蹴りたい背中

著者 :
  • 河出書房新社
3.07
  • (302)
  • (704)
  • (2609)
  • (611)
  • (200)
本棚登録 : 7989
感想 : 1318
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (140ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309015705

作品紹介・あらすじ

愛しいよりも、いじめたいよりももっと乱暴な、この気持ち。高校に入ったばかりの"にな川"と"ハツ"はクラスの余り者同士。臆病ゆえに孤独な二人の関係のゆくえは…。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • あー間違いない!私も
    蹴りたくなりましたよ。

    なんとまあアホらしい
    背中。

    耳元で囁かれてる気が
    するからと

    片耳だけのイヤホンで
    うずくまる背中。

    アイドルオタクの何が
    悪いのか?と、

    当人からすれば放って
    おいてくれよ!という
    ことなんでしょうけど、

    目の前のそのモッサリ
    した無防備な背中を、

    アイドルと二人だけの
    世界に旅立ってるその
    背中を、

    足蹴にしたくなるこの
    衝動は、

    学生時代から変わらぬ
    感覚と言いますか、

    実際じゃれあいのなか
    友だちの背中を蹴った
    記憶がうっすらと(汗

    あ、学生時代と言えば、
    好きな人を知らず目で
    追って、

    その人が少しでも動く
    とあわてて目を逸らす
    片思いのあるある。

    端から見ればバレバレ
    でした(笑

    そう、ご多分に違わず
    恋ゴコロに気を取られ、

    他人から見えてる自分
    の背中に不注意極まり
    なかった私を思い出し、

    あ、どちらかといえば
    私も蹴られる側だった
    じゃないか、と。

    まあ、もはやすべてが
    時効ということで・・・

  • 読みながらずっとモゾモゾ感が止まらなかった。
    高校一年生の1学期。クラスのどのグループにも属していない長谷川と、にな川。
    二人は似ているようで違う。
    人に無理して合わせるくらいなら一人でいた方がいいと思っている長谷川に対し、推しに夢中になるあまり、周りはどうでもいい、にな川。
    にな川に比べたら自分の方がマシだと思いつつも、一人でいる時間に自分なりの言い訳めいた理由を心の中でつぶやいている長谷川がイタイ。

    自分の内側ばかり見ている‥‥存在を消す努力をしているくせに完全には消えたくない‥‥縄跳びの八の字でうまく縄に入れないようにうまく会話に入れない‥‥

    これは高校生の話だけど、イタイ長谷川に共感できてしまう大人の私がいる。
    大人になった私は場数を踏むことで要領が良くなっただけだし、目の前の世界が全てではないから思い詰める必要はない、と自分を納得させることができているだけ。

    「認めてほしい、許してほしい」
    「人にしてほしいことばっかりなんだ。やってあげたいことなんか何一つ思い浮かばないくせに」

    高校生のお話、それも若い人が書いたお話。共感できるかなぁ?なんて思いながら読み始めたこの物語に、大人の私がこんなに共感している。それに対してモゾモゾしてしまいます。

  • 中学生の娘が読了。
    普段なかなか読書が進まない娘ですが、この作品はとても読みやすかったようで、1日で読み終わっていました。

  • 2004年第130回芥川賞受賞作

    初版は2003年、丁度20年前。
    芥川賞受賞19歳という最年少記録はいまだに破られていない。

    冒頭の「さびしさは鳴る。」という一文は有名だが、時期を逃して未読のまま時は過ぎ…。

    いやー、語彙力なくて申し訳ないが、すごい。
    19歳かよ、本当かよ。

    まだスクールカーストなどという言葉もなかった頃に書かれたこの『蹴りたい背中』。
    入学したばかりの高校で、クラスの序列から外れ、どのグループにも属さない少女の葛藤…脳内でずーっと独り言を呟き続ける気持ちや、たまに口を開くととんでもなく鋭い言葉が出てしまうところなど、もう場面が目に浮かんでくる。
    にな川と絹代との関係などからも、主人公ハツの自尊心の揺らぎや苛立ちなどが痛いほど伝わる。

    主人公の気持ちがちっとも分からない、という人は、順風満帆な高校生活を送った(送っている)人なんだろうなぁ…ある意味羨ましい。
    2023.8

  • 朝井リョウさんのエッセイに「ちいかわおじさん」なる人物が出てくるのだが、そのおじさんに対し抱く感情はまさに『蹴りたい背中』であるという。
    『蹴りたい背中』を読んでない私は、まだこの感情を知らない。知るべき時がきたということか。

