- 本 ・本 (120ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309028453
作品紹介・あらすじ
うーちゃん、19歳。
母(かか)も自分も、もう抱えきれん。
選考委員・町田康、村田沙耶香、震撼。
痛みと切なさを描く20歳の才器、第56回文藝賞受賞作。
19歳の浪人生うーちゃんは、大好きな母親=かかのことで切実に悩んでいる。かかは離婚を機に徐々に心を病み、酒を飲んでは暴れることを繰り返すようになった。鍵をかけたちいさなSNSの空間だけが、うーちゃんの心をなぐさめる。
脆い母、身勝手な父、女性に生まれたこと、血縁で繋がる家族という単位……自分を縛るすべてが恨めしく、縛られる自分が何より歯がゆいうーちゃん。彼女はある無謀な祈りを抱え、熊野へと旅立つ――。
未開の感性が生み出す、勢いと魅力溢れる語り。
痛切な愛と自立を描き切った、20歳のデビュー小説。
人間の気分、気持ちが恐ろしいほど正確に文章化されている。そしてそれが何度も人間存在そのものに迫って胸を衝かれる。
――町田康
この作者は、書くことの呪いにかかっている。それは、信頼できる、「作家」としての呪いだ。
――村田沙耶香
<著者略歴>
1999年、静岡県生まれ、神奈川県育ち。現在大学生。2019年、第56回文藝賞を受賞。
感想・レビュー・書評
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三島由紀夫賞って三島っぽい、とかあるのかな、という疑問から始まって。
三島っぽいっていうのはその、これまでの「よく分からん」が、一気に唐突に、ガツンと理解できるような感覚だ。
出口が分からなくなって彷徨っていたら、予想もしない落とし穴に落ちてしまって、でも落ちたその場所こそが出口だった、みたいな感覚。
ドサッと、わかる感じ。
それが、本作品『かか』には複数個所あって、そこにね、三島っぽさを感じたの。
で、三島由紀夫賞のことだけど。
主催する新潮社のページでは定義までは分からなかったのでWikipediaで調べてみたところ。
「新潮社が芥川賞・直木賞と同種のカテゴリーを要求しつつ新しい才能を求めるべく打ち出したのが、三島由紀夫賞と山本周五郎賞である」
とのこと。
つまり、三島由紀夫賞は「三島っぽさ」とは全く関係がなく、わたしの頭から『仮面の告白』で体験した「唐突に理解できる感じ」が抜け切れていないだけなのであった。
本作品『かか』は誰目線で、誰が誰に語りかけているのか、あまり多くの説明がないまま、物語は進んでいく。
独白のような。読み聞かせのような。
語りの中で、徐々に関係性とか時間軸とかが分かってくる。
おそらく、主人公のうーちゃん(19)が弟のみっくんに語りかけている、という形式をとっている。
遠野さんの作品もそうなのだけれど、若い作家さんの作品に少しずつ、ついてゆけなくなってきている。
まずいな。
これでは、若い子の言っていることについてゆけないおじさんと一緒である。
生徒に「あー、ね」と言われてどう反応したらいいのか、中年のおばちゃんにはいつになってもわからないのである(誰か知ってたら教えてほしいです)。
作品の中で主人公の行動の目的が描かれているわけだから、独白が過去へ行ったり現在に戻ったりしながらもどこかでゴールがあるんだろうな、と思いながら読んでいた。だから終わり方は結構突然で。
え、なに?今まで見てたもの全部幻だったの?ってくらい、見ようによっては読者を突き放すような、冷たさがある。ぐいぐいぐいっと、自分の引きずり込んでおきながら、放置して去っていくような。
宇佐見さんの作品のすごさって、こういうところなのかもしれない。
心の中にある感情とそれを行動化したものと、それを客観的にとらえる視点と。
『かか』にはそれらが全部詰まっている。
「若い子の作品、よく分からん」て思ってると、突然母と娘の関係性に切り込んで、
P68「かかをおかしくしたのは、そのいっとうはじめにうまれた娘うーちゃんだったのです」
とか言ってくる。
21歳という若さでこの作品を描き上げ、第33回三島由紀夫賞のみならず第56回文藝賞受賞、第42回野間文芸新人賞の候補にもなっている、凄み。
SNSにどっぷり浸かるメンヘラちゃんを描いていると思いきや、そこに突如として、客観的目線を加えてくる。つまり、宇佐見りんさんは、この若さで苦しみを苦しみとして描けるだけではなく、それにもがき苦しむ主人公を描けるだけでもなく、それらを冷静に観察する視点をも持ち合わせているということだ。
