おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

著者 :
  • 河出書房新社
3.40
  • (89)
  • (116)
  • (156)
  • (67)
  • (24)
本棚登録 : 1335
レビュー : 245
  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309026374

作品紹介・あらすじ

第158回芥川賞受賞作、第54回文藝賞受賞作。リズムあふれる文体で新しい「老いの境地」を描いた。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 早くも「今年一番の収穫かも」と思わせる傑作と出合いました。
    昨年の文藝賞受賞作。
    作者は63歳の新人、若竹千佐子さんです。
    どんな作品かと言うと、「老いるのも悪くないかも」と思わせてくれる作品です。
    なんて書くと、お涙頂戴の感動物語だと思われるかもしれません。
    のんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのん。
    全力で否定します。
    東北弁が唸りを上げて炸裂し、柔毛突起どもが暴れまくるのです。
    何のことか分かりませんね?
    順を追って説明いたしましょう。
    主人公の桃子さんは75歳。
    既に最愛の夫を見送り、2人の子供を育て上げ、都市近郊の新興住宅街で一人ひっそりと暮らしています。
    代わり映えのしない毎日ですが、桃子さんの頭の中には様々な人格が棲みついていて(これを「柔毛突起」と呼んでいます)、しょっちゅう井戸端会議を開いています。
    しかも、東北弁で。
    何故、東北弁かというと、桃子さん自身が岩手県の出身だからです。
    桃子さんは田舎にいたころ、農協に勤務していました。
    農協の組合長の息子と縁談も決まっていましたが、東京五輪のファンファーレに押し出されるようにして故郷を飛び出したのです。
    そして、既に他界した夫と運命的な出会いを果たすのです。
    老境にある桃子さんは、愛とは何か、自分の人生とは何だったのか、としきりに問い詰めます。
    手垢の付いた回答を引き出すと、柔毛突起どもが途端に暴れ出します。
    「おめだば、すぐ思考停止して手あかのついた言葉に自分ば寄せる。何が忍び寄る老い、なにがひとりはさびしい。それはおめの本心が。それはおめが考えたごどだが。」
    いや、このやり取りが実に愉快で、痛快なのです。
    ほぼ全篇、こんなふうに賑やかな東北弁で饒舌に語られます。
    取り立ててドラマチックな展開はないですが、頬の緩む場面あり、吹き出す場面ありで、「ああ、この世界にずっと浸っていたいな」と惜しむような思いでページを繰っていくと、最後は「あれ? 俺、もしかして泣いてる?」ってなるんだから、実に鮮やかな手並みと言うほかありません。
    それに若竹さんたら感性が実に若々しくて、擬音の使い方も思い切りがいいし、はみ出すことを恐れない、とういうか積極的にはみ出していくんですね。
    作中の冒頭で紹介される、ジャズを聴いているうちに丸裸になって踊っていたなんてエピソードは、これは若者の感覚でしょう。
    ほんと脱帽です。
    これだけの才能があれば、もっと早くデビューできたのではないかと思ってしまいますが、若竹さんの中では本作を著すまでに一定の年月が必要だったんでしょうね。
    まさに「機が熟した」というべき、その一瞬を捉えて放った閃光のごとき作品です。
    若竹さんがこれからどういう作家人生を歩まれるかは分かりません。
    ただ、この作品を世に残せただけでも、生まれてきた甲斐があるというもの。
    羨ましい限りです。
    これから日本は高齢化社会の長い長い下り坂を下って行きます。
    下り坂なんて書いたら、「失礼な」と思われる向きもあるでしょう。
    あのさ、そういう「常識」をいったん脇へ置こう。
    下り坂はネガティブだっていう思考が前提にあるから、そう思うんよ。
    そうじゃない。
    下り坂の先には、確かに雲はないけれど、道々、野に咲く花や味わい深い石を見つけられる悦びがあると思うんだ。
    さあ、希望を持って老いよう。
    桃子さんと一緒に。
    ※蛇足ですが、本作は、今度の芥川賞ノミネート作。
    ぜひ受賞して欲しいものです。

