屍者の帝国

  • 河出書房新社
3.53
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本棚登録 : 3059
レビュー : 426
  • Amazon.co.jp ・本 (459ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309021263

感想・レビュー・書評

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  • 作家にとって死とは何か、ということを考えてみると、それは作品が忘れ去られてしまうことだろう。作者がすでに死んだ身であったとしても、作品が読まれ続ける限りは、その作品の内に作家は存在する。

    というよりも、作家とはつまり作品が読まれた後で事後的に存在すると感知されうる存在であるに過ぎないのかもしれない。少なくともテクスト論的にはそうでありうる。生身の作者はすでにこの世には存在していないのかもしれないが、その作品のテーマや文体に作家は生き続けている。新しく作家の作品を読む読者は、作家が100年前に死んでいようが、1000年前に死んでいようが、その作品の内に作家を見出す。その意味では、作者は紙に印字された言葉や画面に映された言葉の中に生き続けているとも言えるし、あるいは死に続けているともいえる。

    以上のようなテーマを内包しているという意味で、『屍者の帝国』は伝奇SFを装った円城塔作品であるといえるし、それはまた伊藤計劃の作品であるとも言えるだろう。

    正直なところ、最後の100ページくらいまで、私はこの作品を単なる王道展開の伝奇SFだと思って読んでいた。そして、円城塔が、伊藤計劃のあの世界観を再現しきれていないことを残念に思っていた。伊藤計劃の遺稿をベースに書き継ぐからには、そこには伊藤計劃がたとえば『虐殺器官』で描き出したような「肉」の描写が必要だが、円城塔の文体にはそれが欠けているのだ。

    伊藤計劃に独特の「肉」の描写。それは『虐殺器官』の冒頭の文に代表されうる。
    「まるでアリスのように、轍のなかに広がる不思議の国へ入っていこうとしているようにも見えたけれど、その後頭部はぱっくりと紅く花ひらいて、頭蓋の中身を空に曝している。」

    伊藤計劃の小説にとって、死体の描写は極めて重要だ。『虐殺器官』しかり、『ハーモニー』しかり、「The Indefference Engine」しかり。死体を詩的に描き出すところから、伊藤計劃の小説では戦争や生命といった主題が立ち上がってくるのであり、したがって今作においても、まさに「屍者」が主題の一つとなっているがゆえに、そこには「肉」の描写があって然るべきだった。しかし、円城塔が描き出した『屍者の帝国』には、そうした「肉」の描写はほとんど見当たらない。

    もちろん今作は冒険活劇でもあるので、多くのアクション・シーンがあり、屍者も生者もバタバタ殺されるのだが、そこには「肉」の描写が欠落している。したがって、半分ほど読んだ段階で、「これは伊藤計劃の作品ではない」として作品を放り出してしまう人がいたとしても、何ら不思議ではないし、むしろ当然だろうと思う。実際、私としても最後の100ページに至るまではそのような感想でいたのだから。

    では、最後の100ページを読んでどう評価は変わったのか。それは、結局のところ作家は作家でしかなく、円城塔は円城塔であるし、伊藤計劃は伊藤計劃であるということの気づきであった。確かにそこには「肉」の描写はないかもしれない。しかし、循環する言葉がある。円城塔の文体がある。その文体は「肉」の描写が提供するリアリティを補うものではないのかもしれないが、それとは別の論理的ショックを与えてくれる。小説が書かれることには目標があるのだとして、その目標がたとえば主題の提出ということなのだとしたら、主題を「肉」の描写によって提出するか、それとも論理的ショック療法によって提出するかは手段の違いにすぎない。と、そんな話ではある。

    あるいはバトンの引き継ぎといってもいいのかもしれない。伊藤計劃によるプロローグから始まったリレーのバトンは、何者かの手によって受け継がれ、最後の100ページで円城塔によって引き継がれた、と。そして、結局のところ「誰が」書いたのかは重要ではなく、「何が」書かれたのかだけが重要なのだ、と。このようにして二人の作者による『屍者の帝国』は完成をみたのだろう。

