教育問題はなぜまちがって語られるのか?―「わかったつもり」からの脱却 (どう考える?ニッポンの教育問題)

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  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784284304429

作品紹介・あらすじ

大モンダイの教育問題。これってホント?「わかったつもり」がいちばん危ない。

感想・レビュー・書評

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  • 教育についての本ではなく、「教育問題」の見方についての本。大学生や高校生に読んでほしい。一般の人にもおすすめ。教育問題は自分の経験上、すべての人が一家言ある問題なだけに、教育に携わる人だけではなく、すべての人にこういう見方をするのだよ、と示唆する本になっている。
    教育に既に携わっている人には、やや物足りないかもしれない。

  • 誰もが語ることのできる教育問題。
    それゆえに根拠の薄いことも頻繁に唱えられ、さらには間違った言説がまかり通ることも。
    本書は主にメディアから発せられる教育に関する問題について、その歪みを解説し、情報をどう読めばよいか解説した本。
    多くの人がこの本の内容を共有してくれれば、世の中にはもっと建設的な議論が増えると思う。

  • 「リアルから迫る教員採用小論文・面接」にも通ずる内容。
    社会科学的な見方で居酒屋談義レベルに陥りがちな「教育問題」を
    再検討する。

    筆者曰く「教育問題」などの社会問題は3つのレベルで議論を呼ぶ。
    1事実認識レベル-問題となっている事実は何か
    2診断レベル-問題店の本質や原因、影響をどう考えるか
    3対策レベル-どういう方法で問題が緩和・解決できるか

    本書ではこのそれぞれのレベルにおいて、我々が陥りやすい誤りを
    指摘し、一歩引いた視点から「教育問題」を見つめなおす提案をする。

    かなり分かりやすい文章で学の無い読み手としては助かる。
    巻末のブックレビューも、今後の読書の参考になる。

  • 文脈から「想像、仮定」を構築し、「わかったつもり」を解消し、「わかる」から「よりわかる」に。

  • 『教育問題』について、考えさせられた。

    自分の見方・考え方って、
    結構偏ってたなぁ、とか
    論理的じゃなかったなぁ。とか
    うーん、もうちょい勉強しなきゃ!

  •  教育問題は、言説と活動という道具を使って社会の多くの人たちに問題だと認めてもらうことによって成立する「つくられる」ものであるということが分かった。
     個人的な問題に過ぎなかったことを、誰かが「問題だ」という声をあげ、事態を記述したり説明したり、解釈したりする言説が登場することで社会的なレベルの問題へと据え直される。
     
     新しい視点を与えてもらえて良かったと思う。

  • 201107/
    教育問題に限らず、あらゆる社会的な問題は、三種類のレベルで議論がなされています。1)事実認識のレベル(問題となっている事実は何か)、2)診断のレベル(問題点の本質や原因・影響をどう考えるか)、3)対策のレベル(どういう方法で問題が解決・緩和できるのか)/
    世間の人たちの多くが、「現代の家族は人間関係が希薄化し、親子間のコミュニケーションが少なくなり、家庭の教育力が低下している」と考えているが、一方で、「自分たちの家族のつながりは強いほうだ」という人が9割近くを占めている。/
    何でもかんでも「心の問題」/
    木にたくさんなっているリンゴの一個一個が木から落ちた理由をみると、実が熟して重くなったからとか、風が吹いたからとか、カラスがつついたからとか、人が食べようと思って木を揺すったからとか、いろいろなケースがあってまちまちです。しかしこれらは、リンゴが木から落ちた「理由」というよりは、一つ一つのリンゴの実が落ちるに至った「契機(きっかけ)」と呼ぶべきものです。そしてきっかけとしてはどれも正しいでしょうが、すべてのリンゴの場合に当てはまる「本質的」な理由ではありません。そもそも、あらゆるリンゴがいつかは木から落ちる本質的な理由は、言うまでもなく引力があるからです。その引力が働いてリンゴが落ちることになったきっかけはいろいろあり、それは重くなったり、風が吹いたり、カラスがつついたりといったことですが、これをいくら集めても、引力という「本質」にはいきあたらない、つきとめることはできないというわけです。/
    不登校やいじめや少年非行などの問題は、特に社会現象として見たときには、もっと別の見方が可能になります。「心の問題」として個別的に、個人化して見るだけでは見えてこない、教育や社会全体の構造の問題もあります。また歴史的に見れば、いまのように不登校が増える前、1960年代から70年代という時代は、多くの子どもが学校を休まずに通っていた例外的で特異な時代だった、という見方もできます。こういう角度から見ると、現在の不登校の増加は、単に「問題」「病気」というのとはまったくちがった見え方をしているので、ちがった対策の可能性が導かれることにもなります。たとえば、「ある程度の割合の子どもたちは、さまざま理由から、『学校にいかない』という行動を選択するものだ。だから、そういう子どもたちが社会からはじき出されない仕組みを作るのが、何よりも重要だ。彼らがそれなりに学力をつけることができて、進学や就職で不利にならない仕組みを準備してやれば、多様な生き方の一つにすぎなくなる」というふうに。/

