想像ラジオ

  • 河出書房新社
3.39
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本棚登録 : 3357
レビュー : 521
  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309021720

作品紹介・あらすじ

想像すれば、聴こえるはず――。文学にしかできないことがある。「文藝」掲載時より口コミで話題を呼び、かつてない大反響を呼んだ、鎮魂と再生の物語。著者16年の沈黙がついに破られる。

感想・レビュー・書評

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  • 震災で亡くなったと思われるDJアークが次の世界に行く前に、残してきた人たちへの想いや自分の現状について電波に乗せる。リスナーもまた、突然失われた自分の人生を思い出しながら、想像ラジオから流れてくるトークや音楽に想いを馳せるのだった・・・。

    メディアで度々取り上げているのを見て、気になっていたけれどなんとなく回避していた。それでも、図書館の新着図書コーナーにそっと置かれていたところを通り過ぎることができなかった。

    ところが、読み始めてもなかなか進んでいけない。
    この本の予約を入れたというお仲間に、すぐに返却できそうにないと言ったところ、「いとうせいこう氏はどちらかというと純文学系ですから・・。単純でないのかもしれませんね・・。あせらずゆっくり読んでくださいね。」などとなぐさめてくれた。

    全体のトーンはじわーっと哀しみが漂っている。そして温かい。
    昨日まで連続していた日々が突然断ち切られ、それすら本人には確認できない。想像ラジオを通してリスナーたちが交流する中で自分たちの置かれている現状に気付く。愛する人や大切な人たちを残して自分だけがそこを去らねばならない理不尽さやいたたまれなさを受け入れるのは容易ではない。それでも、残していく人たちが幸せに生きていってくれることだけを願い、その兆しを確認できた時、現世とあの世の間にある緩衝地帯を越えていける。

    これって、大切な人を失ったことのある人がその人を思い出すときそうやって徐々に高いところに昇って行ってほしいという願望なのか、それとも生きている自分がいずれそういう道をたどるのかもという想像なのか・・・?

    たったひとりの人を失くしても、その喪失感は計り知れない。
    震災で大勢の人を失い、自分の生活も壊滅状態に置かれた方々の気持ちはいかばかりか。また、それぞれの背負っているものによって、感じ方もずいぶん異なるのかもしれない。

    せめて私たちは、想像しよう。
    この世界を去らねばならない人と、残される人。
    涙を流す人と、泣くことすらできない人。
    未だ立ち上がることのできない人と、雲の切れ間から差し込む光に顔をあげる人。

    そしていつか、皆が歩き始められる日が来ますように。
    そのとき、失くした人との日々や共に生きる人がそっと背中を押せたらいいなぁと。

  • 人の意識、想像、思考、想い。
    それが電波という思念となってココロの真ん中の
    ふとしたチューニングがあった人だけに届く想像ラジオ。

    必要なモノはイマジネーションだけ。
    AMでもFMでもなく、IM。
    意識、無意識に関わらず、届いてしまった人は
    同じ意識のステージにいる人なのかな。

    想像することだけで繋がっているラジオだけに
    リスナーが聞いている時間も温度も環境も
    流れてくる音楽も、DJの声も、その人のイメージも
    すべてが自分の想像で成り立つ、すべてが
    自由で象られる想像ラジオ。

    私の中でもはっきりと受信しました。
    ジングルもしっかり作曲しました。
    DJアークさんのビジュアルも声の想像も完璧です。

    リクエストで流れてくる音楽も
    『デイドリーム・ビリーバー』と言われて流れてくるのは
    それぞれが想像したその曲。誰が歌った、誰が演奏した
    この曲なのかもリスナー次第。

    この世の者とあの世の者を繋ぎえるかもしれない想像ラジオ。
    大切な人を突然亡くして、ただただ茫然と現実を
    受け止めきれない、愛する人に残された人たち。
    そして、自分の身に突然起こった出来事を受け止められない
    亡くなった人たち。

    物事には両面があるように、当然のように
    愛する人を失うということは、生きている人、亡くなった人、
    それぞれの立場が違うだけで、失った悲しみは同じであること、
    現実として受け止めることに混乱していることの大きさは等しいこと、
    大切な人を失って、後に残された悲しみに包まれていたけど
    ただ、互いが生きる世界を別の次元に切り離されただけ
    ということに気付いた。