    主人公の女子高生、ハツは孤独な高校生活に絶望を感じている。似た者同士と思っていた“にな川”と出会うのだが、彼は全く違う世界線を生きていた。見下していたはずの“にな川”の社会や家族に切り離されても平気で過ごせる無敵さに気味の悪さを感じる一方、憧れにも執着にも似た感情を覚える。
    しかし“にな川”の世界にハツは存在していなかった。
    それはハツにとって惨めなことではあるが、同時にサディズムを目覚めさせることでもあった。
    「傷つく顔が見たい」そして“にな川”の生きる世界に自分もインパクトを与えたいという思いが
    『蹴りたい背中』という衝動に繋がったのではないかなぁ、と想像する。

    自覚のない虚栄心や地に落ちそうな自己肯定感。視野も心も狭くて息苦しい黒歴史をむき出しにした作品だった。
    尖った時代を象徴するような比喩表現もふんだんに使われ、10代にしか描けないであろう勢いがあった。
    青春って、キラキラした時代じゃないよ。未熟でしょーもなくて恥ずかしい言動ばかりしてたわ!(あ、今もだけど)と思い出した読後感だった。

  • ※2012年に書いたレビューです.<(_ _)>

    凄まじいタイトルです。
    これが八年前に芥川賞をとったとき、どんな小説? と、まず思いました。しかも作者は当時早稲田大学在学中で19歳の最年少受賞。そのうえ、かわいい。女子高生にしか見えない。(受賞時の初々しい彼女はYOUTUBEで見られます)これではマスコミがほっときません。
    同時受賞も20歳の金原ひとみさんで、こちらのタイトルも「蛇にピアス」ですからね。

    「蹴りたい背中」と「蛇にピアス」ですよ。
    ひと昔前ならSM小説です。どちらも著者は若い女性なのに……。黒いボンテージファッションを身にまとい、しなやかな鞭を持って「さあ、跪いて足をお舐め!」という光景しか私には頭に浮かびません。いやはや日本の文壇も凄い時代になったものだと。

    文藝春秋なんて普段は買わないのに、八百円程度(作品と選評とインタビューだけ切り取り、あとは捨てちゃったので値段がはっきりしない)でこの二作品が読めるのですから、「持ってけ、泥棒」的なお買い得感。
    書店で思わず手が伸びちゃいました。だから、実際読んだのは単行本ではなく文藝春秋で、です。

    この選評がまた面白い。特に某石原都知事(某じゃないっ!)とカンブリア村上龍のが。
    知事曰く「すべての作品の印象は(中略)軽すぎて読後に滞り残るものがほとんどない。」一刀両断。
    「このミステリーがすごい!」の覆面座談会発言みたい。これ読んで、すでにこのとき選考委員を辞任すべきだったんだと思いましたね。もう時代についていけないんだ、知事は。

    カンブリア村上氏は「これは余談だが(中略)若い女性二人の受賞で出版不況が好転するのでは、というような不毛な新聞記事が目についた。当たり前のことだが現在の出版不況は構造的なもので若い作家二人の登場でどうにかなるものではない。」
    さすがカンブリア龍村上。
    現在の日本経済事情をよく分かってらっしゃる。
    「カンブリア宮殿」の司会は伊達じゃないな、と。
    当時はまだ「カンブリア宮殿」は始まっていませんが。
    レビューなのに全く作品に関係ないことばかり書いています。

    何ゆえにこう脱線するのだろう。
    思い入れが強すぎるんだな、きっと。
    文章書いてるとそれを思い切りぶつけたくなる。
    でも実際の私は、いたって真面目でおとなしいものです。「都知事閣下のためにもらっといてやる」発言の田中慎弥さんみたいに。
    言ってみれば、車に乗った途端、人が変わったのかと思うような言動をする人がいるじゃないですか。
    さっきまでおとなしく無口だったのに、ハンドルを握ると前の車に「こら、てめえ、早く曲がれよ。信号が赤に変わっちまうだろうぐわぁ!!」と叫ぶような。
    あれは車という絶対閉鎖空間で自分が守られている安心感から出るんですね。
    前の車の運転手が恐い顔したお兄さんだとしても、叫んだってその声が聞こえるわけないから。
    で、話を戻します。
    実はこれを買った八年前、私は二作とも読まなかった。いや、読めなかった。
    先の選評があって、次に二人のインタビュー、そして最初の作品「蛇にピアス」が出てきます。
    最初の一行。
    「スプリットタンって知ってる?」
    もうここで脱落でした。
    綿矢りさ風に言えば「知ってますか? 知ってません。」てなものです。
    何故か読む気にならなかったんですね、今でも手元にあるのにまだ読んでませんが……。

    で、はい、次の人。
    「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、その音がせめて周囲には聞こえないように、私はプリントを千切る。細長く、細長く。」
    今読むと、なんと素晴らしい文章なのだろう。
    さびしさは鳴る。
    この叙情的な響き。これだけで魅きつけられるのに。

    書棚が溢れて泣く泣く本を整理せねばならぬ羽目になり、突然現れたこの文藝春秋。先の芥川賞問題発言などで(そういや、これ読んでないな)と思って手に取り読み始めると、これは響きました。琴線に思い切り差し込んできました。もうそれからは一気。短いのであっという間に読了です。