    「わたしは、フライデーのノートに書き記された文字列と何ら変わることのない存在だ。その中にこの私は存在しないが、それは確固としたわたしなるものが元々存在していないからだ。わたしはフライデーの書き記してきたノートと、将来的なその読み手の間に存在することになる。」(『屍者の帝国』p.432)

  • 予約待ち続けて、やっと読めました。
    「妖怪大戦争」張りの有名人がじゃんじゃん出てきます。まず其処が楽しかったです。氏の「MGS」ノベライズ作品の様なワクワク感。
    正直云うと、円城塔さんの作品は自分には読みにくく受け入れにくい物でして、先だって公開されていた伊藤さんのプロローグ部分から、どうやったらこの人が続きを書けるんだろうか(苦笑)みたいな姿勢で読みました。
    伊藤2:円城8の出来。いや、頁数の問題じゃ無く。
    概念的な話を、読者の納得を置き去りにしたままどんどんぶっちぎって進んで「え?終わったの?」って云う感じが円城さんっぽい。
    旅が進む度に繰り広げられる駆け引きや戦闘シーン、エンタテイメント的要素は伊藤さんっぽいです。
    所々、腑に落ちる円城ワードもあるので何とか付いて行けたと云う感じですが、ロンドンや山岳地帯、思惟的な夢の描写なんかも伊藤さん的で、円城さんええ人や~とか感心してみたり(笑)

    若干、ラストが煮え切らなかったのですが、
    旅(物語)の口火を切ったワトソン→伊藤計劃
    傍で物語を文字に綴るフライデー→円城塔
    とか思ったら、急に泣けてきました…
    「ありがとう」ほんとうに、ありがとう。

  • 伊藤計劃ではない、と思う。これは円城塔だ。それだけではなく、円城塔のエンターテイメント、である。

    アクションあり、ラブロマンスあり、ロードムービーありと、円城塔を一度でも読んだことのある人なら「え?」と言うこと間違いなしのハリウッド要素満載だが、それらをきちんと料理してエンターテイメントにしているあたり、その筆力は底しれない。そしてもちろん、円城塔お得意の美しい仕掛けも健在。それはキャラクターの名前に現れるオマージュであり、作品に度々現れる「誰もが自分の物語に沿ってしか物事を理解できない」という作品内法則であったり、紅一点の存在でもある。それら全てがエンディングにつながっているときづいたときのシビレは、なかなか味わい難いものだった。

  • 好きな伊藤計劃氏の遺作を円城氏が引き継いで完成させた物語。
    1900年前後の歴史をなぞらえた不思議な世界観や冒険を交えた緻密なストーリー、生者でも死者でもない屍者という設定は面白かったが、いかんせん小難しく風呂敷を広げた感があって難解だった。

    それでもハーモニーや虐殺器官のような揺さぶられる衝撃はなかったものの「魂」と「言葉」という伊藤計劃氏らしいメッセージは感じられた。死を目前にしながら死について心血を注いで考え抜いた氏らしい作品だった。

    世界をまわり、過去をみつめ、未来を考えたワトソンの最後の行動には奇妙な感動を憶えた。

    自分のなかに咀嚼できた感じはないの改めてまた読んでみたい。

  • 虚実入り混じる膨大な1900年代サンプリングと、壮大なストーリー、なにより「死者の残した文章から謎を探る」設定そのものが、円城塔が今回行った執筆と被る部分にグッとくる。
    これで本当に伊藤計劃とはお別れになるのか。

