理解という名の愛がほしい——おとなの小論文教室。II

  • 河出書房新社
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本棚登録 : 363
レビュー : 48
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309017457

感想・レビュー・書評

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  • 山田ズーニーさんは、優しい人なんだろうなと思います。どうやら、愛を欲したときに、深く深く考えることができた人。

    人に、嘘という毒を吐いたとき、それが些細なものや悪意のないものであっても、相手は何となく見抜き信用できないと感じる。つかなくてもいい嘘。私も、自分に引け目を感じるときに、嘘をつく。何も言わない方がマシかもしれない。

    虐待の連鎖とは、よく言われるが、
    相手にストレスをぶつけることも連鎖する。その相手も、弱い相手にストレスをぶつける。溜め込む人だけが割を食う。グチや悪口を垂れ流す人は子どもっぽい。受ける相手がどう思うか考えないからだ。普通は、他人は自分にそんなに興味がないと考える。
    ストレスを自分で処理できるようになることが、大人になることである。

  • 本書は「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載中のコラムを
    単行本としてまとめたものなので、
    基本的には既に読んだものばかりなのだけど、
    なぜわざわざ購入したかというと、
    「連鎖」というコラムが含まれているからだ。

    「悪意は連鎖する」という趣旨のこのコラムは
    反響が大きく、続編も書かれた。
    初めて読んだときには、PCの前で泣きそうになった。
    本音のコトバというものは、
    これほどまでに心を打つものなのかと、
    半ば呆然としたのを覚えている。

    「悪意は連鎖する」。
    そう、日々連鎖する悪意の中で、僕たちは生きている。
    メンタルヘルスの問題などを持ち出すまでもなく、
    一触即発の雰囲気に満ちた
    朝の通勤ラッシュの電車に乗るだけでも
    十分にそれを感じることができる。

    日常のふとした小さなストレス。
    それら一つ一つには大した害はない。
    しかし、そのような相互に関連のない悪意が少しずつ、
    体の中に溜まっていく。
    そして時折、それがマグマのように噴出する。

    コラムにあるように、悪意は最も弱いものへと集約されていく。
    全てのしわ寄せは、組織の、社会の、世界の、そして家族の、
    強者から弱者へと、押し付けられる。

    社会に出て仕事をしている以上、
    一切の悪意からフリーであることはあり得ない。
    そんな中で、著者の母親のように「悪意」を受け止め、
    その身を挺して「連鎖」を止める人もいる。

    本書は本質的にはコミュニケーション論である。
    それも、優れた感受性によって書かれた剥き出しのメッセージである。

    それだけに、俄かには納得し難い箇所もあるにはある。
    それらも含めて、丸ごと受け止めるところから
    本書との対話を始めれば、
    何かが「広がる」のを感じることができるのだろう。

  • 自分を律する必要があると感じさせられるようなことを言われ、しかし納得もいかず、で思い出し、読みなおしてみた。怒りの制御のようなあたり。



    『ザ・パワー』でもあった「思ったことが帰ってくる」は、ここにも、と、本を読む順番の神さまに感謝。

    「連鎖」にて、自分が受けた悪意からなる痛みやショックを、母にリレーしてしまった著者。
    自分が弱くて持ちきれなかったものを、母は、どこにもリレーせずに、自分で留めた。自分は大きな試練をいくつも越えたけれど、強いものから弱いものにリレーされる悪意を自分の腹で留めた母の方が偉いのではないのか、と。
    人は、大きな試練より、3センチの段差につまずくものではないかと。

    そして、それを

     自分が弱いから、まわりをよくして、世の中をよくして、まわりから支えていただく、という方向も考えなければ。
     世の中をよい連鎖がめぐって、めぐりめぐって母にも、自分が傷つけた人にも、まわりから、何か返せるかもしれない。

     今日、よい連鎖を自分から起こせるか?

