲法というものを考え、勉強していきたいと決意させられました。

  • 2013年は改憲論議に対する世間一般の注目が高まった1年だった。改憲、といったときに注目すべきはそもそも憲法とは何のためにあるか(立憲主義とは何か)ということだろう。憲法は主権者が国家権力を管理するための法である。ところが、自民党の掲げる憲法草案は国家権力が国民を管理するような内容になっている部分が見られる、と対談者は主張する。96条先行改正案はその最たるものだ。また、改憲の先にあるビジョンが分からない、というのが彼らの共通した考え。とりあえず改憲したいのだ、というのが自民党の改憲派の意見なのだろう。政権が変わって改憲論はいったん下火になったように見えるが、今度は防衛予算の倍増へ。予算を増やすことが抑止となるか、不興を買うか。個別的自衛権と集団的自衛権の部分的行使しかカードがない状況は変わっていないことにも着目する必要があるのでは。

  • 二人の憲法学者の間の世代差みたいなものも感じられるし、
    木村さんが、自民党の国会議員なんかと対話して感じとっている肌感覚みたいなものも語られるし、
    サラッと読めるけども、楽しい本。

    前半、奥平憲法学と樋口(陽一)憲法学、長谷部(恭男)憲法学の違い、宮澤(俊義)憲法学のもたらした弊害、
    みたいな話をしていて、当たり前だけど、憲法「学」なんだから色々あるのよねぇ…と思った。

    大澤・木村対談に比べて、一貫して木村草太さんが聞き手側にまわっている(そりゃそうか…)のだけど、
    例えば、奥平先生が重視している憲法制定権力の重要性についての考察が、
    大澤・木村対談において出てきた、
    「憲法は…それを支える物語がないと、機能しません。
    どんなに普遍的に立派なことが書いてあっても、物語がないと、その普遍に命が宿らない。」
    (『憲法の条件 戦後70年から考える』p.65)につながっていくようにも読める。

    また、奥平先生はあとがきで、日本国憲法は「普遍」という言葉を前文において二度用いていて、
    そうした普遍的価値の追求こそが、「憲法なるものの価値を高めている」と述べているけど、
    大澤・木村対談では、戦後リベラルの限界として、
    「普遍」にしか日本国憲法の価値を求められなかった結果、
    憲法において呈示されるはずの目指すべき国家像のようなもの(戦前でいうところの「国体」みたいなもの)が
    ぼやけて、説得力をもたないまま今に至ってしまっている、といった話題が挙がっている。
    (ちょっとここのところ私の理解が曖昧だけど。)

    面白れぇなぁ、もっと勉強しなきゃなぁ、と思える本でした。

  • 202112/

    私は、日本国憲法には三つの顔--言い換えれば三つの性質があると考えています。/
    第一に、「法技術的文書としての性質」です。公法(個人と国家の関係を規律する法律)の一番の基礎となる法ではあるけれど、憲法もまた法技術的文書の一つであり、国内法典の一つであるということです。/
    第二に、憲法には諸外国に向けた「外交宣言」としての性質もあります。「サンフランシスコ講和条約」に連なる戦後の国際秩序の中で、「日本もそれに沿った行動をしいます」という宣言としての性質ですね。憲法九条や前文についていえば、法的な意味よりもそちらのほうがむしろ重要なのかもしれません。/
    第三に、日本神話に象徴される、日本人が共有する歴史物語の一端としての性質です。日本国憲法の中に読み込まれる歴史物語には、いろいろあります。戦後改革の象徴、閉鎖的な戦前体制からの解放の象徴という物語として読む人もいれば、逆に敗戦によって押しつけられた屈辱の歴史の象徴として読む人もいます。つまり、憲法の内容とは直接関係のない、憲法の背後にある物語という側面ですね。
    論者が以上三つのうちのどれを重視するかによって、憲法についての考え方が変わってくるんですね。/

    やはり最も重要なのは立憲主義的な価値観、言い換えれば多様な価値、多様な人々の個性を共存させるための枠組みを提供している法典であるというところだと思います。というのも、少数派の弾圧という政治的なオプションは、非常に国家を弱らせてしまう面があるからです。海外の独裁政権の歴史を眺めてみても、一時的には安定しても、長期的な安定にはほど遠いですね。独裁政権は必ず少数民族などの少数者を弾圧しますから、そのことで蓄積された怨念が、早晩爆発してしまう。これはあらゆる独裁政権に共通の構造でしょう。

