- Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309029160
感想・レビュー・書評
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芥川賞受賞の作品。
21才の若手作家(でさらに可愛い気がした笑)とのことで気になり購入、読了。
前作は三島由紀夫賞を最年少で受賞されているそう。
いやー、コレは面白いですねーーー( ̄∇ ̄)
めちゃ良い作品…天才の予感がする作家さんですね。
上手く言い表せないんですが、文章に魔力めいたものを感じるというか…(笑)
読み手をぐっと惹きつける、のめり込ませる不思議な魅力があるように思いました。
「アイドルを『推す』」という最近(ちょっと前からかもしれませんが…)特有の文化。
現実世界で埋められない心の穴を、そこで代替してしまうほどにのめり込む。
まさに「今」を切り取った文学だなと。
朝井リョウさんの帯の一文、「未来の考古学者に見つけてほしい時代を見事に活写した傑作」がまさに言い得て妙だと思いました。
本作は、他に類を見ないほど「リアリティ」、「臨場感」が突出しているのでは無いかと思います。
すぐそこにある事実のように、明確にイメージできるレベルですっと入ってくる感覚があります。
「アイドルを推す」という自分にとっては未知の領域も、その心情が巧みに表現されています。
推しエピソードの手数も多く、それが圧倒的な「熱量」を伝える要素として効いているのでは無いかと。
上手くいかない家族との関係性も、辛辣なほどリアルに描かれています。
母、父、姉、あかり、誰かが一方的に悪いというわけではない…でも、どこか歯車が噛み合わない。
幸せになれない。
こういう家庭って実際にあるんだろうなと。
読んでいて、ずっともやもやもした行き場のない感情があったのはそこなのかなと。
解決の糸口が見えない、その閉塞感が影響していたような気がしました。
ラストは様々な解釈があるように思います。
個人的には希望のある終わり方なのかなと。
あかりは自分を受け入れ、自らの力で歩いて行く決断をした。
そんな風に解釈しましたが…
自分もあまり器用な方では無いですが、自分なりに逃げない、ズルしない、自分に恥じない、そんな生き方をしたいなと。
漠然とですが、そんなことを思いました。
二足歩行は向いてなかったみたいだし、体は重い。
でも、やるしかない。
<印象に残った言葉>
・触れ合えない地上より触れ合える地下(P5、成美)
・推しは命にかかわるからね(P6、あかり)
・やらなくていい、頑張らなくてもいいから、頑張ってるなんて言わないで。否定しないで(P57、姉)
・携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。(P62、あかり)
・二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。綿棒をひろった。(P125、あかり)
<内容(「Amazon」より)>
【第164回芥川賞受賞作】
「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」
朝日、読売、毎日、共同通信、週刊文春、
ダ・ヴィンチ「プラチナ本」他、各紙誌激賞! !
三島由紀夫賞最年少受賞の21歳、第二作にして
第164回芥川賞受賞作
◎未来の考古学者に見つけてほしい
時代を見事に活写した傑作
――朝井リョウ
◎すごかった。ほんとに。
――高橋源一郎
◎一番新しくて古典的な、青春の物語
――尾崎真理子
◎ドストエフスキーが20代半ばで書いた
初期作品のハチャメチャさとも重なり合う。
――亀山郁夫
◎今を生きるすべての人にとって歪(いびつ)で、でも切実な自尊心の保ち方、を描いた物語
――町田康
◎すべての推す人たちにとっての救いの書であると同時に、絶望の書でもある本作を、わたしは強く強く推す。
――豊崎由美
逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を“解釈“することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し——。デビュー作『かか』は第56回文藝賞及び第33回三島賞を受賞(三島賞は史上最年少受賞)。21歳、圧巻の第二作。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文学的な表現をしようとしてるのか、最初、そんなこと思うわけないだろうと言う言葉選びが多く、頭に入ってこない。後半は、そういうテクニックに走る事が消えて読み易くなる。推しと自分のどうしようもない現実が共鳴したような活動が終わっても、生きていかなければならない。最後、自死に向かわなくてよかった。
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推しがいる人には刺さりまくるのでは?
