- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784299008985
作品紹介・あらすじ
プロデュースした「神田伯山ティービィー」がYouTubeチャンネルとして史上初めてギャラクシー賞を受賞した関口ケント氏。
テレビのADからスタートし、YouTubeチャンネルの制作で名を上げた業界注目のクリエイターが、「視聴メディア」の現状と未来を描きます。
レガシーメディアとYouTubeの関係はこれからどうなっていくのか? まさに時代を変えようとしている張本人による、広告業界も含めたメディア業界の変革・未来予想図です。
●30歳の戦略家が見通すメディア革命のリアル
●あらゆるビジネスで参考になる新時代の思考法
●なぜ、芸能人はユーチューバーを目指し、ユーチューバーは芸能人を目指すのか?
●ヒカキンに学ぶ「横に面を取る」
●政治や選挙戦もYouTubeで変わる
●「フィット3原則」を示したカジサック、中田敦彦、本田翼
●インフルエンサーである<人>そのものがコンテンツでありメディアである時代
●地方創生・観光誘致もシフトチェンジ
1章 YouTubeとオトナ、YouTuberと若者
ジェネラリストの北野武さんは
元祖ユーチューバーだ
自分でつくり自分で背負う
ユーチューブの本質を
知らない芸能界と
人気ユーチューバーの違い
ユーチューブでウソはダメ
視聴者に信頼されるための
目線の高さと共感性
2章 YouTubeと芸能界、YouTuberと芸能人
「認知度」か「人気度」か
業界関係者も気づいていない
芸能人とユーチューバーの評価軸
チャンネルを育てるカギ
アンチの「レコメンド機能」と
ヒカキンに学ぶ「横に面を取る」
カリスマ的な「神主属性」が重要
信者を抱えたいと意識し続けること
パーツではなく発信する人間へ
ほか
3章 YouTubeとテレビ局、YouTuberとテレビマン
高視聴率でも広告売上減
いよいよテレビ局員が
逃げ切れなくなってきた
「見える“つくり手”」にファンが付く
自局の制作者を前面に打ち出す
テレビ東京は「わかっているな」と
ネトフリ、アマプラ、アベマ……
しのぎを削る有料配信サービス
テレビ局に代わる役割は?
ほか
4章 YouTubeと広告、YouTuberと消費
「必ずバズる方法論」なんて大ウソ
マーケティング的視点と思考で
地道にコツコツという姿勢が最重要
ユーチューブは「競合」より「協業」
そして共感できないことやウソは
絶対NGという暗黙のルールが
ほか
5章 YouTubeとビジネス界、YouTuberと日本社会
政治や選挙戦もユーチューブで変わる
地方創生・観光誘致もシフトチェンジ
最終的には民主主義自体さえも変革
子どももコンテンツの質を求める
情報のセレクトという新しいスキル
「やらせ」が「やらせ」じゃない側面
ほか
感想・レビュー・書評
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背ラベル:007.3-セ
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この本で重要なキーワードは「共感性」と「正直」の2つ
作者自身がテレビ局で働いていた経験があるため自分にはない視点からテレビやYouTubeのメリット、デメリットを理解することができた
最近自分がテレビに持つモヤモヤした気持ちを全て代弁してくれた
全体的にテレビのことを批判している作者が、ところどころテレビ局を擁護するような内容があって気になった
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Youtubeの本質を理解している人がどれだけいるだろうか。すでにYoutubeの存在は我々の子供時代のテレビと同義なのだ。
ここにきてYuotubeの進化が目覚ましい。
「そんなの何年も前からじゃないか」という人はまだその本質を理解していないと思う。
Youtuberが「小学生の『将来なりたい職業』ランキング」で話題になったのも何年も前の話。
当然にYoutubeは技術的に日々進化を繰り返している。
しかしながら本書で説いているのは技術の話ではない。
完全に「我々」という「ユーザー側」の話だ。
