- 本 ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309025254
感想・レビュー・書評
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R3.6.16 読了。
しみじみ良い本ですね。言われて改めて、人は大小、多少、深浅、善悪の違いはあれども、誰かに影響を与えながら、そして誰かに影響されながら生きているんだなあって思いました。
柱に書かれた眼の中のダイヤって神秘的な感じがしますね。
・「生きとし生けるものっていうのはさ、自分も入ってるんだよ。」
・「よいことも悪いことも受けとめて、最善をつくす。」
・「私がもどれる場所でありたいの。誰かが、私にもどりたいって思ってくれるような、そんな人になりたいの。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
癌の治療している女性の視点から始まり、姉・妹・夫・叔母・かつての同僚・同級生などなど彼女と関わった場面を色んな人の視点で繋がっていく話。
周囲で死別があって悲しさがぬぐえないとき等に、この本を読んでいたら、また響くものがありそう。消失感があってやるせないとき、そっと寄り添ってくれると思う。
『おんばざらだるまきりくそわか』
『生きとし生けるものっていうのはさ、自分も入ってるんだよ』
自分も含めて皆の幸せを祈る。
このことは時々思い出したいなと思ったので、忘れないうちに書き残すφ(..)メモメモ
2025.1
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ひとつの命が、水面(みなも)で ぽちゃんと音を立て
美しい波紋をいくつも描きながら、静かに沈んでゆく。
14話からなるこの物語。
ナスミの視線で、自分の命が終わるまでが語られる 第1話。
2話から14話で繰り広げられるのは
周りの人たちが ナスミと関わることで見た世界。
広がる波紋が描かれる。
43歳という若さでこの世を去るナスミ。
けれど、決して悲しい物語ではなく
むしろ祝福に満ちている。
ふと、黒澤明監督のオムニバス映画『夢』が浮かんだ。
最後の「水車のある村」
村人が華やかに行なう葬儀の話だった。
亡くなった人が良い人生を最後まで送ったことを祝って
お棺を取り囲んで笑顔で行進する映像は衝撃だった。
これを観て、死生観がガラリと変えられた。
ちゃんと生きた命の終わりは
祝福で満たすべきなのかもしれない、と。 -
43歳で亡くなったナスミ。皆んなが思い出すナスミの姿がなんとも大らかで器が大きくてカッコいい。いつでもガハハと笑っていて、皆んなの背中を押してくれる。微笑む、くらいじゃなく、ガハハと笑って生きていけたらいいなと思う。笑子ばあさんの「笑子」って名前が楽しい一家の血を表してるような気がする。
ナスミが小泉今日子、笑子ばあさんが片桐はいりでやってたドラマのエピソード0的な小説。この配役見ただけでも楽しい一家なのは分かるよね〜。ドラマも最高に面白かった。木皿泉さんのドラマはいつもホロっとさせ過ぎずガハハと笑わせてもらえて大好き。
この小説も何回も読み返したくなるようなすっごくいいお話でした。 -
1人の人間が亡くなると、波紋が広がるように関わってきた人たちに何かしらの影響を与えていく。それは亡くなったあとしばらく、だけでなく、人々の中に残りながら、生きていく支えになったりする。
そうやって自分がいなくなっても存在していけるなら、死は怖いものばかりではない、とほんのり感じる本。
ナスミが明るくサバサバした性格で、死の悲惨な描写は少なめなので、全体的に暗い内容ではなく、1つの章が短めなので読みやすいです。 -
第一話で亡くなる”ナスミ”に関わる人達を描いた連作短編集。
死がテーマになっている小説ですが、悲しい物語という訳でなく、ナスミさんの生きている時の力強い言葉や行動にパワーをもらうような小説でした。彼女が残した、思いや影響が残る限り、存在は無くならないのですね。波のように繋がっていく。感動したし、誰かと一緒にいる時間を大切にしたいと思いました。
