青が破れる

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309025247

感想・レビュー・書評

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  • 『1R 1分34秒』で
    第160回芥川賞を受賞した町屋良平の
    第53回文藝賞受賞のデビュー作。



    いやぁ、久方振りに小説(物語)ではなく
    文学や詩を読んだ気分。

    ひらがなを多用したきわめて感覚的な文体。
    読んでいる間は終始、気持ち悪さや居心地悪さが残るのに
    なぜだか読むことを止められない。
    そして、フックのある言葉が、
    寡黙だが浮かび上がる熱情が、
    どうしようもなくリアルに胸を射抜いてくる。

    クリープハイプの尾崎世界観や
    元パンクロッカーの町田康などミュージシャンたちがこぞって
    この作家に惹かれるのも納得。
    そこに流れるのは70年代の、
    ロックやアメリカのロードムービーの映画に多く見られた寂寥感とざらついた質感だ。
    僕の中では読んでいる間中、ずっと音楽(ブルース)が流れていた。
    サンタラの『バニラ』『独白』『うそつきレノン』、
    酔いどれ詩人トム・ウェイツの物悲しいピアノの音色としわがれ声、

    https://youtu.be/Ujn4YTrdBNI

    ライ・クーダーの哀愁のスライドギター、
    ニール・ヤングの魂のギターの音色、

    https://youtu.be/Rm1JRPi8XKg

    そして、ボクシングといえば外せないこの曲、久石譲の『キッズ・リターン』のテーマが行間から流れては消えていった。

    https://youtu.be/0WVhDXjzN1U


    物語はシンプルだ。
    プロボクサーを目指すものの
    いつもどこかが冷めてる主人公の青年秋吉(シューキチ)、
    秋吉の友達のハルオ、
    ハルオの彼女で、不治の病で入院中のとう子、
    秋吉の恋人だが、夫子がいる夏澄(かすみ)、
    秋吉のジムメイトで非凡なボクシングセンスを持つ梅生(うめお)の
    5人の若者が織り成す、
    夏から冬にかけての
    なんてことのない日常を描かれていく。

    作者の町屋良平は劇的な出来事なんてなくても
    当たり前に揺れ動く小さな感情を、
    繊細に積み重ねていくから、
    登場人物たちの生が鮮烈に浮かび上がってくる。

    秋吉との濃密なキスのあと、
    夏澄がコーラでうがいするシーンのリアリティに胸を衝かれ、
    秋吉、ハルオ、とう子、梅生の4人であてもなくドライブした真夜中のピクニックに懐かしさを覚え、
    (まるでジム・ジャームッシュの映画のようだ)、

    秋吉と梅生のスパーリングシーンは
    拳で語り合い通じ合う二人がうらやましかったし、
    (梅生の言動や行動にホモセクシャルの匂いを感じたけど、果たして?)

    夏澄の死を受けとめきれずに
    息子の陽(よう)を抱き締め泣き崩れる秋吉のシーンのイノセンスが無性に身に染みた。

    それにしても町屋良平は
    言葉に対する感覚が非常に鋭い作家だと思う。
    前述したようにひらがなを多用した一種独特な文体で決して読みやすいわけではないのだけれど、
    ハッとするフレーズがところどころに散りばめられているので読みとばすことができない。
    歩くのが困難な瓦礫の山の中を進んでいると
    あるハズのない宝石が突如として出現する感じ(笑)
    それに、ボクシングが文学と相性が良いことは古今東西様々な作家たちによって証明されてきたのだけれど、
    町屋良平の身体性を言語に落とし込む才能には目を見張るものがある。
    プロのボクサーだった僕からしても
    嫉妬を覚えるくらい、
    ボクサーにしか分からない感覚や思考のシステムを
    これ以上ないくらい上手く言語化していて
    なおかつ胸に迫ってくる。


    今は朽ちないことや老いないことをよしとする風潮が主流だけど、
    歳をとったり、朽ちていったり、
    変わっていくことを怖れず書いている小説が僕は好きだ。

