医学書のなかの「文学」: 江戸の医学と文学が作り上げた世界

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  • 笠間書院
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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784305708045

作品紹介・あらすじ

それは「医学書」なのか、「読み物」なのか。理系×文系という対立構造のなかでは読み解けない、面白い江戸の本の世界!
江戸時代には医学書や本草書の知識無しには理解できない作品や文化交流が存在していた。それは現代風に医学と文学とにジャンル分けして論じていては、そのありようを把握できるはずもないものである。
本書は、医学書に通じていなければ読み解けない作品、逆に言えば医学書に通じていれば簡単に読み解くことのできる作品を紹介、また、江戸期を通じて愛されたヤブ医者竹斎(ちくさい)の周辺を詳しくたどりながら、医学と文学が手を携えて作り上げた豊かな世界をつぶさに検証する。本書により、いままでとはまったく違ったもう一つの「江戸時代」が導き出される。

【……医学書と読み物がそれぞれの必要性から、接近あるいは越境する現象が近世にはあったのである。というよりは、その当たり前の現象を、現代の学問体系から勝手に理系/文系の対立構造を押しつけて、別の領域として存在しているがごとくの共同幻想を抱く側にそもそもの問題があるのかもしれない。医学書と読み物との間には実は何もなく、ただ現代の学問が作り上げた「異領域」という幻想があるだけなのかもしれない。】……第1章第6節より

感想・レビュー・書評

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  • 実用書としてだけでなく読み物ともされていた近世期の医学書。ヤブ医者物語「竹斎」と、先行する関連作品「恨の介」は、それぞれライバル関係にあった医家の関係者の手になるものでは?という仮説。現在と違い、医者は学者より芸能者に近い立ち位置であったか。
    カルテ(医案)集が刊行物として出版されたという話は驚き。今でいえば医者や弁護士もののドラマみたいな楽しみ方をされたのだろうか。