多くの女性作家さんが、長年の作家人生のなかで、ここぞというタイミングで母子関係に切り込んだ作品を描く。宇佐見さんの早すぎるこのテーマへの切り込みに、思わず恍惚としたため息が漏れ出る。
SNSの気軽さと、しかし気軽さ以外も含まれるその世界は、救いと痛みが両方存在する。
心配してほしくて、構って欲しくてついた嘘がほんとうになると、嘘をついた自分に嫌気がさすし、実際に構って欲しさを前面に出した自分のツイートを見ると吐き気がする。
どうしたいかもわからないし、どうしてほしいのかもわからない。
全ての感情と行動に矛盾が生じてしまい、どうしたいのかもわからない。
だけど、相手の言動や行動に対しての「嫌気」だけはいっちょ前である。
だとしたら、思っていることをツイートできる人たちってすごい。
自分には、自分がどう思っているのかを、うまくツイートできない。
誰かの言葉に、反応することしかできない。
だから「つぶやこう」と思っても、誰かの言葉に圧倒されて、自分の言葉を呑み込んでしまう。
そこにはただ、うまく言葉にできない苦しみと寂しさと孤独がある。
誰かと比較したら、とっても小さな小さなそれらが、自分を苦しめる。
でも、そんな小さな苦痛を吐き出すわけにはいかないんだ。だって、他の誰かの苦痛の方がより苦しいに決まってるから。
それでも、やっぱり苦しい。自分なりに苦しい。自分はただ、話を聴いてほしいだけなんだ。
みんなのその全部を、SNSで実現できたら、みんな嘘なんかつかずに済むのにね。 -
嵐のような物語だった。父親に不倫され、精神を病んだ母。自分が生まれてしまったから、母は捨てられた。そして、実の母親には忘れられてしまった。母が壊れたのは、全部全部自分のせい。そう思っているのに、家庭がこうなったのは、今の自分が苦しいのは、全て母のせいだ。母さえいなければと憎しみも湧いてくる。1番愛しているのに、憎くてたまらない。だから、捨てて逃げようと思った。母を捨てたくても、幼い頃の優しい記憶が邪魔をし、殺したいほど憎んでいるのに、いざ、明子に殺させるかもと思った途端、泣きながら母を呼ぶうーちゃん。結局、自分は母を捨てることはできない。そう悟ると共に、母の子宮が無くなった事実を実感する。母が自分を孕み、産まれるまで育てたもの。母と物理的に繋がっていた時間。その全てが無くなってしまった。うーちゃんと母を繋ぐものは完全に無くなってしまった。辛くてSNSに逃げたのに、SNSの繋がりは浅くて、嘘の言葉まみれで、逃げたはずが、行き止まりになっていった。誰が不幸で、可哀想で、それを競うような投稿で溢れていて。自分の苦しみは誰にも分かって貰えなかった。もう限界、明子のことも、叔母のことも、母のことも。そう思っているのに、死ぬという選択が選べないうーちゃんは、これからどう生きていくのだろう。山へ行き、観音様と出会い、自分のやりたいこと、生きたいように生きれたら良い。そして、母がいなくなっても、叔母さんから疎まれても、負けないうーちゃんでいて欲しい。捨てるべきものを捨て、新たに出会い、SNSの中の人ではなく、現実の、痛みを分かち合える人と共に生きれたら良い。
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夫の不倫から離婚し、アルコールに溺れ精神を病み暴れる母。認知症気味の祖母、同居する従姉と、弟のみっくん。
鍵をかけたSNSの空間だけが、うーちゃんの拠り所。
祖母に長女の遊び相手が欲しかったから、あなたを産んだと言われた、かか。
かかは誰かに必要とされたくて、愛されたくて、とと、と結婚した。
一気に読めた。読んでいる間じゅう苦しかった。
大人になりきれないまま、母親になったかかを、可哀想になったり、憎んだり。捨てたいけど、捨てられない。切ることの出来ない、母と娘という血縁。
かかの手術の前日に、旅にでたうーちゃんが思い出すのは、家族四人でお花見した光景。みっくんがかかの作ったおにぎりを投げて、怒った父が泥と涙と血で汚れたおにぎりを無理矢理食べさせるという、嫌な思い出のはずなのに、幸せな気持ちになる光景。
病んでしまったかかを憎みながらも、愛してしまうのは、子供の為に一生懸命やっていた姿を覚えているからだと思う。
みっくんが、こんな家にいるのは嫌だ狂いそうだ、狂っているかもしれないと言った時、うーちゃんが言った満員電車に座って、隣がぽっかし空いていたら、狂っているしるし。かかの隣が空いていたら傷つくからずっと隣に座ってきた話が、辛かった。
子供は親を選べない。
いつか、うーちゃんは、かかを生み直すのだろうか?