    物語の終盤、失したものの大きさに
    梅生と秋吉は打ちのめされ、
    不変だと思っていた二人の世界も
    変わることを余儀なくされる。

    タイトルの『青』とは、
    青い時、未熟な期間。
    そして、『破れる』とは
    弱い自分からの決別を意味してるのではないだろうか。


    サムエル・ウルマンの『青春』という詩に
    こんな一節がある。


    青春とは人生のある期間ではなく
    心の持ち方を言う

    たくましい意志、豊かな想像力、
    燃える情熱をさす

    青春とは臆病さを退ける勇気、冒険心を意味する

    ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある

    年を重ねただけでは人は老いない
    理想を失うとき初めて人は老いる

    (青春から抜粋)



    もし、作者の町屋良平が敢えて書かなかった
    秋吉と梅生の最後のセリフがあるとすれば、
    ベタだけど、コレ以外にはない気がする。


    梅生「俺達もう終わっちゃったのかなぁ?」

     
    秋吉『バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ…。』



    とにもかくにも、今後が気になる作家である。

  • こんな状況に陥ってはいないけど、秋吉のボクシングに向けた感情、生き方の不安のようなものは同じく抱えている気はする。
    どこか常に踏み込んでいないと、常に越えようとしないと、俺が俺を捨てないと、不安に負けてしまう感覚。
    272冊目読了。

  • 面白く読んだ。ある種 青春小説と言ってよいのでしょうか。独特な言い回しや感覚や敢えて仮名遣いを多用したりと個性的な作品。同世代よりも振り返り世代の方が共感するかも知れないと感じた。好みは3編目の 読書 だけど殻の破り度合いはおとなしい。誤植が2つほどありましたね。
    今35歳の会社員作家、それこそ今後どう脱皮するのでしょうか? ちょっと気になる作家でした♪

  • 【青が破れる】
    「いいのいいの、確率の問題だから、純粋に ー 死ぬとか生きるとか、わたしのは、健康と関係ないから」

    「気まずいごっこ」
    「気まずいごっこ?」
    「お見舞いにきても、気まずいでしょ? 会話とか、不自然になるし。だから敢えてさらに気まずくし、気まずさをモヤモヤさせることなく、お見舞い客を安心させるこころみ」
    「変わってますね」
    「変わった病気にかかるとね、どうしても」

    「ハルくんに、あいたいな」
    「でも、くるなっていったんですよね」
    「だって、ハルくんはかえるでしょ? 許せないの。死ぬこととか、病気に選ばれたこととかは、わりに許せるけど、許せるっていうか、許せる許せないのレベルじゃないし、『はぁー、まじか』って感じだけど、ハルくんがきたらかえっちゃうってことだけは、どうしても許せない」

    『だが、ほんとうのことなんていえない。だれしも嘘はいやがるのに、ほんとうのことを伝えないことはやさしいことだとおもっている。いつも。』

    『夏澄さんにあえた日、からまた次に夏澄さんにあえる日、を一日みたいに考えたい。その一日は不規則に伸び縮みする。前回あったのが一週間前だから、おれはまだおなじ一日を生きている気分だ。あえたよろこびに浮き沈みする期間をおえて、安定的にながれる一日の情緒を、なんとか生きているよ、って夏澄さんにつたえたい。』

    『あいたいなら、あいにいけばいい。でももうそれは、「おれの夏澄さんへの恋情」ではなかった。あいにいったら、それはおれの欲情であり、夏澄さんの孤独であり、それは情熱を装うけど、しんじつは空しい。』