ただ、そこがまたリアルで苦しい。
主人公はまさに推しがいることで生きている状況。
推しに対する思い、言動がわかる一方で
どんどん周りと距離も生まれている感じがきつかった。
作品自体は短く読みやすく、
活字が苦手でも推しがいる人なら共感しながら読める作品だと思う。 -
勉強もバイトも家族関係も、全てがうまくいっていない女子高生、あかりは、アイドルの「上野真幸」を推すことに全てを捧げていた。しかし、彼女の「推し」上野真幸はファンを殴って炎上してしまう。逆境に晒される推しを支えるために、自分の持てる全てを推すことに捧げるあかり。彼女の生活は推すこと以外、ままならなくなっていく。
「推し」「炎上」という、現代的でポップ、悪くいえば俗っぽいテーマを用いて、こんなに骨太な文学作品が書けるものかと驚きました。正直、最初は「オタクあるあるを楽しむ」位の気持ちで手に取ったのですが、この本では、あかりの生きづらさが、文学的手法を用いて見事に描かれており、読んでいて胸が苦しくなるくらいでした。
特に、印象に残ったのは、「肉」と「骨」の対比です。
あかりは、入浴や爪切り、人と話す為に顔の肉を持ち上げるといった、生活に必要な最低限の行為をこなすことすら、困難を抱える特性を持っています。彼女はその特性を「肉体の重さ」と表現し、「推しを推す」時だけ、重さから解放されると言います。そして、「推す」ことは生活の中心、「背骨」と表現しています。普通の人なら人生を「肉付け」して豊かにしてくれるバイトや部活などは、あかりにとっては余分なことで、削ぎ落として「骨」、つまり「推すこと」だけの生活にしたいと言います。また、現実が上手くいかないあかりは、「肉体」の必要ないネットの世界では、推しへの考察の深さから、ファンの間で、一目置かれる存在です。
このように、「肉」と「骨」は度々、キーワードとして登場しており、あかりの心情描写を印象深いものとしています。
私は、サブカル的なテーマに対する先入観から軽めなエンタメ小説だろうと舐めてかかって、横っ面を殴られた様な衝撃を受けました。ぜひ、あなたにも、思いっきりぶん殴られてほしいです。 -
私が行く図書館でも、ようやく借りられるようになった本書。手に取ると、新書サイズの大きさに文学作品としての拘りを感じられて、実際持ちやすく、一頁あたりの字数も程良く読みやすい。
物語の内容は、主人公「あかり」が自らの人生の辛さに共感してくれたような存在である、「推し」を通じて、その幸せな日々を体感できるように見えて、実は重苦しさばかりが目についてくる。
実際に詳しい病名は書かれていないが、おそらく彼女は、自らの身体にあまり良い印象を抱いていないようで、例えば
『肉体は重い。水を撥ねあげる脚も、月ごとに膜が剥がれ落ちる子宮も重い』
『寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから爪を切る。最低限を成し遂げるために力を振り絞っても足りたことはなかった。いつも、最低限に達する前に意思と肉体が途切れる』
の表現には、彼女がさかんに気にするのは、身体の重さや倦怠感だけでなく、そもそも人間としての構造自体に異を唱えているような、物悲しさであり、推しとの時間を楽しんでいるときは別として、それ以外の彼女の人生が人生でないような、空虚で絶望的な局面と、実は向かい合わせになっている、この人生観に対して、作者の「宇佐見りん」さんとは全く年齢が異なるが、私にはひどく共感めいたものを感じさせてくれた。
私もアイドルではないが、30代の頃、推しに近い感覚でその生き方に共感した人がいて、ピロウズの山中さわおさんなのだが、もちろんアーティストとしての人間性と、プライベートのそれが一致しているとは思っていない。思っていないのだが、ライブで歌っているときの表情や歌い方、MCのちょっとした仕種(さわおさんの場合「久しぶりじゃないか」と言ってくれるのが好きだった)などに現れる、その人の人間性みたいな雰囲気を感じさせられる点には、嘘ではないのではないかと思い(彼の場合、常に纏っていた孤独感がやはり)、その信じられる思いを励みに生きていたこともあった。
そして、それは、それ以外の人生が面白くないことからの逃避だという自虐的な思い込みもあって(あくまで当時の話です)、ライブの後の爽快感と侘しさが混ざり合う、何とも言えないやるせなさや、実は崖っぷちのような人生に見て見ぬふりをしていたんだなということを、本書で思い出させてくれたということで、宇佐見さんはすごいなと思います。
話を戻すと、そんな絶望的な状況にも思える中での、ラストシーンにおける、あかりの行動がまた印象的で、その姿を見たときは思わず、「おおっ!」と言ってしまい、なんか頼もしいなと感じ、彼女の、この先の人生を見てみたい気にさせられました。
ワイヤーのようなもので吊されている少女の印象的な表紙。
それは、自身の存在の重さに絶望感を抱いている、あかりをかろうじて支えて、この世に留めているようにも見えるし、それは彼女自身、絶望感を抱いていながらも、まだまだこんなものではないという、内なる思いの叫びなのかもしれない。
本書の序盤に「推し」の目についての記述があった。ラストシーンのあかりは覚えているだろうか?
