最後の授業 DVD付き版 ぼくの命があるうちに

  • 武田ランダムハウスジャパン
4.09
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784270003503

作品紹介・あらすじ

今日の次には明日が来て、その先にも新しい日が待っている。そうやって、当たり前のように人生はつづいていく。しかし、これから先もずっとつづくと思っていたその人生に「終わりの時」があると知ったとき、あなたは何を考えるでしょうか?ランディ・パウシュの最後の講義に耳を傾けながら、心の中で問いかけてください。あなたにとって、大切な人はだれですか?その人に今いちばん伝えたいのはどんなメッセージですか。

感想・レビュー・書評

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  • また、会ったこともない人を看取った感覚。日本人ではなかなか言葉にならないブラックジョーク(笑) 生を使い切るってこういう生き方なんだろう。まあ、自分が逝くときは間違いなく最後の授業をできるような状況ではないだろうが、たった一人でもいいから聞いてほしい、覚えていてほしいというちっぽけな望みだけをもって生きよう。そう、パンドラの箱の底に残る“希望”のように。

  • 副題「ぼくの命があるうちに」アメリカの大学では、しばしば人気教授が「人生最後の機会」と想定し、特別講義を行うことがあるそうです。パウシュ氏の講義もその一つではあったのでしょうが、彼の場合は癌で余命半年と宣告された直後だったので、正真正銘の最期の講義であり、全世界へ発信されたのでした。
    図書館で借りたのにはDVDが付いておらず、残念ながら動画は観られませんでした。それでも、この一冊からは死期を覚悟したランディ・パウシュ氏の残された時間を最大限有効に生き抜こうという心の叫びが伝わってきますし、最愛の家族や今までの人生で感謝したい人たちへのメッセージ、講義を聴きに集まってくれた若者たちへの夢を実現するためのアドバイス、ひいては自分亡き後、未来の若者になる3人の子供たちへの父親としての溢れるばかりのメッセージを確かに受け取ることができます。
    彼の生への前向きで楽観的なスタンスには脱帽です。どんなに困難が前に立ちはだかろうとも彼曰く、「煉瓦の壁がそこにあるのには、理由がある。その壁の向こうにある何かを自分がどれほど望んでいるのか証明するチャンスを与えられているのだ。」と生涯を通して繰り返し言い聞かせてきたのだそうです。
    この本は決して彼の「遺書」ではなく、生へのパワーとたくさんの愛を感じさせてくれる渾身の一冊です。

  • 再読終了。子を持つ立場で読むと胸に迫るものがある。実際の最後の講義をまとめたDVDも再度観ないとな。

  • 著者はすでに亡くなった。

    海外の格言の中には、
    日本ではズバリ言い当てられていないような、
    シンプルに本質を突くものがある。
    たとえば本書の、
    「部屋に象がいたら、まず象を紹介しなさい」
    など。
    特にこの本はタイトルどおり最後の授業なので、
    良質のそれらがちりばめられている。

    「なぜ生きる」という問いがあるとしたら
    これから長くは生きられない人こそが
    それに近づく説得力ある話をしてくれる、
    と感じた。

  • ずっと前にこの人の動画見て、感動。

    長い月日がたってついこの間偶然に本を発見。即読了。

    やっぱ感動。限りある人生を大切に生きていきたい。

  • CMUのランディ・パウシュ教授の最終講義を収めた本。膵臓ガンに侵されて余命半年を宣告された中での最終講義であり、また、笑い・感動・パフォーマンスがふんだんに詰まっていたこともあって、当時から動画サイト等で大きな話題になった。本書にも最終講義のDVDが付属している。で、肝心の内容だが、たしかに講義内容は「コンテンツ」としては優れているけど、死にゆく人間が無責任に若者をアジっているだけのようにも聞こえるため、私としてはあまり評価したくない。こういった「最後の底力」は、文学・音楽・絵画などの「作品」として残してもらった方が有益かな、と思ったりもする。

    本書は、自分の「死生観」を考えるキッカケにできるなら、それなりに有効に活用することが可能である。1つの思考実験として、今この瞬間、「余命半年」を宣告されたと仮定しよう。その時、私はどのように行動するだろうか?私の考えた答えは以下の①~④のとおりである:

     ①会社や仕事でお世話になった人々に「最後の挨拶」をする。関東周辺の友人・知人に会う。
     ②福岡と札幌と豊橋と名古屋にいる私の恩師を順番に訪ねて「最後の挨拶」をする。それぞれの地の友人・知人に会う。
     ③先祖のお墓を訪ねて、「もうすぐそちらに行くこと」を報告し、「子孫を残せなかったこと」を詫びる。祖母に会う。親戚筋には、しかるべきタイミングで両親からそれとなく伝えてもらう。
     ④実家に戻って、所持品と資産を整理した後は、たまに地元の友達と会ったりしつつ、両親のもとで最後の瞬間までグータラして過ごす。迫りくる死の恐怖に怯えながら…。
     ※「最後の挨拶」は余命を伝えることを意味し、単に「会う」場合は余命について触れないことを意味する。

    要するに、今の私は、半年後に死ぬと決まったら、「挨拶回り」くらいしかやるべきことが思いつかないのである。人生でやりたいことは、だいたいやり切ってしまった、ということなのかも知れない。実際には、少なくともあと40~50年は生きる気マンマンなので、それなりにやれることはまだまだあるでしょうけど。

  • 高校生の時に一度読んだが大学生になって読み返すとまたこの本の重さ(?)が一段と響いてくる。僕もいつか家族を持ったとしたら、もう一度この本を読み返したい。

  • 自分が死ぬとわかっている極限状態で、最後まで、よりよい生き方を追求し続ける姿勢に勇気をもらい、自分の生き方を振り返る助けになると思った。そして、素晴らしい教育者でもある。一番印象的だったのは、「教育者の役割は、学生が内省する手助けをすること。人間が向上する唯一の方法は、自分を評価する能力を伸ばせるかどうかだから」というくだり。自分を含めた大人に対しても当てはまると思う。

  • 癌を告知され、余命数ヶ月の時に何を考えるかはわからないけど、それを受け入れ、最後まで人生を楽しむ事が出来れば本当に素晴らしいと思う。
    自分の生きてきた証を残したり、愛する人達と出来るだけ沢山の思い出を共有したり、自分がいなくなった後、彼らが困る事の内容最大限の努力をしたり。。

    彼は本の中で、癌によってそれについて、愛する人と話をする時間を与えてもらえたと言っていた。交通事故ではそれすらもできない。
    人は自分の死に方を選ぶ事は出来ない。いつなんどき、何によって命を落とすとも知れない。
    彼のように、十分な準備をする時間を与えてもらえないかもしれない。
    なら、普段からいつ何が起きても、後悔しないように生きていくべきなんじゃないかな。
    普段から自分の夢をかなえるために最大限の努力をして、愛する人を大事にしていく。
    そういう風に生きていきたい。

  • フジTVのエチカの鏡で紹介されたのをきっかけに読みました。余命を宣告されたとき自分ならどうするか?文中に出てきた牧師の「家族のために心の保険をかけておくように」という言葉に感動しました。

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