- Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
- / ISBN・EAN: 9784306052482
感想・レビュー・書評
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いままで、作品の写真や図面を本で見ただけで、その奥にある彼の神妙なまでの哲学が伝わってきて、ものすごい思惟の賜物なのだろう、と常々思っていたのだけど、予想以上の思考だったと本書を読んで感じた。完全に理解はできてないが、その思惟から伝わるパッションのようなものは読後に残って、その感覚がまず、本書を読んで良かったとことだ。
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機能や性能が第一みたいな風潮に疲れたとき、必ず読み返す一冊。
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ISSの歴史をおさらいするために、サーバントとサーブドスペースの成り立ちを学ぶべく図書館で借りた。
結果、カーンの抽象的な表現だらけの建築論講義について行けず早々に積読入り。
磯崎新の前説や他の方の書評には、編訳者である前田さんの解説が素晴らしく、それを読み込みつつ進めると理解が深まるとあったが、解説を読む気力すら起こらず。
本を手に取った目的と内容が合ってなかった感も否めないので、素直にカーンの建築論を学びたくなった時に再チャレンジかなと思います。 -
建築家ルイス・カーンの比較的晩年の講演や講義など10篇を集めたもの。建築というものの本質的な意味や、建築をつくるときに問われなければならないことを、簡潔で寡黙ながらも論理的な言葉で語っている。
全ての建築にはその本性がある。学校には学校の本性があり、修道院には修道院の本性がある。それは、その施設や空間が本来どのようにあるべきかということであり、それを深く考えることが、計画のすべての始まりになる。
それは、その空間における人々のありかたや相互の関わり方を考え抜くことであり、それらをカーンは人間のインスティチューションと呼んでいる。
ここでカーンは、建築のプログラムと対比させたいがために、本性やインスティチューションという言葉を使ったのではないかと思う。建築の構成が「プログラム」として機能的、定量的に提示される前に、より人間の側に立った、人と人、人と空間の関わりによる心理的な相互作用も含めたあり方を考えることが大切であるということを伝えたいのだろうと思う。
そして、それらを空間の関係性として平面上に落とし込んでいったものが、建築作品である。カーンの用語では、建築と建築作品は使い分けられており、建築は具体的な形を纏う前の、表現される前の意志であり、それらが空間として立ち現れたときに、それを建築作品と読んでいる。
建築が具体的な空間となる過程では、その建築の本性が、注意深く一つひとつの空間構成に落とし込まれる。一つひとつの空間は、壁や窓といった要素によって形づくられていくが、それの過程は自然の法則や使われる素材との対話である。これらをぞんざいに進めてはいけないとカーンは述べている。
カーンは、それぞれの講演のなかで、建築の本性を考えることの大切さを繰り返し説いており、バングラディシュの議事堂の計画や、大学の講義の課題として出した修道院の計画の事例を挙げながら、本性を考えることが建築の作品にどのように繋がっていったかを、具体的に説明している。
このようにしてつくられた建築は、美しいだけではなく、その場を使う人々にとって、精神的な成長をもたらしてくれるものになるのだろうと感じた。カーンが、形而上学的なレベルでも、具体的で実践的なレベルでも、建築に対する真摯な想いを持っていたことが感じられた本だった。 -
ルイス・カーン建築論集 (SD選書 248)
(和書)2013年04月24日 15:45
ルイス・カーン 鹿島出版会 2008年4月
以前一度読んだ記憶がある。
かなりいい本であった印象がありますが内容を覚えていない。なぜ覚えられなかったといえば当時の僕ではその根本問題が理解できていなかったからです。
それで今回再読の機会を持ちました。
ハイデガーやヤスパース、その弟子であるアーレント、そしてサルトルなどいくらか現象学の著書を読んでみてそして再読してみたので、ルイス・カーンが建築論を現象学から捉えていることがよくわかりかなり驚いた。
そうだったのか前に読んだときはかなり感動したがよくわからんことが多くて謎として僕の心のなかにぐさりと突き刺さっていた本でした。読んだあと、かなり気になっている本だった。
ようやくその呪縛から解かれルイス・カーンの理解へ踏み出せた気がする。
いくらか抜粋をしてみる。
心は直観の所在地であって頭脳は道具です。
イグジステンス(存在)は精神的な存在であって、それを触れ得るものにするため人はデザインとしてのプレゼンス(現前するもの)へ向かう。
建築と音楽の共通性。スタイルや方法やテクノロジーの選り好みをしない。
建築も音楽もプレゼンスを持っていない。存在するのは作品であって芸術家は全表現の聖域へその作品を捧げる。
磯崎新さんがよせた文も良かった。はじめに読んで、終わりに再読した。理解に役立った。 -
カーンは、空間とは光だという旨の言葉を残しているが、ここでいう光とは、実際的に目に映る「光」である以上に、そうした「光」の通る領域=時間=イメージとの対面のある「場所」を想定しているように思われる。そうした現象を、誘発する場を、カーンが想定していたとすれば、それは限りなく「詩人」の仕事に近い。
以下引用
ひとりの人間のもっとも優れた価値は、その人が所有権を要求できない領域にある
光によって作られたものは、影を投げかけ、そしてその影は光に属します。
自然はルームをつくることはできません。
フォームからのデザインとは、心のなかにある、ものの本性を現実化することです。フォームはまったく聴こえないもの、見えないものです。
バラガンの家は、たんにひとつの家ではなくて家その物です。誰もがそこでくつろいだ気分になることができます
沈黙はたいへん静かであるということではありません
沈黙と光とが交差する敷居
光と沈黙はもともとどこかでひとつのものであったのだし、そしておそらくはなおもひとつのものである -
「建築は存在しない
存在するのは建築の作品だけであり
建築とは心の中にある。」
建築家はいったい自分が何様だと思ってるんだろう。おそらく自分たちにはこの世界を形作ることができると信じているんだろう。偉大な哲学者には及ばないのかもしれないが、それくらい信じていないとこんな言葉たちは書かれなかっただろう。だから、たぶん建築家というのは世界を作ることができる仕事なんだと思う。
男と壁の話がグッときた。
でも、いかんせん訳がむずかしい。