『その目を見るとき、あたしは、何かを睨みつけることを思い出す。自分自身の奥底から正とも負ともつかない莫大なエネルギーが噴き上がるのを感じ、生きるということを思い出す』
是非、思い出してほしい。-
たださん
「かか」は是非読みたいですね。たださんの言葉からきっと、完成度の高さよりも内に秘めたほと走るようなものが溢れた作品だと想像出来ます...たださん
「かか」は是非読みたいですね。たださんの言葉からきっと、完成度の高さよりも内に秘めたほと走るようなものが溢れた作品だと想像出来ます。
「推し、燃ゆ」は、何となく頭で書かれた感がします。やはり、ブックオフの値段の付け方は、読者の反応を反映している?2023/06/04 -
まこみさん
まあ「推し、燃ゆ」は、あれだけ売れて、中古市場にもたくさん流れてくるのだろうと思い、比較的、手に入りやすいといった理由で、そんな...まこみさん
まあ「推し、燃ゆ」は、あれだけ売れて、中古市場にもたくさん流れてくるのだろうと思い、比較的、手に入りやすいといった理由で、そんなに値が上がらないのかもしれません。
そう考えると、逆に「かか」は、買われた方があまり手放したくないのかもしれませんし、市場であまり見かけない分、それだけ読んでみたい需要が高いのかもしれませんね。2023/06/05 -
2023/06/05
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芥川賞受賞作品とのことで、図書館で予約。
薄い本で少し驚く。
タイトル通り、主人公の少女が全身全霊をかけて推しているアイドルが燃える(炎上する)ところから物語は始まる。なんとも斬新。
推しを推し続けて、物語は終わる。やはり斬新。
自分から見ると、少女の想いはたいへん複雑に映り、推し一色の日々を楽しんでいるようにも、苦しんでいるようにも思えた。主人公の少女に寄り添うのに想像以上に体力を要した…薄い本なのに、とても疲れたというのが読後の感想。 -
【感想】
多くの人が「推しがいるとはこういうことなのか」とコメントしていますが、私はむしろ逆で、「推し『以外』がいなくなるとはこういうことなのか」、と感じていました。
私は人生で「推し」というものに出会ったことがありません。正確に言えば、「人生を賭けて打ち込めるほどの熱」を上げたことがありません。そんな私からは、あかりはとても輝いて見えました。推しの行動を全て解釈し、真似し、一体化する。推しが動いているだけで全てが幸せに感じ、人生がみずみずしく潤っていく。夢中になれるほどの「好き」を抱いたことが無い私は、「もしかして自分って薄っぺらいのかな…」と不安を覚えてしまいました。
そんな私とは対照的に、推しに出会った多くの人が、生き生きと推し活をしています。中には生活費を削ってまで推しに貢いでいる人もいます。ですが誰しもその裏で実生活を送っており、リアルとオタライフのバランスを上手いこと取りながら生きている。どちらにどのぐらい傾くかはその人の熱量次第ですが、ほとんどの人は身が壊れるまで推しを愛することは無いでしょう。
「節度を守って推そう」「生活が破綻しない程度に推そう」。オタク破産を防ぐための基本ですが、では、推しの存在が生活そのものである場合はどうすればいいのでしょうか。
本書の主人公であるあかりは、まさにそのような人間でした。発達障害を患っているため勉強はできず、満足にアルバイトもこなせない。家族とは上手くいっておらず、不登校になり高校を中退。生活費を稼がなければならないのに就職活動は宙ぶらりんで、かといって誰も手を差し伸べてくれない。
そんなどん底の中で見つけた一筋の光を掴むと、彼女の人生は見違えるように輝き始めます。推しのためならどんなに些細なことでも全部記憶し、配信の時間に合わせて規則正しい生活を送ることができて、アルバイトも頑張れる。現実が辛くても、辛い分だけ推し活の快楽が増していく。まるで麻薬を浴びながら生きているようで、そんな彼女に「節度を守って推そう」などと言っても、「じゃああたしに何が残る?」と答えるに違いありません。