まだ大学生の作者のデビュー作。
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脆くて、弱くて、何かしら危なさが常に纏わり付いているかか(母)。
寄り添うつもりもない…と思っている自分もいて、
だけどこの状況に膿んでいて、
見捨てたい気持ちはあるのにそれを吐き出せていない。
もう、どうしようもなく、女であることにも嫌気がさして、だからか母も自分も許せないのか…。
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「推し燃ゆ」が面白かったので、宇佐美りんさんの作品を…と思い手に取った本作。
三島由紀夫賞&文藝賞、W受賞のデビュー作とのこと。
やややややややーーー、この人は天才ですねーーー‼︎
出ましたね、これぞ新たな才能。
まごうことなき天才です。
こんな気持ちにさせてくれる作家さんに巡り会える…コレがあるから小説は辞められませんね。
深い心理描写と、そして主題に沿う圧倒的に美しく、儚い文体。
素晴らしいの一言に尽きます。
ものすごい臨場感…辛いなぁ…読み進めるのが辛い…
何度も涙が出そうになる。
でも読み進めてしまう。
なんだろう、この小説は。
スゴく感情を掻き乱されて…そのまま気になって最後まで読んで…
凄まじい作品に出会えて嬉しいという気持ちになってるんだけど、でもそれ以外に何を感じたら良いんだろう…?、と何やら不思議な感覚になっている感じ。
自分以外の人はどんな感想を持っているんだろう…と、今までこんなに人の感想が聞きたくなった作品も無いかもしれない。
ラストもけっこう感じ方が分かれるのかなぁと。
個人的には、うーちゃんがヤバい方向に進もうとしているのかな…?という風に感じましたが。
この作品を大学生が書いたかと思うと、ちょっと末恐ろしいですね…
次回作に…というかそこを含めた今後に期待ですね。
とりあえず追いかけまくろう、ひたすら(笑)
<印象に残った言葉>
・みっくん、うーちゃんはね、かかを産みたかった。かかをにんしんしたかったんよ。(P12)
・インターネットは思うより冷やこくないんです。匿名による悪意の表出、根拠のない誹謗中傷、などというものは実際の使い方の問題であってほんとうは鍵かけて内にこもっていればネットはぬくい、現実よりもほんの少しだけ、ぬくいんです。(P34)
・…うーちゃんはにくいのです。ととみたいな男も、そいを受け入れてしまう女も、あかぼうもにくいんです。そいして自分がにくいんでした。自分が女であり、孕まされて産むことを決めつけられるこの得体の知れん性別であることが、いっとう、がまんならんかった。(P55)
・うーちゃんは見たくないのです。老いたかかなど、老いてジジもババもホロも死んだ晩年、おまいは家庭をつくりうーちゃんも働きに出て置き去りにされて、ひとり指を湿らして裁縫雑誌をめくりながら誰も着る予定のないワンピースにかたかたミシンをかけるかかなど、見たくもないのです。そのうちに倒れて鼻にくだまきつけたまんま白い病室で涙のあとを乾かしながら生きながらえるかかなど、見たくないのです。そんなら小さな頃に、まだかかが優しく厳しいかかであった頃に、かみさまのまましんでほしかった。そう願いながら介護の末に親と心中をはかった人間がこの国に何人いるでしょう。(P71)
・すべてのばちあたりな行為はいっとう深い信心の裏返しです。ーばちあたりな行動はかみさまを信じたうえでちらちらと顔色をうかがうあかぼうの行為なんでした。そいしてばちがあたったとき、その存在にふるえながらようやく人間たちは安心することができるんです。自分のことを本当に理解する誰かと繋がっているという安心感に、みをまかしることができるんよ。(P109)
・うーちゃんたちを産んだ子宮は、もうどこにもない。(P115)
<内容(「BOOK」データベースより)>
19歳の浪人生うーちゃんは、大好きな母親=かかのことで切実に悩んでいる。かかは離婚を機に徐々に心を病み、酒を飲んでは暴れることを繰り返すようになった。鍵をかけたちいさなSNSの空間だけが、うーちゃんの心をなぐさめる。脆い母、身勝手な父、女性に生まれたこと、血縁で繋がる家族という単位…自分を縛るすべてが恨めしく、縛られる自分が何より歯がゆいうーちゃん。彼女はある無謀な祈りを抱え、熊野へと旅立つ―。未開の感性が生み出す、勢いと魅力溢れる語り。痛切な愛と自立を描き切った、20歳のデビュー小説。第56回文藝賞受賞作。
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ksk84さん、コメント有難うございました。
p71の引用は凄いですね。自分が目を背けてきたお腹の中をひっくり返して見せられたみたいです。嫉...ksk84さん、コメント有難うございました。