  • 036頁:明代の「次註」で言うところの「内崩して血流下す」(原漢文)
    「陰虚(隠居)が体と内(家)を崩すとの意味も込められているのだと解釈したい」
    ・「次註」とは、唐代の王冰による注のこと。宋臣林億による新校正「重広補注黄帝内経素問表」を参照。王冰注に「内 崩して血 流れ下る」(原漢文)とある。
    ・ここで著者は、『素問』『素問』陰陽別論(07)の「陰虚陽搏,謂之崩」についての王注「陰脉不足,陽脉盛搏,則内崩而血流下」を前提にしてここの文章は書かれたと想定する。それで「問題は読者にその作者の「隠微」を感得できるものなのであろうか」とつづく。
    ・端的に言って、これはうがちすぎだとおもう。「内崩」は「崩漏」「漏下」であり、婦人病である。「隠居内傷」と結びつけるのには、無理がある。
    ・「内傷」の原因としてあげられるのは、飲食不節・労倦・房事過多・七情失調である。「隠居=陰虚=陰液の不足=著者のいう腎虚」「内傷=房事過多」を生じた原因は「大方妾を愛するより起る」と、本書の読者は理解すると考えるのが妥当ではないか。そうであれば、王注『素問』の知識は要請されない。
    037頁:「彼雲林が仮筆」にならって……「流行(ちやり)病」を教訓したい……
    ・「ちやり」未詳。「はやり」?
    038頁:『万病回春』末尾には龔廷賢の随筆が付されており、その章題が「雲林仮筆」なのである。
    ・どの版本によっているかわからないが、『万病回春』のほうは、「雲林暇筆」のあやまりではないか。『世間万病回春』は見ていないので知らないが、こちらは「暇」を「假」にかえているのではなかろうか。
    038頁:『世間万病回春』作者の言う次の「問評世病」がある……暗室亏心……禍福応報
    ・やはり、見ている版本がちがう(のだろう)。『世間万病回春』に一致する『万病回春』を見つけたのかもしれない。
    ・和刻寛永六年刊本『万病回春』は「間評世病」に作る。
    ・寛永六年刊本は「応報」ではなく「報応」。「虧(キ)」を「亏」に翻字しているが,これは「于」の異体字と同形でまぎらわしいとおもう。
    039頁:毒薬治其內
    ・鋭くない質問ですが、「内」ではなく「內」字をつかうのは、ナゼ?
    057頁:『傷寒論』の序文冒頭部……「望斎候之色」
    ・著者は意味もわからず/考えず、翻字しているとしか思えない。意味を理解していたら「斎候」などと翻字されるはずがない。
    ・意味は、「斉国の桓侯の顔色などを望診(目で見て診察)した」である。
    059頁:右伍味㕮咀以水七升……温覆一時許
    ・善本とされる趙開美本によれば,脱字がある。
    →右五味、㕮咀三味、以水七升……温覆令一時許
    068頁:『剽軽雑病論』の末尾は、この『国字解』の巻一末尾をわざわざ「漢文」に戻した上でもじったものであろう。……ここで作者が下敷きとした書は、中国の医学書ではなく、本邦の医書に求めるべきであろう。
    ・著者は、『名医録』の存在を知らなかったために、『傷寒論国字解』に出典を求めたのであろう。「金気瓢百玉門経」を『金匱要略』のもじりとしか考えられなかったのも、『金匱玉函経』の存在を知らないためであろう。
    ・《名醫錄》:「張仲景,南陽人,名機,仲景乃其字也。舉孝廉,官至長沙太守,始受術於同郡張伯祖。時人言,識用精微過其師。所著論,其言精而奧;其法簡而詳,非淺聞寡見者所能及。」
    ・wikipedia:『金匱玉函経』も、傷寒論の異本として、校正医書局において校正・復刻(宋改)されている。……日本においても1746年、清水敬長によって『金匱玉函経』が翻刻されただけで、流布した本は少ないとされる。
    072頁:著者は「畏有害腎経而巳〔ママ〕」を意訳的に「腎経(腎虚)に害あらんことを畏るのみ」と書き下している。
    ・「三線(三味線)」という書き方からすると、「腎経=腎虚」と解しているようで、作者が薬物帰経にのっとって「害腎経」と書いている意図を理解できていない意訳に思える。少しの医学知識(と漢文訓読の知識?)があれば、「腎経に害あらん(腎虚になる)ことを畏ルルのみ」と意訳的に書き下すのがいいのではないか?
    077頁:土佐州に出て
    ・漢文訓読であれば「出(い)でて」としたほうがよくはないか?
    078頁:東北・津軽……少しの臭気有り。
    ・「東北」の下「辺」字を脱す。「有害腎経」を「害あらん」と書き下していながら、ここでは「有り」と漢字のまま。気ままで、一定していない。こういうのは、校正者に嫌われる書き方なのだが、笠間書院は鷹揚なのだろう。そっか、「有」を「あり」とひらくのを意訳といってたんだ!/*論文の寄せ集めだから,訓読がそろってないのだろう。
    ★これまで、この本を読んできてよかったと思うこと:かつて著者の翻字した『医説』を読んでいて、どうしてこのような添え字になるのかと、底本を見ることができないため非常に苦しんだが、その理解できない原因の多くは翻字したひとの粗忽・校正の不備にあるのでは、という考えを抱けるようになったことだ。この本は、これまでの気鬱を解消するのにたいへん役立っている。感謝申し上げます。
    082頁:底本は岩波書店『新古典文学大系77……
    ・「新」の下「日本」を脱す。
    083頁:陰虚(いんきょ)……陰常(ゐんつねに)……滋陰(じゐん)
    ・「い」と「ゐ」。岩波本は、こうなっているのだろうか?
    083頁:而己(のみ)。
    ・意味からして「而已」。岩波本も、こう書いてあるのだろうか? 089頁、おなじ。
    084頁:相(あひ)詰(つめ)めしが、
    ・意味からすると「あいつめしが」。岩波本に「つめめし」と書いてあったら、「ママ」とか、断わり書きを入れた方がよかろう。
    084頁:噯気者(あいきは)……而曖気(あいきし) 092頁、おなじ。
    ・岩波本には、二種類の「あいき」が、書かれているのだろうか。そうだとしたら、存外、校正に問題がある。意味からして、口偏が正しく、日偏はあやまりだが。
    084頁:安心(あんしん)
    ・「あんじん」?