    アフター3.11を取り扱った本書。
    あの日たくさんの人の運命が大きく変わってしまった。
    私も福島が父の故郷で親戚がたくさんいたり、数々の映像で
    茫然とした日だったけれど、実際に災害に見舞われた当事者
    ではないので、軽々しく言えるほどの悲しみでも苦しみでも
    ない出来事で、心で祈ることしかできなかった2年前のこの日。

    私にとって3.11はその1年後のちょうど同じ日、
    私は息子を産み、そしてその日に息子は天国へと旅立った。
    そんなこともあって、私にとっても3.11は最愛の人を
    亡くした人生で一番苦しい日となった。

    マスコミでもたくさん取り上げられる日なので
    テレビや新聞、雑誌、インターネット、いろんな媒体で
    その日付を目にするたびに、それでなくても
    忘れる忘れないなんて出来事でなく、片時も忘れない
    事柄を必死で覆って前に向かおうとしている毎日で、
    そこにやたらな煽りで3.11、3.11と取り扱われることで
    どれだけの被災者の方はそのたびにまた現実を、傷を、
    まざまざと突き付けられて、傷を新たにしているんだろうかと…。

    亡くした経緯や状況は違えども、これだけピックアップされる
    日づけに自分の出来事も重なったからこそ、形は違えども
    その日付を目にするだけで震えるほどの苦しみを覚える1人として
    震災にあわれた方にとって、風化させないためにという名分で
    今の震災へのメディアやネットでの取り上げ方は
    本当に真意は汲み取れているのかと、関わり方を改めて考えされられた。

    大切な人を失った人が、亡くなった人の意思を受け取りたい、
    どこかで繋がりたい、話がしたいと思うと同じく、
    亡くなった人も大切な人と別れなければいけない悲しみ、
    自分の人生にやり残したことやたくさんの想いを残した苦しみ、
    たった一人では切なくて、境遇を同じくした人と
    こうやって意識という電波で繋がっていたとしたら…と考えた。

    私が息子の声を聞きたいように、息子も私の声が聞きたくて
    聞こえなくて泣いているのかもしれない。
    まだ生きるということも理解ではないままに、亡くなるという
    現実を受け止めなきゃならなくなったあの子は
    今頃どうしているんだろうかと不安にもなった。

    でも、こうやって本を通して、悼む側があるのと同時に
    当然ながら悼まれる側の意識も同時に存在していることに気づいた。
    この世の果てにあの世があるのではなく、この世もあの世も
    同じくして悲しみも喜びも等しく存在しているかもしれない。
    私が息子の声を聞きたいように、息子の笑顔が見たいように
    きっと彼は毎日泣いている私の姿など望んでいないんだろう。

    私が笑えば彼も笑い、彼が笑えば私も笑っている。
    そんな風に繋がりを感じながら、目に見えなくても
    これからも苦しいほど愛しているキモチと一緒に
    歩いていけばいいだけのことなんだ。と気づかされた。

    すべては想像すること。
    私の電波をDJアークさんのように、息子は盗聴しながら
    時に笑ったり怒ったりしてくれてるといいな。

    いろんなことを考えたり、気づいたりするきっかけをくれた
    この「想像ラジオ」を献本してくださったブクログさん、
    河出書房新社さん、そして、素晴らしい世界を見せてくれた
    いとうせいこうさん、ありがとうございました。

    • 円軌道の外さん

      心に沁みるレビューに
      亡き人との
      いろいろな記憶を
      自分も思い出しました。


      自分自身、父親や親友や恩師をはじめ
      震災や...

      心に沁みるレビューに
      亡き人との
      いろいろな記憶を
      自分も思い出しました。


      自分自身、父親や親友や恩師をはじめ
      震災や事故で
      何度となく
      大事な人ばっか失ってきたけど

      けどそこで立ち止まってるのを
      一番悲しむのは
      いなくなった人たちやと
      俺は思うんです。


      自分がもし死んじゃった立場ならどうかなって考えた時に、
      俺の死を理由に
      誰かが前に進めなくなってたら
      やっぱ悲しくなると思うんです。

      死はいなくなった人のためにも
      乗り越えていかなきゃならないことやし、
      別れを怖れずに
      生きていくことが
      死んじゃった人が一番喜んでくれることやと
      自分は思っています。


