新しいおとな

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 14
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309022697

感想・レビュー・書評

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  • 子どもが本を楽しむにはと心を砕いている様子が現在と変わらぬように思えた。
    そうだよ、読ませようと強制するのは違うんだよ。
    しかし、本当に問題点は変わらないんだなぁ

  • だいぶ古い本だがいしい氏の子どもの本や図書館にかける熱い思いが伝わってくる.読まれる本,子どもの好きな本は何年経っても変わらないのだと,しみじみ思いました,

  • 石井桃子さんのエッセイ。
    これは比較的晩年のものが多い。
    このシリーズは装丁がとにかくかわいい。

    このシリーズの戦後のエッセイから晩年のものまで読んでみて、まったく違和感がないのがすごいと思った。
    どこをとっても桃子さん。
    何十年こどもを見続けても常に発見しているし、柔軟な目をもっているのにずっと変わらない。
    影響を受けたり新しいものを受けいれたりはするけれど、大事な芯の部分はゆるがないから、いつだってこの人は、いしいももこでありつづけたんだろう。

    それにしても、この本もあの本も、おさないころにお世話になった児童書たちがたっくさん出てくる。
    石井桃子さんが日本の子供の読書環境に与えてくれたものってとんでもなく大きいのだなと改めて思う。
    そんな偉大な存在なのにそれを感じさせない自然体なのもすごい。


    内容云々じゃなくて、その同一性に、はるかぜちゃんのエッセイを連想した。
    …と思ったら、あっちにも同じ感想書いてた。
    『少女と傷とあっためミルク』https://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4594071465

  • よい本ってなんだろ?繰り返し読んだ絵本や物語は、いつの間にか自分の中にじわーっとしみてきて、今の自分の小さなひとつのモトになっているような気がする。子どものころの私は、主人公の気持ちになりながらも、自分との違いをちゃんとわかっていて、羨ましがりながら、不安になりながら、バカにしながら、共感しながら、そこで人生を学んでいたのかもしれない。子どもによい本を。いろんなことが複雑になっている今の時代だからこそ、子どもの心のタネになってくれる本を側に置きたいと思いました。

  • 随筆集。
    昔に書かれたものなので、紹介される図書の値段が80円だったり、40円だったりで、なかなか新鮮でした。

    子供のことをよく見て、感じている方なのだということがよく分かり、子供へのあたたかな思いや、絵本や文学に対する思いが伝わってきました。
    ただ、内容が難しいというわけでもないのに、読みにくさを感じました。
    途中、上下二段に分かれているところがあるのですが、そこが特に。

  • 石井桃子の随筆集。タイトルがいい。多くは1950〜1960年代に書かれたものだが、内容は全く古く感じない。子供も大人と変わらず十人いればみな違う。子供について一概に、こうだ!と語れるものではないという事。子供の本というより人としての本を作ってきた石井氏のその人柄、そして、良い本を世に送り出すという強い信念が感じられた。

  • 雑誌、会報、新聞などによせたエッセイ、評論を集めた本。子どもと本の関わり、また児童文学への大人の関わり方などが主なテーマ。
    発表場所がいろいろなので、同じことを述べている文章もたびたび出てくるけれど、それだけに石井さんの考えが頭にしっかりと入ってくる。
    本を子どもに押し付けるべきではない、良書がそろっていれば、子どもはすすんで自分に適した本を選び取ることができるし、誰に何の本が良いのかは十人十色である・・・というようなこと。
    なるほどナ、と思うと同時に、万人にとって最良の本とか、賢さに直結するような効能抜群の本なんかを(そんなものがあるとすればだが)我が子に与えたい、という親の気持ちも決して突拍子もないものではないんだろうナ、とも思う。
    好きとか面白いとか、気に入らないとか分からないとか、うまく表現する言葉をまだ持たない子どもたちに、それでも大人は良いものを提供し続けることを止めてはいけないんだなぁ・・・。
    児童文学のなかで何を語り、どう伝えるかっていうのは、きっと永遠に手さぐりなんだな、と感じた。

  • 石井さんの言葉は、力強く、信念に満ちている。文庫を開かれて、子どものなまの反応をみている方の言葉なので説得力がある。それでも、あくまで子どもに押し付けはしないで、差し出しているのが、すごい。

  • 年明け恒例の"お年玉本"の候補で、ちょっと図書館で借りて読んでみた。タイトルからして、もしかして思春期間近の小5にいいかな…と思ったけど、どっちかというと文庫活動をやってるような大人向けだった。

    石井桃子が亡くなってから、単行本に入っていなかった文章を編んだ本が数冊出てるらしく、こないだ本屋で『においのカゴ』という創作集を見かけた。同じ河出が出した他のタイトルを調べて、『新しいおとな』がちょっといいような気がしたのだった。

    巻末の初出一覧をみると、古いものは1941年の文章で、1950~60年代の文章もかなり多く、紹介されている本の値段も"「熊のプーさん」岩波書店 1円20銭"とか、"中勘助「銀の匙」岩波文庫(80円)"とか、当時の値段のままなのがおもしろい。「熊のプーさん」(この「熊」と漢字で書いた古い本は、児童文学館所蔵のものを歴博の展示で見たことがある)が1円20銭だった頃、その値段でどんなものがほかに買えただろうと考える。

    子どもや読書をめぐる文章が収められている中で、「働く年少者の作文をよんで」が印象深かった。1960年代の初めに、石井が「働く青少年の作文」の選者をしたらしい。それで読んだ150編ほどの作文から、まず石井は「この日本に連日連夜、働いている生身の若者や少年たちがいるのだという事実に圧倒される」(p.65)と書く。