タイトルも素敵です。さざなみの音や振動が、ゆっくりと誰かに影響を与えていくような。真っ暗ではなく、あちこちに希望や優しさの光が灯る夜を連想させます。 -
昨年末に実父が他界した私にとっては、いろんなことを思い出し、涙を流しながらの読書となった
富士山を背景に、仁王立ちになって
「よいことも悪いことも受けとめて、最善を尽くすッ!」
と言い放ったナスミ。思い通りにならぬこともあったはずなのに、いつも笑いとばして、その言葉通りに43歳の人生を生き抜いたナスミ
自分が亡くなった後、悲しむであろう人のことを考え、いろんなことを画策して亡くなった
柱につけた目玉のダイヤモンド
夫の日出男に遺した自撮りのビデオメッセージ・・・
かっこよすぎる! 悲しすぎる! 自分のことだけ考えていればいいのに・・・
「今は、私がもどれる場所でありたいの。誰かが、私にもどりたいって思ってくれるようなそんな人になりたい」とナスミが言ったように、ナスミが亡くなっても、みんなの心にちゃんとナスミは居て、折につけてみんなナスミに戻っている
これだけたくさんの人の心の中に優しさや勇気や笑いを遺していったナスミ
寺地はるなさんの「夜が暗いとは限らない」の中に
「死んだ人間は天国にもどこにも行かん。死んだら小さいたくさんのかけらになって散らばって、たくさんの人間に吸収される。生きてる人間の一部になってとどまり続ける」
というおじいちゃんの言葉があり、それがずっと心に残っていたが、まさしくこの通りだなと思う
一人の人間の人生が終わっても、それは『完』でも『おわり』でもなく、『続けッ!」なのだ
いつまでもくよくよメソメソしていたら、ナスミに背中をバシッと叩かれ、「ガハハハ」と笑われそうだ
「いつまでメソメソしてんだよッ」と
夜空に点滅する飛行機の光がとても小さくチカッと瞬いたのを見て亡くなった義父がちゃんと生きていると気づいた利恵のように、私も夜空に光る飛行機の点滅灯を見て、父を偲びたい
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この作品を読んで、死ぬ時がさらに怖くなったような、怖くなくなったような、微妙な気持ち。最後の最後に、私は私でよかったんだと思えるような人生を送りたい。
生きたい気持ちと、もういいやと思う気持ちが交互に…その間隔が短くなっていく…辛い。
最後までとてもリアルでした。
本人もリアルだけど、周りもリアル。大切な人を失う時にやる事はいっぱいで、ドラマのようにただただ悲しんではいられない…旦那さんが写真を選ぶところは泣ける。
ナスミが死んでからはナスミの家族や友人、知人へと話が広がっていく。みんなナスミを大事に思い、ナスミの笑顔を忘れない、やっぱりナスミの人生はいい人生だったね。
ナスミの言葉はみんなに響きいつまでも心に残る。カッコいい。
「うまくやんなよ」って言葉が響いて。うまくやるって何?とも思うけど、誰かに言ってあげたい。「頑張れ」よりいいかなって。
「もどりたいと思った瞬間、人はもどれるんだよ」 -
身近な人を亡くすということは、ただただ深い悲しみをももたらすことのような気がするけれど、それはもしかするとちょっと違うのかも、と。
誰か大切な人が「生きていた」ことによって、自分とその人の間に大きな変化が生まれる。その変化が今度はその人を亡くす時にまた大きく動く。自分がこの先その人のいない世界で生きていくこと、その意味と進むべき道を自分で見つける。それを見つけること、それこそがその人が生きていて自分と共にあった意味なのだろう。
「よいことも悪いことも受け止めて、最善を尽く」して生きたナスミに私も会いたかった。いや、私もナスミのように生きたい。がはははと大声で笑いながら最善を尽くして、そして逝きたい。
木皿さんの描く人を亡くす哀しみの向こう側。本当に大好きだ。
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