推し活というのはある意味、カルト宗教のようなものかもしれません。他の人には理解できないほど何かを崇拝し、金を使い、周りに布教する。アイドル、ホスト、宗教、マルチビジネス。一切違いはありませんし、貴賤もありません。
ほとんどの人は「自分はあかりほど極端なことにはならない」と思うかもしれませんが、私はそうは思いません。人間であるなら誰しも、好きなことと嫌いなこととの間でもがき苦しむ時が来ます。みんなそのギャップを不承不承受け入れて、理想と現実に折り合いをつけて生きています。ただし、あかりのようにそれができない人が一定数いる。そして、何かをきっかけに身の回りのことが全て嫌になり、急にあかりのようになってしまう人も一定数いる。
「推し『以外』がいなくなる」とは、つまり、一つの人生(実生活)が終わってしまうことに他なりません。そしてもう一つの人生(推しがいる生活)も終わってしまったら……?と考えると、あまりにも残酷な結末が待っています。
この小説はあまりに「現代社会に寄りすぎている」と思いました。SNS、オタ活、ネット炎上、オタク破産と、時代が15年前後すればジェネレーションギャップを感じてしまうテーマで溢れています。だからこそ、この小説は「社会の闇を痛いほど反映している」と感じます。誰しもが、あかりになる可能性がある。それは現代社会に潜む「熱量」の罠なのかもしれません。「夢中になれなきゃ意味がない」という煽りのせいなのかもしれません。しかしながら、これは決して「遠いどこかの出来事」では終わらない。本書を読みながら、そんな暗い考えがよぎりました。
――あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追い詰め削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを追い求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。 -
つい絵文字入れたら消えてしまって、やり直し。
なのでさっき書いた感想とは変わってしまった。
私には難しかった。
現代っ子の言葉遣いに理解が追いつかず。
けど、表現力がすごくて、圧倒された。
こんなふうに細やかに描写できるものかと。
そして若い。
生きがいが必要で、依存してしまうというのは、女性の特に10代は多いと思う。アイデンティティの確立に向けて、自分ってなんなんだ?を模索する時期には、寄りかかれるものが無いと、倒れてしまう。
友達でも家族でも、ネットの住人でも、誰かしら味方になってくれるといいし、自分を分かってくれたら最高だけど、そこまでいかなくとも、気持ちを吐き出させてくれる人っていうのは、必要だよなぁ。
主人公には発達障害や何かしらの障害があったような感じだけれど、軽度発達障害の人は、主人公のように、努力家なのに報われない、ということで自己肯定感や自己効力感が損なわれていくようだ。
母親の理解がないのがとても気の毒。
でも、「普通」「最低限のこと」ができないのにオタク活動だけは異常にのめり込んで非常に活発な様子を見れば、ただの怠慢に思ってしまうわなぁ。
肉体、という表現がよく出てきていた。
肉体と精神の成熟の差異なんかも、10代は辛いんだよなぁ。学校というシステムも。
そこから逃れられないし、同じ空間同じ人間関係で進まなざるを得ない。
ピーターパンは大人になんかなりたくない、と言っていたけど、私は大人になって解放されたな。お金も自由に使えるし。大人はいい。
ラストは、前向きな感じで良かった。
四つん這いの歩みを受け入れられて、状態はあまり変わらずかもしれないが、生には意識が向いている。