      人の縁も
      忘れたい過去も
      忘れてはいけない気持ちも
      これからの未来に
      繋がってます。


      辛い過去があるからこそ
      人は強くなろうと思うし、
      そこから何かを学ぼうとする。


      なぜ人は
      年齢を重ねるんやろうって
      よく考えるんやけど、
      俺は思うんです。


      過去に縛られ、
      生活に逃げ込んで
      ドアを閉めるためなんかじゃなくて、

      まだ見ぬ新しい人たちと出会うため。

      そして今まで出会ってきた人たちの
      恩に報いるため。


      先に逝ってしまった人たちの生きれなかった思いを胸に
      1日でも多く生きるため。


      自分自身が選んだ場所に
      自分の足で
      歩いていくためなんとちゃうんかな〜って。


      俺もかなり時間かかったけど
      自分を捨てた母親も、
      叔父さんに虐待を受けたことも、
      石を投げつけた近所の人たちも、
      自分に罪をなすりつけた教師も、

      今は全て
      手放すことができました。


      自分のせいで死んでしまった
      親友への後悔の気持ちも
      忘れることなく受け止めて、
      亡くなった人たちの思いに
      少しずつでも報いていかなきゃって
      今は思って
      日々生きてます(^^)


      山本あやさんのこのレビューが
      大切な人を失って立ちすくむ
      誰かの後押しになるよう
      切に願っています。


      長文失礼しました。

      2013/04/22
    • 山本 あやさん
      [♥óܫò]∠♡円軌道の外さん

      生きていくことって失っていくことの繰り返しで
      なんともやるせなくて、辛いなぁ…って
      思っちゃうことってあり...
      [♥óܫò]∠♡円軌道の外さん

      生きていくことって失っていくことの繰り返しで
      なんともやるせなくて、辛いなぁ…って
      思っちゃうことってありますよね。

      でも、今ある悲しみだけに囚われるのは
      それも違うし、そこに絡まってしまうと、
      他の大切な人や事柄が見えなくなって、また大切なものを
      失うことにもなりえたり、他の人も悲しませることに
      なってしまうこともあるしですよね。

      時間が解決なんて生易しいことばかりじゃないけど
      だからって前を、上を、向くことを諦める理由にはならないし、
      ゆっくりでもしっかりと進んでいきたいですよね[*Ü*]

      円軌道の外さんが葛藤したり苦しんだりしながら
      手放してきた想いが、その分強い幸せを実らせてくれる
      ことを心から祈ってます[*Ü*]
      私も、もう亡くなってしまったんですが、長い間
      実の父に苦しめられ、恨んだりもしたんですが
      憎しみを手放して、すべてを許そうと思った時に
      ほんとにキモチがらくになりました。
      でも、憎しみが消えると残るのは愛情だけで、それゆえに
      切なさは倍増しちゃったりするけど、憎しみなんて感情は
      一番必要ない感情だから、どんどん排除して
      柔らかくてあったかいキモチだけを持っていきたいですね。

      許し許され、愛し愛されて生きていくことって
      ずこく幸せで尊くて、でもその分苦しいことも
      たくさんあるけど、でもでも、苦しい時に誰かの側に
      そっといられるような生き方ができるといいですよね。
      2013/04/23
  • 「想像ラジオ」 想像していた内容と違った。

    実際にラジオがあったら救われる人もいるかもしれないけど
    逆に傷ついてしまう人もいるかもしれない。

    受け入れられないことも、受け入れ出来ることも
    共有できる部分、共有できない部分もあって

    でも最後には泣いていて、うまく消化できない自分がいる。

    死者の想いや生存者の想い、葛藤。
    いとうせいこうさんの葛藤も入り乱れて
    私も気持ち乱れる、ざわざわする。

    テーマが重い内容の本は難しい。軽く語れない。
    目をそむけて耳をふさいでるだけなのかな、自分は。
    ちょっとショックだった。

  • DJアーク、そしてリスナーのみんな。3.11が未だリアリティを持てずにいた私に、この登場人物たち「死者」が教えてくれたことがあったような気がします。

  • この小説は読んでいて辛い。未曾有な震災によってある日突然数多の人の命が理不尽に奪われた。あまりの大きさ、想像を絶する出来事について、作家の方々は書きあぐねているのかもしれない。それを真っ向から描いたいとうせいこう氏は、小説に、読者に一石を投じているのではなかろうか。ラジオという媒体に乗せ声なき声を発信する、それは軽薄と映るかもしれないが、逆にそいう形でしか表現できないほどのインパクトのある出来事だった。生者と死者との関係、生者は死者の声を想像によって推し量る、それが死者を弔うことになるのではないだろうか。

