蹴りたい背中

著者 :
  • 河出書房新社
3.06
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本棚登録 : 7089
レビュー : 1270
  • Amazon.co.jp ・本 (140ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309015705

作品紹介・あらすじ

愛しいよりも、いじめたいよりももっと乱暴な、この気持ち。高校に入ったばかりの"にな川"と"ハツ"はクラスの余り者同士。臆病ゆえに孤独な二人の関係のゆくえは…。

感想・レビュー・書評

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  • 芥川賞にありがちな「大して興味もなさそうな人が、話題になっているし、きっと全方位的に素晴らしい作品に違いない、という先入観を抱きつつ読む」という悲劇に見舞われているが、高校生の心象を描き出す筆力は10代と思えないほど素晴らしい。今読んだほうが作品の面白さを冷静に味わえるのではないか。

  • ※2012年に書いたレビューです.<(_ _)>

    凄まじいタイトルです。
    これが八年前に芥川賞をとったとき、どんな小説? と、まず思いました。しかも作者は当時早稲田大学在学中で19歳の最年少受賞。そのうえ、かわいい。女子高生にしか見えない。(受賞時の初々しい彼女はYOUTUBEで見られます)これではマスコミがほっときません。
    同時受賞も20歳の金原ひとみさんで、こちらのタイトルも「蛇にピアス」ですからね。

    「蹴りたい背中」と「蛇にピアス」ですよ。
    ひと昔前ならSM小説です。どちらも著者は若い女性なのに……。黒いボンテージファッションを身にまとい、しなやかな鞭を持って「さあ、跪いて足をお舐め!」という光景しか私には頭に浮かびません。いやはや日本の文壇も凄い時代になったものだと。

    文藝春秋なんて普段は買わないのに、八百円程度(作品と選評とインタビューだけ切り取り、あとは捨てちゃったので値段がはっきりしない)でこの二作品が読めるのですから、「持ってけ、泥棒」的なお買い得感。
    書店で思わず手が伸びちゃいました。だから、実際読んだのは単行本ではなく文藝春秋で、です。

    この選評がまた面白い。特に某石原都知事(某じゃないっ!)とカンブリア村上龍のが。
    知事曰く「すべての作品の印象は(中略)軽すぎて読後に滞り残るものがほとんどない。」一刀両断。
    「このミステリーがすごい!」の覆面座談会発言みたい。これ読んで、すでにこのとき選考委員を辞任すべきだったんだと思いましたね。もう時代についていけないんだ、知事は。

    カンブリア村上氏は「これは余談だが(中略)若い女性二人の受賞で出版不況が好転するのでは、というような不毛な新聞記事が目についた。当たり前のことだが現在の出版不況は構造的なもので若い作家二人の登場でどうにかなるものではない。」
    さすがカンブリア龍村上。
    現在の日本経済事情をよく分かってらっしゃる。
    「カンブリア宮殿」の司会は伊達じゃないな、と。
    当時はまだ「カンブリア宮殿」は始まっていませんが。
    レビューなのに全く作品に関係ないことばかり書いています。

    何ゆえにこう脱線するのだろう。
    思い入れが強すぎるんだな、きっと。
    文章書いてるとそれを思い切りぶつけたくなる。
    でも実際の私は、いたって真面目でおとなしいものです。「都知事閣下のためにもらっといてやる」発言の田中慎弥さんみたいに。
    言ってみれば、車に乗った途端、人が変わったのかと思うような言動をする人がいるじゃないですか。
    さっきまでおとなしく無口だったのに、ハンドルを握ると前の車に「こら、てめえ、早く曲がれよ。信号が赤に変わっちまうだろうぐわぁ!!」と叫ぶような。
    あれは車という絶対閉鎖空間で自分が守られている安心感から出るんですね。
    前の車の運転手が恐い顔したお兄さんだとしても、叫んだってその声が聞こえるわけないから。
    で、話を戻します。
    実はこれを買った八年前、私は二作とも読まなかった。いや、読めなかった。
    先の選評があって、次に二人のインタビュー、そして最初の作品「蛇にピアス」が出てきます。
    最初の一行。
    「スプリットタンって知ってる?」
    もうここで脱落でした。
    綿矢りさ風に言えば「知ってますか? 知ってません。」てなものです。
    何故か読む気にならなかったんですね、今でも手元にあるのにまだ読んでませんが……。

