- Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
- / ISBN・EAN: 9784305707352
作品紹介・あらすじ
今、江戸文学の「古典」として取り上げるべきものは何か。
新たに「古典」を掘り起こすとしたら、どういうアプローチがありえるのか。
挑戦的、挑発的に実践する、現代語訳付き名文解説。
時代を越えて読み継がれ、それぞれの時代の価値観の中で読み替えられ、常に新たな外套をまとって我々の前に姿を現す「古典」を、既存の古典文学全集とは違う「古典」を、新たに汲み取り、光を当てる。
執筆は、井上泰至、川平敏文、一戸 渉、田中康二、高山大毅、勢田道生、池澤一郎、木越俊介、佐藤至子、日置貴之。
【江戸文学といえば、庶民の文学、というレッテルは、未だに高校の教科書レベルでは固定化してある。そして、小説・俳諧・演劇という三分類から、代表作者と作品を選び、これを特権化してきた。しかし、それは近代の眼から見てすくい上げやすいものを焦点化してきたのではなかったか?
近代の文学に対する目そのものが問い直されている時代、豊富な作品のある江戸文学から、見逃され、忘れられてきたものについて問うことは、文学への新たな見方を教えてくれるものになりはしないか? もっと言えば、近代の価値観に欠けているものを、認識させてくれることにつながるのではないか?
それまでの時代よりも、江戸時代に多くの古典たるべき作品の候補があるということは、それだけ多種多様な、日本語による文章の試みが行われ、名文が残されてきたことを意味するわけで、そうした日本語世界の言葉の森を一般にも知らせることが、私たちの急務なのではないのか?】...本書「序」(井上泰至)より
感想・レビュー・書評
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某メルマガで執筆者の書評を読み、興味を持ってみたりした訳ですが。
書評の筆者は「西鶴・芭蕉・近松、あるいは蕪村・秋成・馬琴・一茶・南北。。。今も昔も、江戸文学の定番と言えばこのあたりだろう。しかし、こういう優れた「作家」の「作品」だけが「古典」なのだろうか。」と問題定義をして、それら文学の定番を「偏食」と言い換え、江戸文学には「小説・詩(俳諧)・演劇といった近代の「文学」ジャンルには納まりきらない作品が、「文学」以上に多くある。そこを切り落としてしまったら、江戸文学の実態は半分だけしか見えない」のではないかと。んでもって、「従来の定番以外に「古典」たるべき作品を「選び直」」したという。
うーん。確かに、江戸時代の文学というと、近松とか馬琴とか松尾とか、西鶴、京伝…(ついでに風俗は杉浦日向子w)と、教科書選出レベルのものしか出てこんかったわ(何(苦笑詳細をみるコメント0件をすべて表示