    ★岩波大系、借りてきました。083頁~084頁、すべて著者=引用者の入力ミスであることが判明しました。岩波さん、うたがって、すみません。
    ★085頁の翻字「可難起」を「をこしかたかるべし」としているが、岩波本は「をこしがたかるべし」であった。103頁、同じ。

    087頁:李朱医学の代表書『医学正伝』(明・虞搏(ぐたん))
    ・「搏」字を「たん」とは読まないでしょう。「甫」を含む形声字なのだから。漢字のあやまり。虞摶(1438~1517)。また、李朱医学を代表するのであれば、李東垣と朱丹渓の本をあげるべきではないのか。というか、虞摶に対する説明の仕方を工夫した方がよかったのではないか。
    087頁:今日「君火」は「心・小腸」、「相火」は「心包(命門)・三焦」を指す▼。(▼注121頁:[16] 長濱義夫『東洋医学概説』)
    ・これは、まったくの贅言である。「今日」というが、これははるか昔からで、昭和になって言われだしたものではない。この「「君火」は「心・小腸」、「相火」は「心包(命門)・三焦」」は、生理をいっているのであって、ここの医案(カルテ)は、病理を論じている。こういう言葉を使っていいのかわからないが、片手落ちである。たぶん同一人物だとおもうが、長濱義夫ならぬ長濱善夫『東洋医学概説』173頁はこの説明のあとに、「しかし、これとは別に、病的現象として肝・腎の火を心火に対して相火ということもある」とただしく述べている。こういう引用のされかたは長浜善夫も迷惑であろう。虞摶も「而又有相火、寄於肝腎二蔵」と説明しているではないか。『武道伝来記』は「一水不勝二火」と書いている。これから、西鶴が参照したのは、『素問』ではなく「一水不能勝二火」と書いている『医学正伝』である可能性がたかい(『素問』逆調論(34)は「一水不能勝両火」に作る)。この点、【大系注】も【対訳注】も、『素問』の引用文をまちがっているし、そしてそれに言及しない本書の著者も、原典にあたっていないのではないか。
    089頁:【対訳注】……気常有余、気常不足。
    ・意味不明。『医学正伝』は「氣常有餘,血常不足」に作る。対訳本は見ていないが、著者のコメントがないから、著者の入力ミス、校正漏れだろう(校正したのだろうか?)。
    091頁:【対訳注】……故経日、亢則害……
    ・【対訳】本は、貸し出し申請中で、いま手元になし。「亢則害」以下は、引用文なので、「日」は、絶対、「曰」の誤字。意味もわからず、入力しているとしか、考えられない。
    092頁:(医学正伝、一・或間)
    ・『医学正伝』、持っているのだから、巻一だけでも、しっかり読んだ方がいい。それぞれの文頭に「或問……」と書いてあるのをたしかめよう。(しかし、「経日」だの「或間」だの見ると、レベルの低い人に入力を頼んだのではないか、などと勘ぐってしまいます。このほうが、本人が入力したとするより、若干すくいがあるけれども。/ふと,思いついた。初出一覧あり。そーか,昔の論文をOCRしたのか。)
    093頁:この「子盗母気」もまた漢方医学、五行説の基本的な一般名詞である……
    ・「一般名詞」ではない。(「子が母の気を盗む」という五行説の)術語である。
    094頁:「子盗[レ点]母気」が原因である。
    ・なにゆえ、この場所で、律儀にレ点を残すのか。これでは「子 母を盗む気」としか、読めないではないか。
    095頁:『医学天正記』(句読点、読み下しは筆者)……中風全不識人。事痰涎鋸声……四日始而識人。事漸漸食進……〔訓点ははぶいた〕。 中風、全く人を識らず。事痰涎して鋸声……四日、始めて人を識る。事漸漸として食進みて……
    ・「句読点、読み下しは筆者」とあるが、基本的に書影の『漢方医学集成6』にしたがったようだ。著者は、ここに二回出てくる「事」字をどのように解釈したのだろうか。聞いてみたい。中風になって意識がない状態をいっている。こういうのを漢語では「不省人事」、日本語では「人事不省」という。ここは「事」字のうえで切らずに、「全く人事を識らず」「始めて人事を識る」と訓じたほうがいいとおもう。
    ★この本がOCR未校正本であるという認識にいたり、読み続ける意欲がうせたが、第一章の終わりまでいってみよう。
    ・つぎ099頁に引用されている『医学天正記』は、みじかいのに,脱文がたくさん。これはOCRには出来ない芸当。なお原文の添え仮名は一部省略されていると思われる。
    以下、原文にある添え仮名(カタカナ)を利用して、ヨミ下してみる。
    099頁:感冒後熱す→感冒発熱ス/いまだ効かず→未ダ効(カウあ)ラズ/これを治る時→之ヲ治(ヂす)ル時/発班出て→発班出(いで)テ/談合して御薬進上して、晡時→談合シテ御薬進上ス。早朝ニ御薬進上シテ、晡時/病症の次第→病證(証・以下同じ)ノ次第/一服にして脈全く調ひて→一服ニシテ御脈微(すこ)シ顕(あらは)ル。二服ニシテ脈全ク調(ととのっ)テ/関白公秀吉→関白大相公秀吉
    102頁:医径解惑論→医経解惑論/片倉鶴陵ノ書ハ多クハ→片倉鶴陵ノ書ハ多ク
    103頁:『医案類語』(『名医類案』より引く)
    ・『医案類語』巻十一・具方議剤・議剤より。左訓を右側に移しているが、「裁其半」の「裁」にある左訓「キリ」だけは採用していない。
    105頁:「具暗」の玄芳の「書付」
    ・086頁に、「玄芳の「種方付」の「愚暗」さ」とある。岩波本「愚暗の玄芳」。