    で、はい、次の人。
    「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、その音がせめて周囲には聞こえないように、私はプリントを千切る。細長く、細長く。」
    今読むと、なんと素晴らしい文章なのだろう。
    さびしさは鳴る。
    この叙情的な響き。これだけで魅きつけられるのに。

    書棚が溢れて泣く泣く本を整理せねばならぬ羽目になり、突然現れたこの文藝春秋。先の芥川賞問題発言などで(そういや、これ読んでないな)と思って手に取り読み始めると、これは響きました。琴線に思い切り差し込んできました。もうそれからは一気。短いのであっという間に読了です。

    感想は、高橋源一郎じゃないけど「完璧!」。この「時代」と「日本語」に選ばれた天才。
    ほとんど読点のない読みにくい文章ながら、その読点のなさ自体が美しい日本語を醸し出しているというか。
    これ実際にこの作品でやってみると難しい。
    どこかに読点を打ちたい。でも、どこに打っても違和感が残る。そして、長い文章の合間に突然現れる口語。
    「てきとうな所に座る子なんて、一人もいないんだ。」
    「どこかな、何が間違ってるのかな。」
    「負けたな。」
    「ちょっと死相出てた。ちょっと死相出てた。」
    これらの言葉に全く違和感を感じないのです。

    さらに巧みな比喩。
    「そうめんのように細長く千切った紙屑」
    「味噌汁の砂が抜けきっていないあさりを噛みしめて、じゃりっときた時と回じ」
    「人間に命の電気が流れていると考えるとして、(中略)にな川の瞳は完全に停電していた。」
    こんな比喩が最初の5Pほど読んだだけでたくさん出てくるのです。もう参りました。というしかないです。

    知事は選評で「主題がそれぞれの青春にあったことは当然(中略)それにしても(中略)なんと閉塞的なものであろうか」と非難していますが、私はそう思わない。
    人間と人間の関りのなかで、普通の人と同じようにうまく接点が取れない、或いは取らない二人。

    でも、普通って何だろう。一般的って何だろう。当たり前って何だろう。
    みんながそうするから私も仲間に───などと簡単に思い切れないハツ、そしてにな川。
    本当は二人ともバーチャルではないリアルな関係を持ちたいんだ。でも安易にそうしていいのかな、と悩むんだ。
    ほんとは、ほんとは、あなたと───。
    「蹴りたい。愛しいよりも、もっと強い気持ちで」
    ここにはそれまでずっと耐えていた仄かな愛が見えます。
    何度も何度も読み返すと、この場面は感動する。
    若さゆえ傷つくのが恐い。それをずっと我慢してたんだ。
    そう思ったら、私の「はく息が震えた。」
    こんなに素晴らしい小説とは思っていなかったので、本当に読了後、はく息が震えました。天才だったんだね、綿矢りさ、と。
    でも、どうして八年前は読めなかったんだろう、不思議です。
    いや、ネタバレしないように、引用しつつレビュー書くのは結構難しい。というか、これレビューじゃないな……。

  • 高1のハツは、生物の時間のグループ分けで、同じく「余り者」となったにな川に、何気なく興味をもつ。彼はモデルの「オリチャン」の熱狂的なファンであり、オリチャンを見たことがあるというハツに、熱心にその場所を尋ねる。余り者同士の二人の奇妙な関係が始まる。

    綿矢りさ、ぴちぴちの(←死語)19歳にして芥川賞の最年少記録を更新した作品。

    すごく話題になった作品なので、発売時にたぶん読んだと思うんだけど、あまり印象は残ってないので文庫を買ってもう一度読んでみた。
    今読むと、自分と同年代で、19歳のときにこれを書いたというのはすごい感性だなと思った。
    「余り者」の道を選びながら「さびしさ」を感じずにはいられない彼女の気持ち、にな川に感じる凶暴な気持ちや苛立ちが、今読んでみるとよくわかる。でも、渦中にいるときはそういう気持ちをこんな風に言葉であらわすとかできなかったし、読んでもしっくりこなかった。
    綿矢りさは本当に緻密な観察者で巧みな表現者だ。そして本当に可愛い。何度も言っちゃうけど、この可愛さでこれ書いちゃうギャップがすごい。

