- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309025148
感想・レビュー・書評
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読了日不明。
どこまでいっても読み終わった感がない。
無人島で持っていたい本の一つ。
淋しげな砂とともにいたい。瑞々しく愛おしい、生成変化にふれたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2018.10.13. 古書籍即売会@鶴屋にて購入。
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貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
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読んでいる最中に、本書のわからなさが、まるで経典のように思えてきた。わからないのだけれど、何かすごいことをいっている、ということだけはわかる。
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(まだ半分しか読んでない時点で書いたレビューなんだけど、全部読んでもそんなに変わらなかったのでそのまま掲載)
全部読んでもまぁ意味はわからなかったけど、それでもなんとなく言わんとしていることはわかる気もした。
確か著者自身がツイッターで書いてた気がするんだけど、「雨宿り」というのが、軒下にはいることで降りしきる雨から逃れられるように、「現実宿り」というのは、絶え間なく押し寄せる現実から、一瞬だけ逃れる行為なのかもしれない。
私たちは普段の生活において、「AはAである」とか「BはBである」といった、ごく限定的な理解でもって世界と関わっているのだが、それは現実というものが持っている様々な可能性を極めて縮減した形でしかないのではないか、ということを考える。
すなわち、私たちが「現実」と読んでいるものは、実は多様にあり得る可能性のあくまで一つに過ぎず、もっともっと別の形の現実がありうるのではないか。そうした考えが、私たちの頭をよぎることはあれど、しかし現実が絶え間なく流れ、そしてそれに流されたりしている間に忘れてしまう。
「AはもしかしたらBかもしれない」とか、「Aというのはそもそも何か」とか、そういうことを考えることが抑制されてしまう。はじめはなんだか違和感があっても、しかしすぐに慣れてしまう。「AはAだ。現実とはそういうものだ」とすらすら言えるようになってしまう。
そうした私たちに必要なのは、この現実を押しとどめることだ。あるいは、その現実が降りしきる世界から、いったん軒先に隠れ、避難すること。そうすることで、「現実」と呼ばれているものから少し隔離された状態で、そいつのことを検討したり、別様の「現実」のあり方について考えられる。
個人的にはふだんフルタイム賃労働の世界にいるので思うのだけれども、賃労働の世界(あるいは「大人の世界」と言っても良い)にあっては、その根底には「固定的な現実」が想定されている。「AはA」でなくてはならないし、それらを規定する枠を疑ってはいけない。
それは、勿論便利ではあるが、同時に想像力を貧弱にすることとセットでもある。だいいち実際に広がっている現実はそんなに固定的じゃないのだから、「現実」にしがみつくと、むしろ実際の現実の状況がよくわからなくなる。「現実」はあくまでフィクショナルなものではないか。
別の言い方をすると、僕自身この世界の「現実」と呼ばれるものが別に現実だと思っていないというか、みんながそうだと思って見ているものを、別に本当だと思っていないところがある。「現実は必ずしも現実じゃない」と思っているフシがあるのだ。あるいはそれが面白いとも。
だから、坂口恭平の全くもって意味不明な視点も、あながち間違いではないというか、共感できる。僕はこの本を年末年始の休みの時に読んだのだが、こういう本を賃労働から離れている時に読むのは非常に有意義だろうな、という感覚を持った。
坂本慎太郎風に言えば、「少しの目の位置でなんにでも変われるって」(「ゆらゆら帝国で考え中」)とか「この世はもっと素敵なはず」ってな言葉だし、辺見庸も「現実は虚構だと言い切る時に人間の最後の尊厳が賭けられている」みたいなこと言ってたしな(「絶望という抵抗」)。そういうことなのだろう。
「それは単純だけど、少しの目の位置でなんにでも変われるって 馬に変身、盛り上がってない時もなんらかの楽しみ方があって」 (ゆらゆら帝国で考え中)
「「現実」は現実ではないかもしれない」という視点。リアルとリアリティの違いとも言えるかもしれないが、そうしたことを考えさせられた本だった。 -
村上春樹さんを意識しているような
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一般的な小説とは異なり起承転結はない。イメージの浮遊、空想と現実、主観と客観を行き来するように描写されていく。時に天空から見下ろすように地上から見上げるように命あるものを描写している。書かれたものから何を感じるかは読む度に異なるだろう。