- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309025247
感想・レビュー・書評
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こんな状況に陥ってはいないけど、秋吉のボクシングに向けた感情、生き方の不安のようなものは同じく抱えている気はする。
どこか常に踏み込んでいないと、常に越えようとしないと、俺が俺を捨てないと、不安に負けてしまう感覚。
272冊目読了。
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面白く読んだ。ある種 青春小説と言ってよいのでしょうか。独特な言い回しや感覚や敢えて仮名遣いを多用したりと個性的な作品。同世代よりも振り返り世代の方が共感するかも知れないと感じた。好みは3編目の 読書 だけど殻の破り度合いはおとなしい。誤植が2つほどありましたね。
今35歳の会社員作家、それこそ今後どう脱皮するのでしょうか? ちょっと気になる作家でした♪ -
【青が破れる】
「いいのいいの、確率の問題だから、純粋に ー 死ぬとか生きるとか、わたしのは、健康と関係ないから」
「気まずいごっこ」
「気まずいごっこ?」
「お見舞いにきても、気まずいでしょ? 会話とか、不自然になるし。だから敢えてさらに気まずくし、気まずさをモヤモヤさせることなく、お見舞い客を安心させるこころみ」
「変わってますね」
「変わった病気にかかるとね、どうしても」
「ハルくんに、あいたいな」
「でも、くるなっていったんですよね」
「だって、ハルくんはかえるでしょ? 許せないの。死ぬこととか、病気に選ばれたこととかは、わりに許せるけど、許せるっていうか、許せる許せないのレベルじゃないし、『はぁー、まじか』って感じだけど、ハルくんがきたらかえっちゃうってことだけは、どうしても許せない」
『だが、ほんとうのことなんていえない。だれしも嘘はいやがるのに、ほんとうのことを伝えないことはやさしいことだとおもっている。いつも。』
『夏澄さんにあえた日、からまた次に夏澄さんにあえる日、を一日みたいに考えたい。その一日は不規則に伸び縮みする。前回あったのが一週間前だから、おれはまだおなじ一日を生きている気分だ。あえたよろこびに浮き沈みする期間をおえて、安定的にながれる一日の情緒を、なんとか生きているよ、って夏澄さんにつたえたい。』
『あいたいなら、あいにいけばいい。でももうそれは、「おれの夏澄さんへの恋情」ではなかった。あいにいったら、それはおれの欲情であり、夏澄さんの孤独であり、それは情熱を装うけど、しんじつは空しい。』
『ひとの感情に、いちいち対処しなくてもいい、とおれはおもった。それは途方もないから。』
「とう子、ぼくらかえるで、またくるからな、とう子、起きひんか? 目さめたらさみしならんか? とう子、かえるで、でも、な、またくるやし…」
【脱皮ボーイ】
『もし女の子とつき合えたら、水族館とかプラネタリウムとか行こう。セックスの合間に、いっぱい行こう。』 -
著者の写真を見て素敵だとおもい、初めて読んだ著書が本作。
自然などの描写がカッコイイなーと思った。
登場する女性は、程よくエロやケアを主人公の男に提供してくれる"サービス精神"を持った人とコンパニオンを足して2で割ったような女性ばかりだ。何故そういう人物が出てくるのか、という疑問が読み手としては当然涌いてくるのだが、それについて書き手は、「男性」の書いた物語に多くみられる"処理"を行ない、それで済ませている。 -
今年の冬の芥川賞の記者会見で、「ニムロッド」の上田君は、予想に反しておっさんだった。隣に立っている町屋君が、少年ポイ感じで、読んでみようかなと思って読んだ。
ボクサーの話かと思って読みはじめてみると、微妙に違った。昔、いや、いまでもか、古井由吉が身体性と意識性のあわいを、流体的な感覚で描いていたと記憶しているけれど、町屋君のここに載っている作品は、身体と意識を別の次元化しようとしている「感じ」は伝わるけれど、講釈を垂れている語り手の説明化しているからだろうか、それに伴った、本来身体的な「病気」や「死」、「性的な行為」が、読み手であるボクには象徴的な印象しかもたらさない。
本人も書ききれないからか、「ナンビョウ」というふうにカタカナ語にしている。結局、「あわい」の面白さが、希薄になって、ホワーとしたムードを描いて終わっている、そんな感じの読後感。濃厚に描くと、ビョーキの話になってしまう所なので、難しいんだろけど、ちょっとねえ、何かが足りないんじゃないでしょうか。
きらいじゃないけど、頼りない。そんな感じかな。ああ、作品の印象も少年かな。 -
なんかよく分からなかった。
自分の身の周りにも死が唐突に訪れる。
死に直面している人。自ら命を絶つ人。
何もできない自分。何かしてやれたんじゃないかという傲慢。それでも走ることしかできない。
できることは、生きているうちに精一杯関われ、ということか。
それでもいろんな感情がやってきて、じゃあ精一杯ってなんだよ、ってなる。
結局は、流れに身を任せて、期待せずに生きようということか。 -
三作目の『読書』の滑るように語り手が入れ替わる文章が新鮮だった。