    いろんな見解があって当たり前だけど、にな川に感じていた気持ちが恋愛感情なのかというと、私はちょっぴり違うんじゃないかと思う。

    ハツは、群れるくらいならひとりでいることを選んだんだけど、本当は級友たちのことが気になるし、自分を見る周囲の目も、自分の立ち位置も気になるし、グループを作ってしまった絹代と一緒にいたいのに、それを言うこともできなくて、強がってみても本当は「さびしい」、嫉妬や羨望を抱えながら、ぎりぎりの孤高を保っているのだ。
    対するにな川は、本当に級友のことも自分の立ち位置も気にならず、「オリチャン」のことしか頭にない。自分とオリチャンとその他の、確固たる世界で生きている。
    にな川と友達になればいいのかも、と表に出さずとも弾んだ気分でいたハツに、にな川はオリチャンのラジオが始まるからといって背中を向ける。
    自分は少なくとも「余り者」としての連帯感を感じているのに(そしてにな川よりは上にいると思っているのに?)、にな川は周囲のことなど意に介さず全く自分に興味も持ってない…、そのみじめさというか、いろんな意味の強烈な「ヤキモチ」というか、自分への憤りというか。
    そんなのがにな川の背中を見たとき、ぶわっとあふれ出て、蹴りたい、痛がるにな川を見たい、内出血してる痣を押したい、なんて攻撃的な気持ちになるのかなと。
    いや、実際に蹴ってますけどね(笑)

    なんてエラそうに書いてしまった、ごめんなさい。
    すぐ読めるし、でも読むたびに沁みる部分もあって、3回も読んでしまった。

  • あかん、こら名作や。
    どうも話題性先行だったような、そんな当時の印象がおぼろげにある。しかし、これ本当に凄い作品。
    結構王道なテーマ扱ってるのね。もうびっくり。疎外感と共感とディスコミュニケーションとほんの少しの成長がまた見事に描かれてて、確かになあと思わせる質感。
    内容はまあよくあるので、きっと評価点は感性と描写の瑞々しさでしょう。
    たとえば『さびしさは鳴る』っていう文頭。ぱねえ。もう誰も使えなくなってしまったわけです。それだけのインパクト。このレベルの表現、何を表してるんだか一瞬わからないけれど読者に感覚で無理矢理わからせてしまうような絶妙かつ的確な表現を、しかも連発する。もうね。
    ぱねえ。19歳、ぱねえ。

  • 素直に解釈すれば、タイトルの「蹴りたい背中」の意味は、にな川に対する初実の歪んだ愛情表現とも思えますが、踏み込めば、初実に対する綿谷りさの激励のようにも感じます。初実は周りと上手く取り繕えず、素直に、にな川にも気持ちを伝えれません。更には、そんな自分を大人だと思い、群れる同級生を見下しています。まさに、若いが故の勘違い。でも、自分にもそんな時期がなかったと言えば、嘘です。今思えば、本当に調子乗ってたと思います。そんな初実の背中を蹴って、いかに馬鹿なのかを気づかせてやりたいという綿谷りさの気持ちがタイトルに込められているのではないかと思います。もしかしたら、綿谷りさ自身も初実のように周りを穿った目で捉えていた時期があり、そんな自分を初実に投影して、過去の自分の背中を蹴ってやりたいと思っているのかもしれません。「蹴りたい背中」は単なる青春時代の痛みだとか屈折した思いにとどまるのではなく、それらをギミックとして、世の中を知った気になった若者が陥る、恥ずかしいほろ苦さを表していると思います。だからこそ、個人的には昔の自分を思い出し、懐かしさもありましたが、初実に共感を覚えるのではなくフラストレーションが溜まりました。

  • ハツは高校に入ってクラスメイトとも所属する陸上部の部員たちにもなんとなく馴染めない。クラスにはもう一人、溶け込めていない男子生徒がいた。その男子生徒にな川は、彼が好きなモデルをハツが見かけたことがあると聞き、ハツに話しかけるようになる。