    感想は、高橋源一郎じゃないけど「完璧!」。この「時代」と「日本語」に選ばれた天才。
    ほとんど読点のない読みにくい文章ながら、その読点のなさ自体が美しい日本語を醸し出しているというか。
    これ実際にこの作品でやってみると難しい。
    どこかに読点を打ちたい。でも、どこに打っても違和感が残る。そして、長い文章の合間に突然現れる口語。
    「てきとうな所に座る子なんて、一人もいないんだ。」
    「どこかな、何が間違ってるのかな。」
    「負けたな。」
    「ちょっと死相出てた。ちょっと死相出てた。」
    これらの言葉に全く違和感を感じないのです。

    さらに巧みな比喩。
    「そうめんのように細長く千切った紙屑」
    「味噌汁の砂が抜けきっていないあさりを噛みしめて、じゃりっときた時と回じ」
    「人間に命の電気が流れていると考えるとして、(中略)にな川の瞳は完全に停電していた。」
    こんな比喩が最初の5Pほど読んだだけでたくさん出てくるのです。もう参りました。というしかないです。

    知事は選評で「主題がそれぞれの青春にあったことは当然(中略)それにしても(中略)なんと閉塞的なものであろうか」と非難していますが、私はそう思わない。
    人間と人間の関りのなかで、普通の人と同じようにうまく接点が取れない、或いは取らない二人。

    でも、普通って何だろう。一般的って何だろう。当たり前って何だろう。
    みんながそうするから私も仲間に───などと簡単に思い切れないハツ、そしてにな川。
    本当は二人ともバーチャルではないリアルな関係を持ちたいんだ。でも安易にそうしていいのかな、と悩むんだ。
    ほんとは、ほんとは、あなたと───。
    「蹴りたい。愛しいよりも、もっと強い気持ちで」
    ここにはそれまでずっと耐えていた仄かな愛が見えます。
    何度も何度も読み返すと、この場面は感動する。
    若さゆえ傷つくのが恐い。それをずっと我慢してたんだ。
    そう思ったら、私の「はく息が震えた。」
    こんなに素晴らしい小説とは思っていなかったので、本当に読了後、はく息が震えました。天才だったんだね、綿矢りさ、と。
    でも、どうして八年前は読めなかったんだろう、不思議です。
    いや、ネタバレしないように、引用しつつレビュー書くのは結構難しい。というか、これレビューじゃないな……。

  • 綿矢りささんの作品、ブクログ登録は2冊目。

    綿矢りささん、どのような方か、ウィキペディアで再確認しておきます。

    綿矢 りさ(わたや りさ、1984年(昭和59年)2月1日 - )は、日本の小説家。
    大学在学中の2003年(平成15年)に『蹴りたい背中』で第25回野間文芸新人賞の候補となり、2004年(平成16年)に同作品で第130回芥川龍之介賞受賞(当時19歳)。

    で、今回手にした、『蹴りたい背中』。

    この本、ウィキペディアに次のように書かれており、単行本刊行時、売れ行きが良かったようです。

    単行本は芥川賞受賞作としては1976年(昭和51年)受賞の村上龍『限りなく透明に近いブルー』(131万部)以来、28年ぶりのミリオンセラーとなった。2004年(平成16年)末までの発行部数は127万部。

    で、『蹴りたい背中』の内容は、次のとおり。(コピペです)

    愛しいよりも、いじめたいよりももっと乱暴な、この気持ち。高校に入ったばかりの"にな川"と"ハツ"はクラスの余り者同士。臆病ゆえに孤独な二人の関係のゆくえは…。

  • 一気に読み切ってしまった(苦笑)

    学生時代の痛い思いが蘇る。

    あぁそうだ、自分もこんなだった。
    充実してない青春してない学生時代だった。

    学生時代ってともすれば、思い通りにならない、一番生き苦しい時代だよなー。

  • 「若さ」は大人になるにつれて、良い感情、良いイメージしか抱けないものだ。しかし、真っ只中にその身を置いている人間にとっては、決して明るいものばかりではない。クラスで孤立している少女が、同じ立場の少年と交流を持つことによって生まれた感情を丁寧に綴っているこの物語は、あまりにも刺々しく、痛々しい。決して触れて欲しくない、それでも誰かに分かって欲しいという反発し合う感情を抱える主人公に、自分の過去が重なる部分も多かった。なにより、心に秘めるもやもやを的確に表す描写が素敵。

  • 蹴りたい、傷付けたい、傷付く顔が見たい。それってどんな感情なんだろうか。愛しいの先にあるものなのか、まったくの別物なのか。
    なんとなく居心地の悪い、でも綿矢さんぽいお話だった。

全1318件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

小説家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

綿矢りさの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×