教育問題はなぜまちがって語られるのか?―「わかったつもり」からの脱却 (どう考える?ニッポンの教育問題)
- 日本図書センター (2010年9月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
- / ISBN・EAN: 9784284304429
作品紹介・あらすじ
大モンダイの教育問題。これってホント?「わかったつもり」がいちばん危ない。
感想・レビュー・書評
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教育についての本ではなく、「教育問題」の見方についての本。大学生や高校生に読んでほしい。一般の人にもおすすめ。教育問題は自分の経験上、すべての人が一家言ある問題なだけに、教育に携わる人だけではなく、すべての人にこういう見方をするのだよ、と示唆する本になっている。
教育に既に携わっている人には、やや物足りないかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
誰もが語ることのできる教育問題。
それゆえに根拠の薄いことも頻繁に唱えられ、さらには間違った言説がまかり通ることも。
本書は主にメディアから発せられる教育に関する問題について、その歪みを解説し、情報をどう読めばよいか解説した本。
多くの人がこの本の内容を共有してくれれば、世の中にはもっと建設的な議論が増えると思う。 -
文脈から「想像、仮定」を構築し、「わかったつもり」を解消し、「わかる」から「よりわかる」に。
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『教育問題』について、考えさせられた。
自分の見方・考え方って、
結構偏ってたなぁ、とか
論理的じゃなかったなぁ。とか
うーん、もうちょい勉強しなきゃ! -
201107/
教育問題に限らず、あらゆる社会的な問題は、三種類のレベルで議論がなされています。1)事実認識のレベル(問題となっている事実は何か)、2)診断のレベル(問題点の本質や原因・影響をどう考えるか)、3)対策のレベル(どういう方法で問題が解決・緩和できるのか)/
世間の人たちの多くが、「現代の家族は人間関係が希薄化し、親子間のコミュニケーションが少なくなり、家庭の教育力が低下している」と考えているが、一方で、「自分たちの家族のつながりは強いほうだ」という人が9割近くを占めている。/
何でもかんでも「心の問題」/
木にたくさんなっているリンゴの一個一個が木から落ちた理由をみると、実が熟して重くなったからとか、風が吹いたからとか、カラスがつついたからとか、人が食べようと思って木を揺すったからとか、いろいろなケースがあってまちまちです。しかしこれらは、リンゴが木から落ちた「理由」というよりは、一つ一つのリンゴの実が落ちるに至った「契機(きっかけ)」と呼ぶべきものです。そしてきっかけとしてはどれも正しいでしょうが、すべてのリンゴの場合に当てはまる「本質的」な理由ではありません。そもそも、あらゆるリンゴがいつかは木から落ちる本質的な理由は、言うまでもなく引力があるからです。その引力が働いてリンゴが落ちることになったきっかけはいろいろあり、それは重くなったり、風が吹いたり、カラスがつついたりといったことですが、これをいくら集めても、引力という「本質」にはいきあたらない、つきとめることはできないというわけです。/
不登校やいじめや少年非行などの問題は、特に社会現象として見たときには、もっと別の見方が可能になります。「心の問題」として個別的に、個人化して見るだけでは見えてこない、教育や社会全体の構造の問題もあります。また歴史的に見れば、いまのように不登校が増える前、1960年代から70年代という時代は、多くの子どもが学校を休まずに通っていた例外的で特異な時代だった、という見方もできます。こういう角度から見ると、現在の不登校の増加は、単に「問題」「病気」というのとはまったくちがった見え方をしているので、ちがった対策の可能性が導かれることにもなります。たとえば、「ある程度の割合の子どもたちは、さまざま理由から、『学校にいかない』という行動を選択するものだ。だから、そういう子どもたちが社会からはじき出されない仕組みを作るのが、何よりも重要だ。彼らがそれなりに学力をつけることができて、進学や就職で不利にならない仕組みを準備してやれば、多様な生き方の一つにすぎなくなる」というふうに。/ -
教育だけではなく、
情報全般に対するリテラシーとしても
たいへん勉強になります。