『麦と兵隊』や『糞尿譚』の作者である火野葦平の小説です。
太平洋戦争敗戦直後の混乱期、今上陛下(昭和天皇)は偽系の天皇であり、自分こそが正当な皇位継承者であると主張する者が続々と現れます。主人公は、その一人「虎沼天通」を父に持つ「通軒」。
天皇として即位することを目指す父のため、周囲の人々と協力して活動しているつもりでしたが、支援者だと思っていた人々は虎沼天皇の誕生を心から応援していたのではなく、それぞれの利益を追究していただけだということが次第に明らかになっていきます。
自らを天皇家と主張する虎沼一家(とくに父と子)のように、熱中するあまり周囲が見えなくなってしまう人間の愚かさや、混乱期であるからこそ自分の欲求に純粋に生きるために他者を踏み台にする登場人物たちの逞しさを感じることができます。
戦後直後の、秩序が完成しきっていない当時の社会状況も垣間見ることができますし、人間がもつ「弱さ」や「強さ」も感じることができます。
一方で、古い作家の作品ですから少し読みにくい文章表現が出てきたり、物語の設定(展開)に荒唐無稽なところがあったりと、やや読みにくい部分があることも否めません。
特別に政治的なメッセージが込められた作品ではないと思いますが、物語の冒頭で主人公が天皇制と敗戦について関連して意見を述べていた部分(天皇制という国体に戦争責任があるとは言わないが、今上陛下(昭和天皇)は退位するなどの「責任」をとるべき)には、1950年にこういった内容を書くことができた火野の個性(それまで『麦と兵隊』などの作品で戦意を高揚させた、として公職追放を受けていた)を含め、日本の特徴が現れているようなきがします。