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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784270002148
作品紹介・あらすじ
『ガッチャマン』『ポケモン』『トトロ』から『ハルキ・ムラカミ』まで-日本のポップ・カルチャーはクールだ!なぜ、今、マンガとアニメがアメリカで受けるのか?浮世絵、禅に続く、日本文化偏愛の「第三の波」を、日米の最前線からリポート。
感想・レビュー・書評
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【推薦文】
いまや日本のマンガやアニメは世界的な広まりを見せている。本書は、そんな日本のマンガやアニメといったポップ・カルチャーの特殊性や、西洋文化との相違などを描いた作品である。マンガやアニメ好きの方にオススメの一冊。
(推薦者:生命工学科 B2)
【配架場所】
大岡山: B1F-一般図書 778.77/Ke詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
POPな表紙とは裏腹に中身は割りときっちり分析した業界の問題とか多くの人へのインタビューとか載っている。
現在の業界とか、展望、後継者をどうするのかとか。
手塚の功罪。
宮崎との違い。
表紙に良い意味で騙された良いビジネス書。 -
「お寿司が食べられない、あるいは食べたくないという人は、とてもじゃないがニューヨークでデートの相手は見るからない」 これが”ジャパナメリカ”である。
「ジャパナメリカ」は、もちろん日本のポップカルチャーが、アメリカに影響を与えている現代の状況を表現する造語である。本書の目的は、海外の人々が日本文化に心酔するジャパノフィリアと呼ぶもの(クール・ジャパン現象)がどうして起ったのか、その原因を探ることである。
著者は、アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれ、日米両国に育ち、住んでいるので、両国の事情に通じ、偏らない見方ができるようだ。しかも、取材やインタビューを丹念に繰り返して、この本を執筆している。本格的なレポートといってよい。日本側でインタビューをした人物には、村上春樹、村上隆をはじめ、他に日本のアニメ産業にたずさわる中心的な人物たちにもふくまれる。著者のあとがきによれば、この本の英語圏での反応は圧倒的で、アメリカ、日本(英字)、イギリスの主要紙で取り上げられ、称讃されたという。
なぜ今、日本のポップカルチャーがアメリカ、そして世界に広汎に受け入れられるようになったのか。日米のこの分野にかかわる何人かが、著者とのインタビューでこの問いに答えている。著者自身は、それらのインタビューに刺激されながら、この問いに次のように答えている。
「1970年代や1980年代、日本が世界的に認められるようになる中で、活躍中の前衛的なアーティストたちはアメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアの諸文化から気に入ったものだけを習得し、独創的な作品を作り出した。ただし、彼らアーティストの作品は、ものの見方、視覚的アイコン、物語上の前提、そして空想で構成された文化的基盤の核心部分を共有する、自国の列島に住む観衆だけに向けられていた。徳川時代と同じように、日本は熱心に他国の文化を研究しながら、国内の観衆だけを相手に、クリエイティブな表現を磨いていたのだ。」
外国から習得したものを伝統と融合させながら、文化を共有する日本人だけにむけて表現を熟成していった結果、アメリカの若者にとって新鮮に感じられるポップカルチャーが出現したというわけだ。それが今や硬直ぎみのアメリカのポップカルチャーの代替物になろうとしている。
もちろん以上は、日本のポップカルチャーが世界に受け入れられる原因のひとつに過ぎないだろう。この本自身が、もっと多方面にわたる分析をしている。追ってそれを紹介しながら、この本ではほとんど触れられていない、日本の文化的な伝統という要素も視点に入れて、私もこの問いを考えてみたい。
日本のアーティストたちが、「アメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアの諸文化から気に入ったものだけを習得し、独創的な作品を作り出した」、そしてその独創性が今、クールと感じられ、世界に受け入れられている。著者のこの指摘は、確かにあたっているだろう。しかし、そのようなことは世界の他の文化のなかでも起らないのだろうか。なぜ、日本では、文化の混ぜ合わせのような状態からクールなポップカルチャーが生まれてくるのだろうか。日本でとくにそのようなことが起る理由については、この本では触れていない。
日本には、異質な文化のパーツを自分の社会に平気で取り入れられる「混合文化社会」であり、原則にこだわらない融通無碍を特色とするという文化的な背景があり、それが強みになっているかもしれない。今、地球上の多くの国々は、キリスト教やイスラム教という一神教を文化の根っこにもっている。あるいは、ヒンドゥー教のような多神教でも、はっきりしたタブーがあったりする。そうするとどうしてもその教えの原則に合わない文化はたとえ無意識にでも排除してしまう傾向がある。日本の文化にはそれがないから、自分が気に入ったものを自由に取り入れて、そこから独創的なものを生み出す可能性がそなわっているのかもしれない。
また、日本に一神教がほとんど広まらなかったことと関係するが、そのためか現代の日本人の心の深層に、古代的なアニミズム的な心性がっかなり残っている。動物はもちろん、山や森や川にさえ魂を感じる世界観が、私たちの心の中に残っている。宮崎アニメは、かなり自覚的にそういう世界観を表現するが、日本人が作り出す、他のアニメやマンガにも多かれ少なかれ、そのような世界観が反映されていないだろうか。そして、それが日本のポップカルチャーが、世界中でクールと受けとめられるひとつの理由になっていないだろうか。
一神教的な文化にしばられない自由さ、一神教的なものに押し殺されない、古代的な生命観の魅力、これまで世界の主流であった文化にない何か新しいもの(同時に古いもの)、それがが混ざり合ったクールな魅力を発しているのではないだろうか。
(このあたりの議論については、『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)』を参照してください。) -
正直もっと儲かっているんだろうと思っていました。この業界。
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英語版を持っているけど、図書館で借りて日本語版を読んでしまった。
日本のアニメのどこがいい、とかそういう分析本ではなくてアニメビジネスがかかえる問題点にまで言及した本。
日本は著作権、知的財産権に疎かったためにアニメが稼げない。そのせいで若者は新たにアニメ市場に参入しにくくなり、後継者不足に悩むこととなった。しかし、日本のアニメ、マンガの質の良さは商業目的でなく、純粋に楽しむために作られているからだ、と言う意見もある。今日本は後継者をとるために商業ベースに乗り入れるか否かを選択する時だが、そうすると今までと同じ質のアニメが作れるかどうか分からない。ある種のジレンマに陥る。
商業的に潤うようにして、ハリウッド映画のようになってしまったらやだな・・
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