    デタラメであってはならないのである。そこには「学問らしさ」がなければならない。(著者の言)

    ★以下,書名の「素問」が「素間」になっていたりする(107頁)。OCRの得意技!
    まだ,半分も頁はすすんでいないのに……
    109頁:▼注[16]→[19]
    110頁:「十四経十五絡」は『霊枢』といった具合……
    ・「十四経」という用語は、『霊枢』にはもちろん、(「素間」ではなく)『素問』や『難経』にも、一度たりとも出てこない。「十四経」というとらえかたは、おそらく元代の滑壽の『十四経発揮』にはじまる。/なお仏教医学との混在だが、孫思邈『備急千金要方』巻第二十七・調氣法第五に「將知四百四病」とある。
    110頁:本来は「薬有君臣佐使。以相宣摂合宜用」
    ・この著者に、政和・大観・敦煌本云々といってもしかたがないと思うので、単純にすまそう。脱文があり、句読も誤っていると「結論づける」。本来は「凡藥有君臣佐使、以相宣攝合和、宜用一君・二臣・三佐・五使」である。
    114頁:岐伯は……「天老」もしくは「天師」とするのが医学書の一般であるからである。
    ・岐伯を「天老」と称する医学文献、未詳。注で出典をあきらかにしてほしかった。近年発見された『外經微言』では、天老が質問し、岐伯が答える形式になっている。なお「天師」については、『素問』上古天真論(01)の唐代の王冰(7世紀)次注に「天師,歧伯也」とある。
    ★おまけ:著者編著の『医説』68頁に王冰(129)があり,「王冰……大為次註素門(まま)」とある。また71頁にも「唐王冰篤好之大為次註」とある。
    ・第二章以下は,ほかの人に「本書……を思う存分に叩いていただき」(252頁)ましょう。サヨナラ

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著者プロフィール

・大阪大学文学部、同大学院を修了後、愛媛大学教育学部などを経て現在は日本女子大学「文学部」。
・三省堂『明解国語総合改訂版』という教科書作成に関わり国語科教育についての論文もある。
・専門は平賀源内を中心とする近世文学で、源内のように多方面に手を出している。その一つが医学書で、「医史学に貢献した」とのことで「醫譚賞」を受賞、その方面での発言の機会が増えている。
・主著『平賀源内の研究』(ぺりかん社)、『医学書のなかの「文学」』(笠間書院)など。

「2019年 『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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