書く人はここで躓く!: 作家が明かす小説の「作り方」

著者 :
  • 河出書房新社
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本棚登録 : 243
感想 : 23
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  • Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309025315

感想・レビュー・書評

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  • 武蔵野大学図書館OPACへ⇒https://opac.musashino-u.ac.jp/detail?bbid=1000085555

  • 受講者だったという村田沙耶香さんのエッセイに触れられていたので読みました。
    「小説」と名のつくものはネット上も含めれば本当にたくさんある時代で、創作の難しさを改めて感じました。

  • この本を読むのは二回目で、何となく覚えてはいたが、細かいところなどほとんど忘れていた。
    それでも、例文の三島由紀夫の小説の中の一節がとてもきれいで、さすが文豪!と二回目にも感心してしまった。

    前回読んだ時に印象に残ったのは、作者は貧乏劇団の座長で、出来るだけ出演俳優を減らしてやり繰りしろ!というものだった。
    俳優が増えれば増えるほど人間関係は複雑になり、芝居の内容はぼやけてしまうということで、ギリギリまでまで人数を減らすのだ。
    実際、自分で小説を書いているとみるみるうちに人数が膨れ上がってしまうので、このことは肝に銘じたいと思った。
    あれから書いた小説も、やはりつい人数が増えてしまうので、大幅なリストラが必要かもしれない。

  • 「うわー! なぜ長年、積本してたんだ!」と激しく後悔するほど、目から鱗な「小説の『作り方』」。創作する際のマニュアル本として、大切にします!

  •  チェーホフにこんな言葉があります。「書く技術、それは切り詰める技倆である。」「簡潔は才能の姉妹である。」
    書く技術とは冗漫な部分を切り詰める技術であることは、まさにチェーホフの言う通りです。
    (P.117)

  •  今回で三回目の通読。実践的な、具体的な、即効性のある技巧、方法論などが主ではなくて、こういう言い方も何だが創作に対する意識を高めるための本、ではないかと思う。
     そろそろプロットを本格的に創ろう、とか、さあ執筆を始めるぞ、というアクションを起こす一歩前に本書を読むことをおすすめする。ジャンルの垣根を越えて、全ての創作者に実りある気づきをもたらすはずだ。

  • 氷室冴子青春文学賞の懇親会でご一緒させていただいた、作家の朝倉かすみさんから勧められたのが本書。
    自慢ではありませんが、30歳ごろから、いわゆる「文章読本」を含むこの種の本をたくさん読んできました。
    20冊は軽く読んだと思います。
    その中では、筒井康隆の「創作の極意と掟」と並ぶくらい、とても参考になりました。
    実を言うと、本書で紹介されている小説作法は、知らないうちに守って小説を書いていました。
    たとえば、小説は「設定」「展開」「新局面」の3要素が必要、「設定」の後出しは禁じ手、細部は事実から盗め―などなど。
    知らないうちに守っていたというのは、恐らくこれまでかなりの数の小説を読んできて、小説というものの成り立ちをそれなりに理解していたからだと思います。
    小説には「調和」と「対比」が重要との指摘は、まさに我が意を得たり。
    シーンに溶け込む描写が「調和」、反対にシーンとは相反する、つまり不調和な描写が「対比」です。
    ぼくは敢えて不調和な描写を盛り込むのが好みです。
    なかなかプロ作家のようにはうまくいきませんが。
    ただ、知らないこともたくさんありました。
    特に、ぼくが「地の文」と比べ、どちらかと言うと苦手な「会話文」について。
    本書によれば、会話文には「描写としての会話」と「情報としての会話」があり、「情報としての会話」には「作中人物への情報としての会話」「読者への情報としての会話」があるそうです(厳密に区分けできるわけではありません)。
    たしかに言われてみればそう。
    描写としての会話は、特に話者の人格や性格を表現するためにも有効と思います。
    一方、情報としての会話は、物語の進行上、必要な会話だと言っていいかもしれません。
    そして、「読者への情報としての会話」は、安易に使わない方がいい、というのが著者の主張です。
    読者への情報としての会話を登場人物たちに語らせると、どこかで無理が生じてくるからです。
    本来はコレコレという発言などしない性格の登場人物なのにもかかわらず、作者が物語の進行上、必要な情報を読者に提供したいばかりに、コレコレという発言をさせてしまうのは慎むべきというのは、その通りでしょう。
    本書を読んで、小説作法をあらためて学ぶことが出来ました。
    では、これでいい小説が書けるのか、というと、それはまた別の話。
    著者は最後にこう書いています。
    「この本の内容がマスター出来たというのはいわば盛り蕎麦がマスター出来たという段階なのです。盛り蕎麦が出来なければ蕎麦職人にはなれないが、盛り蕎麦が出来ただけでは蕎麦職人とは言えない。この本の内容は、いわば作家への出発点、盛り蕎麦段階だと思ってください。勝負が始まるのはここから先なのです。」

  • ・一つの文章の中のすべてのフィクションは、文章の表面の下で、互いに繋がっていなければならない。一つの列島が、水面の上では幾つかの島に分かれていても、水面下では、一つの海底山脈として繋がっているのと同じ。十作って一書く
    ・設定においては飛躍、展開においては正確、というのがフィクションにおける望ましい在り方
    ・「手記」は「筆者がどう感じ、どう思ったか」を記すもの。「小説」は「読者にどう感じさせ、どう思わせるか」を目指すもの

  • 2018.9.22

    また小説が書きたくなりました!!!

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著者プロフィール

1932年、神奈川県生まれ。72年、『誰かが触った』で芥川賞を受賞。他の著書に『土と火の巫女』『女たちのまつり』『陽炎の巫女たち』など多数。横浜文学学校で講師をつとめ、村田沙耶香などを育てた。

「2016年 『書く人はここで躓く!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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