p71の引用は凄いですね。自分が目を背けてきたお腹の中をひっくり返して見せられたみたいです。嫉妬してしまうような才能ですね。娘と同い年の子が書いたとは思えないです(^^)。2021/06/17 -
Macomi55さん
コメント頂きまして、ありがとうございます(^^)
宇佐美りんさん、本当にスゴい作家さんだと思います。
「推し燃ゆ」がも...Macomi55さん
コメント頂きまして、ありがとうございます(^^)
宇佐美りんさん、本当にスゴい作家さんだと思います。
「推し燃ゆ」がもちろん有名ですが、「かか」も良ければぜひ。2021/06/18 -
2021/06/18
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リズム感があって読みやすかった。
でも独特の文章の流れがあって、空気感もただ者ではない雰囲気。
う~ちゃんの日常が平凡な日常ではない痛み。
拠り所のSNSも拠り所ではなくなっていく感じ。
どうしたらいいんだろうっていうのが表紙に表れているのかな。
祖母、母、弟、従妹、その中でもがくう~ちゃん。
この家族を違う人が書いたら、また伝わり方も違うのかな。
この文章が宇佐見りんさんの衝撃的な良さ。
「推し、燃ゆ」より好きかも。 -
文章から血の臭いがした。
だいすきなかか。
ころしたいほどにくいかか。
正反対のはずの気持ちが同居する、母親への思い。
かかの孤独。かかの痛み。「はっきょう」するかか。
うーちゃんにも同じように孤独や痛みが同期する。
母と娘の、この結びつきって不思議だ。
私も母が大好きで、同時に憎いと思う時がある。
「血縁」で繋がっている。文字通り、血の縁。
特殊な、だけど不思議な魅力がある語り口。
なまりの強い、古臭い、幼い語り口といえばいいのだろうか、熊野参拝や神様の崇拝など古風な信仰がありながら、だけどSNSは使いこなしていて、そこには確かに現代っ子の交流が紡がれていて。
そんな不自然なあべこべさに、なぜか惹かれた。
これが20歳のデビュー作。
裏表紙に「未開の感性」とあるが、本当にその通りだなと。
「推し、燃ゆ」も読んだけれど、この作者の今後の作品をもっと見てみたいと思った。末恐ろしい感性の持ち主。 -
「そいはするんとうーちゃんの白いゆびのあいだを抜けてゆきました。」(冒頭)
数ページを読むだけで、私と同じ思いに至る人は多いはず―「これって中上健次!?」
たとえば、冒頭に挙げた、人の指の動きへのフォーカスに象徴される生理的な描写。
たとえば、登場人物が発語する「…なんよ」「つらいよお」などの、中上作品で頻出する紀州弁から造語したと思われる特殊な話し言葉。
そして決定的なのは、語り部の「うーちゃん」が熊野へ向かうところ。熊野は中上が生まれた和歌山県新宮市あたりを指す地名。つまり中上作品ファンにとっての“聖地”だ。
これって中上のパクリ?いえいえ。私は宇佐美さんが中上健次をリスペクトし、中上の文体を自分自身に憑依させようとし、それに成功したのだと言い切る。
この作品で描かれているのは「うーちゃん」を取り巻く少し複雑な事情をもつ家族。中上健次ならば、その濃密な関係性を、表も裏も暴き出すかのごとく重ね塗りするような独特な文体で描いているところ。
それを宇佐美さんは中上がこだわった濃密さだけでなく、自分が生きる現代の視点から、SNSに表象される虚実(つまりリアルとアンリアル)の混在や、家族といえども自分を保つために一定の距離をおこうとする乾いた関係性を含めてつづる。
そこに私がパクリを否定した理由がある。つまり宇佐美さんは中上の精神を取り入れつつも、中上亡き現代に生きる自分の作家としての“責務”を決してなおざりにしていない。
宇佐美さんは自分の表現したいことの最大発現のため、中上のような多弁な文体を使うのが一番良いと考えたのだろうか。それにしても、中上的文体が見事に血肉化されて表出されているではないか。
もし中上が今も生きていたのであれば、このような作品を世に出していたのではないだろうか?
とは褒めすぎだろうか? -
かかの求めた愛情と引きずる性、そしてうーちゃんが感じる愛と嫌悪…
弟に優しく冷静に語りかける文体の中で、何度も感情を揺さぶられ、整理のつかないまま混乱困惑するような読書体験をしました。
うーん凄い。続けて2回目読んで。
ちょっとあけてもう一度読もうかなと。
著者プロフィール
宇佐見りんの作品






こちらにもコメントありがとう~
実は改めてミオナちゃんのも読み返してたよー!
ちょっとばかしおばちゃんにはついてけない部分...
こちらにもコメントありがとう~
実は改めてミオナちゃんのも読み返してたよー!
ちょっとばかしおばちゃんにはついてけない部分もあったよねw
芥川賞系の作家さん(伝わる?)って、主観的に自分の世界をどんどん行くイメージがわたしはあるんだけど、三島も宇佐見さんも、他者目線がしっかりあるから自意識とすごい戦ってるんだよね。2人の共通点は自意識かな。
となると、わたしたちの共通点も自意識かな…爆