    • 5552さん
      はじめまして、こんばんは。
      5552と申します。
      こちらの作品、芥川賞取りましたね!
      正直全っ然興味がなかったのですが、あなたのレビュ...
      はじめまして、こんばんは。
      5552と申します。
      こちらの作品、芥川賞取りましたね!
      正直全っ然興味がなかったのですが、あなたのレビューを読んで俄然興味が出てきました。
      いつか読んでみようと思います。
      レビューありがとうございました。

      突然失礼しました~。
      2018/01/21
  • 読みながらばあばあ泣いてしまいました。
    素晴らしく響いた小説です。

    祖母の事、母の事、そして45億年前からずっと途切れなく続いていた生、そこから派生してきた雌達の、女達の事を思いました。
    愛する人とまたは愛してない人と結ばれ、子を産み育てを繰り返し、それを喜びとし、ときには疎ましく思い、死んでいった女達の事を。
    桃子さんも、私の知っている女達も、同じような孤独や哀しさを抱えているのかもしれない。
    そう思うとさみしいような、でもやっぱり心強いような気がします。
    ま、子供がいない自分が共感するのもおかしな話ですが(笑)

    私にとって小説を読むということは、他者の頭の中のかけらを覗くことで、そのまた違う他者の頭の中にもつながる何かがあるかもしれないという一縷の希望のようなもの。
    なので読みながら小説外の人々や物事に想いを馳せられるのはいい小説なのです。

    芥川賞のニュースを見たときは、私には関係ない本だなあと思っていたので、普段なら絶対読んでなかったです。
    出会わせてくれたブクログに感謝です。

  • あいすかだね。おらなんとよんででどでしてしまった。桃子おめよいんでねがったべ。なんぼへづねがったべが。

    うん。こんな感じ。
    想像以上にはっちゃけていた。怒涛過ぎてついていけなかったような気がする。だけど嫌いじゃないの。だけど重くて…。なんともはや…。もう少し経ったらまた読みたい。

    祖母、母、私、娘の関係と似ていて、ある程度の年齢に達した女なら、たぶんみんな桃子さんや、桃子さんの娘の気持ちがわかるんじゃないかな。桃子さんはそれしかなかった。自分は母としてしか生きていけなくって…と、きちんとわかっているから、直美もきちんとわかってくれているよ、きっと。と思った。

    うわばみみたいな、夫も子も丸呑みしちゃうような騒々しい愛が波のように押し寄せてきた。最後はやっぱりこわくって、さやかみたいにこわさを感じてしまった。これを読んで、少しこわいと思った私は、まだまだひとりで逝く覚悟も、実母のことも受け入れることができないんだと思う。

    桃子も直美もさやかも、たくさんのおらも、何となくわかるのですが、読むのがよいでねがったのです。親の年代でもこういう風に考えている人がいると知れて、そこはとてもよかったと思った。

    地元の読書会でこれが課題になっていて参加者を募集していた。私はまだいいかな…と思って参加しなかったけど、たぶんかなり盛り上がったと思う。

  • 夫を亡くし、独り暮らしする74歳の桃子さん。東北弁がふんだんに登場するとのことで読んでみたが、桃子さんの胸の内で語られる東北弁がこんなにリズミカルでユーモラスで軽やかに感じられるとは。自分も操っていた方言が懐かしく、特に上京してから桃子さんが感じていた「わたし」という言葉への憧れと反感は手に取るようにわかった。「気取っているような、自分が自分でねぐ違う人になったような、喉に魚の骨がひっかかったような違和感」。かつて自分も感じた、標準語を話すことへの逡巡。一部の人にしか理解できないかもしれないが、よく言ってくれましたという気持ちになった。
    これまでの桃子さんの生き様から垣間見える祖母・母・自分・そして娘との関係。同性の家族だからこそ感じるわだかまり、うまくいかなさがちくちくと痛かった。夫を見送り、子供とも疎遠になった今、心もとなさと同時に感じている開放感。
    「まだ戦える。おらはこれがらの人だ。こみあげる笑いはこみあげる意欲だ。」
    このフレーズがとても好きだなあ。これから自分がどんな風に年を重ねていくのか、まだまだじたばたするんだろうという気がしているけど、「こわいものなし」と開き直れる老人になれるだろうか。「おらはおらに従う」と思えるだろうか。思えるようになりたい。