  • 教育関係者以外に事実ではなく、どうしてあやまった情報が大きくなっていくのか、その潜在的な構造について、物語的に説明した良書。

    教育問題は噂程度の話が大きくなることが多い。それらをどうやって真実とみわけるか、また構造上そのような報道が大きくなるのか、分かった上で判断したい人にはお勧め。

  •  教育問題の議論をめぐる問題点を抉り出した本。

     まず、教育問題となると、権威主義的、実感主義的、体験主義的、情緒的な言説が飛び交います。すなわち、

    ・「今の子供は自由と自分勝手を履き違えている。とにかく体罰によって言うことを聞かすべき。体罰に反対する連中は頭でっかちで何もわかっていない」
    ・「自分は体罰を受けたからやっていいことと悪いことの判断が付くようになった。今の子供にもそうすべきだ」
    ・「昔も若者はもっとしっかりしていたのに、最近の若者はマナーが悪く、勉学にも就職にも消極的だ」
    ・「○○国の若者は目が輝いていて素晴らしい。それに比べて日本の若者のなんとだらしないことか」
    ・「ダメ親、ダメ教師が増えた」
    ・「少年犯罪やいじめは多発化、凶悪化、低年齢化している。心の闇をなんとかしないと」

    といったようないい加減な内容。この中には既知の情報も多くありましたが、「教育で対処できることとできないことを峻別する必要がある」という「教育万能主義」の見直しは新しい視点だった。

     上記のようなトンデモ言説の対処法として

    ・(教育をめぐる事件の発生原因やトンデモ言説が蔓延する)社会的要因を考える
    ・偏った情報にも耳を傾けた上で改善する
    ・「よくないもの」、「よりよいもの」を選別する
    ・「偏りのない、無色透明な言説」は存在しないことを自覚する

    といったことが列挙されている。ここだけピックアップすると何だか情報リテラシーの本みたい。この本は高校生や大学生といった若い世代も対象にした本らしいので、それでいいのかもしれないが。

     この本は実直でまともなことしか語っていない。逆に言えばまともなことしか語っておらず、私にとっては斬新さと面白味に少々物足りなさが残ったが、お勧めの一冊で。

  • 教育だけではなく、
    情報全般に対するリテラシーとしても
    たいへん勉強になります。

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著者プロフィール

1959年生まれ。現在、日本大学文理学部教育学科教授。研究領域は、近現代の教育を広く社会科学的な視点から考察する教育社会学。1997年、『陸軍将校の教育社会史』(世織書房)で第19回サントリー学芸賞受賞。著作に『教育は何をなすべきか――能力・職業・市民』(岩波書店)、編著に『歴史としての日教組』(名古屋大学出版会)など多数。

「2022年 『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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