    世間の流行から遅れること10年、やっと読んだ。
    確かにどうしようもなく荒削りな作品だけど、彫刻刀を差し込んだポイントは決して間違っていないと思う。

    Amazonのレビューで「高校生の日記(または交換日記)を読まされた気分」という表現をチラホラ見かけたが、それは少なくとも比喩としては間違っている。こんな、自分は一人で平気という顔をしたいけどしきれない気持ち、どうしようもない男を好きになってしまう自分への苛立ち、その男を壊してしまいたくなる衝動、こんなことは交換日記には少なくとも書けないし、高校生だけでなく大人も自分のこんな感情を認めて客観的に文章に書くことなどできない。

    色んな小説や映画を読み、観る度に、作り手は、何故こんな目を背けたくなるような自分の醜い感情と向き合い、しかもそれを表現できてしまうのだろうといつも不思議になる。そんな勇気ある作業を弱冠19歳が成し遂げたというのは、やはりすごいことだと思う。

  • なんとも不思議な読後感に浸る作品です。

    感想はうまく言えませんね…なんていえばいいんだろう。

    オリチャンのことしか覚えてないな…。

    蹴りたい背中っていうタイトルも独特な感じですよね。
    綿矢りささんの作品には実に不思議な空気が
    流れていますね。

    • miyabijudiceさん
      花丸ありがとうございました~(*⌒∇⌒*)♪
      レビュ~読んでペタっとしていただくのは何とも嬉しいものです。

      確かに綿矢りささんは、独特の世...
      花丸ありがとうございました~(*⌒∇⌒*)♪
      レビュ~読んでペタっとしていただくのは何とも嬉しいものです。

      確かに綿矢りささんは、独特の世界観がありますよね。
      私はまだこの作品しか読んでませんが、
      これから読みたい作家さんの一人です。

      読書を通じて交流出来たらいいな~と思ってますので、どうぞこれからもよろしくお願いします^^
      2013/01/20
  • 本を読んでいて、最初の1ページとか2ページ目で引きつけられる、
    その世界の中に入り込んでしまえることを、私は「吸引力の強い本」
    だと感じるわけですが、この本の冒頭

    さびしさは鳴る

    たったこの7文字に引きつけられてしましました(笑)

    余りものと表現された、友達のいない主人公私と、
    やはりクラスの余り者のにな川。
    でも、この私は友達はいなくてもその世界は外に向いているのに対して、にな川は、オリチャンというモデルに向けられている。
    というかオリチャンにしか向いていない。
    似ているようで似てない二人。
    そこには素直に表現できない恋愛感情が隠されてるのかな。
    それで思わず蹴ってしまったのでしょうね。
    そんな二人を、簡単に恋愛というジャンルでくくろうとする友達、絹代。

    ばらばらなんだけど、なんとなくその世界が成り立っているような
    不思議な人間関係。

    この作品は2作目だという作者は、なんと19歳!ぉお(゚ロ゚屮)屮。
    小説の技巧とかテクニックという点では、物足りないかもしれないが
    19歳でこの表現力はものすごいことだと思います。
    只者ではないです。

    普通の高校生だったら、なんかウザいとか、だるい。と
    表現するところを、こと細かく書くと、こういう風になるのかしらね~?


    小説を書くというのは、絶対人生経験豊富な年配の人のほうが
    有利だと思っていた私の考えを、ちょっと軌道修正しなければ、と
    思わされましたね。

    若い感性に、
    この作者のような表現力、それにテクニック
    これがそろえば最強かと・・・(*⌒∇⌒*)♪

    他の作品も読んでみたくなりました

    • koshoujiさん
      「蹴りたい背中」お気に召されたようでよかったです。
      是非、ほかの作品もお読みください。
      講談社で見た彼女の生姿は、ほんとうに美しい方でし...
      「蹴りたい背中」お気に召されたようでよかったです。
      是非、ほかの作品もお読みください。
      講談社で見た彼女の生姿は、ほんとうに美しい方でした。
      あの美貌で、このような作品を書く感性を持っているというのが、
      俄かには信じがたいほど、神々しいまでの美しさでした。
      京都弁が、また何気に可愛くて。
      その様子は、大江健三郎さんとの対談感想ということで、
      下記のレビュー(群像2012年5月号)に書きましたので、ご覧いただければ幸いです。
      http://booklog.jp/users/koshouji/archives/1/B007NLU55E