    ▼そして、読んでいる間、何よりも私の心を動かしつづけたのは、これを書いた若者、少年少女のひとりひとりが、けっして絵空ごとでなく、からだを動かし、汗をかき、糸くずにまみれ、牛乳をのせた自転車をひっぱり、働いているのだという事実だった。おなじ年ごろの子どもが、母親にかしずかれ、ねぼうをし、学校にゆき、先生の欠席を喜んでいる時に、かれらは、働いている。しかも、こういう境遇の差が、偶然、そこに生まれあわせ、または、ある小さい企業に雇われたということのために、決定的になっているというのは、何という不公平だろう。私は、子どもの降伏が、母親にかしずかれ、学校にいくことにあるとは思わないし、また、働くことが、絶対的な不幸だと思ってはいない。しかし、いまの日本で、年少の身で働くことは、やはり育つ上にいろいろな制約をうけることであるし、偶然が、一人の人間に決定的にのしかかってくることは、やはりたいへんなことだと思わずにいられない。(pp.65-66)

    ある青年は、自分が風邪をひいた時に店主がそれを悪いことのように扱われ、店主自身の子どもが風邪をひいた時とは何というちがいだろうと書いていた。お店で住みこみで働きながら夜学に通うむすめは、夕方店を出るときに「すまない」と思っている。石井は、もしこのむすめが制度のととのった国に生まれていたら、同じ年頃で働きに出たとしても、夜学にいくのにすまないなどという気持ちはまるで持たず、まったく別の人間として育つのではないだろうかと記している。

    さらに、この若い人たちのために、いまのままでもやれることがあるとしたら、その大きな一つは、昼間の学校にいってないことについての劣等感をとりのぞいてやることだろうという。働く青少年たちの作文の多くに、高校に進んだ友人たちから軽蔑の目で見られ、劣等感に苦しむことが書かれているというのだ。

    この本には、石井が自宅をひらいてやっていた図書室「かつら文庫」のことを書いた文章も多い。その中で「漫画」と「雑誌」について石井が書いている部分は、当時どんなもんやったんかなーと思いながら読んだ。

    ▼「かつら文庫」には、漫画も雑誌もありません。あるのは、本だけです。しかし、そこにある本なら、どの本を出しても文句はいいません。(p.79)

    ▼私は、ながい間、特に漫画を意識したり、敵視したりしないで、子どもを「本」を読む方向にむけることができるのではないかと、頭のなかだけでは考えていました。しかし、自分の子どもというものをもたず、学校で教えたこともないので、それを自信をもって云いきることはできませんでした。…(略)… 漫画の本は、一冊もありませんが、これは、図書館びらきの日に、みんなにことわりました。しかし、「漫画がいけない」なんてことは、ひと口も云いませんでした。「家には漫画はないのよ。でも、みんな、友だちと借りっこして読むんでしょう?」と言ったら、「うん」と云って、笑っていました。(pp.138-139)

    この後ろには、かつら文庫の人気ものは、文章も絵もよい絵本、各国の民話だという話があって、これは文庫にくる子どもたちが漫画を読まなくなったということでしょうか、そうではないのですと続く。

    ▼子どもたちに聞くと、友だちと貸し借りして、漫画があれば、それに読みふけってしまうのだそうです。しかし、またべつのところへくれば、ちゃんとよい物語をよみ分け、美しいひびきを聞き分けています。…(略)… おそろしいのは、漫画だけになり、成長過程の子どもから、せっかくもっている能力をねむらせてしまうことです。(pp.141-142)

    という末尾の部分を読むと、やはり石井はどこかで、漫画を敵視とはいわないまでも、そればかりになっては困るモノと考えていたように思える。

    文庫をひらいて一年経った頃には、こうも書く。
    ▼この一年の経験で、「漫画をおかないでも、子どもは本を読みにくるか」という心配は、まったくいらないことだったということがわかった。子どもたちは、ここなら文句を言われずに楽しめるなと感じた場所には、いさんでやってくるのだ。(p.149)

    これはもう、漫画がどうのという話ではなくて、場のつくり方やなーと思う。

    文庫に来ていた小5のSさんが、岩波少年文庫の編集部にあてて出した手紙には、これまで読んだ少年文庫のなかで、おもしろかったものの感想が抜粋されている。その中に「あしながおじさん 続  正よりおもしろい。手紙の文章だけでできているがこ児院の改良がおもしろい」(p.161)というのがあって、金井美恵子のお手紙小説を読んだばかりの私は、なになに「手紙の文章だけでできている」?と、あとでこの続を読んでみたくなった。

    巻頭の「私の読書」で、ごく最初の本の記憶として書かれている、舌切りスズメの物語を読んでもらったときの心のうごきの描写が、わけてもよかった。

    (1/2了)

  • 活字が。読みにくすぎる…
    文章じゃ無く、字が。
    こんな読みにくい本は初めて。
    文章の優しさを一生懸命読みました。
    本当に、体力的にも一生懸命!

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著者プロフィール

1907年埼玉県生まれ。1951年に『ノンちゃん雲に乗る』で文部大臣賞受賞。1953年児童文学に貢献したことにより菊池寛賞受賞。童話に『三月ひなのつき』『山のトムさん』、絵本に『くいしんぼうのはなこさん』『ありこのおつかい』(以上福音館書店)、翻訳に『クマのプーさん』『たのしい川べ』『ちいさいおうち』(以上岩波書店)、『うさこちゃん』シリーズ、『ピーターラビット』シリーズ(以上福音館書店)など多数。

「2022年 『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー KATY AND THE BIG SNOW』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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