大本営発表のマイク: 私の十五年戦争

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  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309022123

感想・レビュー・書評

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  • 終戦までの年月に東京女子大学で国文学を学び、卒業後の一つ目の就職先が文部省で南方と支那で利用する日本語教科書を制作する。お役所仕事になじめず、もとより役者になる夢もあった著者はアナウンサーに転職。終戦の日は、放送室で同僚が担当する玉音放送を現場で体験している。放送を終えた同僚にお水を差し出して慰労。戦時中の東京の暮らしが細かく描写されているので興味深いです。田端で祖父母と暮らし、のちにおじおば親族のうちを転々とする孤独な身の上であるがゆえに、死んじゃってもいいなと空襲の中で何度も思う。終戦後男性アナウンサーが放送局に戻って来るから女性アナウンサーは退職を促されるだろうという噂が流れると、憤慨し、即座に辞職するなど、身軽で行動的な著者の性格も読み取れます。著者は1922年生まれ。

  • 図書館でめずらしく予約本が一冊もきてなかったときに、新着棚で見かけて借りた本。「大本営発表のマイク」に「近藤富枝」とくると、昨夏に読んだ梯久美子の『昭和二十年夏、女たちの戦争』を思い出す。青春時代にあの戦争を経験した女性たち5人の話を聞いたもので、その冒頭が近藤富枝だった。

    NHKアナウンサーだった近藤の話は、そこに引かれていた石内都の『ひろしま』の話とともに、印象深かった(『昭和二十年夏、女たちの戦争』のことは、昨年のWe180号の「乱読大魔王日記」で書いた)。

    この『大本営発表のマイク 私の十五年戦争』は、卒寿をすぎた近藤が、編集部のすすめにより書きおろしたものだという。タイトルがこんななので、NHKアナウンサー時代のことが中心かと思ったら、この本は、近藤の小学校時代、女学校時代、そして東京女子大に通っていた時代に演劇に傾倒していたことなど、前半はNHK以前の近藤の来し方がたっぷり書かれていた。読んでいて、歳は違うが、沢村貞子の話を思いだすところがあった。

    ▼私の9歳から23歳まで日本は戦っていた。少女から妙齢に至る期間で、私の一番大きな戦争被害は華やかなもの、この年齢で本来味わうべきさまざまの世界、恋、若さの自由などから見捨てられていたことである。おしゃれ、遊びなどに無器用な人間は、我々の世代に多い。(p.238)

    近藤富枝は1922年、大正11年のうまれだ。敗戦の昭和20年に、近藤は23歳だった。大正の後半にうまれたこの世代、とりわけ男性は戦死者の率が非常に高い。特攻で散った死も少なくなかった。

    ▼…海軍の全特攻作戦における士官クラスの戦死は769名で、そのうち飛行予備学生が648名、全体の85パーセントを占めた。これが涙をのんで本を捨てた学徒たちの運命だったとは。昭和20年の日本の男性の平均寿命は23歳9ヶ月だった。私とほぼ同じである。(p.172)

    東京女子大を出た近藤は、NHKのアナウンサーとなるまえに、文部省で働いている。教学局の国語課で、南方向けと支那向けの日本語教科書を制作するのが主な仕事だった。といっても、近藤は文部省の正規雇用ではなく、外郭団体である日本語振興会からの派遣だったという。

    近藤が、自分の書いた教科書の文章の題を覚えていると書くのは「パレンバンの落下傘部隊」と「乃木将軍のおちいさいころ」。パレンバンの落下傘部隊は、いわゆる戦争画でも描かれている(油田と製油所があるオランダ領東インドのスマトラ島パレンバンを日本は奪取しようとしたのだ)。

    ▼今、文部省でしている仕事が国の戦力の何かになっているという考えは、毛頭うかばない私だった。いい事にはそうした考えを私に言う人物はいなかった。(p.126)

    役所づとめは自分に向いていないと思い、戦局が日に日に悪化するなかで、近藤はこれからどうしようかなアとつぶやく。ある日、日本放送協会で女子放送員の募集があるとラジオのスポットで知り、「飛び上がりたい程うれしかった。これで袋小路から抜けられると思った。今の職場のカビ臭い倉庫のような薄暗い環境は、自分には向いていないと思いこんでいたからである。」(p.133)と近藤はふりかえる。

    試験を受け、採用され、養成所を経て、近藤もニュースを読むようになる。大本営発表も読み、特攻隊の出発を読んでもいる。

    ▼あいかわらず大本営発表を週に一度読み続けていた。ニュースだけの日もあったが、特別攻撃隊の戦死者が二階級特進を受けた知らせを読むことも、毎回のようにあった。海軍は1359機、陸軍は1088機という出撃で、隊員の数はあわせて2690名に及ぶという。少尉は大尉に二等兵は上等兵にとなる。読むうちに死んだひとはこんなことでうかばれるのだろうかと思った。親は、妻は、子は、と思う。

     しかし私はこんな深刻なことをいつまでも考えるタイプではなくて、アナウンサーとして割り切って通りすぎていくのが例であった。言い訳をするつもりではないが、仲間の13人も皆同じだったろう。大本営発表を疑うより失敗なく読むことの方が大事だった。夜中の時間だった頃、南仏蘭西をなんふつらんせいと読んでしまったことがある。こんな初歩的な間違いを二度とやってはいけないという気持ちがあった。そのためかニュースの内容まで批判する習慣が私から消えていた。一言でいうなら、"軽い人間"に私は属していた。(p.181)

    梯久美子が聞いたのは「昭和二十年夏」のことだから、近藤の経験のなかでも、NHKでアナウンサーを務めたこと、敗戦の日の心持ち、そして戦後…という時期に焦点があたっていた。近藤が、自ら振り返って記したものを読むと、梯が記した5人の話の流れとは、またちょっと違うものを感じる。

    家族関係、演劇への思い、どんどん出征していく男性に代わっての職場勤め、東京の空襲、そして、玉音放送のあの日、戦後に男性たちが戻ってきて女性が職場を追われたこと… 思春期から青春時代の近藤の記憶を読みながら、"戦争という時代でなかったら"ということを考えたりした。

    (9/26了)

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著者プロフィール

1922-2016年。作家。東京生まれ。きもの、日本文学、日本服飾史の研究に携わり、著者多数。著書に『一葉のきもの』『文士のきもの』『日本美術に見るきもの』など。

「2018年 『伝えておきたい古きよききもののたしなみ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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