- Amazon.co.jp ・本 (122ページ)
- / ISBN・EAN: 9784305709103
感想・レビュー・書評
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今度、鑑賞会のイベントに参加予定なので予習
30代から作歌を始め、戦前戦後の激動の時期、家族としての苦悩、女性特有の妻母としての想いなどを表現
難解派、独特な詠風から幻視の女王などと呼ばれたらしい
短歌五十首に対し川野理子氏による鑑賞がまた世界を広げてくれる
時代背景や関連する題材を見開きで紹介
印象に残った歌と解釈まとめ
いつしんに樹を下りゐる蟻のむれさびしき、縦列は横列より
運命のように永遠に黙々と連なっている様
生きとし生ける物の秩序への異議申し立て
卓上にたまごを積みてをへしかば眞珠買のやうにしづかにわれはゐる
卵と真珠の静かな佇まい
値踏み、交渉、売買の騒々しさの渦中で静謐を保つ
口中に一粒の葡萄を潰したりすなわちわが目ふと暗きかも
葡萄の陰から暗転し眼球を連想
告別は別れを告げわたすこと 死の匂ひより身を守ること
自宅は病院とつながり日常として死はすぐそばにあり続けた
告別という言葉が含み持つ意味について
早々に向こう側へ行くべしと命ずる欺瞞
生の領分を守る危うさ詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いまだ顕【あら】はるる傘のむれあるべし日本【につぽん】に速断ゆるさざる傘の量あるべし
葛原妙子
この「傘のむれ」。不意に、香港でのここ数カ月に及ぶデモの映像を思い浮かべてしまった。
実際には、1960年の安保闘争を題材とした歌である。雨の6月。知人の葬儀に向かっていた葛原妙子は、国会を取り囲む人々の異様な雰囲気に息をのんだ。女学生樺美智子が圧死し、その弔問と抗議とで、黒い傘をさした人々が国会を取り巻いていたという。
デモの人々と、機動隊とのにらみ合い。当時のデモ参加者は、主催者発表で33万人とも言われるが、葛原は、まだ表立っては現れていない「傘のむれ」が、日本の各地に存在することを感じ取った。民意を無視するような政権の「速断」を許さない人々が、見えなくとも、確かに存在すると歌ったのだ。
1907年(明治40年)、東京生まれ。本格的に作歌に取り組んだのは40歳を過ぎてからで、「難解派」と称されている。掲出歌のような、社会事象や政治を素材とした歌は少ないが、それだけに、「傘」の映像は強く印象に残る。
近刊の川野里子著「葛原妙子」では、掲出歌を含む50首が丁寧に評釈されている。それによると、葛原は戦争末期、子ども4人を抱えて長野に疎開した経験があったそうだ。皮膚感覚で残っていた戦争体験は、国家と民衆との隔たりにも鋭敏だったのかもしれない。見えがたいものを見続けた歌人の迫力が、あらためて伝わってくる。
(2019年9月29日掲載)