  • いとうせいこうさんの『想像ラジオ』を読んだ。
    わけられない二つの間の微かな電波のローカルラジオ
    何処かにあったけど、言葉にならなかった、胸のなか忘れかけてた、奥深い透明な静かな名無しのラジオ局。
    こんな描き方もあるんだな、素晴らしい一冊だな。

  • 最初は想像するラジオって画期的でおもしろい。と思いながら読み始めたが違った。たまたま3月上旬に読んだのでいろいろと考えさせられる話しだった。
    死者の声、対話。3.11の津波に対する怒りの描写。
    答えはない。考え続けることが大事。
    この時期に読めたのはよかった。

  • 震災の時、自分がラジオに助けられ励まされたことを思い出した。

    DJアークの語り口は明るく饒舌なのに、読み進めていくと心がシンと静まっていくような話だった。
    死者を想い、思うこと。
    それは、生きている人が活きていくために必要なことなのではないか。

  • 人はひとりじゃない
    肉体をなくした魂もつながりを求めている

  • なぜか一気読みしてしまった。別に読みかけていた本を飛ばして一気に読み切った。誰もこの本を批評する事はできない。この本は一応DJアークの話として終わっているが、終わりのない話だ。今もどこかで想像ラジオは鳴っているだろうし、誰かがDJをしていると思いたい。この本を読んでも震災の被害に会われた方の本当の悩み、苦しみは理解できないのだとも思うが、自分に置き換えて考える事が少しできた気がする。

  • 想ー像ーラジオー (ジングル)
    こんばんは。あるいはおはよう。もしくはこんにちは。
    震災で津波にのまれて杉の木のてっぺんに引っかかって、
    この世とあの世のはざ間にいるDJアークがおくるラジオ、
    そう!これが「想像ラジオ」なんです!
    リスナーは同じような境遇にいる方全て。この世に未練があるがゆえに、あの世へ行けない全てにおくります。

    ―というお話ですが、3.11をテーマとしているわりにタッチが軽快。
    あまり重すぎず、しかし軽すぎず。そのアタリが著者いとうせいこう氏のすごいところでしょうか。

    亡くなった人から亡くなった人へおくるラジオが、
    それだけに留まらずに生きる人へと伝わるところがミソ。
    「想像」って偉大です。ある意味何でもあり。
    死者がどんなことを考えているのか?
    生きている人へどんなメッセージを残したいのか??
    誠に勝手ながら生きる人が、自己満足の延長線上にある解釈に過ぎない、
    そう思うのは私だけでしょうか?
    しかし、それも全て、
    「死者あっての生者」であり、「生者あっての死者」であるということ。
    もちつもたれつの関係とはよく言ったもので、
    二者はふたつでひとつという表現に、私はとても共感を覚えました。

    4章の解釈が非常に難しかったです。
    SさんはDJアークでもない、彼の奥さんでも子供でもない人ですよね?
    無関係なようで、白黒の鳥が電話の向こうの死んだ彼女(愛人)であるということの解釈。
    想像するに、ラジオが聞こえない人とのつながりを意識させて、
    決して無関係ではないことを伝えたかったのでしょうか。
    そもそも「ラジオ」であることが面白いです。
    目には見えないもの。音だけの世界。それすなわち想像であり、
    イマジネーション・ワールドなのですから!

    個人的にDJアークの奥さんと息子さんが、
    最後に登場して具体的な感動シーンを演出する!って終わり方をイメージしていましたが、
    そこも、・・・想ー像ーラジオー(ジングル)

  • 新聞の書評だったと思うが、ほめてあったので読んでみた。
    いつでもどこでも好きなときに、好きな声で、好きな音楽とともに聴けるフシギなラジオ。

    それは、ある日突然、存在の場を強制移動されたDJの慟哭のようなもの.......
    ただその振動に心の波を合わせて読み進めたとしか 書きようがない。
    合掌

  • 一気に読めた。もうこういう本がでるくらい時間が経ったのか…というのが1番の印象かな。震災との立ち位置でまったく違う感想だろうし、まだまだこれを読めない人も多いのじゃないかと思う。
    私は、好きな本だったし、被災地域に住む人として、震災と関わりのないたくさんの人に読んでほしいと思います。