      仙台は毎日のように雪が降り、寒い日が続いております。
      それでは、よいお年をお迎えください。
      2012/12/29
    • 深雪美冬さん
      初めまして!
      こんな私のレビューにコメントしていただいて、
      本当にありがとうございました!
      びっくりして何度も読み返してしまいました。

      綿...
      初めまして!
      こんな私のレビューにコメントしていただいて、
      本当にありがとうございました!
      びっくりして何度も読み返してしまいました。

      綿矢りささんの本は、おっしゃる通り
      独特な感じですよね。でも私はそれ以外
      どういう表現をしたらいいのかわからず
      中途半端なレビューになってしまいましたが
      このレビューに書かれていらっしゃることは
      まさに私の言いたかったことです。

      「吸引力の強い本」という表現も素晴らしいですね。私も使わせていただこうかな…。

      こちらこそ、ぜび読書を通じて交流させて
      いただけたらとても嬉しいです。
      全体的に下手な文章ですみません。

      勝手ながらフォローさせていただきました。

      またレビュー読ませていただきますね^^
      2013/01/21
  •  本書を初めて読んだときは2004年、8年前のこと。8年目私は読み終えることができなかった。1ページすら読むことができなかった。一段落目の5行目に(苦笑)という表現が使われているのを見て、読まなくてもいいかなって思ってしまった。きっとその先を読んでも当時中学2年生の私は純文学なんてこれっぽっちも理解できなかっただろう。

     大学4年の最後の論文を書き終え、時間があるので本を読みあさる毎日。本棚の奥から見つけた本書をもう一度読みなおそうと思った。芥川賞受賞作品をとった純文学作品を理解できるほど私は成長できたのか確かめるために。一段落目の5行目の先に広がるであろう世界の素晴らしさを信じて。

     ハツは陸上部に所属する高校1年生。気の合う者同士でグループを作りお互い馴染もうとするクラスメートたちにハツは溶け込むことなく独りでいた。そんなハツが、同じクラスの余り者である、にな川と出会う。彼は、自分が読んでいるファッション雑誌のモデルにハツが会ったことがあるという話に強い関心を寄せる。にな川の自宅で、初実は中学校時代に奇妙な出会いをした女性がオリチャンという人気モデルであることを知る。にな川はオリチャンに関する全ての情報を収集する“熱狂的”なオリチャンファンだった。

     吉田修一の芥川賞受賞作「パークライフ」を読んだときと同じ気持ちになった。面白くはないんだけど、深くて味わいのあると感じる作品。悪く言えばお洒落な自分を演出するために苦手なコーヒーを飲むのと一緒。ただ好きになると中毒性があるコーヒーのような小説。

     ハツは気の合うグループでつるむ同級生や周りの人間を上手くとりこもうとする部活などの生活に溢れる民族意識にうんざりしていた。でも本心からうんざりしていて、嫌だったのだろうか。本当はグループに入って、彼女の中学校からの友達である絹代のように友達を作りたかったのではないかと感じた。

     それに比べてにな川はハツとは逆に本心からクラスの人などどうでも良かったのではないか。家族とも半分隔離された部屋で生活している。孤独の生活にオリチャンという存在がどういう意味を持つのか。ただのアイドルが好きという感情を超えた宗教における神の存在がオリチャンだったのだろう。周りのことを気にせずに“そのままの自分”でいることができるにな川にハツは嫉妬し苛立ったのだと私は思う。決してにな川のことが好きという気持ちではない。嫉妬と苛立ちからにな川のことを正面から向き合うことができずに、背中を蹴ることしかできなかったんだろう。これが自分なりの解釈だけれども、解釈なんか自由なんだと思う。有名な書評家の解釈があたかも正しいとされるが、読書という行為は自由でいいし、考えを束縛される必要のない道楽だと思うし、ずっとそうであってほしい。

  • 高校生の微妙な心の揺れの表現がすばらしい。

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著者プロフィール

1984年京都府生まれ。2001年『インストール』で文藝賞を受賞して作家デビュー。04年『蹴りたい背中』で芥川賞、12年『かわいそうだね?』で大江健三郎賞を受賞。ほかの作品に『夢を与える』『勝手にふるえてろ』『ひらいて』『しょうがの味は熱い』『憤死』『大地のゲーム』『手のひらの京』などがある。

「2018年 『100万分の1回のねこ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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