おかんの昼ごはん ---親の老いと、本当のワタシと、仕事の選択
- 河出書房新社 (2012年11月22日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309021430
作品紹介・あらすじ
親の老いに哀しむ人、ここで泣こう!思いっきり涙を出したあと、胸の奥があったかくなる。進む道が見えてくる。
感想・レビュー・書評
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「ほぼ日刊イトイ新聞」連載のコラムとそれに寄せられた読者からの声をまとめたもの。副題の「親の老いと、本当のワタシと、仕事の選択」はそれぞれ独立した章立てになっている。
もっとも反響が大きく多くのページが割かれているのが「親の老い」について。これは…、うーん、どう言ったらいいのかな、ちょっと複雑な読後感だ。テーマがテーマなだけに皆さんとても真剣で身につまされる。それは間違いないのだけれど、何と言うかすごく落ち着かない居心地のわるーい気持ちになってしまう。正直に言ってその生真面目さについていけない。もちろんこれは誰だって真面目にならざるを得ないことなわけで、私自身、夫の親と同居しており、遠い田舎に年老いた両親がいるので、そりゃあいろいろある。もうあるったらある。でもね、「あ~あ」と思いながらでも、ほどほどにサバサバした気持ちでいようと思っている(結構難しくはあるけれど)。なんだかすごく湿った重たい空気が漂っているのがちょっとつらい。
意外にも面白かったのが「またこれ?」と思いながら読んだ「本当のワタシ」。いまさら「本当の自分探し」もないだろうにと思ったら、そのテのものではなかった。自分を見つめる上で「ワタシ株式会社」「私のボスキャラ」という考え方は、なるほどと思わせる説得力がある。ま、あんまり見つめすぎないのが一番だとは思うが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
―――あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように、私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい(樋口了一/手紙)―――
他人に許せることが、なぜ身内だと許せないのか。
何度も同じ話をすることが許せなかったり、自分と同じことができない親を否定的に思ってしまう。
たとえば、パソコンやDVDの操作ひとつとっても、私が調べることと、親が調べて実行に移すことの大変さは全然違う。
親が老いていくことを、子どもである私には許容できない。
期待している。
いつまでも、親が親でいてくれることに。
親が老いるということを「肯定」するという考え方を、初めて、した。
そんなこと思っていいんだ!?
私だけじゃないんだ!
新鮮な驚きがたくさんあった。
自分でも抑えられないくらい爆発力のある怒りを、そのまま放出してしまう相手は、私にとって、母親だけだ。
そして恐ろしいくらいの後悔と罪悪感でお風呂場でしくしく泣いたことが何度もある。
この感情の源を、私は自分が少しおかしいからだと思っていた。
ヒステリーの最上級のとっても醜い、恥ずかしい、感情。
でも、私だけじゃなかった。
それは、すごく自分にとって救われることだった。
この本には、救いが書いてある。
親が老いて、いままでできていたことができなくなってしまうのは、とても悲しいことだけれど、至極当然のことだ。
人は、不老不死ではないから、ずっと若くはいられないし、ずっと生きてはいられない。もちろん、今の私は親を亡くすことをこれっぽちも許容できないし考えたくないけれど、いずれは、くる。
人をこの世に送り出すことが母親の役目であれば、この世から送り出すことは子どもの役目。
来たるべき日のために、すこしだけ、先走って涙がでた。
本書は、ズーニーさんが提示したコラムに対して
「私はこう思った」
「いま、私はこういう状態です」
と、読者のみんながとってもわかりやすく体験談を交えて発言しあっている。
質の高いしゃべり場だなあと感心しきりだった。
私たちの人生は、「青い春」があり、「朱い夏」に変わっていく。
あこがれや、外の世界を見ていた時期を経て、外を見ている場合じゃないと、内っかわに目を向けるようになっていく。
それは、親が元気な時に蓄えた財産だ。
親が元気な時に伸ばした「分母」のなかで、いざというときに選べる「分子」が決まる。
これは新発見でした。
なんと素晴らしい見解だろう。
せいいっぱい、目の前の現実を生きれば生きるほど、じぶんの選択の幅は広がる。
わかっていたようでわかっていなかった。
それもこれもぜんぶ、親が元気でいてくれるからできること。
私の親も、ことしで還暦をむかえます。
腹の立つこともあるけれど、だいじにしたい。
老人ホームに預けっぱなしのおばあちゃんにも会いに行こう。 -
前半、「親の老いに向き合う」これに悩んでいる人が他にもいることが分かって少し心強くなった。後半は他の著書でも語られている「教育」の話。
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ほぼ日イトイ新聞、おとなの小論文教室2011〜2012から3テーマ。死と老いを受け入れ、春の終わりを知ること。多様なキャラクターがあつまった組織のような自分。医療、福祉、教育の仕事の持ち場。
久しぶりのズーニーさん。相変わらずすごいし、ますます成長してる。読者メールも、世の中を支えているまっとうな人たちだと思いました。 -
親が衰えていくことを受け止める人々の短文を紹介する本。
短文記述の方法を教授するためであれば、ありえる方式なのかもしれないが、見たくはないが、見ずに済ませることもできず、しかもいずれ自分も通る道を、それでも受け止めるために読む本としては、無理がある形式ではないか。
途中までしか読めなかった。 -
「親の老い」「本当のワタシ」「仕事の選択」の3部構成でズーニーさんの経験から生まれた問いに対して読者が意見(メール)するという内容。ほぼ日の連載をまとめた本のようです。
本の中で「ほぼ日刊イトイ新聞の読者の質は、ネットの奇跡と言えるほど高い」とズーニーさんが言うように、
読者から寄せられた文章の上手さにとても驚かされました。
そしてその心のこもった文章、ひとつひとつに心を打たれました。
これこそがズーニーさんの伝えたい「あなたには書く力がある」ということなんだろうな。
私もこんな風に誰かの心に届くような文章を書いてみたい、と思いました。 -
大いに揺さぶられる本。
義務教育が終わっても
一人暮らしを始めても
初任給をもらっても
独り立ちしたという気分がなかった
わたしは親に甘えていたんだなと思う
祖母が老いて、
お見舞いに何度となく行くようになり、
親とも家族とは少し離れた視点で話すようになった
これまで気づくことの出来なかった、
素直に受け取れていなかった、親からの愛情を
しっかり受け止めてかみしめる時間となった
これまで、何かになりたい、なりたい、と願いながら
いつも半歩先を小走りで駆けていたわたし
過去を脱ぎ捨てて、足跡をつけることにやっきになって、そうすれば自分自身のことをいつか好きになれると思っていた
でも、いつも「いつか」に先送りしていたのは私だった
それは、私を幸せにしてくれていたのかな?
わたしにとってのありのままは、
「したいことを、したいときに、する。」
こと。
後ろめたく思ったり恥ずかしく思ったりしなくてもいい。だって、どんな選択肢でもわたしが決めたことだから。どちらが偉いとか優れているとかはないのだから。今はそう思えるようになった。 -
“自分を生きている”“ズタボロになりながら日常を戦っている”ズーニーさんに励まされ、勇気をもらえる本。
定期的に自転車のタイヤに空気を入れるように、
読み返して、自分に空気を送り込みたい。