- Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309020587
感想・レビュー・書評
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シャンソン歌手であられた石井好子さんのエッセイ集。
石井さんの大切にされていた持ち物や風景、日々のことが、品の良さと可愛らしさとを感じさせる文章で綴られています。
『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(暮らしの手帖社)を読んで以来、食いしん坊という印象が強かった石井さんですが、本書では少女のような愛らしい一面を垣間見ることができたように思います。
夫から「誕生日に何がほしい?」と聞かれて「地球儀」と答えた石井さん、淋しいとき心が重いときにその地球儀をくるくると廻すという石井さんが、とても眩しく感じられました。
あこがれの地であるウィーンについて書かれたエッセイは音楽の話題で始まり、食べ物の話題で終わります。
「またまた最後は食べものの話になってしまいます」という少し照れたような最後の一文に、石井さんの茶目っけが感じられ、なんて可愛らしい人なのだろうと思ってしまいました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
表紙が上品だったので読んでみました。文章にも気品が感じられて、素敵な大人のおばあさまのイメージ。こういう品のある老人になりたいな、と思わせる言葉の使い方でした。食べ物、歌、友人、小物、ドレスなど様々なものに関するエッセイがつづられていますが、食べ物に関する描写が秀逸!!
第二次世界大戦を経験した世代だけあって、時折ある戦後のエピソードについてもハッとさせられるものがありました。 -
読んでいる間は、石井さんの穏やかさを共有できたようで、いい時間を過ごせました。
タイトルの一つにこんなのがある。
「どんぶりで飲むキャフェ・オ・レ」。もうこれだけいろーんな記憶が頭の中をぐるぐる廻り出す。
そう、あのカフェオレボールっていうのが流行った頃のことを私は良く覚えている。パッと見”どんぶり”以外の何物でもないものが、パリからやってきたシャレタ食器であると言われ、あぁそういわれれば確かに素敵っ!とか思ったあの頃。
石井さんのこの話はその頃よりずっと前、しかもパリでのお話し。
この本は様々なテーマで20年以上前に書かれたエッセイを集めたもの。
本の最後はこちらも秘書さんが書かれている。
穏やかでキラキラ輝いた時間もいつの日か終わるのだと思い至り、
前回ほどじゃないけど、やはりジワリと涙が浮かんできてしまった。-
くんくんさん
私もカフェオレボウルがやたらと雑誌に特集されていたのを覚えています。
で、わざわざ自由が丘のアフタヌーンティで買っちゃ...くんくんさん
私もカフェオレボウルがやたらと雑誌に特集されていたのを覚えています。
で、わざわざ自由が丘のアフタヌーンティで買っちゃったくちです。
結局カフェオレに使われることなく、いまではかぼちゃなど盛られています。とほほ・・。2013/01/11 -
>nico314さん
自由が丘! アフタヌーンティー! …どれも憧れたものです。
そうですか、雑誌(=おしゃれメガネ)を通したカフェオレ...>nico314さん
自由が丘! アフタヌーンティー! …どれも憧れたものです。
そうですか、雑誌(=おしゃれメガネ)を通したカフェオレボールの真実の姿はやはり石井さんがいうように丼だったのですね ^_^
今回のエッセイ集は何十年も前のものなのに、どれもこれもみずみずしい。
石井さんの好奇心のキラメキが伝わってきて、自分のすっかり忘れてた思い出を呼び起こしてくれるみたいです(^.^)
2013/01/12
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日本とフランスと二つの国を軽やかに行き来出来る生活。すると価値観が、複数出来、心穏やかになると思う。多面的に観察出来る人は、幸せ人。読んでいて、楽しくなる。
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お嬢様を通り越してお姫様級なお育ちのよさで、
凡人の私にはついていけなさすぎた。 -
160629*読了
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生きていくのに大切なことを気づかせてくれる言葉がたくさん詰まっている。
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石井さんの小さなたからもの、シャンソン、パリ、旅、料理、犬の話が短い篇でたくさん。
眠る前にちいさな灯りでぽつぽつ読むのにちょうどよかった。
装丁も「バタをひとさじ、玉子を3コ」とおそろいのような感じで可愛い。 -
昭和20年代にアメリカ、フランスへ渡り、歌手として過ごした著者のエッセイ。
どれも楽しく読んだけれど、マネージャー(だったか、アシスタントだか秘書)だった女性によるあとがきがとても心に残っている。 -
エッセイ集。
「巴里の空の下・・・」や「東京の空の下・・・」のように、特別「料理の話題中心」というわけではない。
(それでも料理や食べ物の話題もけっこうあり)
一つ一つの話題が短いので、電車の中や寝る前に読むのにちょうどよい。
「父の残したたからもの」を読んで、自分の父や母のことを思い出した。「愛される幸せをあたえてくれた」というのは、わたし自身も常に思っていることである。