美のポリティクス (叢書・アレテイア 2)

  • 御茶の水書房 (2004年1月5日発売)
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本 ・本 (300ページ) / ISBN・EAN: 9784275003058

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  • パラノイアが厳格で嫉妬に満ちた世界の統合あるいは構造化の病理だとしたらコミュニケーションや情報、これらすべてのネットワークに内在的ば乱雑さ、それらの継続的な結びつきによって我々はいまや新しい形態の分裂症の中にいるーー分裂症に特有のこうした恐怖の状態だけが存在する。つまり全てのものの極度な近接性、かれをそれ以上防衛する私的な防御の輝きもなく、かれ自身の身体もなく、抵抗なしに接触し、包囲し、貫通する全てのものの不純な乱雑さなどは分裂症的。
    ジャン・ボードリヤール

    分裂症の二種類ー

    ストリンドベルクとスウェーデンボルグ:分裂症は対象的性質のもの。深淵が存在するとしても対象的なな把握可能なものを通してであり、それはしばしば却って平板な奇怪な印象を与える。本来の痴呆は来ることなく、文学的行動能力は末期状態においても存続する。
    ヘルダーリンとフォン・ゴッホ:作品の内的な形式さらには創作者自身の変化をも規定する。深さと新奇さは全く主観的に体験されたものであり、二次的には想像的表現(形態、表象、概念、比喩)として対象的となるが本来は決して対象的となりえない。作品は一定期間暴風的な心的激動の裡に発生し、次で人格の解体過程がますます強くなり、末期状態では創造能力及び文学的行動能力は消滅する。

    人格荒廃に向かうタイプとそうでないタイプが創作性と結びつく。

    詩人は言葉をその限界まで駆り立て、そこに沈黙を忍ばせようとする。芸術家はますます不在への傾きをしめす。

    創作は素材の支配、封じ込めを意味する。
    表現のあり方が問われるのは絶対にして無限なものを前にしてこれに表現をもたらそうとするとき。アドルノー生を失ったものの言葉はあらゆり意味をも失った死に対して最後のなぐさめとなる。

    一方で沈黙は計り知れない恐怖や苦痛をかろうじて表現する。
    感性の上での超越と脱魔術化はベケット作品にあっては沈黙において一つに響く。意味から遠のいた言語はもはやものをいう言語でないことからして沈黙に近づく。おそらく超越したものと似た形であらゆる表現しては沈黙のもとに凝縮しているかもしれない。
    とくに「勝負の終わり」

    超越とは真なるものが何にも覆われることなくありありと現存しているさま。

    アーレント:政治を一種の演劇とみなす。 政治の持つ統合と排除の側面でなく、個々のアクターの演技が、その意味と価値が、観客としての他者のまなざしとの関係で規定されていることを示すため。


    分散した状態での受容はあらゆる芸術の領域でますます顕著になり、統覚の深層で変化の兆候になっている。

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著者プロフィール

哲学者、金沢大学法学類教授。
1963年、広島県呉市に生まれる。東京大学大学院総合文化研究科地域文化専攻研究博士課程修了(学術博士)。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。難解な哲学害を分かりやすく読み解くことに定評がある。
著書に、『危機の詩学─へルダリン、存在と言語』(作品社)、『歴史と正義』(御 茶の水書房)、『今こそア ーレントを読み直す』(講談社現代新書)、『集中講義! 日本の現代思想』(N‌H‌K出版)、『ヘーゲルを越えるヘーゲル』(講談社現代新書)など多数。
訳書に、ハンナ・アーレント『完訳 カント政治哲学講義録』(明月堂書店)など多数。

「2021年 『哲学JAM[白版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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