  •  外回りの仕事中、車での移動中は一人きりで孤独な時間だ。そんな時の車中での友達はやっぱりラジオである。僕も例にもれずよく聴くお気に入りのラジオ番組がある。そのラジオのパーソナリティの決め台詞は「ラジオはソーゾーです」。ソーゾーとは想像であり創造である。ラジオファンならきっと頷けるキャッチフレーズだと思う。
     ラジオは映像が見えないからこそ想像力が働く。僕たちはパーソナリティのおしゃべりや音楽を聴きながらそこに様々な想いを巡らせている。顔も知らない人の喜びや悲しみをまるで隣で聴いているかのように身近に感じる。情報が溢れる現代社会で、これほどまでに想像力を刺激されるメディアは他にない。

     2011年3月11日、あの日この国を襲ったあの災害は、我々の認識と価値観を大きく変えた。一度に万単位の人が死ぬなんてそれこそ原爆投下以来の出来事ではないか。その日僕は自分の想像力というものがいかに貧弱なのかを思い知らされた。
     同月末、バンド「スピッツ」のボーカル・草野マサムネが震災報道などを目の当たりにした事による急性ストレス障害となり数週間の療養が必要になったと伝えられた。僕はこのニュースを耳にした時、さすがアーティストってのは感受性強いもんなんだなあと思ったものの、確かに震災後のあの報道状況と社会の気が滅入る空気を考えるとわからんでもないなとも思った。
     そういえばアメリカの作家カート・ヴォネガット・ジュニアは「芸術家はカナリアである」というような意味の事を言っている。社会に変化が起きた時に『炭坑のカナリア』よろしく真っ先に影響を受け、それを身をもってみんなに知らせることが芸術家の役割だという。なるほど、そう考えれば草野マサムネの身に起きた異変も理解できる。

     乱暴に結論づけてしまえば、全てにおいて想像力が大切なのだ。相手の気持になって考える。簡単に大人は子供たちにそう教えるけど、本当に想像力を働かせて相手の気持に寄り添える大人なんて地球上にどのくらいいるだろうか。やった方がやられた方の気持を想像することは難しいし、やられた方もやった方の気持になる事なんてできないだろう。人類の歴史上、この無理解からどれだけの悲劇が繰り返されてきたか。

     『想像ラジオ』。この小説は、木の上から想像のラジオ放送を続ける男と、作家の「Sさん」の物語が交互に語られていく。いとうせいこうの久々の長編小説は、あの震災が人々の心に残した傷跡がテーマだ。
     さっきも書いたけどあの日、僕達は想像もしなかったような災害を目の当たりにし、想像を超える現実に脳は大きな負荷をかけられた。やがてその後被害の状況が明らかになるにつれ、我々は被災者の気持を想像し犠牲になった人たちに冥福の言葉を口にした。震災とまったく関係なかった人でさえ、震災後はちょっとブルーな気持になる人が多かったし、基本的にそういう気持は美徳であるとされていたように思う。あの「自粛ムード」もそんな風潮からきたものだろう。
     だけど、いとうせいこうは問いかける。そんな気持に意味はあるのだろうか、と。これはとても重い問いで、確かに、死んだ人を悼む気持は家族や地域の人たちが十分にもっているはずで、関係のない僕らが死者の声を想像することに意味はあるのだろうか。
     作者は重い問題に愚直に向き合い続ける。つまり、死者が放送する想像のラジオに耳を傾けるのだ。そこに語られるのは劇的でもなんでもない何気ないおしゃべり。そこで繰り広げられるのは死者が死を想う言葉。
     死んだ人の声に耳を傾けるなどというのは生きている者の身勝手である。下手をすれば死者への侮辱だ。大がかりな追悼式典や慰霊祭なんてのも同じく身勝手である。生きている者は生きている者がすべきことをすべきである。
     しかし作者はそれでも死者の声を想像し続ける。いつの間にかこの国では死が身近では無くなってしまった。アメリカであのテロがあった時も、崩れゆくビルの中に死にゆく大勢の人がいたという事がテレビの画面からは実感できなかった。死は隔離された場所にあり、そこに想像は及ばなかった。
     そんな世界であの震災は起きた。比較的身近な場所で起きた大規模な死は外側から人々の想像力の膜を無理矢理破って極めて個人的な領域に侵入してきた。だからこの国の人々は大いに動揺し打ち震えた。慌てて死者の声を想像してみても、そこに聴こえるのが何なのか理解できるだろうか。果たして自分のエゴの声ではないだろうか。
     しかし死者は何かを発しているはずだ。いとうせいこうは真摯に耳を傾けている。その行為は恐怖を伴うものだが、それを甘受して想像し続けている。