    『ひとの感情に、いちいち対処しなくてもいい、とおれはおもった。それは途方もないから。』

    「とう子、ぼくらかえるで、またくるからな、とう子、起きひんか? 目さめたらさみしならんか? とう子、かえるで、でも、な、またくるやし…」

    【脱皮ボーイ】
    『もし女の子とつき合えたら、水族館とかプラネタリウムとか行こう。セックスの合間に、いっぱい行こう。』

  • 著者の写真を見て素敵だとおもい、初めて読んだ著書が本作。
    自然などの描写がカッコイイなーと思った。
    登場する女性は、程よくエロやケアを主人公の男に提供してくれる"サービス精神"を持った人とコンパニオンを足して2で割ったような女性ばかりだ。何故そういう人物が出てくるのか、という疑問が読み手としては当然涌いてくるのだが、それについて書き手は、「男性」の書いた物語に多くみられる"処理"を行ない、それで済ませている。

  •  今年の冬の芥川賞の記者会見で、「ニムロッド」の上田君は、予想に反しておっさんだった。隣に立っている町屋君が、少年ポイ感じで、読んでみようかなと思って読んだ。
     ボクサーの話かと思って読みはじめてみると、微妙に違った。昔、いや、いまでもか、古井由吉が身体性と意識性のあわいを、流体的な感覚で描いていたと記憶しているけれど、町屋君のここに載っている作品は、身体と意識を別の次元化しようとしている「感じ」は伝わるけれど、講釈を垂れている語り手の説明化しているからだろうか、それに伴った、本来身体的な「病気」や「死」、「性的な行為」が、読み手であるボクには象徴的な印象しかもたらさない。
     本人も書ききれないからか、「ナンビョウ」というふうにカタカナ語にしている。結局、「あわい」の面白さが、希薄になって、ホワーとしたムードを描いて終わっている、そんな感じの読後感。濃厚に描くと、ビョーキの話になってしまう所なので、難しいんだろけど、ちょっとねえ、何かが足りないんじゃないでしょうか。
     きらいじゃないけど、頼りない。そんな感じかな。ああ、作品の印象も少年かな。

  • ボクシングのトレーニングをする秋吉くんと、周りの人々。
    春、夏、冬。三人の死。

    ---------------------------------

    クライマックスや問題提起のような場面が来るのか、と身構えながら読んでいたが、三人が亡くなり、えっ、と思ったら終わってしまった。
    登場人物たちの名前が春夏秋冬になっている理由もわからなくて自分の読解力の低さを悲しく思った。物語が唐突に終わることと、春夏秋冬の季節が気づかないうちに変わることをかけているのだろうか。ちがうよな。残念。


    短編二編も、視点が変わったりするところは、ふむふむという感じで読めたけど、何か始まりそうな気配で両方とも終わってしまったので何とも言えなくて悲しい。
    センスはどうやって磨くんだ。こういう文学作品を味わえるセンスが欲しい。

  • なんかよく分からなかった。

    自分の身の周りにも死が唐突に訪れる。

    死に直面している人。自ら命を絶つ人。

    何もできない自分。何かしてやれたんじゃないかという傲慢。それでも走ることしかできない。

    できることは、生きているうちに精一杯関われ、ということか。

    それでもいろんな感情がやってきて、じゃあ精一杯ってなんだよ、ってなる。

    結局は、流れに身を任せて、期待せずに生きようということか。

  • 三作目の『読書』の滑るように語り手が入れ替わる文章が新鮮だった。

  • 全然作風も違うが、読後の印象・感じ方は西加奈子さんの『窓の魚』を読んだ時のような、異質な物に触れたような、そんな感じである。
    文体はかなり特徴的で、改行と平仮名が多く使われており、文字量は少ないと思うが、文章やシーンの意図をのみこむためには時間をかけなくてはいけないと思う。現に、サラッと読んでしまった私にはよく理解できないまま終えてしまった。

    誰かに読んでもらって解釈が聞きたいと思う一冊。

    2020.2.22 読了

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著者プロフィール

1983年生まれ。2016年『青が破れる』で第53回文藝賞を受賞。2019年『1R1分34秒』で芥川龍之介賞受賞。その他の著書に『しき』、『ぼくはきっとやさしい』、『愛が嫌い』など。最新刊は『坂下あたるとしじょうの宇宙』。

「2020年 『ランバーロール 03』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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