つまり「利用する側」「動画を投稿する側」の意識が大きく変わったのではないか?ということだ。
厳密に言えば、意識が変わったという話よりは、「世代が進んだ」というべきか。
Youtuberも10年経てば10歳年齢を重ねる。
Youtubeに触れる人々も、10年間で世代ごと10年分上に上がる。
これは当然のことだ。
子供の頃からYoutubeに親しんでいた人は、その当時からYoutubeだけを見て育ち、テレビは全く見ないで育ったのだ。
そんな人たちが10年経って子供ではなく、大人になったという訳だ。
そのYoutuber世代の人たちは、大人になったからと言って急にテレビを見る訳ではない。
もちろん、Youtubeをそのまま見続ける。
そして、何なら「配信する側」に変化していく。
そんな世代がどんどんと年を重ねる訳だから、当然にテレビ視聴は減り続け、Youtube視聴は増え続けるのだ。
かつて娯楽の王様であった「映画」という産業は「テレビ」というイノベーションによって駆逐された。
(しかし現実的には、2022年の今でも映画産業は細々ながら残っている)
これと同じ事が起こるということなのだ。
すでに「テレビ」という産業は「Youtube」に駆逐され始めている。
人々が触れるエンタテインメントは、テレビでなく、確実にYoutubeに変化している。
今の30代以上は子供の頃からテレビを見て、テレビが生活の一部だった時代を知っている。
しかし、今の20代は子供の頃からYoutubeを見て育っている。
Youtuberをカリスマのように感じて育っているのだ。
だから「YouTubeが(かつての)テレビになる」ということなのだ。
2022年夏に報道されたが「前年日本でのYoutube経済効果は3,500億円以上」とのことだ。
ちなみに2020年は2,390億円らしいので、1年間で1,000億円以上も拡大したという計算となる。
「経済効果」ということだから、単純にYoutubeの売上とは言えないだろうが、考えた方としては近いのかもしれない。
単純比較はできないが、東京キー局の1局の売上規模は大体2,000億~3,000億円だ。
もはやテレビ局1局と同等の影響力を持っていると言っても過言ではないような気がする。
さて、ここまできたらテレビ局への問いは1つだ。
「敵対するのか?・協調するのか?どっちだ?」ということ。
個人的には敵対してもここはもはや勝ち目がないように思う。
協調路線を張ることが正しい戦略と思うのだが、話はそんなに単純じゃない。
何を譲って、何を守るのか?
どこを協調し、どこを敵対するのか?
単純な白黒でなく、グレーゾーン(グラデーションと言ってもいい)の階層を非常に細かく見ていく必要があると思うのだ。
Youtube(=Google)はあらゆるデータを解析して、高度なテクノロジーで最適解を導き出す。
今までのような「ざっくりとした視聴率」「ヒットコンテンツを生み出すのは制作者の長年の勘」というのも限界が来ているのは確かだろう。
我々が生き残るためにはYoutubeを使いこなさなければいけない。
もちろんあらゆる視聴情報はYoutube側が持っている。
我々に開示してもらっているのは、その一部だけかもしれない。
そういう不利な状況下でも、我々はYoutubeを逆に分析し、使い倒すつもりで協調路線を組むことが今はよいような気がする。
もちろん異論を持つ人は多いだろうし、そういう意味でも様々な人と議論をしてみたい。
テレビとは何なのか?
そして、Youtubeとは何なのか?
時間はかけたくないが、今はそういう時なのかもしれないと感じた。
(2022/9/3) -
内容が薄い。2日で読めます。
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youtubeとは一体何なのか。
テレビが衰退し、youtubeが躍進している理由を的確に分析しています。
メディアコンテンツとしてyoutubeはまだまだ伸びていくと思いますが、テレビがこのまま消えてしまうかと言えば私はそうは思っていない。
ただこの本でも警告していますが何も変わらず今まで通り続けていたらきっとテレビは誰も見向きもしなくなってしまうでしょう。
情報を発信する側の人間だったら読んでおいて損はない内容だと思います。
youtubeの舞台裏を覗かせているような内容は単純に面白く読めました。