    そして主人公ワトソンのラストの展開も思わず涙を誘う終わり方に……
    純文学じゃない。最高のエンタメ小説‼

    円城塔の若干のオタク要素も垣間見える、文中の小ネタも計劃リスペクトだよなぁとか思いながら読んでた。元ネタに当たりつつ、二週目も読みたい作品。

    ただ相変わらず、一読しただけでは分かりにくい展開が数点あったので満点はキツいかと。

  • 現代におけるゴシック小説として秀逸な出来。
    基本的にゴーストバスターズだが、自意識を取り扱う小説でもあり、その流れでいけば、アガサ・クリスティ的な独白ミステリ(信頼できない語り手)の流れもくむ。(とはいえ、すぐ連想したのは田中芳樹のお涼様シリーズだったのだが、それでいくと両者ともホームズ-ワトソン関係のパロディでもある)

    作品において一貫する問いは常に、「誰がこの物語を語っているのか」という点にある。舞台装置やキャラクターに酔ううち、読者はいつの間にかこの事実を忘れ、時として、混乱しつつ読み進めることになる。

    エピローグは、個人的には少し冗長に感じた。
    だが、自意識、あるいは語り手、という点で物語りの結びとしては必要だったかもしれない。
    それに、円城としては、伊藤との合作という形で書いた以上、どうしても書いておきたかったのだろう、とも思う。

  • 魔法全盛の科学。

    メスメリズムとスチームパンクじゃ!わーお!
    科学史の中で二つの説、二つの道、二つの選択肢が提示された時。歴史上では選ばれなかった方に、正しくなかった方に進んだ話だと思っている。

    プロローグ以外は円城塔の執筆だけど、伊藤計劃が語り続けた人間のあやふやさは今作でも新しい形で書かれている。伊藤計劃らしさを感じられる大ネタだったので、遺作として見ても非常に満足している。

    日本編でちょっとお遊びが過ぎるかなー。
    あとまさかの神話的(蛸)ほのめかしにニヤニヤ。選ばれなかった方、正しくなかった方というネタの選定基準を考えればおかしくは無いな。

  • この作品が完成するまでの伊藤計劃と円城塔の「物語」を知らず『屍者の帝国』を手に取る読者はあまりいないと思うが、もしそういう読者がいるならば、その「物語」を知った上で読むことをオススメする。伊藤計劃と円城塔の「物語」を知っているか否かで、作品に対する評価は違ってくると思う。
    しかし、そういう意味においては「物語」を知らない人が読み、抱いた純粋な感想を知りたい気もする。恐らく現時点でブクログやAmazonでレビューを書いてる人は、その「物語」を知った上で読んだ読者であり、良い悪いは別にして、ドーピングをしているようなものだから。

    以前、円城塔の『道化師の蝶』を読んだ際に自分の読解力が不足しているだけの話なのだが自分の中に「円城塔=難解な作品を書く人」という構図が出来上がってしまっている。
    本作も決して読みやすい作品だとは思わなかったが、素晴らしい作品であることは間違いない。しかし私は一度で全て理解できたとは思わないので、再読の必要がある。

  • やっと読みきったという感じ。
    伊藤計劃の遺したものを円城塔が引き継いだ、ということで純粋には円城塔作品ではないにせよ、初の円城塔作品。話には聞いていたが難解。
    かなり理解せぬまま読み進めた。ただ、言葉運びとかはかっこいい。ザ・ワンのセリフマジカッコイイ。の一方「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」がバーナビーの口から飛び出す始末。守備範囲広い。

    伊藤計劃の遺志をちゃんと継いでいるな、と(勝手に)思ったのは、やはり『言葉』とか『言語』が物語の鍵になっていたところ。

  • 一見さんお断り。つべこべ言わずに伊藤計劃を偲んで読んでいこうよ。
    そんな感想になっちゃう本でした。


    面白いかどうかというと、、、面白い。けど難しい。眠くなる。

    章ごとに話が飛んでしまうのは慣れないと苦しいですね。頭の良い人の話についていけない感覚を味わえます。

    言語と人間の本質について、興味があったのでさらに興味が深まりました。
    伊藤計劃さん、ご冥福を祈ります。

著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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