- Amazon.co.jp ・本 (112ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309020211
作品紹介・あらすじ
『夜戦と永遠』『切りとれ、あの祈る手を』の佐々木中がはじめて小説を書いた。-咲いたのだ、密やかに。夜の底の底で、未来の文学の先触れが。踏みにじられてなお枉げがたい、静かに顫える花が。
感想・レビュー・書評
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無職三十路男の無為でも無益でもない無名の時間が夏のよどみとどこおる空間に翻訳して書かれているので、開くと閉じるの間がぽっかりと空き、読むのに難儀した。
自らの生が行きつくところまで行きつき、ついに前途が一歩もないもののように感じられ、半生を振り返る。何を為したのか何をし残したのかどのような生の内容だったか。するとそこには空白が横たわり、私と今日さえも断絶されている。だからこそ決断するのだ。敗北だろうが逃走だろうが、今でなくてはならない、と決断する瞬間にのみ「今」は存在し、新しい次元の戸口に立つことができる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
九夏とは夏の古語と初めて知る。九旬の夏の意。夏の九十日間。夏いっぱいを指す。
ご苦労さまな小説でした -
「お前の魂の空白のなかで、にがい錫の月がむごく光る。痛がゆく洽く眩ませる。軋めいて痺れさせる。僅かに摘んだ花々も今は踏みにじられた花綵となって赤ぐろい。そこにも。ほら、ここにも。」
率直に言って、読後感は小説を読んだ、というよりは長い散文を読んだ時に近い。
あまり聞いたことのない/見たことのない言葉(=漢字)が頻出し、それらは脳内に描かれる情景を一々阻害する。ストーリー、展開もあまりなく、穏やかな水面を眺めているように文章を追った。意識の表皮をなでるような。
読み終えて、何が残ったと問われれば少々戸惑う。
しかしそれが不快というわけでもない。
再読してみたい気もするから。
これが著者の初の小説ということを考えると、語弊があるかもしれないけれど、もしかしたら実験段階だったのかもしれない。
引き続いて次作の『しあわせだったころしたように』を読む。 -
俗な言い方をすると、とても「中二くさい」。
あまり使われない漢字の多用に独特の文体、滲み出る厭世感など、まさに誰もが経験するあの時期に似た何かがあると思う(w)。
また、高校時代の恩師が「優れた作家は松の青さをそれ自体には触れず周囲の描写によって描き出す(何かの受け売りらしい)」ということを言っていたのを思い出した。
物語の中では誰が何をしたか具体的な叙述は少ないけれど、読めば全体から何らかの行為があったことがぼんやり浮かび上がってくるので…。
何とも不思議な感覚。 -
2012/11/16購入
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佐々木中の『夜戦と永遠』は、学術書から程遠い「アツい」文体が魅力的だったわけですが、それがこうやって文学作品として提出されると、一転ものすごく陳腐な感じがする。
漢検の教則本を読んでいるような難読漢字の羅列と、意味のあるのかないのか分からない描写(いかにもブンガクと言った感じ、朝吹真理子みたい)と、ところどころどうしようもなく油断した文体。
うーん。
優れた批評家が優れた実作家になるとは限らない。 -
何が書いてあるのか、全く分からない。
走馬燈のごとく次々と変わっていく情景(しかも全然思い浮かべられない)、観念的な言葉ばかりが連なったかと思えば、突然リアルな会話が差し挟まれたり。
あー、こういうの苦手…最後まで読めないかも、と思ったのに読めてしまった。
言葉の洪水、そんな感じ。それに押し流されていくような感覚。
案外嫌いじゃなかったなあ。
そのことに一番びっくりした。 -
読むことと、書くこと。
http://blog.oga.cc/?eid=1247952#sequel -
正直話しの中身はよくわからなかった。
これが命をかけて読むべき文学ということなのだろうか?
詩としてなら流れるような言葉の連続は目に耳に心地良かった。 -
最初の10ページほどは正直どうなることかと、よく間違って買った本をそうするように投げだすことになるのではないかと心配しましたが、"だが仕方あってどうする" ”そうだ、いまは小便をすればいいのだ、小便を” あたりで読み手の居場所が示されたように思い、最後まで読み、面白かったです。読者フレンドリーな、意外に親切な小説なのではないかと思いました。といっても一瞬開けたかと思わせてもらった視界はすぐにひっかきまわされてしまうのですが。
しかし、前著であれだけ力強く文学の勝利を謳った後、自分で小説を書くと言うのは、まあ、すごい。マッチョなひとなのでしょうか。