  • かなり待たされて順番がやっと来たので次の人の為にも1日で読んだ。ドラマチックでもなく起伏もないけれど文体が独特で東北弁のリズムと相俟って平凡な とある女性が老いを迎えて思うことどもが普通に語られている。作者の投影だろうか結構な知的レベルも有する74歳になった桃子さんの我が人生の振り返り、この東北弁でのリズム感が印象深い作品でした。博多弁のわたしには少し読み辛くもありました。芥川賞には この東北弁が決め手だったのでしょうか?

  • 芥川賞受賞インタビューを見てとても興味を持ち、受賞発表の翌日慌てて購入した。

    東北弁と標準語のコントラスト、リズミカルで生き生きとした文章が読んでいて楽しい。
    74歳のひとり暮らしの桃子さんの心の中の、大勢の声達の井戸端会議には笑えた。
    実家の母も桃子さんと同世代。
    うちの母もこんな風に心の中で井戸端会議しているのかな。
    そしてそう遠くない将来、私も桃子さんのように…。

    桃子さんは次々にわき上がる大勢の内なる声達をジャズのセッションに例えていたけれど、私にはロックのように思えた。
    一見控え目に見えて見事に己の言霊をハードにぶつけてくる。
    ぶつけられた言霊が私の中をグルグル巡る。
    一度読み出したら止まらない。
    すっかり桃子節に取り込まれてしまって、とってもいい気分。

    「老い」を孤独ととるか自由ととるかはその人次第。
    でもこの作品を読み終えた今の私は並々ならぬパワーをもらえた。
    おらの今はこわいものなし、なのである。

  • 第158回芥川賞受賞作。

    桃子さんは老女である。
    夫には先立たれ、16年をともにした老犬も世を去った。
    息子とも娘とも疎遠である。
    ひとりぼっちで生きている桃子さんだが、その日常は存外にぎやかだ。
    家を駆けまわるネズミの物音に加えて、
    オラダバオメダ、オメダバオラダ、オラダバオメダ、オメダバオラダ、
    と声がする。じんくじんくと足が痛んでも
    行くべし行くべし行がねばなんね
    と鼓舞する者がいる。

    やるせない毎日、けれども桃子さんの中には、おかっぱの女の子、愛する人を得て生き生きとした若い女、夫を失い呆然とする女、とさまざまな年齢の桃子さんが生きている。この先、自分がたどるであろう老いの姿をしたものもいる。
    そして心のどこかに、故郷の八角山がそびえる。
    おめはただそこにある。何もしない。ただまぶるだけ。見守るだけ。

    そんな桃子さんの静かで賑やかな日常を描く1編。

    なのだが。
    東北弁部分のリズム感は読んでいても楽しいのだが、柔毛突起とか先カンブリア紀とか硬めの言葉が混ざる部分とのバランスがよくないように思う。
    その部分も含め、桃子さんの脳内なのだと言われればそうなのかもしれないけれども、全般にちぐはぐな印象を受ける。やや厳しいことを言えば、脳内ダダ漏れの話を聞いてもな、という感じがところどころでしてしまうのである。

    息子・娘との顛末も大きく進展するわけではない。桃子さんが大きな悟りを開くわけでもないし、孤独な暮らしが解消するわけでもない。
    結局のところ、人生はいつだって未整理で、人はどこか片づけようのない心を抱えて生きていくものなのかもしれない。それでもいろんなことがどうしようもなくても、人生生きている以上、自分が主人公なのだよ、どこかで折り合いをつけて、泣くときは泣き、笑うときは笑って生きていくしかないのかもしれないな。
    ・・・と、あれ? そんな結論でいいのか、と、個人的にはよくわからない読後感なのだけれども。