  • 【部分読了】
    「表現の自由」に関する部分(100-119頁)、
    第三章 「現代の憲法をめぐる状況と課題」のうち、
    「表現の自由」についての新しい議論(100-105頁)、
    政治家の取材拒否と「表現の自由」(105-108頁)、
    公共性と個人の自由の関係(108-112頁)、
    ヘイトスピーチと「表現の自由」(112-119頁)

    大学院のクラスのディベートでいかなる場合も表現の自由を擁護しなければならず、奥平康弘先生の本で今唯一手元にあった本書の「表現の自由」に関する部分だけ読んでみた。
    名誉毀損とか現状が既に「表現の自由」の完全性を擁護していないけれど、それでもヘイトスピーチなどを防止するためにある種の制限を設けるべきという反対の立場にも同意するのは難しい。できれば制定法による制限をかけずに、市民の道徳とかによって問題になるような発言が批判されることによって抑止されるのがいいのでは?...でも大阪か京都の朝鮮学校のように実害が出てるからそんなの甘っちょろい理想論なのかな...と思っていたら、116-117頁で奥平先生も「「文化の力」で解決していくべき」とか「民事訴訟ならいいけど、刑罰を課すのにはなるべく慎重であらねばならない」と書かれていて、ちょっと嬉しかった。
    民事訴訟と刑事訴訟の役割をごっちゃにしてしまっていることを自覚できたのがよかった。もっと勉強しなきゃな。

  • 刺激的でいろいろなことを考えたくなる本だった。面白かったねぇ。そもそも憲法にそんな関心はなかったんだけどさ。本書を読むと、憲法について考えることが、社会生活を営むうえでの大きな手掛かりになるような気さえしてくる。いや、実際にそうなのかもしれない。そこまで憲法の存在意義を知らせてくれる一方で、国や個人の衝突は、文化の力で解決しましょう、というあたり。基準、補助線としての法はあるものの、実際に解決するのは自分自身ですよ、と、これは大人としての基本であるようにも思える。

    この本は、繰り返し読みたいな。

  • 「「憲法は主権者たる国民が国家権力を管理するための法である」というのが、立憲主義の大原則です。ところが、自民党の憲法改正草案をくわしく読むと、その原則に逆行する記述が随所に目につきます。つまり、本来は主権者としての国民に管理される側の国家権力が、逆に憲法を「国民を管理するための法律」にしようとする姿勢が透けて見えるのです。」これは、恐ろしいことです。気を付けなければいけません。

  • 日本国憲法のメッセージをわかりやすく説いてくれるいい入門書だと思う。

    諸外国から日本は立憲主義でなく立憲君主制だと思われている。日本国憲法は国民の権利ではなく、天皇を守る為に立憲したものになっている。日本は天皇制をどうするという議論をしないままの「慣性の天皇制」になっている。日本は国体に固執したし、他の国は反対はしたもののアメリカは天皇制を維持する方が、日本を制御しやすいと見抜きこのような形になった。
    ただ、日本国憲法がGHQからの押し付け憲法かといえばそうとも言えない。日本側の意見も反映されている。

    奥平氏は立憲主義とは国家の問題、民主主義というのは社会の問題。ジョン・ロールズは「民主主義的な立憲主義」を気に入って使っている。
    「すべての人間を尊重することこそが民主主義であっての根幹であって、全員が政治決定に参加することが民主主義ではない。」p.87ということはまず第一に国民一人一人の基本的人権の尊重があって、次に憲法は国家を縛るものという順番になる。

    少なくとも今の日本国憲法は平和な国をつくるというメッセージがある。自民党の憲法改正案はどのような国にしたいというメッセージが無く、改憲することが目的となってしまっている。また集団的自衛権についても、独自の平和憲法をもつ日本が常任理事国すること貢献していこうという考え方ではなく。軍備を強くして常任理事国に認めてもらおうという他国に合わせた思考になってしまっている。

    憲法は国がどうありたいかを国の内外にそれを示すものだ。憲法くらいの文章でなら日本の理念はしっかりと語れる。憲法はそこ向かっていく為の大きな目標なのだから、理想でいい。ただ「美しい国」というようなあまりにも詩的な言葉で語ることは意味が無い。集団的自衛権はどう結びつくのかわからない。

  • 憲法改正は並大抵のことではないし、これを支配層が簡単に考えられるような時代ではもはやない。それよりも、日本国民が日本国を憲法貫く普遍的な原理を突きつめ、掘り下げ、そのことによって世界の平和に貢献していくべき時期ではないか。

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著者プロフィール

奥平 康弘
奥平康弘:

「2017年 『新装版 なぜ「表現の自由」か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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