     たったいま、自分の出す、この言葉から。


    これが、自分のしたこと思ったことが返る、なんだ。と、胸にすとんと落ちた。入った。
    笑う門には福来たる、の表面的な意味ではなく、情けは人のためならず、の方の意味もあったんだ。と。

  • 誰かが傷ついている。そこに寄り添い優しげな言葉を掛ける。しかし「不調な人へのアドバイスは容易い」。弱っている者を見下すことができるからだと。一見真当な優しさにべったりとした気持ち悪さを感じる時、そこに自己愛を見ているのだろう。

    あと、「自分の内面の欠乏感が深いと、立派なゴールは描けない」と。「私を判って下さい」という欲求に根ざした表現は、理解と赦しを相手に強要する。そこからの脱却のためにはフォーカスする対象を「自分」から「自分の好きな事」にシフトさせる必要があると思う。「自分探し」の中に解答は無い。

  • 小論文教室と銘打っているが、小論文やその技術を語る内容ではなく、
    それを生み出す人間の頭や心、そんな人間たちの内容の本。


    小論文もそうだけど、レポートやプレゼン等を
    日常的に行うことで、自分やその心情や考えを表現するにあたって
    問われるのはテクニックだけではない。
    テクニックを含めた、その根っことなる、自分という人間性が
    問われることが多いと思う。

    意識しても意識してなくても、人はその人らしさを
    何かしらの方法や手段において、どうしても表現してしまう。
    同じ日本語でも、同じ小論文でも、同じプレゼンでも、
    絶対にそれを行った人間の個性が出てしまう。

    そして、その個性は、他者からの愛という名の理解を求めてしまう。
    わかってほしい。そもそも、気付いて欲しい。
    そこで、できれば、認めてほしい、
    そして、欲を言えば、本音を言えば、愛してほしい。

    理解して欲しい、できれば、愛というリアクションであってほしい。
    そんなことがこの本の主たるテーマだと思う。
    そんなことに触れたり、考えたかったりする人は
    読んで損をしないと思う。

  • タイトルからして少し恥ずかしくなる感じですが、人とつながりましょうというすてきな本。孤独の哀しみをのり越えて、ひらき、出逢い、心で通じ合う、自分にうそをつかないで、人とつながる、勇気のレッスンとのこと。“おとなの小論文教室”や“レッスン”とはいっても堅苦しい内容ではなく、著者のエッセイ集のようなもので考え方や気持ちの発見が綴られています。主観ですが、物書くのが好きな方は少なからず影響を受けているという方は多い気がしました。またもちろんのこと、残念ですがご本人にはお会いしたことはありません。

  • 大人の小論文教室の2冊目。
    最初のと較べると、表現する動機についてよりえぐり込んだ内容。
    心のササクレをサンドペーパー、やすりで割かれるような感じ。
    痛くて何度も涙が出た。

    表現することに関していちいち悩まない人にはいらないであろう薬。
    私にはかなり効く消毒液。
    たまに読み返したい。

  • 「理解」は愛だなぁ。
    相手主体で考えられることは大切。
    だけど、つい自分を理解してほしいが先にでちゃうんだな。


    「練度の高い正直」という部分がとても心に残っています。

    気持ちをそのままに伝えるだけでは、
    自分本位なはきものであって、相手には迷惑だ。

    想いがうまく言葉にできないという苦痛が第一段階。
    そこから「自分の招待を見る」という新たな苦痛が始まり、
    書くことは考えることだから、自分の正直な気持ちに向き合わざるを得ない。

    自分のエゴやネガティブな感情と向き合い、
    「これが書きたかったんだ!」と納得行ったとき、どのひとつも、
    ネガティブな動機に支えられたものではない。

    ネガティブな感情をだしきって、感じきって、
    到達した自分の思いをみてみたいなぁ。

  • タイトルで七割方心がもってかれましたが・・・

    今晩しっかり食べても 明日の朝には腹へってるよね うん

  • (2007/09読了)

著者プロフィール

全国各地で、表現教室のワークショップ、大学講義、講演などを通じ、表現力・考える力・コミュニケーション力の育成に幅広く活躍中。『伝わる・揺さぶる!文章を書く』『おとなの小論文教室。』他著書多数。

「2018年 『理解という名の愛がほしい。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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