     SF作家の山田正紀は「想像できない事を想像する」事を創作の原点としているそうだ。対して僕達は何を想像できているだろう。第149回芥川賞候補作。

  • 東日本大震災の後、書かれた最も大切な文学だといえるだろう。人はどのようにして死と、死者に向き合うことができるか、ということへの挑戦。想像ラジオ、それはやさしく平易な言葉で語られる、今は失われてしまった日常の姿である。そのDJの言葉でのみ語られるこの小説はおそらく今、ここでしか書かれ得ないものだろう。あの震災が、やっと文学を得たという感動。限りない哀しみと愛おしさが、心の深いところまでしみこんでくる。圧倒的である。

  • 無念でない死などあるはずもない。だから「非科学的な感傷」と言われようが甦り系の作品ってのは人の心打つのだろうし、過去何度も作品化されてきた。マンネリ・定番と言われようと個人的には好きなジャンルではある。
    が、本作の違和感はなんだろう。1章は導入の遊びだろうと寛容の気持ちで読み、2章でかなりシリアスな展開となり、その後に期待を持たせるのだが、結局は冗長な堂々巡りのどうでもいい話がダラダラ続いただけで、ストーリー性もなく、かと言って問題提起もなかったような気がしてならない。
    著者の根底にある想いは理解できるし、重要なテーマではあると思うのだが、その表現方法が幼稚で軽いので共感も感動もない。もう少しちゃんと書けなかったのか?とツッコミたくなる。
    でも、このレベルでも感動しちゃう人って結構多いんだなあというのがイガイでもあり、驚きでもある。

  • ラジオが聞こえる人と聞こえない人、声に耳を傾け想像することをどう考えるか、様々な視点から描かれていて、自分も震災のことを思い出しながら読んでいた。第二章が特に印象深かった。想像することに限界はあるが、他人である以上それが理解しようとする第一歩であるなぁと考えさせられた。
    物語に出てくる死者の声も、作者による想像の一つで、あの震災後も生きる私たちにその声がどのように語りかけてくるのか。想像することはこの先も忘れずにいたい。

  • 危うく電車の中で泣くとこでした。

    あの日からの色々を思い出しました。

    経験した者として、これからもこの国で暮らしていく者として、考えなくてはいけないこと。抱えてる気持ち。

    大事な人には大事だよって伝え続けること。
    いつ終わりが来るかわからないってこと。

    色々考えて、キリキリと切なくなりました。

    読んで良かった。読むのが少し辛かったけど、良かった。

    そして私は、東北人であることに誇りを持ってるよ。

  • 心の準備もないままに命が一瞬にして奪われ、意識というものが残されたならどんなことを想うのだろう。この世の未練、繫がっていた人への想い。そんなものが泉のように湧き起こるのか。この本の主人公のように想像ラジオを発信して自分の身に起こった出来事を探るのだろうか。そして悲しみと共に真実を知る。その真実を受け入れることで気持ちを前に向かせていくしかないのか。東日本大震災という不幸をどのように受け止めていくか、整理のつかない事実を受け止めていくしかない多くの人がいる。その中の一人の自分。他人事ではなく自分のこととしていつまでも心にとどめて置くことと思う。生きている自分がどうこれからを歩んでいくのか。奪われた命への鎮魂の書。

  • 始まりから、ただただ明るいくらいにカラッとした導入や設定。
    聴こえない音楽が聴こえないのに鳴っている、不思議。
    進行するにつれ、なぜか自分が目を向けることをしないままでいる事に、次第にリアルが追いついて、重なっていくようだ。
    それは、恐怖や悲しみなどといった言葉では一括りにはできない、その瞬間での断片的な切れ端、または、置き去りにした当たり前の日常のことなのか。
    拾い集められることによって、重層的に、紛れもない一つの物語となって読む人のなかで動き出す。物語をかたち作れるのは、境界線など存在しない世界の住人たち。
    それらをこの小説では、「耳を澄ます-想像する」ことによって「聴こえる」としているところに、新鮮さを覚えながら読み終えた。
    音もなく読書している自分を意識してしまうような読書体験だった。

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著者プロフィール

いとう せいこう
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。『ノーライフキング』でデビュー。『ボタニカル・ライフ ―植物生活―』で第15回講談社エッセイ賞受賞。『想像ラジオ』が三島賞、芥川賞候補となり、第35回野間文芸新人賞を受賞。他の著書に『ノーライフキング』『鼻に挟み撃ち』『我々の恋愛』『どんぶらこ』『「国境なき医師団」を見に行く』『小説禁止令に賛同する』など。

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