  • 東北弁には独特のグルーヴ感がある。
    母が函館の出なので、耳馴染みがある。
    やり場のない、ぐるぐると回るような呟きにも。
    諦念をにじませた、ややシニカルな現実認識、は北国が育んでしまうものなのだろうか。そんなことないか。

    女性のライフコース、地方と中央、新興住宅地の終わり、老いた親と子ども、母の呪い、差別の内面化、問題は山積だけれども、それらを我がこととして引き受けていくすがすがしさ。

    彼女たちの尊厳に敬意を払うこと。
    引き継いでいくこと。
    難しいけれど、やっていこうと思う。

  • 歳をとる度に、自分が増えていく。
    可愛くて賢い子どもになりたかった少女時代、野暮ったい故郷から逃げてきたのに「わたし」になり切れなかった上京後の生活、愛する夫の求める女を演じ、夫を通してしか自分を見出せなかった妻としての日々、夫の死後、初めて自分として生きることを意識した時。人生の一瞬一瞬で味わった感情や、思いが「おら」という人間を作っていく。その人の中に培われた様々な「個」が合わさって一人の人間。

    人生は複雑だ。いい時もあれば悪い時もある。でも、人生の選択は1つ。大勢の「おら」がひしめき合い、ああだこうだ言いながら、苦悩し、逡巡し、納得しながら、時に恐る恐る、時に自信ありげに、その1つを選び取っていくその連続。ひとりなんだ、死ぬときは。でも、死ぬときまでおらはおらであり続ける。生きていく、おらとともに、おらとして。
    桃子さんの中に多くの「おら」が培われていったように、きっとわたしの中にも、桃子さんでいう「おら」が培われていく途中なのだ。生きよう、一生懸命に。たくさんの「おら」を引き連れて生きていきたいものだ。

  • 「青春小説」に対抗する「玄冬小説」。
    まったく新しいジャンルですね。

    老いを迎えた桃子さんの、自分の人生をふるさとの東北弁で振り返る。

    ひとりが大好き、桃子さんの内省が止まらない。

    「でも、このさびしさは…持ち重りがするなあ…」

    どんなに頑張って生きても、独身でも、子どもを育てても、
    みんなみんなひとり。

    それでいいんだ、と思う。

    「おらおらでひとりでいぐも」
    =自分は、自分でひとり生まれて生きて、死んでいくよ
    というメッセージと受け取りました。

    太古の昔から、人はこうやって、ひとりで生まれてひとりで死んでいくのだ。

    ひとりなんだけどね、ひとりだからこそ、
    でも誰かとつながっていたい。
    誰かとつながったからこそ、未来はつながっていく。

    この全編に流れる「東北弁」のリズムこそが、
    過去から未来に受け継がれていくもののシンボルなんだと感じました。

    【大勢の母親がむざむざと金を差し出すのは、息子の生に密着したあまり、
    息子の生の空虚を自分の責任と嘆くからだ。それほど、母親として生きた。
    母親としてしか、生きられなかった。母親は何度も何度も自分に言い聞かせるべきなんだ
    と思う。自分より大事な子供なんていない。自分がやりたいことは、自分がやる。
    子供に仮託してはいけない。仮託して期待という名でしばってはいけない。】

     この文章が、こころにずーんときました。

全245件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

若竹千佐子(わかたけ・ちさこ)
1954年岩手県生まれ。岩手大学教育学部卒。専業主婦。新たな老いの境地を描いた『おらおらでひとりいぐも』で2017年第54回文藝賞を史上最年長受賞。「青春小説の対極、玄冬小説の誕生」(※玄冬小説とは歳をとるのも悪くない、と思えるような小説のこと)とも呼ばれる。2017年『おらおらでひとりいぐも』で第158回芥川賞候補。

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞のその他の作品

おらおらでひとりいぐも Kindle版 おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子

若竹千佐子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞を本棚に登録しているひと

ツイートする